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第22巻「二人の軍師の戦い」

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32.結界

 フルートたちが執務室で話し合ってから三十分後、鷹のグーリーはアリアンやトウガリと一緒にロムド城の中庭にいました。

 このとき、トウガリはいつもの道化の服を脱ぎ化粧を落として、普段着姿になっていました。とても痩せていて背も高いのですが、顔も雰囲気もごく平凡になってしまうので、それが王妃付きの道化のトウガリだとは誰も気がつきません。

 

 アリアンは先に立ってトウガリを案内していました。迷う様子もなく中庭の奥へ進んでいくので、トウガリが言います。

「アリアンに聞けばキースの居所はわかるはずだ、とグーリーが言ったんで、また俺に白羽の矢が立ったんだが、どうやら本当にあいつのいるところわかるようだな。キースはこんなところに隠れていたのか」

 すると、グーリーがピィと鳴き、アリアンも答えました。

「キースがユギル様の占いに映らないのは、キースが結界を作ってその中にいるからなんです。キースは闇の国にいる間、そうやって自分を守ってきましたから……。鏡で城の中をくまなく見て回ったら、この庭の奥に見通せない場所がありました。きっとキースの結界です」

 トウガリはアリアンの後ろ姿を見つめました。キースはどうして今さら結界なんか張っているんだ? と聞きたいのは山々でしたが、なんとなく彼女が絡んでいるような気がしたので、こんなふうに切り出してみます。

「あんたもまた透視ができるようになったんだな。いつからだ?」

 すると、アリアンはぴくりと小さく肩を震わせました。

「それは……あの、昨日の夕方くらいから……。ずっと心が落ち着かなくて、鏡を見通すことができなかったんです。すみません……」

「いや、誰にだって調子の悪い時というのはあるさ」

 とトウガリは言いながら、じっと彼女を見つめ続けました。表情を見てみたいと思いますが、彼女は振り向こうとはしません。

「ずっと透視ができなかった間に、大変なことが起きていたんですね……。皆様のお役に立てずにいて、本当に申し訳なかったと思っています。私も、この後すぐに深緑様のところへ行きます」

「その前に食堂に行ったほうがいいんじゃないのか? 俺が言ってもあまり説得力がないかもしれんが、あんたは少し痩せすぎだ。そんなじゃ、透視してる間に倒れてしまうぞ」

 すると、アリアンは静かに笑いました。

「大丈夫です。私は闇の民ですから。闇の民はどんなに飢えても、それで死ぬことはないんです……」

 控えめな笑い声が悲しい響きを帯びます。

 

 すると、トウガリの足が急に前に進まなくなってきました。足元を見ますが、平らな遊歩道が庭の奥へ続いているだけで、歩みを邪魔するようなものは見当たりません。

 アリアンが振り向いて言いました。

「キースの結界に近づいてきたんです。このあたりまで来ると、誰でもひとりでに引き返したくなってしまいます。もう少し行けば、完全に進めなくなります。そこから先がキースの結界なんです」

「中に入る方法はあるのか?」

 とトウガリが尋ねると、アリアンは首を振りました。

「キースの魔力は強力だから、外から無理に入り込むことはできません。キースに頼んで入れてもらうしかないんです。私が一緒にいたら、なおさら入れないと思います」

 意味深なことばにトウガリはまた彼女を見つめました。薄緑色のドレスに長い黒髪の美しい娘は、それ以上は先に進もうとはしません。

「キースに嫌われているとでも思っているのか? だとしたら、それはまったくの誤解だぞ。キースの気持ちはその反対だ」

 とトウガリが言うと、アリアンはうつむきました。今度は横顔をこちらに向けていたので、顔が赤く染まっていくのがよく見えました。

「それは……もしかしたら、そうなのかもしれません……。だけど、キースはやっぱり私を避けています。こうして結界にいるのも、私と顔を合わせないためなんです。しかたありません。私は闇の娘だから……」

 悲しいあきらめが声を揺らしました。トウガリが何かを言う前に、失礼します、とお辞儀をして、中庭を引き返していきます。グーリーがピィピィ引き留めるように鳴きながら追いかけますが、アリアンはもう戻ってきませんでした。

 トウガリは顎をかきました。

「キースが告白をしてアリアンにふられたのかと思ったんだが、そういうわけでもないらしいな――。いったい何を考えているんだ、あいつは」

 行く手には目に見えない障害があって、来る者を押し返そうとしていましたが、トウガリはそれに逆らって歩いて行きました。やがて本当に見えない壁に突き当たって進めなくなると、壁に向かって呼びかけます。

「キース、いるな? 陛下から出動の依頼があったぞ。中に入れろ」

 すると、目に見えない何かが前方から伸びてきて、トウガリの体を包み込みました。たちまち中庭の景色が薄れて、別の場所が広がります――。

 

 そこは大きな部屋の中でした。床には上等な絨毯が敷き詰められ、テーブルや椅子、絵画や彫刻などが並び、どこからか美しい音楽も流れてきます。まるで貴族の屋敷にでも入り込んだような眺めですが、ここはロムド城の中庭のはずでした。こんな場所を魔法で作っていたのか、とトウガリは改めて感心してしまいます。

 すると、部屋の一角から声がしました。

「出動依頼だって? どこへ?」

 白い服を着たキースが長椅子に寝転んでいました。椅子の後ろには美しい女の人を描いた大きな絵が掛けられています。

 トウガリはそちらへ歩いて行きました。

「エスタの東の国境付近だ。クアロー王がセイロスに味方してロムドに宣戦布告してきたことは知っているか?」

 キースは椅子からむくりと起き上がりました。

「クアローが宣戦布告したことは聞いたけれど、そこにデビルドラゴンが絡んでいるとは知らなかった。詳しく聞かせてくれ」

 そこでトウガリはロムド王やフルートたちから聞かされた話をキースに伝えました。セイロスはクアロー軍ではなくメイ国にいるはずだ、とフルートが言っていることも知らせます。

 ふぅん、とキースは膝の上で頬杖をつきました。

「フルートの言う通りだな。もしクアロー軍に奴がいたら、ぼくは出動するわけにはいかない。あいつに意識を乗っ取られて、敵に回りかねないからな」

「青の魔法軍団とおまえでクアロー軍を防げる、とユギル殿が占ったんだ。行ってくれるな?」

 とトウガリは言いましたが、キースのほうはユギルの名前を聞いたとたん不機嫌な顔になりました。また長椅子に寝転んで、そっぽを向いてしまいます。

「断る。ぼくは別にロムド王の家来じゃないからな。そんなものを手伝う義理はないよ」

「おいおい」

 友人が露骨に拗ねたので、トウガリはあきれました。

「おまえたちは陛下に庇護(ひご)されている身だぞ。その御恩に応えないつもりか? それに、ユギル殿とアリアンのことはただの噂だったし、それももう下火になった。いつまで意地を張ってるつもりだ」

「別に意地なんか張っていないよ。気が乗らないだけだ。そこにデビルドラゴンが絡んでいるなら、なおさらだ」

 

 トウガリは大きな溜息をつくと、わざと足音をたててキースに歩み寄りました。向こうを向き続けている彼をどなりつけます。

「もう餓鬼じゃないんだぞ。いい加減にしろ――! ユギル殿はこのところずっとまともに占いができなかった。アリアンとの関係を皆に取りざたされたために、占いの場が乱れたと思われていたんだが、陛下が二人を噂してはならない、と命令を出されてからも、やっぱり占いの場は乱れっぱなしだったんだ。それが急に落ち着いて、また占いができるようになったのが、昨日のことだ。今、来る途中でアリアンから聞いたが、彼女が透視できるようになったのも、つい昨日のことだというじゃないか。これは偶然か、キース? 思い当たることがあるんじゃないのか?」

 トウガリの目の前でキースの背中がぎくりと揺れました。やっぱり、とトウガリは考えましたが、口調は緩めずに話し続けました。

「いいか。ユギル殿の占いの場が乱れていたのはおまえのせいだ。ずっとユギル殿に嫉妬していたんだろう? そういう感情はものすごく強いものだし、しかも、おまえは強力な魔法も使える。おまえは無意識のうちにユギル殿の占いを邪魔していたんだよ。しかも、アリアンはおまえに誤解されたせいで毎日泣き暮らして、やっぱり鏡で透視することができなくなっていた。つまり、おまえはロムド城を守る大切な目を二組も邪魔していたんだ。そこはちゃんと理解しておけ」

 とたんにキースは跳ね起きました。目をつり上げ、かみつくような勢いで言い返します。

「なんだ、それは!? 全部ぼくのせいだと言うのか!? ぼくがこの城にいたせいで、みんなが多大な迷惑を被ったと!? ぼくはこの城にいちゃいけなかったっていうことか!?」

 興奮してどなるキースの口に牙が現れ、瞳が血の色に変わりました。頭の両脇には角が、背中には黒い翼が広がります。

 とたんに、トウガリはキースを指さしました。

「そら、それだ――! おまえたちは、気持ちが高ぶると人間に変身する魔法が解けて闇の民の姿に戻る。だから、女性とも深いつきあいができなかったんだろう? 本気で愛した女性と二人きりでいたら、平常心でなんていられるわけはないからな。闇の姿を見られるのが嫌で、女性たちと表面的なつきあいばかり繰り返していたんだろう。違うか?」

 たちまちキースから角や牙や翼が消えました。青ざめた顔をトウガリからそらすと、気持ちを落ち着かせるように肩で息をして、低く言います。

「そうだよ……。これがぼくにかけられた呪いさ。どんなに理想的な女性と出会っても、本気で愛することはできない。愛しさのあまり抱きしめれば、ぼくはたちまち闇の民の姿だ。彼女は悲鳴を上げて気絶する。ぼくはそんな彼女からぼくの記憶を消す。そして、もう二度と会わないようにするのさ。ずっと、そんなことの繰り返しだ。どんなに心が広くて優しく見える女性だって、ぼくが闇の民だってことを受け入れるのは不可能なんだよ」

 トウガリはまた溜息をつきました。そういうことなのだろう、と予想はついていたのですが、それにしても、と思ってしまいます。

「人間の女性なら、たしかにそんな反応をするかもしれん。だが、アリアンはそうじゃないだろう。彼女だって闇の民なんだからな」

 すると、キースはまたかっとした顔になりました。勢いよく立ち上がってトウガリをにらみつけます。

「ぼくは闇の民は愛せないんだと何度言えばわかる! 闇の民はぼくの母さんを闇の国に連れ去って閉じ込め、挙げ句の果てに怪物の生け贄にして殺したんだ! 闇の民はぼくから母さんを奪った! 母さんだけでなく、ささやかな平和も愛情も何もかも――! そんな闇の民を愛せるもんか! ぼくは自分のこの格好も死ぬほど憎いんだ!!」

 ばさり、とマントがひるがえり、次の瞬間、白と青のキースの服は黒一色に変わっていました。先ほど一度消えた角と牙と翼がまた現れ、瞳は血の色に変わります。闇の怪物のような闇の民の姿ですが、トウガリをにらむキースの顔は、なんだか泣き出しそうにも見えます。

 

 トウガリは三度目の溜息をつきました。キースがアリアンを避けるのは、彼女が闇の娘だからではなく、彼女を愛してしまうことで自分が闇の民の姿になるのが嫌だからなのだ、とはっきり理解したからです。自分から母親を奪った敵と同族だと思い知らされてしまうのがつらいのです。その気持ちはわからないではありませんが、だからといって納得するわけにもいきませんでした。できるだけ穏やかな声で話し続けます。

「おまえたちがどんな姿でも俺たちはかまわんさ。おまえたちは俺たちの友人だし、おまえたちが闇の民だからこそ、俺たちはその力に助けられているわけだからな」

 キースのほうも高ぶった気持ちをまた収めていました。人間の姿に戻ると言います。

「陛下が出動してくれと言っているんだろう? いいさ、行ってやるよ。闇の民のぼくにできることといったら、同じ闇を退治することくらいだからな。お役に立ててなによりだよ」

「やけっぱちになるな。冷静な判断を失って窮地に陥るぞ」

 とトウガリは忠告しましたが、その目の前に扉が現れました。

「お帰りの時間だよ。こちらの出口からどうぞ――。ぼくはここを消してから青さんのところに行く」

 完全にへそを曲げた声でした。トウガリがいくら言っても、もう機嫌は直りません。

 しかたなくトウガリは扉を開けました。その向こうには城の中庭が広がっています。

 最後にトウガリはもう一度キースを振り向きました。

「その絵の女の人は、おまえの母親なのか?」

 キースが寝転んでいた長椅子の後ろに、若草色のドレスを着た若い女性の絵があったのです。髪は茶色の巻き毛ですが、顔立ちはどことなくキースに似ています。

「そうさ。ぼくが覚えている母さんは何年たってもこの姿だ」

 とキースが答えると、トウガリはまた言いました。

「いつもその格好なんだな? そのドレスを着て――。気がついていたか、キース? アリアンが普段着ているドレスは、いつもそれとよく似た色なんだぞ」

 えっ? とキースは背後の絵を振り向きました。母親が着る薄緑色のドレスを、驚いたように見つめます。

 トウガリは肩をすくめると、扉をくぐって外へ出て行きました――。

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