「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第22巻「二人の軍師の戦い」

前のページ

第18章 工作

52.地割れ

 翌日の早朝、セイロスは予定通りテイーズの街から東に向かって出発しました。

 彼が率いているメイの軍勢はおよそ二万。そのうち八千ほどが騎兵ですが、歩兵も多いので、行軍は人が歩く速度です。夏の日差しが照らす街道を旗印を掲げて進んでいきます。その中でも目を引くのは、紫の星と小さな星が描かれた真新しい紋章でした。チャストが命じて作らせたセイロスの旗印です。

 

 ところが、四、五時間も進んだ頃、突然地響きがして地面が大きく揺れ出しました。馬は驚いていななき、兵士たちは立ち止まって周囲を見回しました。大荒野の真ん中なので、崩れてくるような山はありませんが、兵士たちの鎧に剣の鞘がぶつかって、ガチャンガチャンと耳障りな音を立てます。

 やがて地震は始まりと同じように唐突に終わりました。地面から飛び立った鳥が群れをなして空を飛び回り、興奮した馬はまだ足を踏みならしていますが、それ以外は何事もなかったように元の景色に戻ります。

 セイロスはすぐに偵察部隊を出しました。揺れが大きかったので、念のために調査に行かせたのです。そのままその場で待っていると、間もなく偵察兵が大慌てで戻ってきました。

「大変です! この先で地面に大きな地割れができて、街道を通ることができなくなっています!」

「なに!?」

 セイロスたちは急いで先へ進み、報告通り、間もなく街道を横切る地割れに出くわしました。それが予想外に大きかったので、セイロスは思わずうなりました。幅は十メートル以上、長さに至っては右を向いても左を向いても地割れの終わりが見えません。

「まるで谷だな!」

 とギーは率直な感想を洩らしました。地割れの中は切り立った崖になっていたのです。のぞき込むとはるか下のほうから水の音が聞こえてきます。

「あれを、セイロス様」

 とメイ兵のひとりが地割れの向こうを指さしました。街道に平行して流れる水路が、地面の裂け目で大きく壊れ、水が滝のようにほとばしって地中へ吸い込まれていたのです。聞こえてくる水音は、水路の水が谷底にたたきつけられている音でした。

 セイロスは険しい顔のまま地割れをにらみました。あまりにタイミングがよいので、フルートたちが先回りをして魔法を使ったのではないか、と疑いますが、裂けた大地から光の魔法の気配は伝わってきません。

 すると、別の兵士が困惑したように、今来た道を示しました。

「ご覧ください、セイロス様。水路が壊れてしまったので、水がこちらに流れなくなっています」

 街道に沿って流れる水路は、すでにほとんど干上がっていました。取り残された小魚が、濡れた川底で跳ねています。

 セイロスはそれを一瞥(いちべつ)してから言いました。

「地割れを回避して先に進むぞ。北と南、どちらを回るのが早いか偵察してこい」

 そこで偵察部隊がまた出動していきました。地割れに沿って右と左へ馬で走っていきます――。

 

 ところが、偵察隊はなかなか戻ってきませんでした。

 二時間が過ぎ、三時間がたっても、まだ南北どちらの方角からも偵察兵が帰ってきません。

 その間、部隊はずっと街道とその両脇の荒野で待機していました。空はよく晴れていたので、強い夏の日差しが頭上から照りつけてきます。兵士たちの兜も日に照らされて暑くなってきたので、兜を脱ぐ兵士が増えていました。本当は鎧も脱ぎたいところなのですが、さすがにそれはできないので、暑さをこらえてじっと待ち続けます。

 馬も炎天下に長時間待たされて閉口していました。自分から水路へ行って岸辺の草を食べたり、底にわずかに残った水を飲んだりしていましたが、なにしろ八千頭もいるので、草はたちまち食い尽くされ、川底の水も完全に干上がってしまいました。それでも偵察隊は帰ってきません。

「何かあったんだろうか?」

「ひょっとして、敵に待ち伏せされていたとか――?」

 メイ兵たちが心配になってきた頃、ようやく北から偵察が戻ってきました。数人の兵士たちは誰も欠けてはいませんでしたが、軍勢の元に戻ってくると、真っ先に水を積んだ馬車へ走りました。馬と一緒に桶(おけ)に頭を突っ込んで水をむさぼり飲みます。

「何があった!?」

 セイロスが厳しい声で尋ねると、偵察兵はようやく整列しました。

「し、失礼いたしました。ほ、報告いたします――。我々は北へずっと走り続けましたが、行けども行けども地割れは続いておりました。向こう側へ渡れるような幅の狭い場所もありませんでした。そのうちに我々の持参した水が底をついたので、いたしかたなく戻ってまいりました」

 彼らが真っ先に水桶に走ったのは、咽が渇いて倒れそうになっていたからでした。

 それから三十分ほど過ぎて、南からも偵察隊が戻ってきましたが、彼らも北の部隊と同じように、報告より先に水へ突進していきました。充分水を飲んでから、ようやく報告できるようになります。

「地割れは南にずっと延びていて、どこまで行っても終わりにたどり着けませんでした。途中に川や池はまったくなくて、馬が倒れそうになったので、やむなく引き返してまいりました」

 彼らの馬はまだ水を飲み続けていました。大事な飲料水がなくなっては大変なので、近くの兵士が馬を引き離そうとしますが、馬は嫌がって水桶から離れようとしません。

「馬で北へ二時間、南へ二時間以上走っても、終わりが見えない地割れだと?」

 セイロスはまた疑う顔になりました。

「ど、どうする、セイロス? 橋をかけようにも、こんなに幅が広くては、とても無理だぞ……!」

 とギーは焦っています。

 

 セイロスは紫の兜の下で目を細めました。おもむろに片手を突き出して地割れに向けます。

 すると、地割れのこちら側から向こう側へ、岩が細く伸び始めました。同時に向こう岸からもこちらに向かって岩が伸び、みるみる谷を渡って近づいていきます。

 おぉ! とギーやメイ兵たちは声をあげました。岩が谷の上でつながり合い、細い岩の橋ができあがったのです。周囲から岩が転がるように集まってきて、橋がどんどん広くなっていきます。

「なんだ。魔法で橋をかけられるんなら、最初からそうすればよかったじゃないか、セイロス!」

 とギーが笑いながら言いましたが、セイロスは無言のままでした。その兜の後ろで、束ねた長い黒髪がざわざわと音を立ててうごめいていました。気のせいか、身につけている紫水晶の鎧が少し黒ずんだようにも見えます――。

 ところが、その時、岩の橋に音を立てて亀裂が走りました。太くなってきた岩の橋が真ん中から折れ、砕けて谷底へ落ちていきます。兵士たちはいっせいにまた声をあげました。今度は失望の声です。

 セイロスは目を見張り、すぐに怖いほど真剣な表情になりました。

「私の力を打ち消しただと。さては中庸(ちゅうよう)の術か!」

 どなるように言うと、意味がわからずにいる軍勢を振り向いて命じます。

「吊り橋をかけるぞ! 急げ!」

「急にどうしたんだ?」

 ギーが驚いて尋ねると、セイロスは鋭い目で地割れをにらんで言いました。

「これはやはり魔法のしわざだ。我々の侵入がすでに敵に知られているらしい」

 メイ軍の中に動揺が走りました。どこかから敵の集団が出現するのではないかと周囲を見回しますが、彼らの周囲には乾いた荒れ地が広がっているだけでした。風が砂埃をたてながら吹き抜けていきます。

 けれども、セイロスは命じ続けました。

「橋の作業に携わらない者は周囲の警戒に当たれ! 敵の中に魔法使いがいるぞ、用心しろ! 隊長は軍師へ知らせを送れ!」

「了解!」

 軍勢の中であわただしい動きが始まりました。吊り橋をかけるために、ロープをつけた矢が向こう岸へ放たれ、岸辺の木が切り倒されて板にひかれ、二人の伝令兵が西へ駆け戻っていきます。軍師のチャストは残りの軍勢と共に後を追ってきているのです。

 それ以外の兵士は、橋をかける作業を守るように、大きな半月形の陣営を組みました。周囲のどの方向から敵が攻めてきても即座に対抗できるように、武器と防具を構えます。

 ぴりぴりした空気の中で、セイロスはうなるように言いました。

「やはり貴様のしわざか、フルート。どこまでも邪魔な奴め……」

 その声を聞いたギーがセイロスを見上げました。まさか、という表情をしますが、ことばには出さずに地割れの向こうを眺めます。

 風の犬に乗った金色の勇者たちは、まだ姿を現してはいませんでした――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク