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第22巻「二人の軍師の戦い」

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60.怪物

 「闇の怪物を退治する専門家だって?」

 黒い獣のような怪物は、人のことばで話し続けました。猿とオオカミを合わせたような姿をして、四つん這いになっていますが、尾はありません。いかにも怪物らしい姿ですが、声は意外にも若々しく聞こえます。

「もしかして、闇の怪物っていうのはぼくのことか? 残念だったな。ぼくはそんなものじゃない」

「よく言うな。闇の匂いをぷんぷんさせているくせに」

 とキースは言って、また剣で切りつけました。怪物は、ひらりと身をかわすと、血に染まった顔で笑いました。

「そんな剣でぼくを倒すつもりか? それは魔剣じゃないだろう」

「ああ、ごく普通の剣だよ。でも、おまえにはこれで充分さ」

 キースはまた剣を突き出しました。怪物は横に飛びのきましたが、今度はぎりぎりの距離でした。怪物の黒い毛が切れ、体にわずかに傷が走ります。

 キースは首をかしげました。

「わざとよけなかったな?」

「そうさ。おまえの剣なんか役に立たないってことを教えてやるためにな」

 怪物が余裕の声でまた笑います。

 キースは肩をすくめてしまいました。

「傷が回復するところを見せつけようとしたのか。馬鹿だな。さっき切られたところを確かめてみろよ。治っていないはずだぞ」

 とたんに怪物は表情を変えました。確かめるように自分の背後へ目を向けます。

 その隙を逃さず、キースはまた切り込みました。怪物はあわてて飛びのきましたが、今度は本当にかわしきれませんでした。前脚を切りつけられて、ぎゃぁっと悲鳴を上げます。怪物が流す血は紅い色をしていました。傷は傷のままで、治っていく様子はありません。

 怪物はわめきたてました。

「馬鹿な! どうして治らないんだ!? 今まではどんなに深手を負ってもすぐに治ったのに――!?」

 キースも、くんと鼻を動かしてから言いました。

「人間の血の匂いもするな。元は人間だったのか。さては、デビルドラゴンから闇の力を受け取ったな。馬鹿な奴だ」

「なんだと!?」

 怪物は牙をむいて怒りました。

「闇の力でぼくは無敵になったんだ! おまえこそ、偉そうに何を言う! 闇の力のすばらしさを知りもしないくせに! 今すぐ嫌というほど思い知らせてやるぞ!」

「だから、それが愚かだって言ってるんだよ……」

 答えながら、キースは少し顔を歪めました。自分自身の体のどこかが痛むような表情です。

 

 怪物と一騎打ちに入ったキースを、オーダは心配しながら見守っていました。

「大丈夫なのか? あの怪物は本気でやばそうだぞ。助太刀(すけだち)した方がいいんじゃないのか?」

 けれども、青の魔法使いは落ち着き払って言いました。

「闇の怪物はキースに任せておけば大丈夫です。それより風の魔剣の準備をよろしくお願いします。また敵が攻撃を始めそうな気配ですからな」

 事実、丘の向こうにまた人影が現れ始めていました。突風の攻撃がやみ、エスタ軍が丘を登り始めたのを察知して、弓矢部隊が戻ってきたのです。

「味方の連中が邪魔なんだよな! 転んでも知らんぞ!」

 とオーダは言ってまた剣を振りました。ごごぅと湧き起こった風が丘へ飛び、行く手の味方を巻き込みながら丘の頂上まで吹き上がって、敵を吹き飛ばします。

 一方、魔法軍団は防御魔法で手一杯になっていました。丘の陰から強力な攻撃魔法が飛んでくるのです。突撃していくエスタ軍の上に障壁を広げて守りますが、その上に火の玉のように魔法が降ってくるので、びりびりと障壁が震えます。

 青の魔法使いは丘の向こうをにらみつけました。敵の魔法使いを見つけ出したいのですが、魔法がどこから出てくるのか、まだ見極めることはできません。

 

 キースは怪物に向かって話し続けました。

「闇の力なんて人間には無用のものだ。人が持つ闇の心を強大にして、人間を振り回すからな。使いこなしているつもりでいても、じきに闇に身も心も食い尽くされるぞ」

「だから、偉そうにわかったようなことを言うんじゃない! 闇を恐れるだけの意気地なしのくせに! その頭を永遠にしゃべれないようにしてやるぞ!」

 怪物がキースに飛びかかってきました。キースが剣を構える間もないほど素早い攻撃です。

 すると、キースは剣の代わりに片手を前に突き出しました。飛びかかってくる怪物を受け止めようとします。

 怪物は笑いました。

「馬鹿め! そんなことで防げるか!」

 体は止められても、前脚や顔は余裕でキースに届いたのです。キースの肩をつかみ、牙が並ぶオオカミのような口でキースの首を食い切ろうとします――。

 けれども、攻撃は相手に届きませんでした。牙が空をかんで、がちんと音を立てます。尖っていた口が急に縮まってしまったのです。

 次の瞬間、怪物は地面に落ちました。その体から黒い毛が消えて服が現れ、金髪の巻き毛の青年に変わっていきます。

 青年は人間になった自分を驚いて見まわすと、すぐにキースをにらみつけました。

「貴様、ぼくに何をした!?」

 その顔は意外なくらい整っていました。水色の瞳を怒りに燃やしていますが、そんな表情にも艶っぽさを感じさせます。

「闇の力を吸い取ってやったんだよ。そっちの姿のほうがずっといいじゃないか」

 とキースは答えました。こちらも甘い顔立ちの二枚目なので、青年とはいい勝負です。

「大きなお世話だ! ぼくはぼくの力で陛下をクアローとエスタの王にする! そして、いずれは――」

 いずれどうするつもりか、青年は最後まで話すことはしませんでした。黒い靄(もや)のようなものが体の周りに集まり、青年の中に消えていくと、その姿がまた黒く変わり始めます。

 怪物の姿に戻った青年に、キースは溜息をつきました。

「自分から闇を求めるのか。じゃあ救いようがないな。来い、勝負だ!」

 

 怪物とキースはにらみ合いました。怪物は背中の毛を逆立て、キースは握った剣を構えます。

 先に動いたのは怪物のほうでした。キースの右前方から駆け寄り、飛びかかると見せて、いきなり横へ飛びのき、さらに前へ飛んでキースの横をすり抜けます。キースの剣や手を避けて後ろに回ったのです。キースは切りつけることができません。

 怪物はキースの背中に飛びかかりました。後ろからその首をかみ切ろうとします。

 キースは片手を剣から離しました。そのまま怪物の腹に肘打ちを食らわせます。

 とたんに怪物は驚くほどの距離を吹き飛ばされました。エスタ軍の歩兵が集団になっているところに飛び込んだので、エスタ兵が悲鳴を上げて逃げまどいます。

 怪物は腹を押さえて起き上がりました。キースが走ってくるのを見ると、獣のように身構えて言います。

「貴様――何をした――!? ぼくのこの毛は光の魔法を受け流すのに――!」

「特別製の毛皮だったのか。だが、性能が足りなかったね」

 とキースは言うと、怪物へ剣を振り下ろしました。左の前脚が血をまき散らして吹き飛びます。

「まだまだ! こんなものはすぐにまた生えてくる――」

 けれども、怪物の脚は復活してきませんでした。傷口からはどす黒い血が流れ続けます。

 痛みにうなる怪物に、キースはつぶやきました。

「だから、愚かだって言っているんだ。それっぽっちの力で、闇の王子に対抗しようとするんだからな」

 ひとりごとは乾いた響きを帯びています。

 ついに怪物はキースに背を向けました。エスタ兵の頭上を飛び越え、飛び降りた先で騎兵や歩兵を蹴散らしながら、クアロー軍のほうへ逃げて行きます。

「おっと、逃がすか!」

 オーダが剣を振りましたが、怪物は追いかけてきた風をひらりとかわし、丘の麓を回って向こう側へ消えていきました。それきり戻ってきません――。

 

 オーダは兜の上から頭をかきました。

「逃げられたか。吹雪の仇を討ってやろうと思ったのにな」

 お供のライオンは彼の足元にいましたが、怪物に受けた傷からまだ血が流れていたのです。

 青の魔法使いは杖をちょっと振って吹雪の傷を治してやりました。戻ってきたキースに言います。

「お見事でしたな。闇の怪物にはさすがに強い」

 キースは肩をすくめ返しました。

「これくらいしか役に立てないからね。ただ、向こうにはもっと大きな怪物もいるんだろう? それとも、いよいよ問題の魔法使いが姿を現すかな?」

 彼らが話している間も、エスタ軍は丘へ突撃を続けていました。先頭の騎兵がついに丘の上に到達します。

 すると、丘の上でいきなり光が炸裂しました。馬が驚いて後足立ちになり、乗っていた兵士たちが落馬します。けれども、それが幸いしました。光の中で馬が溶けるように消えていき、振り落とされた兵士たちの鎧兜も表面が溶けてしまったのです。

 丘の上はたちまち大パニックになりました。その場所から逃げ出そうとするエスタ兵と、下から次々に駆け上がってくるエスタ兵とがぶつかり合って、大混乱になっていきます。

「いよいよお出ましですな」

 と青の魔法使いが鋭い目で丘を見ました。閃光が湧き起こった場所に、人影のようなものが現れ始めていました――。

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