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第21巻「ザカラス城の戦い」

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56.少女・2

 トーマ王子がシン・ウェイと駆けつけた先では、天幕の横でかがり火が焚かれ、閉じた入り口の前にゼンとメールとゴーリスが立っていました。勇者の一行はそれまで自分たちの天幕を持たずに、地面にごろ寝をしてきたので、ポポロのためにゴーリスが使っていた天幕を借り受けたのです。ゼンたちはゴーリスと話をしています。

「いったいどうしたのだ?」

 と王子が尋ねると、メールが答えました。

「ポポロが疲れで倒れちゃったんだよ。出発してからずっと敵の様子を見張ってくれてたからね。透視ってのは、すごく疲れるらしいんだ」

 それを聞いて、シン・ウェイが言いました。

「ポポロはザカラス城の様子を見ていたんだろう? 何百キロも先を透視するなんて、普通の術師や魔法使いにはとても無理だぞ。仮にできたとしても、その後、何ヶ月も動けなくなっちまう。今まで何でもなかったことのほうが驚きだな」

 ゼンは肩をすくめました。

「ポポロは天空の国の魔法使いだからな。まあ、食欲はあって、俺が作った飯は食えたから、後はたっぷり寝るだけだ。心配はいらねえよ」

「だが、あの様子だと、二、三日は馬に乗れないだろう。明日から馬車で移動できるように手配してきてやる」

 とゴーリスは馬車がたくさん停まっている兵站部隊(へいたんぶたい)のほうへ歩いて行きました。こういう場面では本当に頼りになるゴーリスです。

 

 トーマ王子は天幕を示して尋ねました。

「中に入ってみてもいいか?」

「ああ。フルートとポチたちもいるぜ」

「ポポロは寝てるかもしれないから、静かにね」

 とゼンとメールが言ったので、王子はそっと入り口の布を持ち上げ、身をかがめて天幕の中に入ろうとしました。とたんに、毛布をかけて寝ているポポロと、その横にあぐらをかいて座っているフルートの姿が目に入ります。ポポロの左手がフルートの両手にしっかり握られているのを見て、王子ははっとしました。兜を脱いだフルートは、じっとポポロを見つめていました。相手を限りなくいとおしく想う気持ちが、顔とまなざしにはっきりと表れています――。

 たちまち、王子の全身をかっと熱いものが駆け巡りました。君はなんて奴だ! とフルートをののしろうとして、具合の悪いポポロのことを思い出し、かろうじて声を呑み込みます。

 とたんに、フルートの陰にいたポチが跳ね起きて、びっくりしたように王子を見ました。

「ワン、どうしたんですか? そんなものすごい匂いをさせて」

 それを聞いて、フルートとルルも王子を振り向きました。ポポロは目を開けません。やはり眠ってしまっていたのです。毛布の下の胸が、浅く早い呼吸を繰り返しています。

 ちょっと、と王子はフルートを天幕の外へ呼び出すと、少し離れた場所まで連れ出してから、どなりつけました。

「君はいったい何を考えているんだ!? 君にはロムド城に大切な人がいるじゃないか! それなのに、ポポロにもあんな顔をして! 二股(ふたまた)をかけるつもりか!? 見下げた男だな! 何が正義の勇者だ!」

 突然の剣幕に、フルートは、はぁ? と目を丸くしてしまいました。声を聞きつけて、ゼンやメールも飛んできます。

「馬鹿、何騒いでるんだよ。周りの迷惑を考えろ」

「あんた、まだそんなこと思ってたわけ? やだなぁ」

 けれども、王子は耳を貸そうとはしませんでした。フルートに迫り、どなり続けます。

「メーレーン姫の気持ちを知らないとは言わせないぞ! 姫はあんなに君を想っているのに、君ときたら別の女性にうつつを抜かしたりして! 姫を悲しませるな! そんなことをしたら、ぼくは君と決闘するぞ!」

 あちゃぁ、とゼンたちは思わず頭を抱えてしまいました。とんでもない勘違いなのですが、王子は本気なので、火のように怒っていて手がつけられません。シン・ウェイも駆けつけて王子をなだめようとしましたが、さしのべた手を払われてしまいました。

「今すぐメーレーン姫に謝って誓え! 誠心誠意、生涯姫だけを愛すると! 早く!!」

 王子の声があまり大きいので、周囲で休んでいた兵士たちまでが、何事かと起き上がって注目してきます。

 

 フルートは王子の剣幕に最初はただただ驚いていましたが、王子からそんなふうに言われると、すっと冷静な表情に変わりました。怒りのあまり涙をにじませている王子を見下ろして言います。

「だめだ。そんなことを誓うことはできない」

「なんだと!?」

 王子はかっとなって、思わずフルートに殴りかかりました。渾身の力で拳を突き出したのですが、フルートに簡単に受け止められて、その後は押しても引いても腕を動かせなくなってしまいます。

 放せ! ともがき続ける王子に、フルートは静かに言いました。

「ぼくはメーレーン姫に誓うことはできない。だって、ぼくの心は最初からポポロのもので、他の女性に捧げることはできないんだから」

 フルートがあまりあっさりと言い切ったので、今度は王子のほうが目を丸くしてしまいました。思わず見つめてから、確かめるように言います。

「メーレーン姫は金の石の勇者が好きなんだぞ。それを知っていて言うのか?」

「確かに姫から告白されたこともあるけれどね。もう一年半も前のことになるかな。その時に、はっきりお断りさせてもらったんだ。ぼくが愛する人はポポロ一人だけだ。他の女性を好きになるつもりはないよ」

 話を聞いていたゼンが、ぴゅぅ、と口笛を鳴らし、メールは肩をすくめました。

「フルートって、こういうことはいつも大勢の前で堂々と言うよねぇ。いつもは照れて、好きのすの字もポポロに言えないくせにさ」

 トーマ王子は混乱していました。安堵の気持ちも湧いてきますが、驚きのほうが強くて、こう聞き返してしまいます。

「正気か? メーレーン姫はロムド国の王女なんだぞ。姫と結婚すれば、ロムドの王族になれるのに」

 とたんに、フルートはまた表情を変えました。今度は、はっきりと怒る顔になって、王子に言い返します。

「ぼくは王族の地位なんかと結婚するつもりはない。ぼくはただ、ぼくの好きな人と人生を生きていきたいだけだ」

 

 そこへ、天幕の中から犬たちが出てきました。ポチがフルートの足に頭を押しつけて言います。

「ワン、ポポロが目を覚まして呼んでますよ」

「声が聞こえたのね。心配してるから、安心させてあげて」

 とルルも言ったので、フルートはようやく王子の腕を放しました。それまでずっと拳を捕まえていたのです。天幕へ歩き出しながら王子へ言います。

「メーレーン姫が好きなら、そう言えばいいんだよ。自分の気持ちをぼくに映して怒ったりしないでさ」

「な――!?」

 王子は真っ赤になってしまいました。なんだと!? そんなことはない! と言い返そうとしたのですが、声にはなりませんでした。そうこうしている間に、フルートはポポロのいる天幕に消えていってしまいます。

 ゼンが苦笑いして王子に話しかけました。

「図星かよ。ったく、しょうがねえヤツだな」

「あたいもフルートに同意見だな。好きなら好きって、ちゃんと言えばいいのさ。言わなきゃ気持ちは伝わらないんだからね」

 とメールも言います。

「馬鹿な!」

 と王子は言いました。ようやく声が出るようになったのです。

「ぼ、ぼくとメーレーン姫はいとこだ! 彼女を心配するのは当然じゃないか! それに彼女のほうがぼくより年上なんだぞ!」

「あら、それがなぁに? 年上って言ったって、あなたたちはたった二歳違いじゃない」

「ワン、そうそう。全然大したことないですよ。それに、ロムドもザカラスも、いとこ同士の結婚は認められてますからね」

 と犬たちが先輩風を吹かせます。

 トーマ王子はとうとう本当に何も言えなくなりました。真っ赤な顔のままうつむいて、立ちつくしてしまいます。そんな王子の背中を、シン・ウェイがたたきました。

「そら、自分の天幕に戻ろう。そこでゆっくり考えてみればいい――」

 

 王子が術師の青年に付き添われて戻っていった後も、ゼンたちはその場に残っていました。ったく、とゼンがまた苦笑いをします。

「相変わらず七面倒くさい王子だな。自分の気持ちもよくわかってねえんだからよ」

「あれ、ゼンがそれを言うわけ? どうしようもなく鈍感で、なかなか告白してくんなかったのは、ゼンじゃないのさ」

 とメールに言われて、なんだよ! とゼンも真っ赤になります。

「フルートもそうよね。なかなかポポロに告白してくれないから、ずいぶんやきもきさせられたわ。男の子ってそういうものなの?」

 とルルが言うと、ポチが反論します。

「ワン、ぼくは違うよ。かなり早いうちから、ずっと好きだってルルに言ってたじゃないか。なかなか素直になってくれなかったのは、ルルのほうでさ」

「あ、あら、私はちゃんと素直になったじゃない!」

 犬たちも言い合いになりますが、じゃれるような調子なので、深刻さはありません。

 

 そんなやりとりは、周囲にいた兵士たちにも聞こえていました。ロムド兵もザカラス兵も入り交じっていましたが、近くの仲間をつついては話し始めます。

「皇太子殿下はロムドの王女様に惚れていたんだな。初耳だ」

「それってどんなお姫様なんだ? うちの殿様の姫は、綺麗なんだが気が強くて、婿殿がかなり苦労されているんだが」

「おいおい、メーレーン姫のことを言っているのか? 姫は我がロムドの宝玉(ほうぎょく)だぞ。気立てが良くて明るくて優しくて、あんなにかわいらしい姫は大陸中探しても他にいないね」

「へぇ、それは本当なのか?」

「本当だとも! メーレーン姫は薔薇の花が大好きでな、いつも薔薇色の服をお召しになっていて――」

「だが、勇気もおありなんだ。一年前、ディーラがサータマンの飛竜に襲われたときにも、おびえる市民たちに歌を聞かせてくださってな――」

「ほう」

「ほほう」

 いつの間にか野営地のそこここで兵士たちのおしゃべりが始まっていました。ロムド兵はザカラス兵に、ザカラス兵はロムド兵に、相手の国の王子や王女のことを尋ねては、相手の話に耳を傾けます。

 やがて、兵士たちはこんなことを言い出しました。

「皇太子殿下は冷酷だともっぱらの噂だったが、それは間違いだったってことだな」

「そうだな。あんなに熱くなって怒るし、ちゃんと好きな姫だっているわけだし」

「いや、どうもメーレーン姫がザカラス城を訪問したあたりから、王子が変わってきたらしいんだ……」

「姫の影響で、王子が変わったというのか? ああ、それはわかる気がするな」

「そうそう。姫は誰の心も優しい気持ちにさせてしまうからな」

 ロムド軍の中に何故かメーレーン姫の絵姿を持ってきていた兵士がいたので、絵姿も兵士たちの間を回り始めました。

 野営のかがり火に絵姿をかざして、ザカラス兵たちは口々に言いました。

「やあ、これは本当にかわいらしいお姫様だ!」

「いいな。見ているだけで気持ちが和む」

「だろう? 本物はこれの何倍もかわいらしくて愛らしいんだぞ!」

 ロムド兵のほうは自分のことのように胸を張ります。

「そんなすばらしい姫ならば、ぜひザカラスに嫁いできて、未来の王妃になってもらいたいものだ」

「ああ。そうすればザカラスの王子はますます血の通った人間になるぞ」

「殿下にはぜひがんばってもらわなければ」

「そうだな」

「まったくだ――」

 ザカラス兵の間でも話が盛り上がります。

 

 その夜の話は、やがて静かに部隊全体の中に広がっていき、トーマ王子がメーレーン姫を好きでいることは、兵士の誰もが知る事実になりました。王子は出陣前に姫に結婚を申し込んだらしいとか、メーレーン姫が生まれたときからザカラスに嫁ぐことは決まっていたのだ、などと噂に尾ひれもつき始めます。けれども、そのほとんどは好意的な噂ばかりでした。ロムドのかわいらしい姫がザカラスへ嫁ぐことを、誰もが夢見たのです。

 そして、その夜を境に、救援軍の兵士たちは、ロムド兵とザカラス兵、正規軍と領主の私兵の垣根を越えて、隔たりなく話をするようになりました。国や所属の違いを、王子と王女が取り払ってしまったのです。

 思いがけない変化を内部で生みながら、救援軍は、西へ進軍を続けました。

 アイル王がいるザカラス城までは、もうあと数日の距離でした――。

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