ハロルド王子はロムド城めざして山を越えながら、ずっと悩み続けていました。
先日彼らを襲ってきたユラサイ人の刺客集団は、ロムド国の紋章の手形を持っていました。それがロムド国王から渡されたものだとすれば、彼らを襲ったのはロムド王だということになります。しかも、ロムド皇太子のオリバンが姉のセシルと共にユラサイへ行って軍事協力を取りつけてきたことを、ハロルドは話に聞いて知っていました。ユラサイ人という符号も一致していたので、ますます怪しく思えてしまいます。
ロムドを疑っているのは、女騎士たちも同様でした。山の尾根を越えて木が少なくなり、進むのが楽になってきたこともあって、そこここでおしゃべりが続いています。
「ロムドはどうしてハロルド王子を攻撃してきたわけ? デビルドラゴンがメイに現れたって知らせに行こうとしてるってのに」
「同盟に加わるのをメイ女王が断ったからじゃないの? 断ったくせに助けを求めに来たりするな、って」
「だからって、殿下の命まで狙うことないじゃない! 警告すればいいだけのはずよ。そうしたら、こっちだって事情を話せるのに!」
ハロルド王子やタニラに馬を寄せて、こう尋ねる女騎士もいます。
「このままロムド城へ向かって大丈夫なんですか? ロムド王はメイを助けてくれるどころか、反対に殿下を捕らえるかもしれませんよ」
タニラは首を振りました。
「そんなはずはない。ロムドは隊長がいらっしゃる国だぞ。それに、我々がこうしてロムド城をめざしていることを、ロムドは知らないはずだ」
「じゃあ、何故刺客はロムドの手形を持っていたんです?」
疑惑はいつもそこに戻ってきてしまいます。
「ロムドに疑いを抱かせて、私たちをロムドに行かせないようにしている敵がいるのかもしれない」
と王子は言いました。実際、そう考えるのが筋なのですが――
「私たちがロムドに向かっていることを知っているのは誰ですか? デビルドラゴンは知っているんでしょうか?」
と突っ込まれて、王子は首を振るしかありませんでした。彼がナージャの女騎士たちに協力を求め、ロムドに向かって出発したことを、セイロスは知らないはずなのです。
「だが、このことはロムドも知らずにいるはずだ」
とタニラが繰り返すと、また別の女騎士が言いました。
「ロムドにはものすごく目のいい占者がいますよ。なんでも、ロムドに一歩でも足を踏みいれれば、必ずその占者に見つかってしまうとか。我々はもうロムド領内にいるんですから、くだんの占者に見つかっているでしょう」
女騎士団の中に疑惑の念は増すばかりでした。ハロルド王子自身も、本当にこのままロムド城へ向かっていいのかどうか、自信がなくなってきてしまいます。かといって、このままデビルドラゴンがいるメイへ戻ることもできないのです――。
すると、行く手の偵察に出ていた二人の女騎士が、馬で斜面を駆け上ってきました。息せき切って王子やタニラに報告します。
「大変です、麓の森に大勢の兵士が待ち伏せています! 銀色の鎧兜を身につけているので、ロムド軍の兵士と思われます!」
「ロムド軍!?」
ざわっと女騎士たちに動揺が走りました。やっぱり! と早くも剣に手を伸ばす騎士もいます。
タニラは部下たちを叱りつけました。
「早まるな! ただの国境警備隊かもしれないのだぞ!」
すると、偵察に行った女騎士たちがまた言いました。
「いいえ、タニラ様! 森にいたのは警備隊なんかじゃありません! 馬と共に森の中に潜んでいて、じっと我々がいる山のほうを見張っているんです!」
「武装した兵士が頻繁に森を出入りしていました! 我々を探しているんだと思います!」
そんな……とハロルド王子は考えました。疑惑が現実のことになってきて、混乱してしまいます。
すると、彼らがいる斜面の下のほうから、ピーッと鋭い口笛が響きました。続いて剣がぶつかり合う音が響いてきます。
「見張りのキャシーです! 誰かと戦っている!」
と女騎士たちは叫んで、馬で斜面を駆け下り始めました。剣の音が聞こえるほうへ突進します。
斜面の小さな林を越えた向こうでは、本当に戦闘が始まっていました。白い鎧兜に赤いマントの女騎士が、戦士姿の男と戦っています。男が着ている鎧兜は銀色でした。
「やっぱりロムド兵だ!」
と駆けつけた女騎士たちは叫んで剣を抜きました。足元にはまだ斜面が続いていますが、片手だけで手綱を操りながら駆け下っていきます。
その突進の音に兵士はぎょっと振り向き、すぐに向きを変えて逃げ出しました。麓の森へ駆け下っていきます。
「逃がすな!」
「我々のことを通報される! 捕まえろ!」
女騎士たちが後を追います。
兵士との距離が詰まっていきます。
ところが、もう少しで兵士に追いつくというところに、麓から新手が駆け上がって来ました。やはり銀の鎧兜の兵士で馬に乗っています。追われている兵士と女騎士の間に割って入って攻撃してきます。
「邪魔だ!」
と女騎士たちは兵士を切り捨てました。斜面を駆け上がる敵より、駆け下っているこちらのほうが勢いがあったのです。血をまき散らして落馬する兵士を横目に見ながら、逃げる兵士を追いかけます。再び女騎士たちと兵士の間の距離が詰まり始めます。
けれども、そこはもう麓の森の目の前でした。女騎士たちは、逃げる兵士に誘い出されるように、山中から麓に飛び出してしまったのです。
とたんに森から大勢の兵士が現れました。全員が馬にまたがり、銀の鎧兜と盾をつけています。盾に描かれているのは獅子の横顔に山と樹を配したロムドの紋章です。
「ロムド兵出現!」
と女騎士たちが叫んだとたん、先陣同士が激突しました。女騎士とロムド兵の剣がひらめき、激しくぶつかり合います。駆け下ってくる女戦士たち、森から飛び出してくるロムド兵。麓の荒れ地はたちまち戦場に変わります。
すると、ロムド兵の陣から声が上がりました。
「敵襲! 敵襲――!!」
それを聞いて女戦士たちは言い返しました。
「何が敵だ! 敵は貴様たちだろう!?」
蹄と剣の音が入り乱れる戦場でしたが、その声は相手まで届きました。剣を振り上げていた兵士が、驚いたように手を止めます。
「おまえたちは女か!?」
「そうだ! それがどうかしたか!?」
と女戦士たちはいっせいに相手を取り囲みました。一人が剣を受け止め、もう一人が動きを封じ込め、三人目が切りつけようとします。そこへ別のロムド兵が飛び込んできました。女戦士の剣を跳ね返してどなります。
「おまえたちはみんな女なのか!? では、メイの女騎士団か!?」
「しらじらしい! だからなんだと言う!?」
再び剣と剣がぶつかり合い、割って入った兵士が切りつけられます。ところが刃は鎧の表面を滑りました。ロムド兵の体には届きません。
兵士はただちに馬を引くと、周囲の兵士たちへ声を張り上げました。
「攻撃やめ!! 彼らはセシル様の部下だ!!」
「なに……!?」
意外なことばに女騎士たちも思わず攻撃を止めます。
すると、そこへ巨大な灰色の獣が飛び込んできました。全長が十メートル以上もある大狐が戦場で飛び跳ね、女騎士たちもロムド兵も蹴散らしてしまいます。その背中から響いてきたのは、鞭のように鋭い女性の声でした。
「おまえたちは何をしている、女騎士団! ロムドの軍に剣を抜くとは何事だ!?」
続けて割れるような男の声も響きます。
「攻撃をやめろ! 彼女たちは敵ではないぞ!」
大狐の背中にセシルとオリバンが乗っていました。セシルは面おおいを上げた兜の下で、顔を真っ赤にして怒っていました。
「これはいったい何事だ!? 何故おまえたちがここにいる!? ただちに説明しろ!」
「隊長!?」
「セシル隊長……!」
女騎士たちから驚きの声が上がり、たちまち剣が収められました。セシルがロムドにやって来てから一年が過ぎていましたが、それでも彼女はまだ女騎士団の隊長です。
オリバンが管狐の背中から降りると、ロムド兵たちが駆け寄ってきました。
「ご無事でしたか、殿下! セシル様と共に急にお姿が見当たらなくなったので、皆で探しておりました!」
「山のドワーフたちが迎えに来たのか、はたまた敵に誘拐でもされたのか、と大変心配しておりました! 出かけるなら出かけると、一言お知らせください!」
なに? とオリバンは驚きました。ロムド兵たちは、急に行方不明になったオリバンとセシルを心配して山の方角を見守り、そうとは知らずに山からやって来た女騎士たちに、待ち伏せをしていると勘違いされてしまったのです。
そこへ、しんがりに山の上からタニラとハロルド王子が下りてきました。タニラの馬には、先ほど切られたロムド兵も乗っていました。肩には包帯代わりの布が巻かれています。
「どうした!?」
とオリバンとセシルが顔色を変えると、タニラが馬から下りて頭を下げました。
「このような形で再会することになってしまって申しわけありません、隊長、ロムド皇太子殿下――。大変な勘違いの結果、ロムドの方を傷つけてしまいました。早く手当を」
たちまち数人のロムド兵が馬に駆け寄りました。大丈夫か、と尋ねると、馬の上の兵士が、ああ、と答えます。傷の痛みに顔を歪めていますが、命に別状はなさそうです。
セシルが地面に飛び降りると、狐は煙のように姿を消していきました。女騎士たちが驚いた声をあげますが、それを無視して、セシルは彼女たちをにらみつけました。
「もう一度言う。これはいったい何事だ!? 何故おまえたちだけでなく、ハロルドまでがここにいる!? おまえたちの行為はロムドに対する宣戦布告だ。ただちに納得のいく説明をしろ!」
その厳しい声に女騎士たちはたじろぎ、助けを求めるようにタニラやハロルド王子を振り向きました。すぐさま馬から下りたのはハロルド王子でした。姉に駆け寄りながら言います。
「女騎士たちをお許しください、姉上。彼女たちは私を敵から守ろうとして勘違いをしたのです」
聞き捨てならないことばにオリバンが聞き返しました。
「敵だと? いったい何があった?」
ハロルドの頭からロムドに対する疑惑はすっかり消えていました。姉と義兄に飛びつくと、すがりつくようにして言います。
「セイロスが――デビルドラゴンがメイ城を占拠しました! 母上が人質にされています! 助けてください――!」