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第22巻「二人の軍師の戦い」

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57.西部の兵士

 テイーズの街の周囲には、街道に沿って麦畑が広がっていました。

 西部は草もろくに生えない乾いた荒れ地ですが、街道沿いだけには水路から小川が引かれ、畑や牧場が営まれています。

 夏の日差しの下、麦の穂には実が入り、全体が緑色から金色に変わり始めていました。これが完全に熟して一面金色になれば収穫です。一年で一番忙しくて嬉しい時期が、間もなくやってくるのでした。

 そんな麦畑の東の外れに、三人の人物が立っていました。二人は帽子をかぶってシャツの袖をまくった農夫、もう一人は浅黄色(あさぎいろ)の長衣を着た老婆です。

 三人は黙ったまま並んで麦畑を眺めていましたが、やがて片方の農夫が口を開きました。

「来たぞ――」

「来たかね? あたしにゃまだ見えないけれど」

 と老婆が答えると、別の農夫も言いました。

「来てるよ。音が聞こえる」

 彼らはテイーズの街がある方角を見ていましたが、間になだらかな丘があるので、そこから町並みを見ることはできませんでした。赤茶色の街道だけが、麦畑の間をぬってこちらに延びています。

 

「いよいよやるのかい?」

 と老婆が尋ねると、農夫たちはうなずきました。

「勇者の命令だからな」

「それに、国王陛下だってきっと助けてくださるさ。俺たちは陛下を信じているんだ」

 老婆は長衣のフードの下で目を細めました。改めて麦畑を眺めて言います。

「見事な畑だよねぇ。今年は出来が良かったんだろう?」

「良かったな。今年は冷害になると言われていたが、結局いい天気が続いたからな。豊作になるはずだったんだ」

 農夫の一人が答えました。もう一人は大きな溜息をついてから、こう言います。

「さあ、そろそろ始めよう。急がないと連中がここを抜けてしまうぞ」

 老婆はうなずき、右手を掲げました。握っていた長い杖をひと振りすると、反対側の手に燃える松明が二本現れます。

 魔法使いの老婆はまた農夫たちに尋ねました。

「自分たちでやるかい? それともあたしがやってあげようか?」

 二人の農夫は乾いた笑い声をあげました。

「もちろん自分たちでやるさ」

「これは俺たちの畑だからな。燃やすのだって、俺たちの仕事なんだ」

 そして、彼らは老婆から松明を受け取ると、麦畑の中に投げ込みました。収穫間近の麦畑は乾燥していたので、あっという間に火が燃え移って炎を上げます。

 すると、老婆はまた杖を掲げて呪文を唱えました。とたんに、どっと背後から風が吹いてきて麦畑を揺らします。炎は大きく燃え上がり、みるみる畑に燃え広がって行きました。また風が吹き、炎がさらに広がります――。

 

「風は東から吹き続ける。じきに畑はみんな火の海になっちまうよ」

 と魔法使いの老婆は言いました。農夫たちがしきりに涙をぬぐっているのを見て、静かに続けます。

「あたしゃロムドの東部の生まれなんだけれどね……生家はやっぱり百姓で、魔法軍団に加わるまでは、畑仕事もよく手伝ったものさ。だから、畑を焼き払うと決心したあんたたちを、素直にものすごいと思うよ。百姓が自分から畑に火を放つなんて、とても信じられないことさ。敵だって想像もしてなかっただろうよ」

 農夫たちは泣き笑いをしました。

「そうでなくちゃ、やった意味がない。連中はテイーズの街で水を積んで、この畑を抜けようとしている。その前に畑に火をつけて連中を火攻めにしてくれ、と金の石の勇者に頼まれたんだからな」

「それに、このままだと畑の麦は全部連中のものになるからな。腹一杯になった連中は、ロムド中で暴れ回れる。そんなことになるくらいなら、俺たちの手で綺麗さっぱり燃やしてやるのさ」

 話している間も風は吹き、火は麦畑をどんどん呑み込んでいきました。炎がなめるように丘を這い上がり、丘の向こうへ燃え広がって行きます。

「さあ、火が行った。あの連中はどうするだろうね?」

 魔法使いの老婆は、炎が起こす風に浅黄色の衣をはためかせて、そうつぶやきました――。

 

 

「軍師殿! 行く手に煙が見えます!」

 先頭を行く兵士がどなったので、チャストは思わず手綱を引きました。見れば、目の前の丘の向こうから、もくもくと大きな煙が上がっていました。煙は見る間に横に広がり、丘全体の後ろから立ち上るようになります。

 チャストは背筋が寒くなりました。敵が行く手で火をかけたのだと察したのです。あわてて周囲を見回し、自分たちが広い麦畑の真ん中にいることに気づいて、またぞっとします。

「連中は麦に火をかけたのか!? なんということだ――!」

 麦は大事な食料です。それを自分たちの手で燃やすことで、進軍を阻み、敵に食料を与えないようにしたのだ、と瞬時に察します。

「向かい風です! 火が丘を越えてこちらに来ます!」

 とまた先頭の兵士が叫びました。その声が終わらないうちに、ちろりと丘の端に赤いものがのぞき、あっという間に燃える炎に変わっていきました。炎は風にあおられてどんどんこちらへ燃え広がってきました。彼らがいる街道の両脇も麦畑なので、街道が火に包まれてしまうのは必至です。

 よくも! とチャストは歯ぎしりをしました。この火攻めを誰が指示したのか、すぐに見抜きますが、少しだけ誤解をしました。

「農民が自分の手で畑に火を放つはずはない! さては、近くにロムド兵が潜んでいたな……! 我らを火で押し戻して討ち取るつもりか!」

「ど、どうしましょう!?」

 と兵士たちが尋ねてきました。炎が風に乗ってこちらに向かってくるのが見えるので、誰もが浮き足立っていました。馬車を引いていた馬は火を見て興奮しています。

「魔法だ! いそいであれを消せ!」

 とチャストは同行の魔法使いを呼びつけましたが、やってきた男は青ざめて首を振りました。

「火事の範囲が広すぎます。とても私ひとりでは消せません。炎に巻き込まれないように、魔法で守るのが精一杯です」

「では、それをしろ! なんとしても先発隊へ水を届けるのだ!」

 とチャストが命じたので、メイの魔法使いはすぐに守備の魔法をかけました。けれども、それも部隊全員には及びませんでした。水を積んだ馬車は優先的に守られますが、騎兵は百騎ほどしか守れなかったのです。

「火を越えられる者だけ越えろ! 越えられない者はテイーズに戻り、火事が収まってから追ってこい!」

 チャストはそう言い残すと、馬車を引き連れて出発しました。燃えさかる麦畑の中の道を駆け出します。当然のことですが、チャストには火よけの魔法がかけられていたのです。

 

 残された四百名の騎兵は、急いで馬の首を巡らして、今来た道を駆け戻りました。麦畑は街道に沿ってずっと広がっています。ぐずぐずしていると火に追いつかれそうだったのです。

「水だ! 水をかけないと!」

「馬鹿、水なんかで間に合うか! 火を消すのには麦を刈り取るんだよ!」

「俺たちは鎌なんか持ち歩いていないぞ!?」

「街に行けば鎌はある! 街の連中に火事を消させるんだ!」

 声高にそんな話をしながら馬を走らせ、街の手前の丘を越えた瞬間、騎兵たちは、あっと声をあげて立ち止まってしまいました。

 彼らがつい先ほど水を積んで出発してきたテイーズの街が、炎を吹き上げて燃えていたのです。石造りの門はそのまま残っていますが、その内側はもう火の海です。

「まさか……」

 と彼らは呆然としました。燃える麦畑と街の間で、誰もが立ちすくんでしまいます――。

 

 

 テイーズの北側にある丘の上で、町長は街の住人と一緒に街を見下ろしていました。数百人の住人は、立ったり座り込んだりしながら、燃えていく自分たちの街を眺めていました。

「あぁ、俺の家が燃えていくよ」

「あたしたちの家もだよ。いい家だったのにさぁ」

「お父ちゃん、どうしてあたしたちの家に火をつけたの!?」

「これじゃおうちに帰れないよぉ!」

 ショックで泣き出した子どもたちもいます。

 町長は街の住人に向かって言いました。

「テイーズは敵の拠点にされていた。あそこがあると、敵は何度でも逃げ込んできて、また出撃していく。金の石の勇者は麦畑に火を放って敵を火攻めにしてくれ、と言ってきたが、同じように街も焼いてしまったほうがいい、と我々は判断したんだ。敵に拠点を与えるくらいなら、我々の手で燃やしてしまったほうがいいからな。後悔は無用だぞ、みんな」

 

 すると、住人たちから意外なくらい強い答えが返ってきました。

「そりゃそうだ。それに、街なんていつだってまた作れるんだ」

「俺たちが移住団になってここに来たのは二十年前だ。それまであそこには街なんか影も形もなかったんだからな」

「そうそう。みんな馬車に寝泊まりしながら旅をしてきたよなぁ。少ない食料や物をみんなで分け合ってさ」

「要するに、あの頃に戻っただけってことだよね」

「あの頃よりましさ。メイ軍が残していった食料は全部いただいて運び出してあるもんね」

「国王陛下だって、必ず街の再建を助けてくださるさ」

 自分たちが作り上げた街が燃えていくことが悲しくないはずはないのですが、テイーズの住人たちはそんなふうに話し合っていました。

 年寄りは泣いている子どもの頭をなでます。

「心配せんでいい。今燃えているものは、また作り直せるものばかりだからな。麦だってそうじゃ。また来年耕して種をまけば、きっと豊かに実るだろう。わしたちは西部の住人じゃ。敵や獣が襲ってきたら、自分たちで立ち向かって追い払うのが、西部のやり方なんじゃ」

「西部のやり方?」

 と子どもたちは涙が溜まった目を丸くしました。

 年寄りがまたその頭をなでます。

「そうじゃ。西部には殿様はいないし、国王軍の兵士もすぐには駆けつけてこれんからな。わしたち自身が兵士になって戦うんじゃよ。わしらにできるやり方でな」

「西部の兵士……ぼくたちも?」

「そう、おまえたちもじゃ」

 子どもたちはいつの間にか泣きやんでいました。勢いよく燃え続ける街を、大人たちと一緒に見下ろします。

 

 そこへ丘の下から数人の警備兵が駆け上がってきました。

「おぉい、ちょっと手伝ってくれ! メイ軍の歩兵が大勢捕虜になったんだ! 縛り上げるのに手が足りないんだよ!」

 町長は驚きました。

「後から来ると言われていた歩兵部隊か? でも、かなりの人数だったはずだろう」

「ああ。三万人くらいいるかな。炎天下を行進してきて、咽が渇いて死にそうになってる。街で水が飲めると思って必死に歩いてきたのに、街が燃えていたものだから、歩く元気もなくしてへたり込んでいるんだ。俺たちは水を持っているぞ、降参して捕虜になるなら水を分けてやる、と言ったら、たちまち投降してきたんだ」

 あれまぁ、と街の住人はあきれたり笑ったりしました。

「メイの兵隊たちは、西部の自然がよほど応えたみたいだね」

「水路が干上がったから、それで青くなっちまったんだろう」

「井戸なら、荒野の中の牧場にもあちこちに掘ってあるのにさ」

 そこで町長は言いました。

「みんな、警備兵を手伝ってくれ。水も汲んでくるんだ。おとなしく縛られた奴から水を飲ませて、どこかに監禁しておかないとな」

「三万人もどこに閉じ込めておくってのさ?」

「荒野に小屋を建てるか? 俺たちの家より先に、敵の兵隊の家を作ってやることになりそうだな」

 すると、それとは別の方向から、また数人の男たちが駆け上がってきました。こちらは丘の麓で街と麦畑の火事を監視していたのですが、こんな報告をします。

「麦畑の火事に追われて戻ってきた騎馬隊の連中が、街の火事にはさまれて立ち往生したあげくに、南へ逃げて行ったぞ」

 住人たちはまたあきれました。

「あっちにゃ井戸も池もまったくない。きっとえらく難儀すると思うぞ」

「そいつらもあたしたちに降参すりゃよかったのにねぇ。そうすれば、水と食事くらいは出してあげたのにさ」

 がやがやと話し合いながら丘を下りていきます。

 街と麦畑を焼く炎と煙は、空を焦がし続けていましたが、未練がましく見つめ続ける住人は一人もいませんでした――。

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