軍師チャストは水運搬部隊を引き連れて東へ急いでいました。
五十台もあった馬車は、今はたった三台になっていました。しかも積んである水の樽はほんの数個ずつです。ただ、そのおかげで荷が軽くなり、馬車の速度が上がっていました。彼らは全速力で街道を進んでいきます。
すると、突然街道脇の木陰から炎が飛んできました。
「危ない!」
騎兵はとっさに散開し、同行の魔法使いは障壁を張りました。炎を防ごうとしたのですが、火は障壁をすり抜けました。水馬車の一台に激突して、あっという間に火だるまにしてしまいます。貴重な水馬車を破壊されたのですが、御者席の兵士は炎上する前に飛び降りて無事でした。馬車を引いていた馬も、火が燃え移る前に引き具が壊れたので、振り切って逃げ出します。
魔法使いは叫びました。
「私の魔法を抜けるとは、貴様は赤の魔法使いか!?」
問いに答える声はありませんが、代わりに、くくく、と笑う声が聞こえてきました。それも、一つではなく二つです。
「敵は二人か?」
とチャストが手綱を引きながら尋ねました。突然の炎に馬が驚いて興奮していたのです。魔法使いは答えました。
「見えません。異体系の魔法の使い手のようですが、四大魔法使いではないようです。軍師殿、先へお進みください。この場は私が」
「わかった。片付いたら追いついてこい」
とチャストは即答すると、残りの馬車と騎兵を引き連れてまた駆け出しました。この場にぐずぐずしていたら、残りの馬車まで焼かれてしまうと判断したからです。
後に残った魔法使いは声をあげました。
「出て来い! 出て来なければ、こちらから行くぞ!」
と攻撃魔法を木陰へ打ち込むと、木が倒れ、その後ろから二つの人影が飛び出しました。それは背の高い男女でした。少し色合いが違う灰色の長衣を着て、手に細い杖を持っています。
「やはりロムドの魔法使いどもか!」
と魔法使いは叫びましたが、男女が別々の場所に飛び込んだので、どちらを先に攻撃するかで一瞬迷ってしまいます。
すると、男の声が響きました。
「猿神グルよ、善なる裁きを敵に与えよ!」
「火神アーラーン、聖なる火で敵を懲らしめたまえ!」
と女の声も言います。魔法使いは、ぎょっとしました。
「まさか、元祖グル教の魔法使いか!? ユリスナイの裁きを受けて、何百年も前に全滅したはずではないか!」
同時に稲妻と炎が自分めがけて飛んできたので、あわてて飛びのきます。彼の魔法では二人の攻撃が防げなかったのです。
「全滅したなんて、誰が言ったんだい? 俺たちはこうしてここにいるじゃないか」
「あたしたちは元祖グル教のしもべだもの。あたしたちの魔法は、あんたが使う魔法じゃ防げないのよ」
男女の声が答えて、また、くくくと笑います。
「魔法を防げないのは貴様たちも同じことだ!」
と魔法使いはどなり返すと、また攻撃を撃ち出しました。魔法は二つに分かれて木陰に飛び込み、男女が同時に飛び出して来ます。彼らが手に握る杖は、グル教の聖木ナナカマドでできています。
その時、行く手の丘の陰で爆発が起きました。地響きがして、砂埃が煙のように立ち上ります。
「しまった!」
魔法使いは自分たちが罠にかかったことに気がつきました。彼がここに足留めされている間に、先へ行った部隊が別の敵に襲撃されたのです。
あわててそちらへ飛ぼうとした魔法使いに隙が生まれました。元祖グル教の魔法に直撃されて、ばったり地面に倒れます。
「よぉし、目的達成。姉さん、捕縛の術を頼む」
「もうかけたわ。殺さず捕まえろって命令なんだもの、かえって難しかったわよね」
と男女は話し合いました。二人の長衣の背中には、赤の魔法使いの部隊を表す山猫の刺繍があります。
「さて、若葉と赤錆(あかさび)はうまくいったかなぁ」
元祖グル教の姉弟は、そう言って行く手を眺めました――。
先を行くチャストの部隊は、街道横の荒れ地で突然爆発が起きたので、大混乱に陥っていました。襲撃されたのですが、爆発が猛烈な砂煙を巻き上げたので、敵の姿を見つけることができません。
「また魔法か……!」
チャストは青ざめました。彼らの魔法使いは後方の敵と戦っているので、魔法から身を守る手段がなかったのです。こんなことならば、もっと大勢魔法使いを同行させるのだった――と悔やみますが、もう手遅れでした。メイは優秀な魔法使いが多い国ですが、その大半はセイロスによって合体させられて異形の魔法使いになり、東の戦場へ送り込まれていたのです。その魔法使いたちもキースたちの活躍で元に戻り、捕虜になっているのですが、チャストには伝わっていません。
ところが、彼が恐れていた魔法の集中攻撃がやってきませんでした。彼の部下は砂埃の煙幕に阻まれて右往左往しているのですから、煙幕めがけて攻撃をすれば、いくらでも彼らを倒せるはずなのですが、いっこうに魔法は飛んできません。
そうか、とチャストは気がつきました。敵が金の石の勇者の命令に従っていることを、はっきりと感じ取ったのです。できる限り人は殺したくない。味方であっても、敵であっても人は死なせたくない。あの少年はそう考えているのに違いありません。
「ならば道はある――」
とチャストはつぶやくと、混乱する兵に向かって叫びました。
「あわてるな! 道の続くほうへ走って抜け出せ!」
砂埃で見通しはきかなくなっていても、赤茶色の石畳の街道は足元に見えていました。全員がそちらのほうへ走っていけば、互いにぶつかったり邪魔し合ったりすることなく抜け出していけたのです。
じきに彼は本当に砂埃から抜け出しました。その後ろには百騎の騎兵と二台の馬車が続いています。
すると、今度は一台の馬車の車輪がいきなりはじけ飛び、荷台が音を立てて道に落ちました。馬車を引いていた馬が驚いていななき、引き戻されて地面に倒れます。
「水が――!」
最後尾にいた十数人が馬車に駆け戻ると、そこにまた魔法が飛んできました。人ではなく馬に命中して、騎兵隊を馬上から放り出してしまいます。
「戻るな! 先へ走れ!」
とチャストは叫び続けました。水馬車は最後の一台になっています。せめてこれだけでも守り切らなくてはなりません。
そこへ、透き通った小さな蝶々がやってきて、すぃっとチャストの鼻先を飛び抜けていきました。それが羽根の生えた人間のように見えて、チャストがぎょっとすると、蝶は、リリリリと鈴を振るような音で鳴きました。とたんに行く手の木の上から声がします。
「見つけた! それが軍師のチャストよ! 聞いていたとおりの格好だもの!」
それは若い女性の声でした。同時に、おぉぉ、とほえるような返事があって、反対の方向からまた魔法が飛び、チャストの馬に命中しました。チャストが放り出されます。
「軍師殿!!」
駆け寄ってきた部隊長に、チャストは空中を指さしました。
「その蝶を切り捨てろ! 敵の目だ!」
部隊長は即座に命令に従いました。剣を抜いて透き通った蝶に切りつけます。
とたんに木の上から悲鳴が上がりました。梢が鳴り、若葉色の長衣の娘が飛び降りてきて蝶に駆け寄ります。
「フェアリィ! フェアリィ! しっかり――!」
「精霊使いか!」
とチャストは跳ね起きました。フェアリィは小さな精霊の総称です。
ところが、チャストと部隊長が娘に斬りかかろうとすると、おぉぉぉ! とほえるような声が上がって、もうひとりが飛び出してきました。こちらは毛むくじゃらの頭を赤錆色の長衣の上から突き出した大男で、伸び放題の毛は雪のような色をしています。巨体に似合わない素早さで騎兵の間を駆け抜けると、精霊使いの娘を小脇に抱えます。
それと同時に、あたりが急に寒くなりました。大男が走った後の道に足跡が残っているのを見て、チャストは、はっとしました。男は靴をはいていなかったのですが、毛深い足が歩いた後には霜の足跡がついていたのです。
「離れろ! そいつは――」
軍師が言いかけたとき、大男が杖を掲げました。ほとばしった魔法が馬に命中して、また騎兵が放り出されます。倒れた馬は胴が白く凍りついていました。先に倒れたチャストの馬も同様に半ば凍っています。
「あれは、軍師殿!?」
部隊長が尋ねてきました。兵士たちは距離を置いて敵を取り囲んでいます。
「おそらく、ミコン山脈に棲むという雪男だろう。こんな季節に平地にいるはずはないから、ロムドの魔法使いに違いない。こんな怪物まで雇い入れていたとは――」
話しながら、チャストは懐から丸いものを取り出しました。雪男めがけて投げつけると、玉が破裂して大きな炎が湧き起こり、悲鳴が上がります。軍師は護身用に持ち歩いていた炎玉を投げたのです。
炎が燃え尽きておさまったとき、雪男と精霊使いの娘の姿は消えていました。切り捨てたはずの透き通った蝶も、どこにも見つかりません。
「逃げたか」
とチャストは言いましたが、油断はしませんでした。また敵が襲いかかってくるかもしれない、と考えて周囲を見回します。
すると、騎兵のひとりが突然声をあげて馬車を指さしました。そちらを見たチャストや部隊長も息を呑みました。たった一台残った馬車の荷台で、水樽がすべて凍りつき、凍って膨張した水が樽を破壊していたのです。壊れた樽からのぞく氷は、熱い外気と照りつける日差しを浴びてみるみる溶けていました。荷台の下の道に水たまりが広がり、すぐに吸い込まれて消えていきます――。
「ど、どうしましょう、軍師殿」
と部隊長がまた尋ねてきました。彼らが運んでいた水樽は、これで一つ残らず破壊されてしまったのです。もうセイロスたちに届けられる水はありません。
チャストも青ざめて絶句していましたが、怖いほど厳しい顔で考え込んだ後で命じました。
「我々はこのまま進んでセイロス様の部隊に合流する! 水馬車を失ったことについては、いっさい他言無用! ただちに隊列を組み直せ!」
ロムドの魔法軍団にさんざんにやられた部隊は、それでも兵士をかき集めて先へ進み出しました。チャストは倒れた馬を別な馬に替えて先頭に立ちましたが、ずっとうなるようなひとりごとを言い続けていました。
「まだだ……まだ我々は負けてはいない。見ておれ、金の石の勇者。最後に勝ちどきを上げるのは我々だ……」