西の街道には道に沿って等間隔に樹がが植えられ、その南側を水が流れていました。はるか東の彼方にあるリーリス湖から、西の国境の川まで、ロムド国の西側を横切って流れている水路です。ロムドの西部は大荒野と呼ばれる乾ききった地帯ですが、水路の岸辺は緑の草でおおわれ、自然に生えてきた木々が涼しい影を水路に落としていました。ただ、これはあくまでも農業用の水路で、流れも速ければ船着き場もないので、ここを行き来する船はありません。
水路の水は村や集落に来ると細い小川に引き込まれて、家々の間や畑や牧場を流れていきました。そこでまた、川沿いの場所を潤すのです。
そんな水路の中を、ゼンとメールとポチが泳いで進んでいました。
頭を水面に出していく普通の泳ぎ方ではありません。完全に水中に潜って、川下に向かって流されながら進んでいきます。メールは海の民の血を引いているし、ゼンとポチも人魚の涙を飲んでいるので、水中でも地上と同じように呼吸ができるのです。
先頭を泳いでいるのはメールでした。本物の魚のように身をくねらせながら先へ泳いで行っては、すぐに戻ってきてゼンたちに言います。
「まだこのあたりにセイロスの軍勢は来てないね。蹄の震動が聞こえないからさ。知ってるかい? 水の中ってのは、意外なくらい地上の音が伝わってくるんだよ」
ポチは流れの中を犬かきでバランスをとりながら言いました。
「ワン、さっきテイーズの街への分岐点は通り過ぎたから、だんだんサガルマの街に近づいてると思います。セイロスたちもそこにはいるはずなんです」
「セイロスの野郎が襲ったっていう街だな。もう一つはなんて街だったっけ? えぇと、ダ……ダ……」
ゼンが首をひねっているので、ポチは答えました。
「ダラプグールですよ。国境のリーバビオン領の次にある街です」
ゼンは顔をしかめました。
「ダラグループだとかリーバなんとかとか、このへんの名前はやたら難しいぞ。もっと簡単な名前にしろよ」
「ワン、ダラプグールですったら。そんなこと言ったって、ぼくたちが街の名前を決めたわけじゃないんだから、しょうがないでしょう」
「いいや、もっと呼びやすくするべきだ! 国境はリーバだし、その次の街はダラで充分だ!」
「ワン、本当に、リーバビオン領の城下町はリーバですけどね」
「そらみろ! 自分たちでも呼びにくいんだろうが!」
ゼンは水中で胸を張ります。
メールは肩をすくめてしまいました。
「セイロスたちはそのダラなんとかって街と、隣のサガルマの街を襲ったって言うんだろ? で、これからその先のテイーズの街を襲撃するはずだっていうから、あたいたちが偵察に来てるわけなんだけどさ。こうやって水路の中を行って、そのうち道から離れちゃったりはしないのかい?」
「ワン、それはフルートとオリバンが地図で確かめました。テイーズからリーバまでは、水路はずっと街道のすぐ横を流れているんです」
「てぇことは、どこかで停まらねえと、このままじゃ国境まで流されていっちまうってことだな」
とゼンは周囲を見回しました。水がどんどん流れていく水路は、底や側面が岩になっていて、緑の水苔でおおわれていました。人工的に作られた川なので、曲がりくねった場所や流れが淀む淵(ふち)はほとんどありません。手がかりらしい手がかりもないので、どこかに留まるのは難しそうでした。
すると、メールが行く手を指さして言いました。
「この先に柳(やなぎ)の木が枝を垂らしてる場所があるんだよ。けっこう大きな木だから、そこで停まれると思うよ」
メールが言う木はじきに姿を現しました。水中からは大きな木陰しか見えませんが、緑の葉をつけた細い枝が水面まで届いて、流れにのってなびいています。
メールは水面から顔を出すと、岸から川へ大きくせり出している柳の木に言いました。
「お願いだよ。わけがあって、しばらくここで見張ってなくちゃいけないんだ。あたいたちが川に流されないように、あんたの下にいさせてもらえないかな?」
とたんに、ざわりと柳の枝全体が震え、流れに乗って揺れていた枝の一部がゆっくり流れから離れました。ちょうどそこへ流れてきたゼンとポチにまとわりついて、体の周りに枝を一回転させます。細い枝が命綱になったような格好です。枝はメールにも絡みついて、流されないように引き留めてくれます。
ゼンとポチがメールの隣に浮いてきました。
「いいな、こりゃ。柳の枝がかぶさってるから、道からも見つかりにくいぞ」
「ワン、メールは花だけじゃなく、木にも命令できるようになりましたね。すごいや」
けれども、メールは首を振りました。
「あたいは命令なんかしてないよ。いつだって頼んでるだけなんだ。木や花たちがあたいを助けてくれるんだよ」
「それってぇのも、おまえが半分森の民だからなんだよな。植物はみんなおまえの友だちなんだろう」
とゼンが言ったので、メールはとても嬉しそうな表情になります。
彼らはそのまま水中で待ち続けました。ゼンが柳の枝の間から川下を眺めて言います。
「ここからじゃよく見えねえが、あっちから煙が昇ったりはしてねえようだな。街がセイロスに焼き討ちにあったりはしてねえみたいだ」
「よかった。セイロスがザカラス国でしたみたいに、街に火をかけて皆殺しにしたりしたらどうしよう、って思ってたんだよ」
とメールが少し安堵すると、ポチが言いました。
「ワン、セイロスは自分をロムド国の正当な王だ、って言って攻めてきてますからね。王様だって言ってる人が自分の国の街を焼き討ちしたら、誰も王様だなんて認めなくなるから、セイロスもあんまり酷いことはできないんですよ」
「だが、街の奴らがセイロスから大事にされる、なんてことは絶対にねえはずだぞ。なにしろ奴はデビルドラゴンなんだからな」
「ワン、それはそうでしょう――。たぶん、男たちは荷運びにかり出されると思いますよ。セイロス軍の前のほうには、セイロスやメイ兵がいるけど、後ろに続くのはロムドの住人になるんです、きっと」
「戦うときには気をつけなくちゃいけないね」
とメールが真面目な顔で言います。
その時、水中にいる彼らに奇妙な振動が伝わってきました。川の水の流れとは異質な感覚です。
「来た!」
とメールは言って、すぐに水中に潜りました。頭半分だけを水から出して柳の木陰の端に寄り、そっと街道のほうを眺めます。ゼンとポチも同じように目から上だけを水面に出して並びました。
「道の向こうから砂埃が上がってる。本当に来るぞ」
とゼンが言います。
やがて、振動は、ガカカカ、ガカカカ、という馬の蹄の音に変わっていきました。街道の向こうからわき出るように、何百何千という騎馬の集団が現れ、こちらに向かってきます。
ゼンはまた目をこらしました。
「赤い鎧兜に赤い旗――間違いなくメイ軍だな。だが、あっちの白い旗はこれまで見たことがねえぞ」
「ワン、どんな紋章ですか?」
とポチが聞き返しました。
「星がいくつも描いてある。真ん中の星がひときわ大きくて紫色だ」
「ひょっとしたら、それがセイロスの旗印なのかもね。あいつの防具は紫だからさ」
とメールが言うと、ゼンが言い返しました。
「四枚翼の竜の模様じゃねえのかよ? 奴はデビルドラゴンなんだぞ」
「ワン、そんなのを紋章にしたら、一発で正体がばれて、誰もついてこなくなるじゃないですか」
とポチがあきれます。
その間も軍勢は進んできました。いよいよ近づいてきたので、ゼンたちもおしゃべりをやめました。道から見えないように柳の枝の陰に隠れながら、息も潜めて見守ります。
その目の前を数え切れないほどの騎馬兵が通っていきました。街道だけでなく、その横の荒野も進んでいくので、蹄の下で砂埃が上がります。
軍勢の先頭は赤い鎧兜で身を包んだメイの国王軍でした。何百騎という集団になって進んでいきますが、その中に紫に輝く防具を着た人物を見つけて、ゼンたちは、はっとしました。それは間違いなくセイロスでした。金茶色のマントをなびかせ、二本角の兜のギーを従えて、目の前を通り過ぎていきます。川の中に隠れているゼンたちには気がつきません。
メイの国王軍が通り過ぎた後には、さまざまな色の鎧やマントを着た騎兵の集団が行きました。こちらはメイ国の領主たちの私兵です。メイの紋章の旗印の他に、自分の領主の旗印も掲げています。
そして、騎兵が通り過ぎた後には、それよりもっと数の多い歩兵部隊が続きました。歩兵の多くは剣の他に弓矢も装備しています。
そして――軍勢は通り過ぎていきました。蹄の音が街道を遠ざかり、姿が見えなくなって、振動も川の中に伝わってこなくなります。
ゼンたちは、ほっとしてまた頭全部を水上に出しました。
「やっぱりセイロスがいたね。あたいたちに気がつかなくて良かった」
「ワン、ここに来る前に、ポポロが闇の目に見つからなくなる魔法をかけてくれましたからね。セイロスは昔みたいに何でも見えるわけじゃないけど、それでも近くを通ったら、ぼくたちに気がついたかもしれなかったから」
「それにしても、ずいぶんいやがったな。騎兵と歩兵合わせて二万ぐらいはいたぞ。しかも、あの軍師の野郎が見当たらなかった。奴はどこにいるんだ?」
「ワン、今の軍勢に荷車や馬車はほとんどついてきてませんでした。たぶん、後ろにもっと部隊がいるんですよ。チャストはきっとそっちを指揮しているんだ」
「先発隊がまず街を襲って、大混乱になったところにチャストが率いる部隊が駆けつけて、完全に街を占領するって作戦なんだね」
とメールは厳しい表情で軍勢が去った方角を眺めます。
すると、ポチが言いました。
「ワン、次に襲われるのはテイーズの街です。フルートたちが行ったけど、ぼくたちも早く合流しなくちゃ。ここを離れましょう。もう少し川下に行ってから、ぼくが変身します」
「わかった――。ありがとう、柳の木! もう、あたいたちを放していいよ!」
メールが呼びかけると、彼らの体から、するりと柳の枝が離れていきました。たちまち彼らはまた水路を流され始めます。
ありがとう、と一行が手を振ると、柳も答えるように枝を大きくなびかせ、すぐに川上に見えなくなっていきました――。