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第22巻「二人の軍師の戦い」

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74.合流

 地割れの前で足留めを食らったセイロスの部隊は、時間がたつにつれて苦悩を増していました。

 夏の日差しは容赦なく照りつけてくるのに、とにかく水がないのです。地面からは照り返しが熱を伝えてきますが、それを避ける日陰もありません。地割れに橋をかけるために、街道脇の木をすべて切り倒して板にひいてしまったからです。

 あまりの暑さに兵士の半数以上が防具を脱いでしまい、中には上半身裸になった兵士もいましたが、それでも涼しくはなりませんでした。誰もが暑さと渇きに苦しみ、座り込んだまま動けなくなっていました。馬たちも、やはり水をほしがって、しきりにいなないていますが、誰もどうすることもできません。

 とはいえ、実際には彼らはまだ半日ほど水が飲めずにいるだけでした。確かに暑さと渇きはひどいのですが、屈強の男たちならば、まだまだ持ちこたえられるはずの状況です。彼らが思いのほか弱ってしまっているのは、すぐそこに滝になって地割れへ落ちていく水が見えているからでした。東から流れてきた水が、水路の壊れた場所からほとばしり、きらきらとしぶきを光らせながら割れ目の底へ吸い込まれていきます。ほんの十数メートル先に水があるのに、汲むことも飲むこともできないのですから、これほど士気を下げる状況はありません。

 なんとか水を汲もうと、木の枝をつなぎ合わせた先に柄杓(ひしゃく)をくくりつけたり、長いロープの先に器を結びつけて投げたりする兵士もいましたが、どれもうまくはいきませんでした。彼らは相変わらず渇きに苦しめられています――。

 

 ギーがセイロスの元にやってきました。色白の顔を赤くほてらせて大量の汗をかいていますが、裸になったりはせずに、ちゃんと鎧を着て兜をかぶっていました。セイロスがいつもと変わらず紫水晶の防具に身を包んでいたからです。橋をかける作業を見守るセイロスへ水筒を差し出して言います。

「これが最後の水だ。飲んでくれ」

 セイロスは水筒ではなく副官を見ました。

「最後の水だと?」

 ギーは暗い顔でうなずきました。

「これで手持ちの水は完全になくなった……。テイーズに水を汲みにいった連中は、まだ戻ってこないんだろうか?」

「早駆けで戻って二時間。そこから水を汲んで戻るとなれば、帰りはもっと時間がかかるだろう」

 とセイロスは答えましたが、さほど深刻には思っていない様子でした。彼もずっと水は口にしていないのですが、渇いている様子はありません。ギーがまた勧めた水を断って、橋をかける作業に目を戻します。

 彼らは、城を攻めるときの大型いしゆみを使って、割れ目の間にようやくロープを渡すことができました。向こう岸の木に滑車つきの矢を打ち込み、細いロープを少しずつ太いものに替えていって、やっと人が渡れる太さのロープを張り渡すことができたのです。身の軽い兵士がロープに取りついて割れ目を越え、向こう岸に橋の支柱を打ち込んでいました。この後、こちら岸と向こう岸の支柱の間にロープを張り直し、渡り板を載せていく作業が続きます。

「なんと歯がゆいことだ」

 とセイロスはつぶやきました。いつもならこんな橋をかけることくらい魔法で簡単にできるのに、この割れ目は彼の魔法を受けつけないのです。遅々として進まない作業を、苛立ちをこらえながら見守ることしかできません。

 

 すると、そこへ騎馬の一団が西から現れました。敵の来襲かとあわてて立ち上がった兵士たちは、味方の旗印を見て、ほっとしました。水を期待して見つめますが、騎馬隊の後ろに水を運ぶ馬車はありません。

 到着したのはチャストを先頭とした部隊でした。セイロスの元に駆けつけ、いっせいに馬から下ります。

「来たか」

 とセイロスが言ったので、軍師は挨拶を省略して歩み寄りました。セイロスの隣に立って地割れを眺めます。

「水路の水が突然涸れたので、何事かあったと思って駆けつけてきたのですが、途中でロムドの魔法使いの妨害を受けました。これも連中のしわざでしょう。我々の侵入は敵に把握されています。かなりの人数の魔法使いが送り込まれているようなので、東での陽動作戦は失敗したと思われます」

 セイロスは厳しい顔で答えました。

「連中が我々に気づいたことはわかっていた。これは魔法で作られた地割れだが、私にはふさぐことも橋をかけることもできないからな。異体系の魔法が使われているのだ。こうして吊り橋をかけようとしているが、時間がかかりすぎる。何か良い方法はないか」

「左様ですね……」

 チャストが考えようとすると、横からギーが話しかけてきました。

「途中で部隊に会わなかったか? 百騎ほど水を汲むためにテイーズに戻っていったんだが」

 たちまちチャストも厳しい顔になりました。渇きに弱って座り込んでいる兵士たちをちらりと見ると、ぐっと声を落としてギーとセイロスだけに伝えます。

「すれ違っていません。しかも、敵はテイーズの回りの麦畑に火を放ちました。戻った部隊は火にまかれたのかもしれません。我々の軍も火に阻まれて四百騎ほどがテイーズに引き返しました」

「それじゃあ――!」

 水は届かないのか!? と大声を出そうとしたギーを、チャストは押しとどめました。

「静かに。兵たちがそんなことを知ったら、半数が水を求めてこの場から逃げ出してしまいます。実は我々もテイーズから水を運んでいたのですが、馬車をすべて敵に破壊されてしまいました。ですが、それは口外無用と命じてあります。水が手に入らないことを兵に知らせてはなりません。そんなことをすれば、まさしく敵の思うつぼです」

 ギーは青ざめて口をつぐみ、セイロスはいっそう苦い顔になりました。

「直接戦いに持ち込まずに、水不足に陥らせて我が軍を弱らせるつもりか――。いかにも奴らしい作戦だ」

 軍師と同様、セイロスの頭の中に浮かんでいるのも、金の鎧兜を着たフルートの姿です。

 

 チャストは声を潜めたまま言い続けました。

「魔法で水を手に入れることはできないのですね? 雨を降らせるとか」

「それができるなら、とっくにやっている。この場は、地割れだけでなく、大気までが異体系の魔法に支配されているのだ」

「わかりました。では、兵たちにこうお伝えください。現在、テイーズから水を持った部隊がこちらに向かっている。それが到着するまで、今しばらく耐えるように、と。もちろん、これははったりです。ですが、軍全体の士気が下がっていては、敵に襲撃されたとたん、たちまち敗れることになります。まず士気を上げなくてはなりません。そして、この状況をなんとかする手段を考えましょう」

 そう言って軍師は考え込み始めました。髪の毛のない頭を赤い長衣のフードで深くおおい、長衣の袖の中で両腕を組んで目を閉じます。

 その間にセイロスはチャストが言ったとおりのことを全軍に伝えました。水がこちらに向かっている、と聞いた兵士たちは、急に元気になり、座り込んでいた場所から立ち上がりました。もうすぐ渇きから解放される、と期待する気持ちが、彼らに活力を与えたのです。

「我々はすでに敵に発見されている。諸君、周囲への警戒を怠るな!」

 とセイロスが続けると、彼らは炎天下で再び防具を身につけました。武器を握り直して周囲を見張り始めます。

 再び良い緊張感が戻ってきた部隊の中で、チャストは考え続けました。目を閉じて立ちつくす姿は、黙想する僧侶のようにも見えます。

 やがて、チャストは目を開けて言いました。

「思いつきました。橋をかける作業を中止させてください。この地割れを消し去りましょう」

「消し去るだと?」

「いったいどうやって!?」

 セイロスとギーが尋ねると、軍師はゆっくりと地割れへ目を向けました。

「我々を襲撃した中に、ロムドの四大魔法使いのひとりがいました。南大陸の魔法使いで、自然魔法の使い手です。大地に巨大な裂け目を作り、大気を支配して雨を降らせないようにしているからには、これは自然魔法です。自然魔法は、魔法を発動するための『道具』を周囲に配置するのだと聞いたこともあります。兵を出して、地割れの周辺を捜索させてください。そして、魔法の道具らしいものが見つかったら、ただちに報告させてください――」

 

 捜索に出た兵士が「それ」を見つけたのは、半時間ほど後のことでした。

 セイロスとチャストとギーが駆けつけると、彼らがいたところから北へ百メートルほど離れた場所に、枯れた草むらに隠すように、丸い木の器が置かれていたのです。中には黒く光るガラスのような石が入っています。

「こんなものが魔法の道具だというのか?」

 とギーは疑わしそうでしたが、チャストはきっぱりと答えました。

「これはこの付近では見かけない種類の石です。間違いないでしょう」

 そこへ、さらに先を捜索していた兵士が駆け戻ってきて報告しました。

「向こうの割れ目の縁に、木で作られた器が置かれていました。中には木の実のようなものが三つ入っているだけです。何者がそこに置いたのかわかりません」

「間違いないようだな」

 とセイロスは言うと、腰の大剣を抜きました。目の前の器へ鋭く振り下ろします。

 とたんに、器は中の石もろとも真っ二つになりました。割れた器も石も、音を立てて地面を転がっていきます。

「さて、これで解けるか、他の道具も破壊する必要があるか――」

 チャストがつぶやいたとき、彼らの足元が激しく揺れ出しました。引き倒されそうなほど大きな揺れに、兵士たちはあわてて地割れから離れました。揺れで崩れた割れ目の岸が、音を立てて割れ目の底に呑み込まれていきます。

 すると、街道の上にいた兵士のひとりが指さしました。

「見ろ!」

 橋をかけるために両岸に張り渡したロープが、割れ目の上で大きくたわんでいたのです。ぴんと張ってあったはずなのに、真ん中がどんどん垂れ下がっていきます。

「割れ目が狭くなっているんだ!」

 と彼らは気がつきました。裂け目の向こう岸とこっち岸は、激しく揺れながらどんどん近づいていきます。

 

 そして。

 どん、と地響きをたてて、二つの大地はまたひとつに戻りました。赤茶色の石畳の街道が、裂け目の跡を残してぴったりとつながり合います。

 次の瞬間、音を立てて流れ出したのは水路の水でした。地割れが閉じたのと同時に、壊れていた水路もまた元通りつながったので、水が空堀を勢いよく流れ始めます。

 兵士たちはたちまち歓声を上げて駆け出しました。水路の岸に下り、頭にしぶきを浴びながら水をすくっては飲み始めます。馬たちもいなないて水路へ走ります。

「すごい。本当に割れ目が消えたぞ」

 ギーは呆然とその光景を眺めました。セイロスはうなずきます。

「よくやった、軍師。次の手はどうする」

 この状況に安堵することなく、たちまちこれからの戦いへ頭を切り換えたセイロスを、チャストは満足そうに見上げました。

「むろん、進軍します。後方からの連絡が途絶えているのです。このままでは敵に挟み撃ちにされる恐れがあります。この先にあるガタンという街を制圧して、そこを我らの砦(とりで)とします。我々が地割れを越えるのにまだ時間がかかる、と敵が考えている今だけがチャンスです」

「後ろからも敵が来ているのか!? それじゃ我々は袋のねずみじゃないか!」

 とギーは声をあげましたが、チャストは首を振りました。

「ここは敵地の真ん中なのですから、驚くような事態ではありません。しかし、勝算はまだこちらにあります。メイからの援軍がロムドへ進軍中であり、そこには象戦車部隊もいるからです。ガタンに砦を築き、敵を退けて援軍の到着を待ちます」

「そうなれば、おまえが対決したがっているあの勇者も、必ず出てくるな」

 とセイロスは薄く笑うと、チャストの返事を待たずに駆け戻り、自分の馬にひらりとまたがりました。街道の真ん中に立って、水路に群がっている兵士たちへ命じます。

「全員整列しろ! 進軍を再開するぞ!」

 セイロスの紫の防具は日差しに輝き、金茶色のマントが風にたなびいていました。チャストの命令を受けて、旗持ちがセイロスの後ろに旗印を掲げました。大きな紫の星を小さな星が取り囲む図案は、国々を従えるセイロスを象徴しています。

 たちまち隊列を整えた兵士たちへ、ギーが出発の角笛を吹き鳴らしました――。

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