先発を務めているワルラ将軍の部隊は、フルートの指示で第一陣と第二陣に分かれていました。第一陣の半数はセイロス軍の捕虜になったので、解放された今もまだザカラス城の中にいますが、残りの半分はワルラ将軍と共にいました。およそ五百名の歩兵部隊です。
そこへ、城のフルートから二回目の合図が上がり、さらに南の地点で待機していた第二陣が動き出しました。こちらはおよそ二千名の部隊で、騎兵も大勢います。それが森から飛び出してきて、街道の行く手をふさぎました。銀の鎧兜が傾いた日差しを反射して、森の手前に銀色の壁が出現したように見えます。
セイロスは舌打ちしました。
「まだこんなにいたのか――。森に隠していたな」
新手をまた闇の魔法で吹き飛ばそうとしますが、それより早く、第二陣が矢を射かけてきました。降り注いでくる矢の雨に当たって、二、三人の島の戦士が馬から落ち、それを見て他の者たちもたじろぎます。
「恐れるな! こんな矢は当たらん!」
セイロスが言ったとたん、ごうごうと風が吹き出し、青い麦畑が波打ち始めました。矢が風に流されて届かなくなります。
すると、今度は彼らの後方で声が上がりました。第一陣が態勢を整えて追いかけてきたのです。先頭を駆けているのは、濃紺の鎧兜のワルラ将軍です。
このままでは挟み撃ちにされる、と見取ったセイロスは、すぐに馬の頭を南西へ向けました。森と小高い丘との間に別な道があったのです。
「こっちだ! ついてこい!」
と部下たちに呼びかけながら疾走します。
島の戦士たちは馬の首に体を伏せ、手綱を握りしめて、それについていきました。その後ろを歩兵たちも全力で走りますが、たちまち引き離され始めます。
「セイロス、歩兵が遅れているぞ!」
とギーが呼びかけましたが、セイロスは返事をしませんでした。ぐずぐずしていれば、前方と後方の敵に挟まれて身動きできなくなるのですから、歩兵を待つわけにはいかなかったのです。丘と森の間の道を抜けて、危険な場所から脱出しようとします。
すると、丘の上からまた声がして、蹄の音が聞こえてきました。今度は丘の上から迫ってきます。
「まだ隠れているな!?」
セイロスが叫んだとたん、ばちっと音がして青と黒の火花が散り、馬に乗った戦士の一群が現れました。やはりロムド軍の防具を着ていますが、こちらは人数がずっと少なく、わずか三十名ほどしかいません。ただ、その先頭になって斜面を駆け下ってくるのは、いぶし銀の色の鎧兜を着た戦士でした。白い鎧兜で身を包んだ細身の戦士が、その横にぴったりと並んでいます。
「何者だ!?」
とセイロスはどなりました。三十名が完全に丘を駆け下り、彼らの行く手に立ちふさがります。
いぶし銀の鎧の戦士が、短く笑って面おおいを引き上げました。男らしく整った青年の顔が現れて言います。
「私を誰だと尋ねるのか、デビルドラゴン。この世に戻ってきた際に、記憶をどこかに置き忘れてきたようだな?」
セイロスはすぐには返事をせず、目を細めてじっと青年を見つめました。やがて、うなるように言います。
「貴様はロムド皇太子か。いつの間にここに来ていたのだ」
「我々はずっと前からここに潜伏して、ザカラス城での貴様たちの行動を見張っていた。だが、貴様たちが城を逃げ出せば、その任務も終了だ。遠慮なく参戦させてもらうことにしたのだ」
とオリバンは言って、腰の剣を抜きました。闇のものを倒す力がある、聖なる剣です。
ふん、とセイロスは笑いました。
「そんなもので私が倒せると思っているのか、愚か者め」
とたんに、今度はオリバンを黒い魔法が襲いました。至近距離からなので、まともにくらえば体がばらばらに吹き飛ぶ勢いです。
けれども、それはオリバンに命中する前に四散しました。オリバンの横に馬にまたがった大男が姿を現します。こぶだらけの杖を握った青の魔法使いです。
「貴様もいたのか。ロムド城の魔法使いめ」
とセイロスがまたうなると、オリバンを挟んで反対側にいた白い戦士が口を開きました。女性の声で言います。
「私もいるぞ、デビルドラゴン! ――と言っても、貴様は私のことも忘れているようだから、名乗ってやろう。メイ国王女でロムドの未来の皇太子妃の、セシル・ガダルフィニだ! 貴様は私を忘れていても、私は貴様が故国メイにしでかしたことを生涯忘れはしないぞ!」
セシルも兜の面おおいを引き上げました。燃えるようなすみれ色の目で、セイロスをにらみつけます。
「くだらん」
とセイロスが言ったとたん、オリバンたちへまた大量の魔弾が飛びました。とっさに青の魔法使いが障壁を張ったので、魔法は黒い火花になって飛び散ります。
その間に、セイロスは部下に出発の合図を送りました。魔法の大量攻撃で動けなくなったオリバンたちを尻目に、丘の麓の道から脱出していこうとします。
すると、セシルが叫びました。
「出てこい、管狐(くだぎつね)!」
たちまち巨大な灰色狐が現れて、道の上に下り立ちました。低く身構えて、セイロスたちの行く手をふさぎます。
島の戦士たちがたじろぎ、セイロスが魔法で管狐を吹き飛ばそうとすると、それより早く、狐は大きく飛び上がって、セイロス軍の中に飛び込んでいきました。馬に乗っていた島の戦士たちを蹴飛ばし、くわえて投げ飛ばして、大暴れを始めます。
「私たちも行くぞ!」
魔弾の雨がやんだので、セシルとロムド兵たちは剣を抜いて突撃していきました。ずっと丘の上から見張るだけの役目だったので、溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らすように戦い始めます。
「貴様の相手は私だ、デビルドラゴン」
とオリバンは聖なる剣を構えて馬を走らせました。駆け寄りざま切りつけますが、剣は相手の体を素通りしてしまいました。セイロスは無傷です。
「無駄だ、と言ったはずだ。そんな武器で私を倒すことはできん」
とセイロスは言って、自分の剣でオリバンに切りつけました。オリバンは左手で自分の大剣を抜き、かろうじて攻撃を防ぎます。
すると、またセイロスから魔弾が飛びました。オリバンを直撃しそうになりますが、青い壁が広がって魔弾を砕きます。
「殿下にはこの青の魔法使いがついておりますぞ!」
と杖を構えた大男が、馬上からどなります。
そこへ、後方からはワルラ将軍の第一陣が、左前方からは第二陣が、ほとんど同時にセイロス軍に襲いかかりました。たちまち激しい戦闘が始まります――。
オリバンは再びセイロスへ切りつけました。愛用の大剣が闇色の剣と音を立ててぶつかります。そのまま二人は斬り合いを始めました。相手の隙を見つけて剣を打ち込みますが、体に届く前に互いの剣で防がれてしまいます。ガギン、ガン、ガン……激しい音が続きます。
ガィン。
二人はひときわ強く剣を打ち込み、動けなくなりました。合わせた剣で押し合いを始めますが、二人の力がほぼ互角なので、相手を押し切ることができません。前へ進めなくなった馬が、二人を中心に旋回を始めます。
「いい腕前だ――貴様が初代の金の石の勇者だったというのは、確かなようだな」
とオリバンが言うと、セイロスは、ふんとまた鼻で笑いました。
「私より弱い者に賞賛されたところで、何も感じぬ。さっさと私の前からどけ」
とたんにセイロスの体から、ごぅっと風がわき起こりました。オリバンの馬が風にあおられて後ずさります。そこへセイロスが切り込みました。オリバンの頭を兜ごとはね飛ばそうとします。
けれども、その剣はまた光の壁に止められてしまいました。青の魔法使いの防御です。さらに光の攻撃魔法が飛んできたので、今度はセイロスが後ずさります。
その時、武僧の魔法使いが突然、おっと声を上げ、ひげ面を歪めて振り向きました。いつの間にかギーが馬で忍び寄ってきて、背後から彼を突き刺したのです。青い長衣の背中にはギーの剣が突き刺さっています。
「青の魔法使い!」
とオリバンは叫び、セイロスが斬りかかってきたので、あわててそれを受け止めました。また激しい打ち合いが始まります。
青の魔法使いは顔をしかめたまま言いました。
「どうもいかんですな。攻撃に夢中になると守備を忘れるのが悪い癖だ、と白に何度も注意されてきたというのに。これではまた白に叱られてしまう……」
ギーはいっそう深く剣を突き刺しながら叫びました。
「今のうちにそいつを倒せ、セイロス! この魔法使いは俺が――」
けれども、剣がひとりでに魔法使いの背中から戻り始めたので、ギーは目を見張りました。いくら力を込めて押さえても、ぐいぐい押し返されてきて、やがてぽろりと抜け落ちます。青い衣に血の痕は残っていますが、傷は消えてしまっています。
「やれやれ」
と魔法使いは顎ひげをかきながら振り向きました。ちょっと杖を動かすと、ギーは吹き飛ばされて落馬します。
セイロスは舌打ちしました。とたんにギーの体を黒い光が包み、宙に浮いて馬の背に戻っていきます。オリバンを攻撃する好機だったのですが、そちらではなくギーを助けるほうに魔法を使ったのです。
「セイロス……」
ギーが感激した顔になります。
戦場になった麦畑では、いたるところで戦いが起きていました。最前列では見張り部隊だったオリバンやロムド兵がセイロス軍の足を止め、ワルラ隊の第二陣と第一陣がセイロス軍の前後から襲いかかっているのです。完全な挟み撃ちでした。しかも、新手が加わったワルラの部隊は、今ではセイロス軍とほぼ同じ規模の人数になっていました。操り兵たちは、恐れる様子もなく戦い続けていますが、角の兜をかぶった島の戦士には、敵から逃げ回って右往左往する者が少なくありません。
セイロスはギーに言いました。
「ばらばらでいては敵にやられるだけだ。結集の角笛を吹け!」
命じるとすぐに馬を走らせて、丘の麓へ向かいます。オリバンたちと距離をとったのです。
ギーは即座に黒い角笛を取り出して吹きました。驚くほど大きな音が結集の合図を知らせると、戦場に散開し始めていたセイロス軍が再び集まってきました。セイロスを最後方に、歩兵が中央を固め、その両脇に騎兵が集合していきます――。
「殿下」
第一陣と共に後方から攻めていたワルラ将軍が、馬を走らせてオリバンの元へ駆けつけてきました。赤の魔法使いとザカラス城のドラティ宰相も一緒です。
「セイロス軍がたちまち隊列を整えてしまいましたな。敵ながら、あっぱれな統率力だ」
とワルラ将軍は言いましたが、そう言う将軍の後ろでもロムド兵が結集して、隊列を整えていました。こちらは歩兵部隊の後ろに騎馬隊が整列する編成です。
「敵はこちらとほぼ同数――いや、向こうのほうがいくらか多い。正面からぶつかれば、双方にかなりの被害が出るだろう」
とオリバンが言っているところへ、セシルも馬で駆けつけてきました。片手で手綱を操り、もう一方の手に血に染まったレイピアを握る姿は、勇ましいことこのうえありません。
「敵の編隊を崩さなくては! 管狐を飛び込ませるか!?」
とセシルが言ったので、青の魔法使いは首を振りました。
「いや、それは危険でしょう。敵の集中攻撃を受けることになるし、セイロスの魔法攻撃も来るかもしれない。私の防御が間に合わなかったら大変です」
「しかも、敵の主力は操り兵だ。死ぬことも恐れない連中だから、非常に手ごわい。さて、どうやって切り崩したものか……」
とワルラ将軍は考え込みました。戦争のベテランの将軍にも、なかなか難しい状況だったのです。彼らはセイロス軍の前に展開する形をとって、行く手をふさいでいましたが、じきに、敵が操り兵を前面に出して強行突破しようとすることは、間違いありませんでした。
すると、北側の森が急に風にざわめき始め、揺れる梢の向こうから風の獣が飛び出してきました。敵の頭上を飛び越えて、オリバンたちの近くに舞い降ります。
乗っていたのはフルートでした。ポチの背から飛び降りると、オリバンたちへ駆け寄りながら言います。
「ワルラ将軍、騎馬隊へ命令を! 攻撃する先は敵の両翼にいる騎馬隊です――!」