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第22巻「二人の軍師の戦い」

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69.決着・2

 戦場から離れた森の奥に、クアロー王は一人で逃げ込んでいました。

 先ほどまで聞こえていた戦闘の騒乱はいつの間にか聞こえなくなり、王がいる谷間には鳥の声が響き始めていました。目の前には谷川が流れているので、せせらぎの音も聞こえています。沈黙より静かな静寂の中で、王は緊張しながらあたりの気配を伺っていました。そこから谷の外の様子は見えないので、戦況を確かめることはできません。

 川岸の岩に腰を下ろし、兜を足元に置いて、クアロー王はひとりごとを言いました。

「私は勝ったのか? それとも負けたのか? いや、我が軍にはランジュールの怪物もメイの強力な魔法使いもいる。私が負けるなど、絶対にありえん」

 けれども、いくらそこで待っていても、味方の兵は彼を探しに来ませんでした。もし戦闘に勝ったのであれば、王の彼を迎えに来るはずなのに――。クアロー王の胸に不吉な予感が黒雲のように広がります。

 すると、ぴしゃぴしゃと水音を立てて、川上から人がやって来ました。クアロー王はあわてて逃げだそうと馬の手綱をつかみ、すぐにその手を離しました。川沿いにやってきたのは、金色の巻き毛に水色の瞳の美青年だったのです。

「ミカール!」

 と王は安堵しましたが、青年が左手に包帯のように布を巻き、それが血に染まっているのを見て驚きました。

「どうした!? 怪我をしたのか!?」

「不覚にもやられました。敵の中に闇に強い男が潜んでいたんです」

 とミカールは答えました。美しい顔が歪んでいるのは、痛みのためだけではありませんでした。自分の左手を切り落としたキースへ、続けざまに呪詛(じゅそ)を吐きます。

 クアロー王はそれを無視してまた尋ねました。

「それで、戦況はどうなった? もちろん、我が軍が勝ったのだろうな?」

 ミカールの瞳が一瞬冷ややかに光りました。

「ランジュールの魔獣も、メイ国から来た怪物のような魔法使いも、すべてエスタとロムドの連合軍の前に敗れました。ロムド国から駆けつけた応援部隊が、我が軍の後方に回り込んで挟み撃ちにしたのです。我が軍の兵の半数は遁走(とんそう)、残り半数は敵に捕らえられるか討ち死にしてしまいました。我が軍の惨敗です」

「惨敗――我が軍の――そんな」

 クアロー王は呆然としました。彼はメイにいたセイロスからランジュールとメイの魔法使いを貸し与えられ、ミカールにも闇の力を与えてもらって、クアロー王に返り咲き、ここまで進軍してきたのです。絶対の戦力を誇っていたはずの自軍が、こんなにあっけなく敗れたとは、すぐには信じることができません。

 ミカールは話し続けました。

「我々を討ちまかすきっかけを作ったのは、私に傷を負わせた男です。奴はどうやら闇の民のようでした。敵は闇の勢力も味方に引き入れているのです――。このままにしてはおけません。陛下、私に捕虜の女を三人お与えください。女たちの生き血を使ってこの傷を癒やし、あの男に復讐してやります」

 青年の美しい顔はどす黒い闇に彩られていました。姿はまだ人間のままですが、ひくひくと体のあちこちが勝手に動き始めています。怪物の姿がすぐ内側まで浮上してきているのです。

 クアロー王は頭を振りました。

「無理だ! 敵はエスタとロムドの連合軍なのだぞ! 元から我々より人数が多かったところに、ロムドの魔法軍団もいるのだ! おまえ一人の力でかなうわけがない! それに、女たちももういないんだ――」

 そこまで話して、クアロー王は声を呑みました。ミカールの瞳が、ぎらりと野獣のように光ったからです。

 

 ミカールは低い声で言いました。

「無理だって? このぼくに負けっぱなしでいいとおっしゃるのですか? 陛下だって、こんなところで頓挫(とんざ)なさるおつもりですか? エスタを手中に収め、ゆくゆくは世界の王になるんだ、とおっしゃっていたではありませんか。女たちをぼくによこしなさい。早く」

 ミカールが目を光らせて迫ってくるので、クアロー王はじりじりと後ずさりました。相手が正気を失いかけていることに、ようやく気がついたのです。うわずる声で言います。

「お、女たちはもう残っていないのだ。おまえが一人残らず食ってしまったから――」

 とたんにミカールが動きました。頭だけ怪物になって襲いかかり、王の悲鳴と血しぶきが上がる中、また飛びのきます。その口にくわえていたのは人の左手でした。ミカールは王の左手を食い切って奪ったのです。

 左腕を抱えて転げ回るクアロー王を尻目に、ミカールはまた人に戻りました。血まみれの口に左手をくわえたまま、自分の左手首に巻いた布をほどいていきます。手が失われたそこに王の左手を合わせ、一瞬気合いを込めると、左手はミカールの腕につながりました。彼自身の右手よりごつくて大きな左手ですが、思い通りに指を動かすこともできます。

 背後でまだ転げ回っているクアロー王に、ミカールは話し始めました。

「陛下、ぼくが何故、国を失った哀れなあなたにずっと従ってきたか、ご存じでしたか? ぼくの夢は陛下に世界中の国々を手に入れていただくことだったんです。ぼくはそのために誠心誠意働いて、ゆくゆくは陛下の養子にしていただく予定でした。そうしてあなたの後継者として認めていただいたら、後はもう、あなたはお払い箱です。あなたを殺して、ぼくがクアロー王に、いえ、世界の王になる計画でした。……でも、あなたはもう世界の王になるつもりはないとおっしゃる。それじゃ、ぼくがあなたに仕える理由もなくなりますよね。また逃げるおつもりですか? それともエスタに投降なさる? どちらもできませんよ、陛下。あなたはここでぼくに食われて、ぼくの力に変わるんだから――」

 ミカールは笑いながら王を振り向きました。その顔はまだ王の血に染まっています。

 と、彼は大きく目を見開きました。怪物に変わり始めていた両手から伸びた爪が消えて、人間の手に戻っていきます。

 彼の腹からは、血に濡れた剣の切っ先が突き出ています――。

 

 ミカールを刺したのはクアロー王でした。右手に握った剣を手がなくなった左腕の脇にはさんで支え、ミカールの背中に思い切り突き立てたのです。

 ぐぁぁ! とミカールは獣のようにほえました。王を振り飛ばし、怪物に変身して剣を抜こうとしますが、彼の体は変わっていきません。

「な……何故!? どうして変身できないんだ……!?」

 血を吐いてわめくミカールに、クアロー王は言いました。

「それは闇に効く剣だからだ――。先に落としたエスタの街の教会で手に入れたのだ」

 ミカールは歯ぎしりしました。クアロー王が彼を完全には信用していなかったのだと知ったからです。

「よくも……よくもよくも……!!!」

 ミカールは突き出した剣をつかんで押し返すと、自分で自分の背中から引き抜きました。両手に握り直して、倒れている男へ振り下ろします。王の断末魔の声が谷間に響き渡ります。

 主君の血に染まった剣を手に、ミカールはまた笑いました。熱っぽく光る目で、谷の上の細い空を見上げます。

「これで……ぼくはクアロー王だ……。さあ、反撃するぞ。エスタ軍も、ロムド軍も蹴散らして……セイロスなんて男も利用するだけ利用してから殺して……ぼくが、世界の王に……」

 剣が石だらけの川岸に落ち、次いでミカールの体も崩れるように倒れました。

 谷川のそばには、クアロー王とミカールの二人が血にまみれて横たわっています。どれほど時間がたっても、二人が再び立ち上がってくることはありませんでした――。

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