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第22巻「二人の軍師の戦い」

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27.国境の陣・3

 「こちらの思い通りに進んでいるな」

 川辺の戦闘を馬上から眺めてクアロー王がいいました。王はまだ森の手前の場所に留まっています。その横に私服姿のミカールがいて、かがんで地面から何かを拾い上げました。

「霧がすっかり薄れました。これはもう用をなさないでしょう」

 それは黒っぽい色の丸い石でした。ミカールが拾い上げたとたん、クアロー王の隣で馬にまたがっていたセイロスの姿が、薄れて消えてしまいます。

 ふむ、とクアロー王は言いました。

「便利なものだな、それは。遠く離れたメイ国にいるセイロスの姿と声を、魔法の石が再現するのだから。エスタ軍だけでなく、我が軍の多くの兵も、ここにセイロスが一緒にいると信じただろう」

「霧があるところで使え、という指示でしたが、確かにすばらしい影絵でした――おっと」

 手の中で黒い石が急に崩れて消えていったので、ミカールは驚きの声をあげました。

「やはり魔法の物体だな」

 とクアロー王は言い、目を戦場に戻して続けました。

「魔法と言えば、我が軍の弓矢もすばらしい力を持つようになった。セイロスがよこした液薬を弓に一滴。たったそれだけで、今までの何十倍という威力を発揮するようになったのだから、すばらしい」

「我が軍の弓部隊は、エスタ自慢のいしゆみ部隊をしのいでおりますよ、陛下」

 とミカールが言います。

 

 そこへ、すぅっと音もなくランジュールが姿を現しました。クアロー王やミカールの渋面を無視して話しかけてきます。

「そぉそぉ、セイロスくんの弓の力はすごいだろぉ? 北の島では、あれの力で島中の村を滅ぼしてきたんだからさぁ。こっちの矢はいくらでも届くのに、向こうの攻撃は全然こっちに届かないんだから、かなうわけないよねぇ。ところで、そろそろ弓矢の兵隊さんたちが川を渡りきるところだけどさぁ、丘の上で重騎兵の部隊が準備してるのは見えてるぅ? あれさ、丘の上から一気に駆け下りて、弓矢部隊を蹴散らすつもりだよぉ?」

 ランジュールは自由に空を飛び回れます。丘の上の見えない場所で、エスタ軍が反撃の準備を整えていることを、しっかり偵察してきたのでした。

 ふん、とミカールは笑いました。

「たまには役に立つじゃないか、幽霊。陛下、私も出撃してよろしいですね?」

 クアロー王を見上げた青年の顔が、一瞬どすぐろい影に彩られたので、王はにやりと笑い返しました。

「よかろう。好きなだけ暴れてこい」

「お許し感謝します」

 そう言うと、ミカールは王の横から駆け出しました。戦場になっている川辺へまっすぐ向かって行きます。けれども、彼は武器や防具をまったく持っていませんでした。剣もなければ鎧兜も身につけていない私服姿です。

 くすくす、とランジュールは笑い声をたてました。

「張り切ってるねぇ、間者のお兄さんは。戦闘が始まってたから、血がたぎってしょうがなかったんだねぇ」

 すると、走って行くミカールの姿が急に変わり始めました。姿勢がどんどん前屈みになり、すぐに両手をついて四つん這いで走るようになります。体がみるみるふくれあがり、皮膚がひび割れて巨大な鱗(うろこ)のように突き立ち、さらに腕と手が異様に大きくなっていきます――。

 カァァ!

 ミカールは鋭く叫ぶと川に飛び込み、まるで水面を飛び跳ねるようにあっという間に渡りきって、対岸にたどり着きました。仰天するエスタ兵に飛びかかると、牙のひとかみで首を食い切ってしまいます。

 エスタ軍は、突然現れた怪物に、ますます大混乱になりました。矢から逃げようとしていた兵が、今度は怪物から逃げようとして後続とぶつかり、大混乱になります。元々エスタ軍は段丘を背後にして守りを固める陣形を敷いていたので、川と段丘の間に、逃げるのに充分なスペースがなかったのです。押し合いへし合いになったエスタ兵の中を、怪物のミカールが駆け抜けていくと、またいくつもの首が兜をかぶったまま吹き飛びます。

 

 そんな光景を、ランジュールはクアロー王の頭上で眺めていました。透き通った腕を組んで頭を振ります。

「だめだなぁ、お兄さんったら。仕事が全然綺麗じゃなくて。やるなら、通り道の連中を一人残らず食い殺さなくちゃ――」

「魔の薬を飲んでから、ミカールは変身できるようになった。私が城と国を取り戻せたのも、あのミカールのおかげだ」

 とクアロー王が言ったので、ランジュールは肩をすくめました。

「その薬を与えたのがセイロスくんだろぉ? あれって溶けた闇の石なんだよねぇ。普通は人間が闇の石を持つと、すぐに怪物に変身して暴れ出すんだけど、セイロスくんの闇の石はちょっと違うみたいだねぇ。また人間の姿に戻れるしさぁ。ま、残虐なトコはやっぱり闇の石だけどねぇ。ふふ」

 怪物になったミカールは敵の歩兵の中を抜け、段丘の斜面を駆け上がっていきました。頂上をめざしますが、そこへ斜面を揺らして重騎兵の集団が駆け下りてきました。通り道にいるものは敵も味方も区別なく跳ね飛ばし踏みにじる「突撃」です。

 ミカールはひらりと飛び上がると、先頭の重騎兵の上に飛び降りました。次の瞬間、馬と兵士の二つの首が血をまき散らして宙を舞い、どうと馬の体が横倒しになります。それにつまずいた後続の馬が、騎手を載せたままもんどり打って、斜面を転がり落ちます。

 ミカールは重騎兵に次々と襲いかかって、兵の頭を食いちぎっていきました。死体は、倒れた馬の巻き添えをくらった兵士たちと共に、もつれながら斜面を転がり落ちてきます。ミカールの女と見まごうように美しかった顔は、今は醜悪な怪物そのものになっていました。上半身は余すところなく鮮血で染まっています。

 ふふん、とランジュールは笑いました。

「少し綺麗になってきたねぇ、お兄さん? でもねぇ、やっぱり仕事が雑なんだなぁ。出来が良かったらボクの魔獣にしてもいいと思ったんだけど、やっぱり使えないなぁ。せいぜいクアローの王様あたりに仕えるのがお似合いだよね」

「なに!?」

 幽霊に馬鹿にされてクアロー王は顔色を変えましたが、ランジュールは気にも留めずにその場から舞い上がりました。細い目をいっそう細めて戦場を見下ろし、楽しそうに言います。

「暴れるってのがどの程度のコトか、よぉく見ててよねぇ――さぁ、おいでぇ、おピンクちゃん! おいしそうなご馳走がいっぱいだよぉ! お腹いっぱい食べさせてあげるよぉ!」

 

 とたんに、エスタ側の陣営で、川岸の地面が揺れ出しました。多くの兵たちは逃げ回ったり戦ったりするのに手一杯で、地震には気がつきません。また一人、クアロー軍の矢に心臓を射抜かれて、兵士が倒れます。

 そこへ、いきなり地中から巨大な怪物が飛び出して来ました。牙のような触手がびっしり生えた丸い口で、死んだばかりの兵士を呑み込み体を伸ばします。

 それは見上げるように大きな長虫でした。直径が数メートルもある体は、ぬめぬめした黄色い体液でおおわれ、頭には目も鼻もなく、ただ短い触手に囲まれた口が、先端にぽっかりとあいています。体の横に模様のように並んだ丸い斑点は、目にも鮮やかなピンク色です。

 うふふっ、とランジュールは空中でまた笑いました。

「メイ国に封印されていた怪物なんていうから、どんなすごいのかと思ったら、『大食い』だったんだよねぇ。大食いなら他の場所にもたくさんいるんだけどさぁ、この子はとびきり大きくて凶暴だったし、体の横のピンク色もかわいかったから、おピンクちゃんって名前にしてペットにしてあげたのさぁ。さ、おピンクちゃん、食べて食べてぇ! もしかしたら味方の兵隊も間違って食べちゃうかもしれないけど、細かいことは気にしなぁい! うふふふふ……」

 すると、黄色い長虫は地面から二十メートルも飛び出し、周囲をのたうちました。丸い口で、目の前に来る人間たちを、歩兵も騎兵も関係なく呑み込んでいきます。さらに、長虫の体に触れた人間や馬が、虫から離れられなくなってしまいました。粘液に捕らえられたのです。悲鳴を上げながら、あっという間に溶けて消えてしまいます。

 ランジュールは満足そうにうなずきました。

「おピンクちゃんの得意技は、体液でも餌を消化しちゃうこと。これはちょっといいよねぇ。餌が断末魔(だんまつま)の声をあげるのも楽しいしさぁ」

 

 そこへ丘の上から矢が飛んできました。エスタ軍が態勢を整えて反撃に出てきたのです。いしゆみから発射された矢が、黄色とピンクの長虫に突き刺さります。

「あれ、そぉんなものがおピンクちゃんに効くと思ってるのぉ?」

 とランジュールはのんびりと言いました。そのことばの通り、矢は黄色い粘膜の上で溶けていました。粘膜が分厚いので、長虫はまったくダメージを受けません。

「なんて奴だ!」

「続けて撃て! 早く!」

 いしゆみ部隊が急いで次の矢をつがえようとすると、突然長虫が地面に潜ってしまいました。目標を見失ってきょろきょろしていた弓兵の背後に飛び出し、襲いかかります。弓兵たちは反撃する間もなく丸い口に呑み込まれました。体に巻き取られて消滅していく兵士もいます。

「この怪物め!!」

 別部隊の弓兵が矢を射かけると、また長虫は姿を消しました。今度は地面に潜ったのではありません。体が一瞬で溶けて、黄色い水のように地表に広がったのです。ところどころに浮島のようにピンクの斑点が浮かんでいます。

 すると、黄色い水は、ずずず、と音をたてて移動を始めました。立ちすくむ弓兵たちの足元まで流れていくと、薄い膜のように地面から舞い上がり、兵士たちを中に包み込んで、また長虫の姿に戻ります。

 うんうん、とランジュールはまたうなずきました。

「上手上手ぅ、おピンクちゃん。残さず綺麗に食べられたねぇ。食べるときにはお残ししないよぉに、ぜぇんぶ食べなくちゃねぇ。うふふ……じゃぁ、あのお兄さんのお残しも片付けてあげよぉか」

 幽霊が指さした先には、突撃をかけていたエスタ軍の重騎兵がいました。襲いかかってきたミカールに馬が怯え、向きを変えて逃げ出したので、突撃は失敗していました。右往左往する騎馬の集団になってしまっています。

「はぁい、おピンクちゃん、いただきますだよぉ!」

 ランジュールの楽しそうな声に、長虫はまた黄色とピンクの巨大な膜に変わりました。斜面の麓へ落ちていくと、一瞬で重騎兵の大半を押しつぶして包み込んでしまいます。数え切れないほどの断末魔の悲鳴が、戦場に響き渡ります。

 すると、怪物の姿のミカールが、顔だけ元の人間に戻ってどなりました。

「よく見て攻撃しろ! ぼくまで食われるところだったぞ!」

 彼の真上にも長虫が降ってきたので、あわてて飛びのいて避けたのです。

「あれぇ、外れちゃったぁ? それは残念」

 ランジュールが涼しい顔で答えたので、ミカールがまたにらみつけてきます。

 

 戦場では一方的な戦闘が繰り広げられていました。

 軍隊の主力であるエスタ軍の重騎兵は、ミカールに蹴散らされ、ランジュールの長虫に食われて、ほぼ全滅していました。いしゆみ部隊も半数は長虫に呑み込まれ、残り半数は後ろも見ずに逃げ出しています。

 丘の下の川辺でもエスタ軍の歩兵や騎兵が戦場を離れようとしていましたが、川を渡ってきたクアロー軍の歩兵や騎兵に追いつかれて、次々と討ち取られていました。川辺は石や草が血に染まり、エスタ兵の死体で埋め尽くされていきます。それはもう戦争ではありませんでした。一方的な殺戮(さつりく)です。

 クアロー王は馬上でこの光景に満足していました。

「思い知ったか、エスタ! これが我がクアローの力だ! このままの勢いで王都まで攻め上って、エスタを我が手に収めてやる!」

 本当はどの攻撃もセイロスの助けを借りたもののはずなのに、クアロー王はすべて自分がしたことのように考えていました。自信満々で宣言します。

 すると、ふっとその頭上にランジュールが戻ってきました。声をたてて笑っているクアロー王を、高い場所から見下ろして肩をすくめます。

「ほぉんと、小者だよねぇ、この王様」

 馬鹿にするつぶやきを残して、幽霊はまた戦場へと飛び去りました。

 剣や槍がひらめき怪物が暴れ回る戦場では、血みどろな殺戮が終わることもなく続いていました――。

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