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第22巻「二人の軍師の戦い」

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6.強引

 アリアンはロムド城の通路を一人で歩いて、中庭に面した二階のバルコニーに出ていきました。

 六月に入って本当によい天気が続いていました。よく手入れされた中庭では薔薇の花が満開で、いたるところで色とりどりの花を咲かせています。遊歩道に沿って薔薇のアーチやトンネルが仕立てられ、噴水や東屋(あずまや)などもあって、うっとりするような眺めなのですが、アリアンの表情は晴れませんでした。ベランダにたたずんで、中庭を見下ろします。

 

 彼女は今日も先ほどまで、北の塔で深緑の魔法使いと一緒に国内外の様子を透視していたのです。特にサータマン国の動向に注意してほしい、とロムド王から言われたので、一日の半分ほどはそちらの警戒に費やしていました。大国の城はたいてい透視防止の魔法を組み込んでいるので、アリアンの鏡でも城の内部まで映すことはできませんでしたが、国内の様子はつぶさに見て取ることができました。サータマン王は国中に兵を募っていましたが、全体の雰囲気はまだ穏やかで、町や村の人々も普段通りに暮らしていました。デビルドラゴンがサータマンに入り込んでいる気配は、今のところ見当たりません。

 監視を始めて一週間が過ぎていたので、深緑の魔法使いがアリアンの体を気遣ってくれました。

「今日の仕事はこのくらいにしておこう。おまえさんも毎日鏡をのぞいて、さぞ疲れたじゃろう。気晴らしにキースと遠乗りにでも出るといい。森では紅ユリが綺麗に咲き出した、とトウガリが言っておったぞ」

 アリアン自身は闇の民なので、この程度の透視で疲れたりはしませんでしたが、魔法使いの老人の配慮が嬉しかったので、素直に監視を切り上げることにしました。言われたとおり、グーリーやゾとヨも誘って遠乗りに出かけようと考え、鏡でキースのいる場所を探して、それを見てしまったのです。

「ユリスナイのように気高く清らかなお嬢さん、あなたに恋い焦がれる哀れなぼくの魂を救っていただけるでしょうか。あなたとお話ししてまだ十五分しかたっていないというのに、ぼくの心はもうあなたを愛しく思う気持ちでいっぱいになってしまったんです。どうかあなたの唇の癒やしを、このぼくに――」

 キースは初めて出会った貴族の娘を、城の裏手で口説いている最中でした。美しいドレスに身を包み髪を結い上げた令嬢は、アリアンと同じくらいの年頃に見えました。歯が浮くような台詞もキースが言うと様(さま)になるので、恥じらいながらも嬉しそうに答えます。

「わたくしには親同士が決めた許嫁(いいなづけ)がいるのですわ、キース様。親の言いつけには逆らえません。ですが、キース様がそれほどおっしゃるのでしたら、今だけは」

「今だけは」

 とキースも繰り返すと、優しくほほえみかけました。端正なその顔をゆっくりと令嬢の顔に近づけていきます。

 アリアンは、はっとして透視をやめようとしましたが、間に合いませんでした。キースと令嬢の唇が触れ合い重なっていく様子を、まともに見てしまいます。キースは両腕を令嬢の体に回しました。強く抱きしめ、唇をさらに深く重ねます――。

 その時ようやく鏡の中の場面が消えました。銀の鏡が、青ざめて今にも泣き出しそうなアリアンの顔を映します。

「どうしたね?」

 とアリアンの気配に深緑の魔法使いが振り向きましたが、アリアンは何も言うことができませんでした。そのまま逃げるように北の塔を抜け出し、中庭を見下ろすバルコニーまでやってきたのです。

 

 美しく咲き乱れる花も、アリアンの目には入りませんでした。しょんぼりとバルコニーの端に立ち、欄干(らんかん)に手を置いてつぶやきます。

「どうしてこんなに動揺するの……。私はあの人の『妹』なのに」

 キースとアリアンは外国から来た貴族の兄妹ということでロムド城に世話になっていました。事情を知る周囲の人たちは、アリアンを妹ではなく恋人と言ったほうがいい、と何度も勧めてきたのですが、キースは絶対にうんとは言いませんでした。

「ぼくたちはそんな関係じゃないよ。それなのに恋人ということにしてしまったら、かえっておかしな誤解を招くじゃないか。彼女はぼくと一緒に闇の国から逃げてきた仲間だ。妹のように大切な友人だけれど、それ以上のものではないんだからさ」

 キースがそんなふうに言ったときにも、アリアンは黙ったままうつむいていました。キースがそうしたいのならばそれでいい、と思ったのですが、胸が痛みました。ひどく淋しくて哀しい気持ちに襲われて、何も言えなくなったのです。

 今もアリアンの胸は見えない棘(とげ)が深く刺さったように痛み続けていました。私はキースの「妹」なのだから、と自分自身に言い聞かせても、胸の痛みは去りません。どうして私は闇の娘なのかしら……と何万回も繰り返したことばを、また心の中でつぶやいてしまいます。

 そよ風が吹いて、アリアンの長い髪を揺らしました。キースの魔法でも変えることができない黒髪は、彼女が闇の民であることの証拠です――。

 

 ところが、そんな彼女を中庭から見上げている人物がいました。最新流行の服に身を包んだ貴族の青年です。

「珍しい。あれはめったに人前に姿を見せない異国の姫君だぞ。噂通り、実に美しい人だな」

 薔薇のアーチに姿を隠しながら、青年はベランダにたたずむアリアンを眺めました。ついでに彼女の兄に最近手痛い目に遭わされてばかりいることを思い出します。

 以前は彼がロムド城きっての色男だったので、美しい貴婦人や令嬢に片端から声をかけては、手練手管で口説き落として甘いひとときを過ごしていました。ところが、この異国の兄妹がロムド城に来てからは、彼が女性に声をかけても、つれなくふられることが多くなったのです。

「ずいぶんしつこくなさいますのね。やめてくださいな。この前お話ししたキース様は、もっと上品で紳士的でしたわよ」

 女性たちが口を揃えたようにそんなことを言うので、そのたびに彼は地団駄(じだんだ)を踏みました。そして、いつかチャンスがあればキースに目にものを見せてやろう、と密かに考えていたのです。

「彼女を落とすことができたら、他の連中はさぞ驚いてうらやましがるだろうな。それに、彼女の兄貴は妹をずいぶん大切にしているという話だったから、それを奪ってみせたら、きっとあいつはひどく悔しがるぞ。一石二鳥ってわけだ」

 そんなことを考えてにんまりすると城に入り、アリアンがいるバルコニーへ急ぎます。

 

「こんにちは。とても良いお天気ですね、お嬢さん」

急にそんなふうに声をかけられて、アリアンは我に返りました。見知らぬ青年がいやに親しそうに笑いかけてくるので、とまどってしまいます。

「先ほどから何をご覧だったのですか? そんなに美しい顔を曇らせて。ぼくは先ほどから中庭であなたの姿を見守っておりました。きっと胸の内に大きな悩みを抱えていらっしゃるのでしょうね。よければそれをぼくにお聞かせください。悩みを分かち合うことができれば、きっとその悲しみも分かち合って軽くすることができるでしょう」

 青年はとても美しかったし、いかにも親切そうでしたが、下心は見え見えでした。アリアンはすぐに首を振り返しました。

「いいえ、何も悩んでなどおりません。ご親切にありがとうございます。私は部屋に戻りますので……」

 彼女は急いでバルコニーから建物の中に戻ろうとしましたが、青年はその手をつかんで引き留めました。

「待ってください。ここでこうしてお目にかかったのも何かのご縁。ぜひお話をさせてください。ああ、その前にあなたのお名前をお聞かせください。エスタ国王妃の遠縁に当たられると聞いていましたが、エスタ国のどちらからおいでになったのですか? ぼくの友人にエスタに移り住んだ者がいるのですよ――」

 アリアンは返事に窮しました。エスタに知人がいるのだとしたら、適当な地名を言って誤魔化しては、かえって怪しまれるかもしれません。急ぎますので、と振り切ろうとしますが、青年は彼女の手を握ったまま放そうとしませんでした。アリアンが後ずさると、前に出てきて、とうとうベランダの端に彼女を追い詰めてしまいます。

「ぜひお名前を、美しいお嬢さん」

 と青年が迫ってきたので、アリアンは顔をそむけました。それでも青年は顔を近づけてきます。

 

 キース! とアリアンは助けを呼ぼうとしました。これまでにも彼女に言い寄ってきた男たちは何人もいたのですが、呼べばすぐにキースが飛んできて、彼女を助け出してくれたのです。どこにいても、キースには彼女の声が聞こえるようでした。どんなときでも、いつも必ず来てくれたのです――。

 けれども、そのとたん、彼女は先ほど鏡で見た場面を思い出してしまいました。美しい貴族の令嬢を抱きしめてキスをしているキースの姿です。喉元まで出かかっていた名前が消えていってしまいます。

 アリアンが急に抵抗するのをやめたので、青年は自分の求愛が受け入れてもらえたのだと思い込みました。歓声を上げてアリアンを強く抱きしめます。アリアンはすぐに我に返りましたが、その時にはもう、すっかり青年に抱きすくめられていました。抵抗しようとしても、彼女の力では押し返すことができません。

「やめて……やめてください……!」

 必死で叫びますが、強気の青年は聞き入れませんでした。

「そんなに恥ずかしがらないで、美しい人。大丈夫、ぼくは怖い男じゃありませんよ。あなたを敬愛してやまない、あなたの信者なんです」

 青年はアリアンの顎に手をかけて顔を上向かせました。唇が唇に迫ってきます。

 それがまたアリアンの脳裏に先ほどの場面を呼び起こしました。キースが令嬢を強く抱きしめ、深いキスをします。

「いや! いや……!!」

 アリアンは思わず叫びました。目の前の青年に対して言ったことばか、頭の中のキースと令嬢に向かって言ったことなのか、自分でも区別がつきません。胸の中が激しく乱れ、悲しみと恐怖と孤独が嵐のように荒れ狂います。それなのに、青年はまだアリアンに迫っていました。唇に唇が触れそうになります。

「いや、やめて!!!」

 アリアンが叫んだとたん、額の真ん中が焼けるように熱くなりました。鋭いものが飛び出してくるのが感じられます。それは角でした。闇の民の角が、彼女の額に現れてきたのです。

 アリアンはぎょっと目を開け、目をつぶってキスをしようとする青年の顔を必死で押しのけました。顔をそむけて角を見られないようにしますが、青年をふりほどくことはできません――。

 

 すると、彼らの後ろから男の声がしました。

「お待たせしました、アリアン。遅くなってしまって申し訳ありません」

 貴族の青年はかっとなって振り向きました。話しかけてきた声が丁寧だったので、城の召使いが邪魔をしたのだと思ったのです。あっちへ行け! とどなりつけようとします。

 ところが、そこに立っていたのは召使いではなく、灰色の長衣を来た長身の青年でした。彫りの深い顔は整っていて浅黒く、輝く長い銀髪が肩から背中へと流れています。

 貴族の青年は、ぽかんとしました。どんな下々の者であっても、ロムド城の中でこの人物を知らない人間はいません。

「ユ……ユギル殿……」

 とあえぐように言い、城の一番占者がなんでこんな場所に? と考えます。銀髪の占者はいつも城の奥まった場所で暮らしていて、めったに人前に姿を現さないのです。

 すると、ユギルはいきなり青年を押しのけました。その腕の中からアリアンを奪い取ると、胸の中に抱きしめて言います。

「もう大丈夫ですよ、アリアン。わたくしです。安心して下さい」

 角が伸びかけたアリアンの顔が、ユギルの胸と長衣のひだの中に隠れます。

 あっけにとられて立ちすくむ青年に、ユギルは言いました。

「わたくしが待ち合わせに遅れてしまったので、退屈していた彼女の話し相手になってくださったようでございますね。まことに感謝いたします」

 ことばづかいは丁寧でも、声には冷ややかな怒りがありました。占者の色違いの目は、刺すように彼を見つめています。

 青年は震え上がりました。

「も、申し訳ありません。ま、まさか彼女がユギル殿の恋人だったとは全然――あ、い、いや、失礼いたしました――!」

 ユギルがもう一度にらみつけてきたので、青年は真っ青になって逃げ出しました。途中で飾ってあった花器につまずいてひっくり返り、続いて彫刻にもぶつかって、騒々しい音を立てながら城を飛び出していきます。

 その騒ぎに人々が集まってきて、バルコニーで抱き合うユギルとアリアンの姿に仰天しました。アリアンは占者の胸に顔を埋めたままです。

 さらに人が集まってきそうな気配に、ユギルが言いました。

「人目につかない場所へ移動しましょう。こちらへ、アリアン」

 と彼女を抱きしめたまま人を押しのけてバルコニーから屋内に戻り、通路に面した一室に入っていってしまいます。人々はわっとそちらへ移動しました。中の二人のやりとりに聞き耳を立てます。

 そこへ城の衛兵が駆けつけてきました。

「こんなところでいったい何をしている!? 散れ、散れ!」

 と野次馬を追い払ってしまいます。

 やがて衛兵も立ち去り、バルコニーに面した通路には人影がなくなります。

 

 すると、中庭から建物の外側の柱を伝って、ぴょんと二匹の生き物がバルコニーに飛び込んできました。赤毛の小猿の姿をしたゾとヨです。誰もいなくなった通路を見ながら、頭を寄せて話し出します。

「オレたち、アリアンが困ってたから助けようと思ったんだゾ」

「うん。だけど、ユギルさんがアリアンを助けてくれたヨ。それにアリアンのことを抱きしめたヨ。きっとユギルさんはアリアンが好きだったんだヨ」

「うんうん、オレもそう思ったゾ。ユギルさんはアリアンのことを愛していたんだゾ」

 どう見てもアリアンを救うためにユギルが芝居を打っただけの状況だったのですが、ゾとヨはそんなふうに誤解をしました。二人が人目を避けて逃げ込んだ部屋を見て、また相談します。

「ユギルさんとアリアンを二人きりにしてあげるのがいいと思うゾ。そうすれば、二人はもっと仲良くなれるゾ」

「二人きりに? でも、そんなことをしたら、きっと後でキースが怒るヨ? キースはアリアンが男の人と一緒にいると、いつも怒るんだヨ」

「いつも綺麗な女の人と一緒にいて、アリアンを悲しがらせてるのはキースだゾ! それに、オレたちは前にユギルさんのほうを応援しよう、って話し合ったんだゾ! ヨは忘れたのか!?」

「そうだ、そうだったヨ! オレも思い出したヨ! だけど、どうやって二人きりにしてあげるんだヨ? このへんはみんなが使う部屋だから、そのうちに他の人が部屋に来るかもしれないヨ?」

「頭と尻尾を使うんだゾ。オレたちはどんなところのお宝も盗ってこられるゴブリンなんだから」

「意味がわからないヨ?」

 きょとんとするヨに、ゾは自分の長い尻尾を見せました。

「オレを肩車するんだゾ。そしたら、オレはこれで扉に鍵をかけるゾ」

 ゾは赤毛の猿になっているので、尻尾も短い赤い毛でおおわれていたのですが、その先が急に黒くなって形が変わっていきました。鍵の先端のような形になります。

 ヨは喜んで宙返りしました。

「そうだそうだ! オレたち、鍵がかかってる宝物庫は尻尾で開けるんだったヨ!」

「扉が開けられるなら、扉を閉めることだってできるんだゾ」

 とゾは得意そうに言うと、ユギルたちがいる部屋の扉へ、ヨと一緒に駆け寄りました。ヨの肩の上にぴょいと飛び乗ると、尻尾をうんとのばして鍵穴に差し込みます。

 カシャカシャ……カシャン。

 かすかな音を立てて、扉に鍵がかかりました。

「やったヨ、うまくいったヨ!」

「これで二人は仲良しだゾ!」

 ゾとヨは口々に言いながら、その場から走って逃げていきました――。 

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