メールとポポロとルルがアリアンと女同士の話をしている間、フルートとゼンは居間で待ち続けていました。その膝には小猿のゾとヨが座り込んでいて、時々涙を拭きながら、交互にこんな話をします。
「オレたち、アリアンに幸せになってもらいたかったんだゾ」
「キースが女の人と会って話をしてると、アリアンはいつも悲しがるんだヨ」
「だから、ユギルさんとアリアンが結婚するといいと思ったんだゾ」
「二人が仲良くなる手伝いをしたかっただけなんだヨ」
「それで、ユギルさんとアリアンを部屋に閉じ込めたってのか? 強引すぎるだろうが」
とゼンがあきれたので、ゾとヨは怒りました。
「キースはあれからアリアンに一言も口をきかないんだゾ! アリアンが泣いても全然知らん顔なんだゾ!」
「アリアンはあんな意地悪なキースなんかほっといて、ユギルさんのところに行くといいんだヨ! ユギルさんのほうがずっと優しいから、アリアンも幸せになれるんだヨ!」
けれども、そう言ったそばから、小猿たちはまたしょんぼりしてしまいました。
「だけど、アリアンはユギルさんのところに行かないんだゾ……」
「キースのことばかり考えて、ずっと泣いてるんだヨ……」
ふぅ、とフルートは溜息をつきました。泣き顔の猿たちをなでてやりながら、静かに言います。
「人を好きになる気持ちっていうのは、他の人から言われたからって、変わったりなくなってしまったりするものじゃないんだよ。もしそれができたら、それは本当は好きじゃなかったってことなんだから――。誰になんて言われたって、どんなにユギルさんがいい人だって、アリアンはやっぱりキースが好きなんだ。そして、今の話を聞いてると、キースのほうでもやっぱりアリアンが好きなんだろうと思うな」
「おう、俺もそう思った」
とゼンが賛同しますが、ゾとヨは飛び跳ねて反論しました。
「キースがアリアンを好きだなんて、そんなわけないんだゾ!」
「そうだヨ! それならどうしてキースはあんなに他の女の人とデートするんだヨ!?」
ゼンはフルートと顔を見合わせました。
「照れ隠しか? アリアンに素直になれなくてよ」
「う……ん、それもあるとは思うけど、何か他にも理由があるような気がするな。気持ちを打ち明けたくても言えないような理由が」
フルートの口調に妙に実感がこもっていたので、ゼンはにやりとしました。
「そういや、おまえがそんなだったよな。ポポロが好きだったくせに、ずっと言えなくてよ」
「そ――そんな昔の話を持ち出すなよ! ぼくはただ、金の石の勇者の運命に彼女を巻き込んで怪我させたくないと思って――!」
「んで、城壁から飛び降りたポポロに告白されて、感激して大泣きしたと」
「ゼン!!!」
フルートは真っ赤になって親友の胸ぐらをつかみました。そのまま口論になってしまいます。
ソファから放り出されたゾとヨは、部屋の片隅で話し続けました。
「キースがアリアンを好きだなんて、やっぱり信じられないゾ。キースはすごくいいかげんな男だゾ」
「だけどキースも本当は優しいヨ。オレたちを猿にしてくれたし、おやつにお菓子もくれたヨ」
「も……もちろん、オレだってホントはキースは嫌いじゃないゾ。ただ、アリアンを泣かせるから許せないんだゾ」
「キースがアリアンを泣かせなければいいんだヨ。それなら、アリアンと結婚するのがキースでもかまわないんだヨ」
「それはそうだゾ。だけど、キースはアリアンに結婚を申し込むと思うか?」
「キースはアリアンと口をきかないヨ。難しそうだヨね……」
ゾとヨは頭を寄せ合って、はぁぁ、と長い溜息をついてしまいました。
フルートたちがそんなやりとりをしていたのと同じ時、城の中庭にはトウガリが来ていました。いつものように赤と緑の派手な服を着て、一目見たら忘れられないような奇抜な化粧をしています。庭の中をきょろきょろ見回すたびに、帽子についた鈴がリンリンと鳴ります。
すると、一本のリンゴの木から、風もないのに木の葉が一、二枚落ちてきました。トウガリはめざとくそれに気づいて木の下へ行き、梢を見上げて言いました。
「こんなところにいたのか。ずいぶん探したぞ」
周囲に人はいなかったので、素(す)の話し方になっています。
木の上にいたのはキースでした。人目に付きにくいように、木の葉の中にすっかり隠れながら、枝の上に寝そべっていました。
「ぼくに何か用かい、道化間者殿。ぼくは忙しいんだけどな」
その不機嫌そうな声に、トウガリは肩をすくめました。
「不用意なことを言うなよ。どこで誰が聞いているかわからないんだからな――。おまえとアリアンのことを、陛下たちが大変心配していらっしゃる。アリアンのほうにはメールたちが行ったんだが、おまえと話すのは俺でなければ無理だろう、と宰相殿に言われて探していたんだ」
キースはすぐには返事をしませんでした。リンゴの木の上に寝転んだまま、無視するように目を閉じています。
「朝から晩までフクロウみたいに木に隠れて、いつまでそうやって拗ねているつもりだ?」
とトウガリがまた言うと、さっきよりもっと不機嫌そうな声が返ってきました。
「そんなのはぼくの自由だ。それに綺麗なご婦人が通りかかれば、ちゃんと声をかけて話している――」
「アリアンとユギル殿の間には何もなかったぞ」
とトウガリはいきなり本題を切り出しました。
ぎょっとしたようにキースが身を起こしたのを見ながら、話し続けます。
「深緑殿がそう言っているんだから、間違いはない。ゾとヨが早合点して、二人が邪魔されないようにと部屋に鍵をかけてしまったんだ。あの二人の間には噂されているような関係は何もない。これで安心したか?」
するとキースはまた枝の上に寝転んでしまいました。太い枝の上に器用に横たわり、梢の間から見える青空をにらんで言います。
「信じられないし、信じたくもないな。それならどうして部屋に閉じ込められたときに、ぼくを呼ばなかったんだ。彼女なら、いつでもぼくを呼び出せたんだぞ」
トウガリはまた肩をすくめてしまいました。
「噂だけでそんなに腹を立てている奴が何を言う。それに、あの日は午後からものすごい雷雨になった。おまえはご婦人を誘って外に出かけて、帰るに帰れなくなっていたんだろう? その状況で助けに呼ばれたって、駆けつけられなかったはずだ。城に戻ってから助けに行って、彼らが鍵のかかった部屋にずっと二人きりでいたとわかったら、おまえはどうした? それこそ完全に誤解して、二人をとんでもない目に遭わせたんじゃないのか?」
はっ、とキースは鋭く笑い返しました。
「どうしてぼくがそんなことをしなくちゃいけないんだ? ぼくはアリアンの恋人じゃないぞ。ぼくはただ、そんなに困っていたのに呼ばれもしなかったことが、面白くないんだ」
トウガリは苦笑しました。体は一人前になったのに、まだまだ少年のようなことを言う友人に、しょうがないな、と心の中でつぶやきます。
「そんなことを言っていると、本当にアリアンを奪われるかもしれないぞ。なにしろ、陛下がユギル殿にアリアンと結婚してはどうだ、とお勧めになったというからな」
キースはまた枝の上で跳ね起きました。勢い余って枝から手が外れて、木から転落します。
「おい――!」
焦るトウガリの目の前で、キースは猫のように身をひるがえして着地しました。地面にしゃがみ込んだ格好で言います。
「陛下がなんておっしゃったって?」
にらむように見上げてきた目が血の色に変わっていました。口の端からは牙の先がのぞいています。
トウガリは思わずぞっとしましたが、すぐに溜息と一緒にキースの頭を押さえつけました。その手にも伸びかけた角の先が触れますが、気がつかないふりをして言います。
「安心しろ。ユギル殿のほうで、結婚するつもりはまったくない、と言って憤慨して立ち去ったそうだ。だがな、そんなに彼女を渡したくないと思っているなら、はっきり彼女にそう言ってやればいいだろう。彼女のほうだっておまえのことが好きなんだ。それは気がついているんだろう?」
キースはトウガリの手を払いのけて立ち上がりました。その時にはもう牙は消え、瞳も青に戻っていました。
「彼女は確かにとてもかわいいよ。でも、彼女は闇の民だ。ぼくは闇の民を愛することはできないのさ」
「自分も半分闇の民のくせにか? だから人間の女性にばかり声をかけてるってわけか?」
「そうさ。人間のご婦人はいいよ。とてもいい匂いがするし綺麗だし。闇の匂いなんてまったくしないからな。ぼくは伴侶を見つけるなら人間の女性からと決めているんだ。最高の女性に巡り会いたいから、いろんな人に声をかけて探しているんだよ」
「嘘をつけ」
とトウガリは一蹴(いっしゅう)しました。
「どんな女性とも一度しか付き合おうとしない奴が何を言う。しかも、せいぜいお茶を一緒にするか遠乗りに出かける程度で、どんなに進んでも関係はキス止まり。後は適当な理由をこじつけて別れている。まあ、そんなだから、派手に遊んでいても変な騒ぎは起きてこないんだろうがな。これのどこが伴侶を探している奴の行動だ」
「ぼくのやり方に文句をつけないでくれ。それ以上の関係になりたい女性に、まだ巡り会っていないだけだ」
キースはまた怒った顔つきになり始めていましたが、トウガリはかまわず続けました。
「どう見ても本命の女性がいることを隠している行動だ、と言っているんだ。そんな態度が肝心の彼女を傷つけていることに、気がつかないのか?」
キースは、かっと顔を赤くしました。
「馬鹿なことを言うな! 本命なんているもんか!」
どなるように言うと、その場から立ち去ろうとします。
その後ろ姿にトウガリは言い続けました。
「アリアンに本当の気持ちを言ってやれ、キース。おまえたちはそれができるんだからな」
「ぼくの気持ちを勝手に決めつけるなと言ってるんだ! 君にいったい何がわかる!?」
キースはとうとう本当に腹を立てると、足音も荒々しく中庭から出ていってしまいました。
その後ろ姿を見送って、トウガリはまた溜息をつきました。
「馬鹿が。言えないつらさがわかるからこそ、言ってやってるんだろうが」
痩せた手が道化の服の胸元をそっと押さえました。そこには、生涯想いを口にすることができない、大切な人の絵姿が隠されているのでした――。