目の前にフルートとゼンが飛び降りてきたので、セイロスは闇色に輝く剣を握りました。闇の魔力を持つ武器です。対抗するフルートは炎の剣を握っていました。ゼンは武器は持っていませんが、熊も殴り殺す手を拳にして構えています。
彼らが対峙(たいじ)している間にも、ロムド兵は結界の中から次々と逃げ出していました。結界を壊したのはシン・ウェイとリリーナと赤の魔法使いです。誰か一人の魔法ではセイロスの魔力に対抗できないので、神官見習いであるリリーナが赤の魔法使いと共に結界を破り、シン・ウェイがすかさず呪符で穴を固定して、結界が再び閉じないようにしていました。見えない壁に空けられた穴は、大きな光の輪がそそり立っているように見えます。
そこへセイロス軍の兵士が剣を振りかざして押し寄せてきました。ロムド兵も剣を抜いて応戦したので、刃のぶつかり合う音が響き始めます。
とたんにフルートが振り向いて叫びました。
「戦うな! 敵には仲間がいる! 傷つけるんじゃない!」
セイロス軍の中には操り兵が少なからず混じっていたのです。
「馬鹿な! この期に及んで、そんなことを気にしていられるか!」
とロムド兵たちがどなり返しますが、黒い鎧兜の操り兵に斬りかかられて、彼らも思わずためらってしまいました。敵の渾身の一撃を止めきれなくてよろめき、後続のロムド兵と共に結界の内側へ押し戻されてしまいます。
「急げ!」
とシン・ウェイが穴のそばで叫んでいました。ユラサイの術はセイロスの闇魔法に邪魔されることはありませんが、魔力の強さがあまりに違いすぎたのです。穴を固定させる呪符がすぐに破られてしまうので、シン・ウェイは次々に新しい呪符を繰り出さなくてはなりませんでした。その残りももうあとわずかになっています。
すると、セイロスがフルートたちから術師の青年へ目を移しました。生意気な、と唇がつぶやきます。
「やめろ!」
フルートはシン・ウェイに目をつけられたことに気づいて飛び出しました。炎の剣でセイロスへ切りつけます。
セイロスは闇の剣でそれを受け止めました。ぎぃんと音が響き渡って、刃の間で赤と黒の火花が散ります。
それと同時に、セイロスの胸のあたりから黒い光が飛び出しました。おなじみの魔弾ですが、セイロスはこれまでの魔王たちと違って、手のひらから撃ち出すしぐさをしません。不意を突かれたフルートは、かわすことができませんでした。金の光がとっさに広がって魔弾を受け止めますが、反動をまともに食らって大きく吹き飛ばされます。
「フルート!」
駆けつけようとしたゼンは、セイロスに斬りかかられて、あわてて飛びのきました。腰に下げていた小さな盾を外して、降ってきた剣を受け止めます。
その間にフルートは立ち上がりました。すぐにまたセイロスへ走り、炎の剣を振り上げます。セイロスからは魔弾が次々飛んできますが、今度はフルートに届かないうちに、金の石が破壊してしまいます。
フルートが切りつけてきたので、セイロスは剣をそちらへ向けました。とたんに、自由になったゼンが回し蹴りを繰り出してきたので、飛びのき、いまいましそうに二人をにらみつけます。
「まったく、強くもないくせにうるさい連中だ。そんなに私の邪魔をしたいか」
「当然だ! 俺たちは世界を守る勇者の一行なんだからな!」
とゼンがすかさず言い返すと、相手は、ふんと冷笑しました。
「世界を守る勇者か。では、おまえたちが大事にする人間どもを守るがいい――。操り兵、結界に入ってロムド兵を切り殺せ!」
セイロスの命令と同時に、操り兵が、おぉお、と返事をしました。鬨(とき)の声と呼ぶにはあまりにうつろな声ですが、彼らの動きは俊敏でした。あっという間に結界の中へ飛び込んでいくと、外に出られずにひしめいていたロムド兵へ斬りかかっていきます。急に殺気をはらみ始めた攻撃に、ロムド兵もたちまち本気の表情になりました。いたるところで剣がぶつかり合い、血しぶきが飛び始めます。
「やめろ!!」
とフルートはセイロスへ叫びました。
「おまえは彼らを自分の兵士にするつもりのはずだ!! それなのに彼らを殺すのか!?」
ふふん、と紫の戦士はまた笑いました。
「やはり、私が彼らを殺さぬと高をくくっていたか。あいにくだったな、フルート。私はどの場所のどの戦いでも、私の兵を手に入れることができる。ここでロムド兵を手に入れなくとも、いずれロムド城に攻め上れば、ロムドの全軍が私の元に下るのだ。わずか五百や千の兵が手に入らなかったとしても、どうということはない」
冷ややかなその口調に、嘘やはったりの響きはありませんでした。セイロスは本気で結界に閉じ込められたロムド兵を皆殺しにするつもりでいるのです。
それと同時に、セイロスから結界の出口へ魔弾が飛びました。大きく弧を描いて、出口を支えるシン・ウェイを直撃しようとします。
「危ない、マフラーさん!」
リリーナが杖を振って光の障壁を張りましたが、魔弾はガラスのように障壁を砕きました。シン・ウェイだけでなくリリーナまで吹き飛ばされ、地面にたたきつけられてしまいます。とたんに結界の出口が閉じました。シン・ウェイの術が敗れたのです。
閉じられた空間の中で、兵士たちが斬り合いを続けていました。市民の格好をした操り兵に至っては、ちっぽけなナイフや鎌で襲いかかって、ロムド兵から返り討ちに遭っています。金属がぶつかり合う音、血しぶき、怒声と悲鳴――結界の中は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の光景に変わろうとしています。
「この野郎……!!」
ゼンが激怒してセイロスに飛びかかろうとすると、フルートはそれを止めました。真っ青な顔で結界の中をにらみながら言います。
「撤退。ここから退く(ひく)ぞ!」
「な――!?」
仰天するゼンに、他の仲間たちの声が重なりました。
「逃げるってのかい、フルート!?」
「ワン、どうしてです!?」
「みんな捕まってるじゃない!」
彼らの頭上を、メールやポポロを乗せた犬たちが飛び回っていたのです。
フルートは首を振り、ゼンの腕をつかんで後ずさりながら言い続けました。
「いいから退くんだ! ぼくたちがここにいたら、みんなが殺される! 撤収だ!」
犬たちはしかたなく空から舞い降りてきました。フルートとゼンを背中に拾い上げると、そのまま後方へ飛び去ります。
先に結界から脱出していたロムド兵たちが、それを見上げていました。彼らは丘陵地帯に散在して、逃げるべきか、捕まっている仲間たちを助けるべきかで迷っていたのですが、フルートが真っ先に逃げて行くのを見て、わめき始めました。
「総司令官が逃げて行くぞ!」
「戦場に俺たちを置いていくのか!?」
「総司令官は俺たちを見捨てたんだ!」
「冗談じゃない! これ以上こんな危ない場所にいられるか――!」
とうとう結界の外にいる兵士は雪崩を打って逃げ出しました。操り兵が追いすがって捕らえようとしますが、逃げ足は速く、たちまち森の中に姿をくらましてしまいます。
ギーは操り兵や島の戦士と共に馬で後を追いましたが、ロムド兵を見つけることができないまま戻ってきました。
「すまん、セイロス。見失った」
その頃にはもう、結界の中の斬り合いは終わりを告げていました。全員が死に絶えたわけではありません。剣はすべて鞘に戻り、槍は地面に直立したまま、どんなに力を込めても動かないので、戦い続けることができなくなっていたのです。傷を負って血を流している者は大勢いますが、命を落とした者はいないようなので、ギーが驚いていると、セイロスは平然と言いました。
「武器を使えなくしたのだ。連中は貴重な人材だからな。生かしておけるなら、それに越したことはない。逃げた連中を無理に追う必要もない。自軍の兵を奪われて、そのまま引っ込んでいるはずはないのだ。いずれ、汚名挽回と意気込んで、もっと大勢で押し寄せてくるだろう。そこを捕まえるだけだ」
ははぁ、とギーは納得しました。
「連中を逃がしたのは、わざとだったのか。よし、そういうことならいつでも来い。この城には味方が三万もいるんだからな。連中なんか一網打尽にしてやる」
ところが、セイロスは急に渋い顔になりました。
「そのためには、もう少し編成を考えなくてはならん。今回の戦闘はあまりに不様(ぶざま)だった。今のような寄せ集めのままでは、作戦も思うように立てられない。そのためにも、こいつらが役に立つだろう」
とたんに丘の上から見えない結界が消えました。結界の片隅に追い詰められていたロムド兵が、支えを失って折り重なるように倒れます。
そこへようやくザカラス城から歩兵部隊が到着しました。総勢四千の大軍です。それを見たとたん、ロムド兵は完全に抵抗をあきらめました。抜けない剣を地面に投げ捨て、両手を挙げて投降(とうこう)します。
「捕虜を城へ連れて行け。地下室に集めて操り兵にするのだ」
とセイロスは命じて、ロムド兵が連行されていく様子を眺めました。その人数はおよそ五百名というところでした。敵の約半数がこちらのものになったのです。
セイロスは敵が逃げていった森へ目を転じました。ギーの言う通り、敵の姿はもうどこにも見当たりません。
「フルートとは必ずまた戦う機会がある。あいつがこれしきのことで救うべき者を見捨てるはずはないからな。だが、ザカラス皇太子を逃したことだけは誤算だった。王と皇太子の首を並べて城門に飾ってやるつもりだったのに。皇太子は恐れをなして、もう前線に出てこないかもしれん。ザカラスを支配するのに、もう一手間かかりそうだな」
それでも、セイロスは自分の優位を疑っていませんでした。彼は難攻不落の要塞の中でザカラス王を人質に取り、着実に兵力を増強しています。次に敵がどんな大軍で押し寄せてきたとしても、それまでに態勢を整えて迎え討ち、ザカラスを手中に収める自信がありました。
金茶色のマントがひるがえり、ゆっくりと舞い降りていくと、そこからはもうセイロスの姿が消えていました。ひと飛びで城の中へ戻っていったのです。
後には、縛り上げた捕虜を城へ連行していく島の戦士たちの声が響いていました――。