ロムドからの軍勢がすぐ近くまで迫ってきたことは、ザカラス城のセイロスにも伝わっていました。偵察に出ていた島の兵士が、駆け戻ってきて報告したからです。
セイロスは城で一番高い北の塔に昇って、見張り台に立ちました。そこから東を見ても、間に森や丘があるので、敵の姿はまだ見えません。ただ、視線をすぐ下に向けると、城の裏手の一段低い場所に練兵場が広がっていて、大勢の兵士が集まっているのが目に入りました。角飾りの兜をかぶった島の戦士と、彼が味方に組み込んできた操り兵です。操り兵はザカラス国やトマン国の兵士、ザカリア市民や街道筋の農民などが入り交じっているので、てんでばらばらの格好をしています。
そこへ、馬に乗った兵士が駆け込んできて、城の側道を抜けて練兵場へ下りていきました。早馬です。兵士たちの前に立つ青いマントの男へ駆け寄っていくのを見て、セイロスは言いました。
「なんの知らせだ、ギー?」
はるか眼下の練兵場で、青いマントの男がセイロスのいる塔を振り仰ぎました。すぐに声が聞こえてきます。
「いよいよ敵がやってきたぞ、セイロス。南東の丘の麓まで来たらしい。人数はおよそ千人。ほとんどが銀の鎧を着ていて、相変わらず嫌そうにこっちに向かって歩いているそうだ」
セイロスは冷笑しました。
「人数は千名のままか。連中は途中で兵力増強できなかったようだな。ザカラスの民は城を棄てるような臆病な王を見捨てたのだ」
「空飛ぶ蛇のような怪物が二匹いて、背中に人を乗せているらしい。軍隊の先頭は子どもの戦士だ」
「風の犬に乗っているのは、金の石の勇者の一行だ。軍を率いているのはザカラス皇太子だな。愚かな連中だ。ザカラス王を見捨てて皇太子を新しい王にすれば、国を取り戻す勢力を結集できたのに、あくまでも今の王にこだわって、自分から死地に向かってくるのだから」
すると、少し考え込むような間があってから、練兵場にいるギーが聞き返してきました。
「連中は何故、そんなにザカラス王にこだわるんだ? こっちは三万、向こうはたった千。どう考えても勝てる戦いじゃないってのに」
「ザカラス王が連中の仲間だからだ」
とセイロスはつまらなそうに答えました。
「金の石の勇者は仲間や弱い者を絶対に見捨てようとしない。金の石の勇者は守りの勇者だからな。例えどんなに敵が強大でも、信念に基づいて立ち向かうのだ。志(こころざし)は立派だが、それが命取りにもなる」
セイロスの声には突き放すような調子がありました。二千年前、自分自身がその金の石の勇者だったことを思い出しているのです。高い塔の上を、乾いた風が吹き抜けていきます。
もしもこの場に幽霊のランジュールが居合わせたら、セイロスにこんな忠告をしたかもしれません。
「勇者くんを甘く見ちゃダメだよぉ。確かに、誰かを守るためならどんな強い敵にも向かってくるけどさぁ、勇者くんはすごく頭がいいんだからねぇ。とんでもない策を立てて、こっちをはめようとするから、用心しなくちゃいけないんだよぉ」
けれども、ここにランジュールはいませんでした。強い魔獣を探してどこかに行ってしまっているのです。セイロスは自分自身が金の石の勇者だった頃の経験で、フルートを判断していました。そして、セイロス自身は策士というより、勇気と力で敵を圧倒する、文字通りの勇者だったのです――。
「出撃はいつだ、セイロス?」
と練兵場からギーがまた尋ねてきました。今回の迎撃部隊の隊長は彼なのです。
「ここから敵が見えてきたらだ。いいか、何度も繰り返すが、敵はできるだけ殺すな。殺していいのは、負けても抵抗して従おうとしない奴だけだ。見せしめに首をはねれば、他の者はおとなしく従うようになる。連中は操り兵の大事な材料だ」
人を人と思っていないことをよく表していることばですが、彼に従ってきた部下たちは、それを当然だと思っていました。
「敵が見えたら知らせてくれ。島の仲間五百と操り兵四千五百で敵を捕まえてくる」
とギーは言いました。圧倒的な戦力差で一網打尽にしようというのです。当初は一万の兵で迎撃する予定でしたが、そこまでの人数は必要がないだろう、と人数は半分になっていました。それでも千人の敵に対して五千人が出動します。
「始めに馬から矢を射かけろ。敵がひるんだら、下馬(げば)していっせいに襲いかかるのだ。敵の中には魔法使いもいるが、それは私が始末してやる。安心して行け」
とセイロスが言ったので、ギーは張り切りました。
「わかった! 言う通りにしよう!」
セイロスを心から信頼しているのです。
さあ、来るがいい、とセイロスは心で言い続けました。彼が世界の覇王(はおう)になることを邪魔しているのは、金の石の勇者の一行と、それを支援する王たちです。今、その王の一人は彼の手の内にあります。勇者たちを粉砕し、ザカラス王を皇太子もろとも公開処刑すれば、世界はセイロスという新しい王の台頭を認めるようになります。他の王たちがどんなに阻止しようと思っても、もう彼を停めることはできなくなるのです――。
「敵発見。街道を南東方向からやってきます」
と塔の上で見張りをしていた兵士が言いました。黒い鎧兜のザカラス正規兵です。操り兵にされているので、報告する声にも表情にも感情らしいものはありません。まるで生きた人形のように、街道筋の遠い森を眺め、そこから出てきた敵を指さしています。
セイロスはうなずき、足下の練兵場へ呼びかけました。
「来たぞ、ギー。出撃しろ」
「了解だ!」
とギーは答え、練兵場の部隊が動き出しました。先頭は青いマントをはおった隊長のギー。その後ろに、馬に乗った戦士が続きます。その数はおよそ千。今回、セイロスは城にいる騎兵のほぼ全員に出動を命じたのです。残る四千は歩兵ですが、人間の足が馬にかなうはずはないので、すぐに引き離されてしまいます。
セイロスは、騎兵部隊が広い通路のような前庭を抜けて正門へ向かう様子を見守りました。内堀に下ろした跳ね橋を越えた先は、麓へ下りる山道です。騎兵たちが一列になってつづら折りの道を駆け下っていきます。
「敵が全員森から出ました。歩兵約千名、騎兵数名。こちらへ向かってきます」
と見張りがまた報告しました。ナズナバ砦で捕まえた操り兵です。報告が的確なところを見ると、砦でも見張りを務めていたのでしょう。
セイロスは腕組みをして地上を眺め続けました。以前は闇の鳥を上空に飛ばして自分の目の代わりにしていたのですが、鳥は北のトマン国を襲撃した際に、敵の魔法使いに殺されてしまいました。それ以来、戦況は自分の目で確かめるしかなくなっていたのです。
セイロス軍は、騎兵部隊に続いて歩兵部隊も正門に向かっていました。武器さえ持たない操り兵も大勢いますが、それはわざとのことでした。敵を率いているのは、あのフルートです。以前より少したくましくはなりましたが、相変わらず丸腰の人間を攻撃できない、優しすぎる勇者です。操り兵を前にしてまた攻撃をためらうのは、火を見るより明らかでした。
「ためらえば隙が生まれる。その瞬間こそ勝負の時だ、フルート」
とセイロスは言いました。ひとりごとにしては大きすぎる声でしたが、見張りの操り兵はなんの反応も示しません。
見晴らしのよい東の丘陵地に伸びる街道を、歩兵の集団が進軍していました。銀の鎧兜が日の光を返すので、遠くからでも存在は目立ちます。その上空で、時折きらりと金色に光るのは、風の犬に乗ったフルートに違いありません。その気になれば魔法攻撃もできる距離まで近づいていましたが、セイロスは腕組みしたまま何もしませんでした。こちらの兵はまだ充分に接近していません。下手に魔法を繰り出して、おびえた敵が逃げ出してしまったら、せっかくの獲物が手に入らなくなってしまいます。
セイロスは地上を見守り続けました。山道を駆け下った騎兵部隊が、馬の首にしがみつくようにしながら焼け野原を突っ切り、東の門をくぐって街の外へ出たところで、命じます。
「騎兵部隊、停止。弓を構えて進路をふさげ」
彼の声はギーに聞こえていました。たちまち兵士たちは馬を止め、横一列に並んで弓矢を構えます。その数は千。やってくるロムド軍とまったく同じ規模です。
そこへ銀の兵士の集団が、東側の丘の向こうから現れました。報告の通り、いやに行儀の悪い部隊で、隊列も組んでいなければ、勇み立っている様子もありません。数人ずつの集団になって、のろのろと丘を越えてきます。
とたんに、先頭の兵士たちが立ち止まりました。弓を引いて待ち構える騎兵部隊に気がついたのです。叫び声を上げて駆け戻ろうとしますが、後続の兵士がやってくるので、たちまち大混乱になります。
そこへ、馬に乗った小柄な戦士が現れました。赤いマントをはおり、黒っぽい鎧兜を身につけていて、ロムド兵とは違う格好をしています。
「セイロス、敵さんの皇太子だ。こっちに向かって突撃しろ、と味方をどなりつけているぞ」
とギーが知らせてきたので、セイロスはまた冷笑しました。
「弓矢を構えて待ち構えている敵に向かって突撃か。戦争の経験がない子どもだな。ギー、馬を射て皇太子を捕まえろ」
命令はすぐに伝わり、騎兵部隊の最前列の兵士が弓を引き絞りました。王子の馬を狙って矢を放ちます。
ところが、その瞬間、白い風が王子の前を吹き抜けていきました。風の上で、きらりと金色が輝きます。矢で撃たれたはずの馬は、いつまでたっても倒れません。
「出たな」
とセイロスはつぶやきました。誰が王子を守ったのか、すぐに察したのです。
戦場からまたギーの声が聞こえてきました。
「風の怪物だ、セイロス! 金の石の勇者が乗っていて、矢を吹き飛ばしてしまったぞ!」
馬の上で弓を引いて待ち構えるセイロス軍と、それを見て引き返そうと右往左往するロムド軍、混乱に巻き込まれて立ち往生するトーマ王子と、それを守ろうと風の犬で飛び回っているフルート――。
こんな形で両軍は遭遇し、戦いの火ぶたが切って落とされたのでした。