形勢は一気に逆転していました。
フルートは何百という操り兵に襲われて金の石も奪われていたのに、ポポロが床伝いに光を流したとたん、操り兵が全員正気を取り戻したのです。それは地下室の中だけの出来事ではありませんでした。ポポロの強力な魔法は、床から壁や柱を伝って上の階へと広がり、城内のすべての操り兵から服従の虫を消滅させてしまったのです。
正気に返った操り兵が武器を手に逆襲を始めている! というギーの報告に、セイロスは顔色を変えました。この城に彼の兵は三万一千名あまりいましたが、そのうちの三万は操り兵だったからです。それが正気に返ったとすれば、彼の兵はアマリル島から率いてきた戦士たちだけに戻ったことになります。当初は千二百名いた島の戦士も、連戦の間に少しずつ数が減って、今では千百名ほどしかいないはずでした。
「おまえたちの負けだ、セイロス! あきらめて降伏しろ!」
とフルートは言いました。炎の剣は構えたままです。
すると、セイロスの顔から急に悔しそうな表情が消えました。足下まで長く伸びていた黒髪が、音もなく元の長さに戻っていきます。
はっと反射的にフルートが身構えたとたん、天井から部屋全体へ魔弾が降ってきました。土砂降りの雨のように、黒い魔法が地下室をくまなく打ち据えます。そこにはフルートたちや正気に返った人々だけでなく、島の戦士たちもいました。セイロスは大切な部下たちまで魔法攻撃の巻き添えにしたのです。轟音が地下室に響き渡ります。
けれども、魔弾の雨がやみ、轟音の反響が消えていくと、地下室にまた人々が現れました。多くの人が反射的に頭を抱えて伏せていましたが、誰一人として怪我をした者はありません。その中央に立ってペンダントを掲げていたのはフルートでした。横ではメールが身をかがめて、ぜいぜいとあえいでいます。
「もうっ……間に大勢いるから、間に合わないかと思ったじゃないか……!」
彼女は、人々をかき分け乗り越えて、やっとのことでフルートにペンダントを届けたのです。
金の石が放つ光が部屋全体をおおい、その下の人々を魔法攻撃から守っていました。その中には島の戦士たちも混じっています。ロムド兵と戦って負傷した者も多かったのですが、金の光に照らされたとたん怪我がすっかり治ってしまったので、びっくりしています。
セイロスは舌打ちしました。もう一度、先より強力な魔法攻撃を下そうとしますが、フルートの背後に赤いドレスの精霊が現れたのを見ると、作戦を変更します。
「アマリル島の戦士たち、そいつからペンダントを取り上げろ! そいつさえ殺せば敵は総崩れになる! そいつを倒すのだ!」
セイロスがフルートを指さしたので、仲間たちはフルートに駆け寄りました。ゼン、メール、ポポロ、ポチとルル――少し離れた場所でシン・ウェイとリリーナも呪符や杖を構えます。フルートは部屋の人々を守るためにペンダントを掲げ続けていました。そんな彼を守るために、仲間たちが身構えます。
ところが、島の戦士たちはフルートに攻撃しようとはしませんでした。もう怪我をしている者はありませんが、とまどったように立ちつくして、仲間の戦士たちと顔を見合わせています。
セイロスはいらだって、また言いました。
「何をぐずぐずしている!? 早くそいつから石を取り上げろ! 私の命令が聞こえないのか!?」
怒る声でしたが、それでも島の戦士たちは動きませんでした。やがて、一人がセイロスへ聞き返します。
「俺たちがあいつからペンダントを取り上げたら、あんたはどうするつもりなんだ、大将? あれがなくなったら、きっと俺たちを守ってるこの金色の天井も消えるんだろう。そうしたら、あんたは何をするつもりだ? さっきみたいに、俺たちもろとも、魔法で全員を殺そうとするんじゃないのか――?」
島の戦士たちは疑う目でセイロスを見ていました。大将が自分たちを見殺しにしようとしたので、命令に従う気持ちを失ったのです。そこへロムド兵が駆けつけて取り囲むと、彼らは抵抗もせずに武器を投げ捨ててしまいました。
「やめだやめだ! 俺たちはもう戦わないぞ!」
「そうだ、降参だ! もう、あんな奴のために戦うもんか!」
「あいつは俺たちをただ、使い捨ての戦争の道具としか思っていなかったんだからな!」
島の戦士たちは次々に投降して、自分からロムド兵に捕まっていきます。
この成り行きに、セイロスは歯ぎしりをしました。
「軟弱な奴らめ!」
とののしると、再び大量の魔弾を降らせます。黒い魔法は金の光を激しく打ちますが、願い石の精霊がまたフルートの肩をつかんだので、守りの光が破られることはありませんでした。やがて、力尽きたように攻撃がやんでいきます――。
ところが、攻撃が収まった地下室から、セイロスの姿が消えていました。フルートたちが驚いて周囲を見回していると、ポポロが出口を指さして言います。
「さっき知らせに来た人もいなくなってるわ! 魔法で脱出したのよ!」
セイロスと共にギーも消えていたのです。
どこへ……とあわてる人々の中で、フルートとトーマ王子が真っ先にその行く先に気がつきました。
「アイル王のところだ!」
「奴は父上を盾にして逃げるつもりなんだ!」
ザカラス兵やザカリア市民は、それを聞いて飛び上がりました。
「陛下を人質にされてなるものか!」
「国王陛下を守らなければ!」
「急げ――!」
大勢がいっせいに出口へ駆け出したので、地下室の中に大きな動きが生まれました。部屋が混乱してきたので、捕虜がどさくさに紛れて逃げ出さないよう、ロムド兵は島の戦士と部屋の端へ移動します。
「俺たちも早く行かねえと!」
「アイル王を人質に連れてかれたら、後々やっかいだよ!」
ゼンとメールも駆け出そうとしましたが、フルートはそれを引き留めました。
「待て、そこからじゃ間に合わない――!」
トーマ王子も言いました。
「そうだ! そっちを行ったら、時間がかかりすぎてセイロスに父上を連れていかれる! ぼくたちはこっちからだ!」
王子が振り向いたのは地下室の奥の石壁でした。一見なんの変哲(へんてつ)もないように見える壁ですが、彼らはそこに隠された秘密の出入り口から地下室にやってきたのです。出入り口の扉を開けることができるのは、ザカラス王族のトーマ王子だけです。
フルートは混雑する地下室を素早く見渡し、人々がこちらをほとんど見ていないことを確かめると、うなずいて言いました。
「よし、行くぞ。中に入ったらポチとルルは変身。全速力でアイル王のところへ駆けつける――」
トーマ王子が壁に手を触れると、そこに扉が現れてひとりでに開きました。王子が伸ばした手に仲間たちが次々とつながり、出入り口をくぐります。
全員が扉の奥に消えると、扉はまた音もなく石壁に戻っていきました。
「おや?」
何かの拍子に奥を見たロムド兵は、金の石の勇者の一行が姿を消していることに気がついて驚きました。周囲を見回し、近くにいたジャックに尋ねます。
「おい、勇者たちはいったいどこにいったんだ?」
もちろん、ジャックにも彼らの行き先はわかりません。けれども、ジャックはすぐに上を示してみせました。
「あいつらのことです。一番助けを必要としてる場所に飛んでいったんですよ」
と確信を込めて言い切ります。
地下室ではまだ混乱が続いていました。ザカラス兵やザカリア市民がアイル王を助けに駆けつけようとしているのですが、出口の階段が狭いので、一度に大勢は上れなくて、大混雑が起きているのです。
奥の壁の向こうで、ごぅっと風の音がして上方へ遠ざかっていきましたが、それに気づいた者はいませんでした――。