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第22巻「二人の軍師の戦い」

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第13章 再会

37.帰還

 夜になって降り出した雨は、夜明けと同時に上がろうとしていました。

 あたりが明るくなってきたので、オリバンは森の中の天幕から這い出しました。ジタン山脈の麓に広がる森と、そこに張られた天幕の群れを見回します。まだ日が昇ってはいないので、兵の大半は天幕の中で寝ていました。野営地の周りに立つ見張り兵の姿だけが、霧雨に煙って見えています。

 すると、皇太子の目覚めに気づいた兵士が駆けつけて、報告をしました。

「殿下、周辺に特に変化はございません。ジタン山脈の方角も静かです」

 オリバンはうなずきました。

「セイロスはまだメイから動き出していないのかもしれんな。あるいは、このジタンからではなく、西の国境からこのロムドに侵入しようとしているのかもしれん。セシルの知らせが間に合っていると良いのだが」

 そこへオリバンの声を聞きつけて、白い鎧姿の女騎士が外に出てきました。タニラに代わって女騎士団の指揮を任されているシェーラという女性です。兜は脱いでいたので肩まで伸びた銀髪が雨に濡れていきますが、気にする様子もなく話しかけてきます。

「セシル隊長はまだお戻りにならないのでしょうか? 国境の城へ知らせに出かけて、もう三日になりますが」

「ここからリーバビオン伯爵の城までは、馬で行けば一週間はかかる道のりだ。セシルの管狐は足が速いから、そろそろ向こうに着いている頃だろうが、戻ってくるのにはまだ時間がかかるだろう」

「そうですか……」

 気がかりそうな顔をするシェーラの後ろに、次々と他の女騎士たちも出てきました。とっくに目を覚まして、天幕の外のやりとりを聞いていたのです。夜明け前の森に、たちまち二十五人の女騎士が勢揃いします。彼女たちの統制の良さは、ロムド正規軍を上回るほどです。

 

 すると、オリバンの様子が普段と違っていることに、女騎士のひとりが気がつきました。彼は大きな左手で自分の右手をずっと握っていたのです。

「オリバン殿下、手をどうかなさったんですか?」

 と尋ねると、ああ、とオリバンは自分の手を見ました。

「どういうわけか夜通し指が痛んでいたのだ。剣を使ったときに傷めた覚えはないのだがな」

 と言いながら左手を開きます。

 中から出てきた右手は、特にどこにも変わった様子はありませんでした。指が腫れたり色が変わったりしていることもありません。

「確かに痛むのに、不思議なことだ」

 とオリバンはいぶかしがりながら右手の甲を上に向け、とたんにはっとしました。右手の薬指には緑を帯びた指輪があったのですが、そこにはめ込まれた石が血のような色になっていたのです。

「セシルに何かあった!」

 とオリバンは大声を上げ、仰天する兵士や女騎士たちに話しました。

「これは白い石の丘のエルフが、私とセシルに与えてくれた指輪だ! 対になっていて、もう一つはセシルがはめているが、相手の身に何かあると、石の色が変わって知らせてくれるのだ――! セシルに何事かあったのに違いない!」

 夜通し痛んでいたのは、この指輪がはまっていた指でした。指輪は一晩中セシルの危機を知らせていたのです。オリバンは自分の迂闊(うかつ)さを呪いながら、野営地全体に響く声で言いました。

「全軍出発!! セシルを救出に向かうぞ!!」

 たちまち野営地は上を下への大騒ぎになりました。女騎士たちはあっというまに天幕をたたんで撤収すると、馬に飛び乗りました。

「お先にまいります!」

「待て、私も行く!」

 とオリバンも自分の馬に乗ろうとして、とたんに、つぅ、と声をあげました。また指輪のはまった指が痛んだのです。指輪を見ると、石から赤い色が失われていくところでした。透き通るような白い色になってしまいます。

「色が変わった……?」

 オリバンは立ちすくみました。ずっとうずくように痛んでいた指も、もうまったく痛みを感じません。これはどういうことだ? と混乱しながら考えます。指輪は知らせることをやめてしまったのです――。

 

「出発!」

 女騎士たちはシェーラの号令で駆け出していました。森の外へと飛び出していきます。

「待て! 私も行くと言っている!」

 オリバンも我に返って馬に飛び乗ると、女騎士たちの後を追いました。森の中から急な丘や斜面が続く荒れ地に飛び出します。

 すると、何故か女騎士たちがひとかたまりになって立ち止まっていました。北西の方角を指さしている女騎士もいます。

 そちらへ目を向けて、オリバンはまた声をあげました。

「管狐!」

 小高い丘の陰から大きな獣が姿を現してこちらへ向かっていたのです。空を飛ぶような勢いで谷や丘を越えて走ってきます。東の地平から登ってきた朝日の光に、大狐の灰色の毛並みが銀色に光ります。

 

 やがて、管狐はオリバンや女騎士団の目の前までやって来ました。背中にセシルがいないように見えて、オリバンたちはまた焦りましたが、次の瞬間、大狐は煙のように消え、その後にセシルが現れました。地面に横たわった彼女の周りに五匹の小狐がいて、キュウキュウと小犬のように悲しげに鳴いてます。

「セシル!」

「隊長!」

 一行は彼女に群がりました。オリバンが抱き起こして顔に頬を近づけると、暖かい息がオリバンの頬に触れます。握った手にもぬくもりが伝わってきました。

「セシル! 大丈夫か、しっかりしろ!」

 と呼びかけると、セシルは目を開けました。自分をのぞき込むオリバンや女騎士たちを認めると、ああ、と溜息のような声を漏らします。

「管狐が連れ帰ってくれたのか……」

 それだけを言うと、また目を閉じ、痛みをこらえるように顔をしかめます。

「どうした!? 怪我をしたのか!?」

 とオリバンは尋ねながら、セシルの全身をざっと確かめました。鎧兜にこすったような痕があるうえに、顔にはすり傷があって血がにじんでいます。

「矢を受けて……崖から落ちた……」

 とセシルは目を閉じたまま答えました。

「矢を!? どこに!?」

「左脇の……急所だったのだが……」

 とたんに女騎士たちの手が何本も伸びてきて、あっという間にセシルの鎧の胸当てをはぎ取ってしまいました。

 ところが、セシルの体に矢が当たった痕はありませんでした。鎧を外した彼女の上半身を包んでいたのは、金色の糸でできた厚地の上着です――。

 

 オリバンは思わず歓声をあげました。

 セシルが着ていたのは、ジタン山脈のドワーフの女たちが魔金を糸にすき、ノームの女たちが編み上げた鎖帷子(くさりかたびら)でした。先日、オリバンとセシルが彼らの村を訪ねたときにプレゼントされた品です。

「ドワーフとノームの防具のおかげだ! 彼らが守ってくれたのだ!」

 とオリバンがセシルを抱きしめると、彼女は悲鳴を上げ、また顔をしかめながら言いました。

「崖から落ちたときに、あちこちぶつけてしまったんだ……。ずいぶん高い崖だったけれど……下にたたきつけられる前に、管狐が受け止めてくれた……ありがとう、管狐……」

 さしのべたセシルの手に小狐たちが体をすりつけました。彼らは墜落したセシルを五匹がかりで受け止めたのですが、彼女が衝撃で気を失ってしまったので、懸命に体の下に潜り込んで大狐になり、全速力でオリバンたちの元へ駆け戻ってきたのです。

「ありがとう」

 とオリバンも言うと、小狐たちはようやく安心した様子になって、次々姿を消していきました。セシルの腰の筒に戻っていったのです。

 

「隊長、野営地に戻りましょう。傷の手当てをしなくては」

 と女騎士たちが言うと、急にセシルは顔つきを変えました。がば、と身を起こして痛みにまた顔をしかめ、すぐにオリバンにしがみついて言います。

「大変だ! セイロスがチャストやメイ軍と共に、国境の東の山中に現れた! ロムドの領内だ!」

「なに!?」

 オリバンは顔色を変えました。セシルが夜の山頂で偵察してきたことを知らせると、みるみる顔が険しくなり、全身を震わせ始めます。

「奴め――魔法を使ったな!! 西の国境でもジタン山脈でもない場所から現れたとなると、それを防ぐ兵がいない!! ロムドは奴に蹂躙(じゅうりん)されるぞ!!」

 オリバンの剣幕があまり激しかったので、女騎士たちはたじろいで後ずさります。

 そこへロムド軍の護衛部隊が後を追って森から飛び出して来ました。セシルを囲むオリバンや女騎士団を見つけて駆け寄ってきます。

「セシル様、ご無事でしたか! よかった……!」

 安堵している護衛部隊の隊長へ、オリバンはどなるように言いました。

「ただちに西へ行く! セイロスがメイ軍と共にロムドに侵入してきたのだ! なんとしても阻止するぞ!」

 セシルの報告から、メイ軍の数は万単位だと聞かされていました。一方、オリバンたちはジタンのドワーフやノームと商談をすることが目的だったので、わずか百名の部隊です。残留した女騎士団を含めても百三十名に足りません。

 けれども、オリバンはためらうことなく西へ向かうことを決断しました。現在、敵に最も近い場所にいるのは自分たちだ、とわかっていたのです。例えどんな激戦になっても、なんとしてもセイロスたちを食い止めなくてはならないのです。

 セシルも顔をしかめながら立ち上がりました。手を貸そうと駆け寄ってきた女騎士たちを押し返して言います。

「私の馬を連れてこい。私も馬で行く」

「そんな!」

「隊長は手当てをしなくては……!」

 と女騎士たちは言いますが、耳を貸そうとはしません。鎧を着け直すと、馬にまたがってオリバンの隣に並びます。

「大丈夫か?」

 とオリバンが心配すると、セシルは傷のある顔で笑い返しました。

「もちろんだ。私は未来のロムド王妃だ。あなたと一緒にこの国を守っていく義務がある」

 オリバンも一瞬笑顔になると、すぐに真剣な顔に戻って言いました。

「敵の居場所を知っているのはあなただ。連れていってくれ」

「出て来い、管狐! 皆を案内するんだ!」

 とセシルが呼びかけると、また小狐たちが出てきて大狐に変わりました。ケーン、と鋭く鳴くと、一同の目の前を北西に向かって駆け出します。

「行くぞ、続け!」

 オリバンの号令で、ロムド兵と女騎士団は管狐の後を追っていっせいに走り出しました――。

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