クアロー王は、丘の東側に待機する軍隊の後方で、いらいらしながら行く手を眺めていました。
ずっと順調に西進してきたクアロー軍が、ここに来て初めて足留めを食らったのです。あわただしく前線との間を往復する伝令たちが、ただならない戦況を伝えてきます。
「前方のブドウ畑にエスタの大軍が潜伏! 我が軍を上回る人数です!」
「敵の中に魔法使いもいます! 弓矢が突風で使えなくなりました!」
「敵の騎兵部隊が突撃してきました! 弓矢部隊が追い散らされ、こちらの騎兵部隊と戦闘に入りました!」
クアロー王は歯ぎしりしました。報告はすべて、こちらの軍が敵に押されている様子を伝えています。またがった馬の上で、思わずわめいてしまいます。
「えぇい、ミカールはどうした!? 先ほど出動したではないか! メイの魔法使いは!? この状況をどうしてなんとかしないのだ!?」
王は丘の麓の森の中にいたので、木立にさえぎられて丘の上の状況が見えなかったのです。
怒ってわめくだけの王に、周囲のクアロー兵たちは、心の中でつぶやきました。
そんなことを言ってないで、自分が先頭に出てなんとかしたらどうなんだ。あんたは王様だろう――?
けれども、それを口にすれば自分の身が危なくなるので、声に出す兵士はありません。
すると、行く手からまた伝令が二人やってきました。一人は白い服に青いマント、もう一人は黒い鎧兜を身につけていますが、どちらも伝令を表すオレンジの布を左腕に巻いて、馬に乗っています。クアロー王は二人に向かって大声で尋ねました。
「戦況はどうだ!? 我が軍は勝っているのだろうな!?」
先に答えたのは白い服の伝令でした。
「残念ながら、我が軍は敵に押されております! 前線は乱戦状態! エスタ軍が次々と押し寄せてきます!」
「メイの魔法使いも空中にてロムドの四大魔法使いと決戦中です!」
と黒い鎧の伝令も言ったので、クアロー王は顔色を変えました。
「ロムドの四大魔法使い――やはり出てきたか! それで!? どちらが勝っている!? もちろん、メイの魔法使いだな!?」
念を押すような王の質問に、黒い鎧の伝令は、何故かにやりと笑いました。
「今のところは互角ですが、まもなく決着がつくでしょう……。なにしろ、相手は武神カイタの再来とも言われる青の魔法使いだからなァ」
伝令の口調が急にぞんざいになったので、王や周囲の兵士は驚きました。白い服の青年が仲間をたしなめます。
「こら、失礼なことを言うな。間もなくじゃなく、すぐに決着がつくの間違いだ。青さんの他に魔法軍団まで一緒にいるんだからな」
「な、なに……!?」
ますます驚くクアロー王の横で、警備兵が叫びました。
「貴様ら、味方ではないな!? 敵か!」
周囲はいっせいに武器に手をかけましたが、それより早く伝令たちは動き出しました。黒い鎧の戦士が警備兵を蹴散らし、白い服の青年がクアロー王の馬に飛び移って、背後から首に剣を突きつけます。
「おっと、動かなくでくださいよ、クアローの王様。暴れて首が切れてしまっても知らないから」
「そら、おまえらはとっとと下がれ! さもないと怪我するぞ!」
と黒い鎧の戦士は剣を抜いてどなりました。ぶん、と剣を大きく振ると、猛烈な風が吹き荒れて、周囲の兵士たちを飛ばしてしまいます。森の木の幹にたたきつけられた兵士、風で折れた枝が激突した兵士……あたりは大騒ぎになります。
かろうじて大怪我を免れた部隊長は、首に提げていた角笛を口に当てました。思い切り吹き鳴らして、異常を知らせようとします。
ところが、そこに大きな白いライオンが飛びかかってきました。角笛の音の代わりに絶叫が響き、ぱたりとそれがやみます。
「よくやった! こっちに来い!」
と戦士はライオンを呼び、また剣を振るいました。今度は後方のクアロー兵が吹き飛ばされます。
クアロー王は喉元に剣を突きつけられたまま言いました。
「お、おまえたちは何者だ……!? エスタの兵か!?」
「名乗るほどの者じゃないね」
と白い服の青年は言いましたが、黒い鎧兜の戦士のほうは胸を張って答えました。
「そうとも! 俺はエスタ軍辺境部隊のオーダ! こっちはロムドの怪物退治の専門家のキースだ! よく覚えておけ!」
「おい、親切に教えてやったりするなよ」
とキースが文句を言うと、オーダはいっそう胸を張りました。
「馬鹿野郎! 俺たち戦士は活躍して名を上げないと褒美(ほうび)がもらえないんだ! 敵に名前を売っておくのは大事なことなんだぞ!」
「君は戦士だからそれでいいけれど、ぼくはひっそり戦いたいんだよ」
「何を甘っちょろいことを言ってる! おまえもせっせと名を売らんと、ロムドの王様から褒美がもらえなくなるぞ!」
オーダはキースの言い分をいっこうに気にしません。
すると、そこにいきなり別の人物の声が聞こえてきました。
「なぁに、なぁにぃ? ロムドの怪物退治の専門家だってぇ? そぉんなこと聞いたら、隠れてなんていられないなぁ。いったいどんな人ぉ?」
妙にのんびりとした青年の声でした。次の瞬間、頭上に白い服を着た幽霊が姿を現します――。
「ランジュール! やっぱりいたのか!」
とキースは思わず声をあげました。
幽霊のほうは前髪の間からのぞく左目を丸くしました。
「あれぇ? そぉ言うキミは闇の王子様。どぉしてここにぃ?」
ランジュールがキースの正体をあっさりばらしたので、キースはあせりましたが、オーダは空中に突然現れた幽霊に驚いていて、話を聞いていませんでした。あきれながらこう言います。
「おいおい、なんだぁ? クアロー王は幽霊まで子飼いにしているのか? ひょっとして悪霊軍団なんてのを抱えているんじゃないだろうな?」
「失礼だなぁ、この戦士のおじさんは。ボクはランジュール。世界最強の魔獣使いなんだよぉ。悪霊なんかじゃないんだからねぇ」
と幽霊がむっとしながら答えると、オーダのほうも憤然とした顔になりました。
「それなら、俺だってまだおじさんって歳じゃない。お兄さんだ」
「えぇ? どぉ見てももう、おじさんに見えるけどぉ? キミ、いくつさぁ?」
「まだ三十五だ」
「やっぱりおじさんじゃないかぁ!」
「立派なお兄さんだろうが!」
ランジュールとオーダが言い合いを続けていると、キースの前でクアロー王が叫びました。
「くだらないことを話していないで、早く私を助けろ、ランジュール!」
命令されて、幽霊はちろんと横目でクアロー王を見ました。
「敵に捕まって絶体絶命、このままじゃ捕虜になって負けちゃうって状況なのに、偉そうな言い方するよねぇ? 前にボクがなんて言ったか忘れちゃったのかなぁ? ボクとおピンクちゃんの気が向いたら、助けてあげるかも知れない、って言ったんだよぉ? 助けるかどうかは、ボクの気分次第なの。ほぉんと、馬鹿な王様だなぁ」
「な――ぶ、無礼な――!!」
クアロー王は真っ赤になって怒り、オーダは吹き出しました。
「ずいぶん面白い幽霊だな。飼い主の言うことを全然聞かないじゃないか」
「油断するな、オーダ。こいつは魔獣使いだ。見た目と違って、かなり手ごわいんだぞ」
キースが警告したので、ランジュールはたちまち機嫌を直しました。
「そぉそぉ。よぉくわかってるじゃなぁい? うふん、キミならお兄さんって呼んであげるんだけどねぇ」
「俺はどうしてもお兄さんと呼べないって言うのか!?」
「とぉぜん」
「こいつ、幽霊のくせに!!」
ランジュールとオーダの言い合いは終わりません。
その時、キースはすぐ近くに強烈な闇の気配を感じとりました。今まで何もいなかった場所に、巨大な闇が姿を現そうとしているのです。
キースはクアロー王の馬からオーダの馬に飛び移りました。
「お、お……!?」
急なことに驚くオーダを抱え、馬の背を蹴って飛び降ります。
そこへ地中から黄色い塊が飛び出して来ました。ぐぅんと空に向かって延び、向きを変えて地上へ落ちてきます。その下にはオーダが乗っていた馬がいました。黄色い塊の先端に触手が生えた口が現れて、あっという間に馬を呑み込みます。キースが助けなければ、オーダも一緒に食われるところでした。
「な、なんだ、こりゃぁ!?」
とオーダは大声を上げました。巨大な黄色い長虫が目の前でうごめいています。
「大食いだな。だが、闇の影響を受けて大型化しているし凶暴になってる」
とキースは答えました。
自由になったクアロー王は大声を上げました。
「そいつらをやっつけろ、ランジュール! 連中を全滅させるんだ!」
言うが早いか手綱を握り直して、たちまち森の奥へ逃げてしまいます。
後に残されたクアロー兵は、突然陣中に現れた闇の長虫に大混乱になっていました――。