「キース! おい、キース!」
オーダは大声で呼び続けました。
丘の麓の森の中で、キースは黄色い半球の中に閉じ込められてしまったのです。直前に放り出してもらったオーダは無事でしたが、いくら呼んでも、中からキースの返事はありません。
半球の正体は闇の怪物の大食いでした。キースを包み込んだまま、ゆっくりと半球から元の長虫に形を変えていきます――。
うふふっ、とランジュールが空中で笑いました。
「このおピンクちゃんはねぇ、どんな生き物でもひと呑みで食べちゃうんだよぉ。人間でも動物でも闇の生き物でも、ぜぇんぜん関係なし。おピンクちゃんのお腹に入れば、もぉ魔法は効かないからねぇ。あのお兄さんも、今頃は消化されてどろどろに溶けちゃってるさぁ。うふふふ」
そんな! とオーダは言いました。あれほど強かったキースが、こんなに簡単にやられるとは信じられなくて、見守り続けますが、長虫の中からキースは現れません。
「おい……本当か? 本当に食われちまったのか? おまえほどの奴が……」
やっぱりキースの返事はありません。オーダは顔を歪めます。
すると、頭上のはるか高い場所から、ばさばさと翼を打ち合わせるような音が聞こえてきました。キェェ! と鋭い鳴き声も響きます。
はっと一同が見上げると、木立の間の空から黒いものが降ってくるところでした。たちまち大きくなり、ざざざ、と木々の梢をこすって森の中に飛び込んできます。
「おピンクちゃん!?」
ランジュールは驚いて叫びました。飛び込んできた黒い影が、長虫の頭に襲いかかったのです。ピンクの体液が血しぶきのように飛び散り、長虫が激しく身もだえします。
そこに、今度は若い女性の声が響きました。
「頭から三つ目の斑点! キースはそこよ!」
舞い上がった黒い影は大きな空飛ぶ怪物でした。その背中に長い黒髪の娘が乗っていたのです。
怪物は空中で向きを変えると、娘が言うとおりの場所へ急降下していきました。向かってきた長虫の頭にまたくちばしで食いつくと、のけぞった長虫の三つ目の斑点を、後足の爪で蹴り裂きます。
とたんに、裂け目からキースが飛び出して来ました。全身を淡い白い光で包まれていて、地面に転がると光は吸い込まれるように消えていきます。
次の瞬間、キースは跳ね起きて叫びました。
「グーリー! どうしてここに――!?」
すると、空飛ぶ怪物の背中から、賑やかな声も聞こえてきました。
「やったゾ! やったゾ! キースが出てきたゾ!」
「良かった、無事だったヨ! キースは消化されてなかったヨ!」
怪物の背で飛び跳ねているのは、二匹の赤毛の小猿でした。ゾ、ヨ! とキースはまた叫び、同じ場所に長い黒髪の娘も乗っているのを見て、本当に驚いた顔になりました。
「アリアン! どうして君がここにいるんだ!?」
森の木立の間で羽ばたいているのは、黒いグリフィンの姿のグーリー、その背中に乗っていたのはアリアンとゾとヨだったのです。
アリアンは風に長い髪を吹き乱しながら、泣きそうな顔でほほえんだだけでしたが、小猿のゾとヨは飛び跳ねながら賑やかに言い続けました。
「もちろんキースを助けに来たんだゾ! 間に合って良かったゾ!」
「オレたち、アリアンの鏡でずっとキースを見ていたんだヨ! キースが危ないから、急いで飛んできたんだヨ!」
オーダは立ちつくしたまま、ぽかんとそのやりとりを聞いていました。
ランジュールは空中で地団駄を踏んで怒っています。
「ちょぉっとぉ! キミたちみんな、勇者くんのお友だちじゃないかぁ! もうちょっとでこのお兄さんを殺せるところだったんだから、邪魔しないでよねぇ!」
すると、アリアンは、きっとランジュールを見据えました。
「キースは殺させないわ! だって、私たちが来たんですもの! グーリー、私たちを下ろして!」
グリフィンはすぐに地上に舞い降りました。アリアンとゾとヨを背中から下ろすと、また飛び立ちます。向かった先は強大な長虫でした。斑点を切り裂かれて苦しんでいるところに、また襲いかかっていきます。
キースはアリアンに駆け寄りました。
「どうしてこんなところにに来た!? ここは戦場だぞ!」
きつく責める声に、毅然としていたアリアンから急に強いものが消えていきました。怯えたように後ずさると、その前に小猿たちが飛び出してわめきました。
「怒っちゃダメだゾ、キース! オレたちはキースを助けに来たんだゾ!」
「そうだヨ! 大食いに魔法は効かないヨ! あのままだと、キースは外に出られなくて消化されちゃったんだヨ!」
「身を守る魔法は使えていたさ。中で脱出の方法を考えていたんだよ」
とキースがとげとげしく言ったので、アリアンはますます自信をなくしてしまいました。泣きそうな顔になってまた後ずさり、ゾとヨは怒って跳び跳ね続けます。
その様子に、オーダがようやく我に返りました。状況を見極めるように一同を見比べてから話しかけます。
「この人はおまえの奥さんなのか、キース? そんなに頭ごなしに言ったらかわいそうじゃないか」
キースはたちまち真っ赤になりました。
「ぼくには妻なんかいないよ! 彼女はただの――」
「まだ、ただの恋人だったのか。わかったわかった。そこんところの説明はいいから、とにかくどなるのをやめろって。こんな戦場まで助けに駆けつけてきたから、びっくりして心配になったんだ、って言やぁ、それですむだけのことなんだからな」
オーダに本音を言い当てられて、キースは絶句しました。今度はアリアンが真っ赤になり、小猿のゾとヨは頭を寄せて話し合います。
「キースがどなったのは、怒ったんじゃなくて、オレたちが心配だったからなのかヨ?」
「そうらしいゾ。キースは意地悪じゃなくて、へそ曲がりなだけだったみたいだゾ」
「なんだと!?」
キースは思わずまた声をあげ、とたんにオーダにげんこつで頭を殴られました。
「騒ぐなと言ってるだろう。そんな態度をとってると、せっかく好いてくれてる女にも逃げられる羽目になるぞ。経験者の話は素直に聞け――っと、いや、これは別にいい。とにかく、女には優しくしてやるもんだ。こんな場所まで助けに駆けつけてくれるようないい女なら、なおさらだぞ」
キースはまたことばに詰まると、憮然とした表情になって言いました。
「まさか君から恋の手ほどきを受けるとは思わなかったな、オーダ」
「人生経験なら負けてないからな。どうだ、本当にいい男だろう、俺は?」
「自分でそう言わなければ、もっといい男だったと思うよ」
そんなやりとりをしながら、キースはちらりとアリアンを見ました。彼女もキースのほうを見ていたので、視線が合い、二人は同時に目を伏せたりそらしたりします――。
空中ではランジュールが怒りながらわめいていました。
「なぁにぃ!? なにさぁ、この状況! せぇっかくうまくいきそうだったのにさぁ! どぉしてキミたちはいつもボクの邪魔をするわけぇ!?」
グリフィンのグーリーは長虫の周りを飛び回りながら、ひっきりなしに攻撃を加えていました。全身をおおう黄色い粘液は生き物も金属も溶かして吸収しますが、ピンクの斑点のところだけにはそれがありません。斑点は長虫が呼吸するための場所だったのです。グーリーはそこを鷲(わし)の前脚やライオンの後脚で集中的に攻撃し、隙を見てくちばしで頭にも攻撃を加えました。同じ闇の怪物の攻撃なので、長虫の傷は治っていきません。
もぉ! とランジュールはまた叫びました。
「グリフィンってホントに素早いんだからさぁ! こぉなったら奥の手。おピンクちゃん、溶解して捕まえてぇ!」
たちまち長虫がまた形を失いました。黄色い液体になって地面に落ち、そこから伸び上がってグリフィンを捕らえようとします。グーリーは黒い翼を打ち合わせて上空へ逃げました。その後を液体は追いかけてきます。
すると、小猿のゾとヨがぴょんと飛び跳ねました。
「やったゾ! やっぱり水になったゾ!」
「闇の国の毒のほうが効くけど、これもきっと効くはずだヨ!」
そう言いながらどこかから取り出したのは、二本のガラス瓶でした。地面に広がる黄色い池に、ためらうことなく駆け寄っていきます。
アリアンが言いました。
「気をつけるのよ、ゾ、ヨ!」
「大丈夫だゾ」
「オレたち、深緑のおじいさんに言われたとおりにするヨ」
と二匹は返事をすると、小さな手で器用に蓋をはずしました。そのまま瓶を逆さにして、中身の液体を黄色い池へ注ぎます。
とたんに、池の縁が大きく持ち上がり、シシシィィィ、と耳障りな鳴き声が響きました。たちまち黄色い液体が大きく波打ち、グーリーの後を追うのをやめて渦を巻き始めます。長虫がもだえ苦しみ出したのです。
「おピンクちゃん!?」
ランジュールは驚いて飛んでいきました。ゾとヨのほうは、ガラス瓶を池に投げ込んでまた駆け戻ってきます。
「よくやったわ」
とアリアンが二匹を抱きしめたので、キースは尋ねました。
「今のはなんだ? 大食いに効いてるじゃないか」
「あれは聖水なんだゾ! 水になったところにかけたから、大食いの体の中に混ざったんだゾ!」
「深緑の魔法使いのおじいさんが持たせてくれたんだヨ! 特別強力な聖水だから、効果も大きいんだヨ!」
二匹は胸を張りましたが、キースは絶句してしまいました。ゾやヨも闇の怪物なのですから、万が一聖水がかかるようなことがあれば、彼らだって無事ではすまなかったのです。
すると、アリアンがキースに言いました。
「大食いは弱ってるわ。この隙に倒して」
普段はとても控えめな彼女が、今は強い信頼を込めた目でキースを見つめていました。きっとそれができると信じているのです。
キースは思わずまた頬をかくと、少し考えてから言いました。
「いくら大食いだって、体の中には心臓があるし、そこは急所だ。アリアン、心臓の場所を見つけろ。オーダはそこを風で吹き飛ばすんだ」
アリアンはすぐさまドレスの隠しから小さな鏡を取り出しました。鏡はたちまち大きくなり、荒れ狂う黄色い液体を表面に映し出します。アリアンは鏡の中を素早く見回し、目の前の怪物を指さしました。
「心臓はあそこよ!」
「よし!」
オーダがアリアンの示す場所へ剣をふるいました。どぅっと猛烈な風が巻き起こり、伸び上がっていた黄色い渦の真ん中を吹き飛ばしてしまいます。
すると、そこに脈打つ黒い塊が現れました。長虫の心臓です。
「グーリー!」
とキースは叫び、舞い降りてきたグリフィンに飛び乗って怪物へ突進しました。手には剣を握っています。
「わわわ、まずいぃ! おピンクちゃん、退却ぅ!!」
ランジュールは必死で命じましたが、形を失った上に聖水と風のダメージを食らった長虫には通じませんでした。キースがグーリーの背中から剣を突き出すと、刃が白く輝いて長く延び、長虫の心臓を真っ二つにしてしまいます。
とたんに、黄色い液体は渦を巻くのをやめ、そのまま滝のように地面に落ちました。池を作ることもなくただ広がり、じきに地面に吸い込まれていってしまいます。
キースたちは長虫の怪物を退治することができたのでした――。