その夜、フルートとゼンの部屋にメールとポポロが集まっていると、ルルとポチが飛び込んできました。
「ねえ、アリアンを見かけなかった? ユギルさんでもいいんだけど!」
「ワン、妙な噂を聞いたんですよ!」
彼らはその日、アリアンやユギルには会っていませんでした。
「妙な噂って?」
とフルートが聞き返すと、ポチは答えました。
「ワン、城内のあちこちで貴族や召使いたちが集まって、ひそひそ噂話してるから、変だと思ってルルと一緒にこっそり聞きに行ったんですよ」
「そしたら、アリアンとユギルさんがバルコニーで抱き合ってたっていうのよ! ユギルさんの意中の相手はアリアンだったんだって、ものすごい噂になっているの!」
二匹の話に、えぇ!? とフルートたちは目を丸くしました。
「だって、アリアンはキースが……」
とポポロが言い、メールも身を乗り出しました。
「そうさ! ユギルさんがいくらアリアンを好きになったって、アリアンのほうで承知するわけないよ!」
「でも、ユギルさんはすげぇ男前だぞ。しかも占いはできるし、喧嘩も強いしよ」
とゼンが言ったので、メールは食ってかかりました。
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ! 確かに二人ともものすごく綺麗だし、相手はいないことになってるけどさ、だからって勝手にくっつけちゃダメじゃないか!」
「おい、俺は別に二人がくっついたなんて言ってねえぞ。ただユギルさんだって、ああ見えて男らしいぞ、って言ってるだけだ」
とゼンはむっとします。
「ワン、だから噂になってるんですよ。ユギルさんがいつまでも独り身だから、いつ恋人が現れるだろうって、以前から話題になってたみたいなんです。なんでも、二人がデートしているところにちょっかいを出した貴族がいて、ユギルさんが怒って殴って追い払ったって」
とポチが言ったので、フルートは首をかしげました。
「それ、本当のことかな? こういうことって、いつも尾ひれがついて話が大きくなるんだぞ」
以前、自分自身がメーレーン王女と結婚するのではないか、と噂されたことがあるだけに、フルートは慎重です。
「ワン、そう思ったから、アリアンのところに確かめに行ったんです。でも、部屋にはゾとヨとグーリーがいただけでした」
「しかも、アリアンの居場所を聞いたら、ユギルさんと一緒のはずだ、ってゾとヨが言うのよ!」
仲間たちはまた顔を見合わせてしまいました。時刻はすでに夜の十時を回っています。こんな時間まで二人でいるんだろうか? と考えてしまいます。誰もが心の中に一抹の疑惑を感じたことは否めません。
すると、そこへ扉をたたいてキースが訪ねてきました。思わず緊張したフルートたちに言います。
「こんな時間にごめんよ。アリアンを知らないかな。ご婦人と遠乗りに出かけたら雷雨に立ち往生させられちゃって、さっきようやく戻ってきたところなんだけど、彼女が部屋にいないんだ。時間的に、北の塔での監視の仕事はとっくに終わったはずなんだけれど。グーリーとゾとヨは部屋で喧嘩をしていて、全然話が通じないし」
わけがわからない、と言うように頬をかくキースに、ルルは言いました。
「わ、私たちも知らないわ」
「ワン、ユギルさんの部屋に行ってみたら、もしかしたら――キャン!」
ポチは鋭く振り向いたルルにいきなりかまれて、悲鳴を上げました。何を言ってるのよ!? とにらまれて尻尾を後足の間に入れます。
「どうしたんだい?」
一同の雰囲気がおかしいのでキースが聞き返すと、フルートが答えました。
「ユギルさんのところで占ってもらえば、アリアンの居場所がわかるんじゃないか、ってポチは言いたかったんですよ」
その場しのぎの誤魔化しでしたが、フルートは平然と言ってのけます。
キースは苦笑しました。
「いや、そんな大袈裟な。毎日監視ばかりしてるし、雨が上がったから、きっとどこかで外を見ながら一息入れているんだろう。邪魔して悪かったね。おやすみ」
と部屋から出ていきます。
フルートたちは、わっと一カ所に集まりました。頭を寄せ合って話し合います。
「ね、本当にアリアンがいないでしょう?」
「ワン、いくら噂があてにならないって言ったって、火のないところに煙はたたないわけだし」
「アリアンは本当にユギルさんのところに行っているの? そんなまさか……」
「うぅん。確かにユギルさんは優しくて礼儀正しいし、キースみたいに浮気者じゃないしねぇ。これは、ひょっとしたら本当にひょっとするかなぁ?」
「なんだよ、メール。さっき俺に勝手に二人をくっつけるなって言ったのは、おまえだろうが」
「だぁってさぁ――!」
騒々しい話し合いが続きます。
一方、キースはまだアリアンを探し続けていました。消灯時間を迎えて、城の内外はかなり暗くなっていましたが、彼は暗がりも平気なので、中庭や庭に面したテラスなどを見て回ります。二階以上のベランダやバルコニーはもう戸締まりされているので、人の姿はありません。
いくら探し回っても見つからないので、さすがにキースも心配になってきました。
「ひょっとして、父上の手の者が城内に忍びこんで連れ去ったんじゃないだろうな……?」
彼らは闇の国からの逃亡者なので、闇王の手下に捕まって連れ戻される可能性があったのです。ロムド城は外部から闇のものが入り込めないように魔法で守られていますが、それでも、もしかしたら、と考えてしまいます。
ただ、彼はアリアンの呼び声を聞いていませんでした。危ないことが起きたら必ず自分を呼ぶように言ってあるのに、その声は聞こえなかったのです。
「大丈夫、彼女は無事だ。そうに決まっている。ただ、どうして部屋に戻ってこないんだろう? ひょっとして、もう戻っているかな?」
自分に言い聞かせるようにひとりごとを言いながら建物に戻ると、廊下の隅でひそひそ話をしている二人の中年女性を見つけました。洗濯物をたたんで運ぶ下女で、その日の仕事を終えて召し使い部屋に戻る途中で立ち話をしていたのです。
キースは彼女たちに声をかけました。
「こんばんは、ちょっと邪魔していいかな?」
「ま、まぁ、キース様!?」
声をかけられた下女たちは飛び上がって驚きました。尋常ではない驚き方だったので、キースのほうも面食らいます。
「ごめんね、びっくりさせてしまったかな。実は妹を探していてね。君たち、どこかで見かけなかったかな?」
下女たちは意味ありげに顔を見合わせました。遠慮しながらもこう答えます。
「キース様、今夜は妹さんをお探しにならないほうがいいと思いますよ……」
「え?」
キースは意味がわからなくて、聞き返してしまいました――。
翌日の早朝、ようやく部屋の外に出ることができたアリアンは、まだ人の少ない通路を小走りに通り抜けて、自分の部屋へ戻っていきました。そのあわてた様子に召使いや下男が振り向き、たちまち噂話を始めますが、それを気にする余裕もありません。ロムド王から貸し与えられている部屋の前まで来ると、初めて立ち止まり、ためらってから扉を開けます。どうかキースがまだ寝ていてくれますように、と願いながら――。
けれども、部屋に入ったとたん出くわしたのは、居間の真ん中で椅子に座り、テーブルに行儀悪く両足を載せたキースの姿でした。腕組みをしてアリアンを見ています。一晩中そうやって彼女を待っていたことは一目瞭然でした。
アリアンがうろたえて立ちつくしてしまうと、キースが口を開きました。
「おかえり。ずいぶんごゆっくりだったな。朝帰りとはね」
その声の冷ややかさに、アリアンはますますうろたえました。実はこんなことがあって……と説明したかったのですが、それさえ聞いてもらえない気がして、声が出なくなります。
すると、キースがまた言いました。
「で、昨夜は誰と一緒だったんだい? ユギルさんか?」
アリアンは思わず、はっとしてしまいました。すぐに、いけない、と気がつきますが、もう手遅れでした。キースの瞳が一瞬赤く燃え上がり、すぐにまた青に戻ります。声に劣らず冷ややかな、突き刺さるようなまなざしです。
あの……とアリアンが必死に話し出そうとすると、キースは椅子から立ち上がりました。
「さぞ疲れただろう。あとはゆっくり休むといい。おやすみ」
皮肉で棘だらけのことばを残して自分の寝室に入っていってしまいます。
バターン、と大きな音を立てて扉が閉まります。
アリアンは立ちすくみ、すぐに我に返って部屋を見回しました。
「ゾ! ヨ! どこにいるの!?」
彼女とユギルを部屋に閉じ込めたのはゾとヨです。二匹の口からキースに説明させようと思ったのですが、部屋に小猿たちの姿は見当たりませんでした。代わりに部屋の隅にいたグーリーが、ピィ、とすまなそうに鳴きました。ゾとヨは、アリアンとユギルが恋人になったと話して、反論するグーリーと大喧嘩になり、怒って部屋を飛び出していってしまったのです。
「そんな……」
とアリアンは呆然としました。
キースの寝室の扉は固く閉じたまま、彼女の前で開こうとはしませんでした。