「大丈夫。ザカラス城からセイロス軍が出撃してくる様子はないわ。ザカラス城は静かよ」
ポポロが西を透視しながらそう言ったので、フルートは、ほっとしました。
「城の守りの様子はどうだろう? それも今までと変わりなさそうかい?」
「お城の塔や城壁がどんなふうに守られているかはわからないのよ。ザカラス城には透視を邪魔する魔法がかけられているし、たとえ見えても、セイロスに捕まる危険があるから見るわけにいかないし……。ただ、ザカリアの街の焼け跡に兵士が降りてきて、門や街壁を見回っているわ。前には見られなかった光景よ」
とポポロがいっそう目をこらしながら答えます。
彼らは今はまた救援軍の本隊に戻って、見晴らしの良い丘の上から、日が沈んでいく方角を眺めていました。他の仲間や兵士たちは一日の進軍を追えて、丘の麓で野営の準備をしています。煮炊きの煙が野営地のそこここから立ち上っていますが、その中にはゼンが夕食を作る煙もあるはずでした。フルートとポポロは食事ができるまでの時間を使って、敵がたてこもるザカラス城の様子を調べに来たのです。
フルートはさらにポポロに尋ねました。
「ザカリアに降りてきているのは、操り兵? それともアマリル島の戦士たち?」
「両方よ。角飾りがついた兜をかぶっている戦士もいれば、ザカラス兵の格好をしている人もいるから。人数としては半々ぐらいね」
「ぼくたちがやってくるのを待ち構えているんだな。ということは、セイロスがぼくたちの芝居を信じ込んだということだ。よかった」
フルートは本当に安堵(あんど)しました。彼らが勝つためには、セイロスたちにザカラス城に留まっていてもらわなくてはなりません。そのために、先発したワルラ隊と協力して芝居を打ったのですが、セイロスたちが敵を少人数と見て城から攻撃に飛び出して来たら、作戦が台無しになるところだったのです。
すると、ポポロが言いました。
「ザカリアはすっかり焼けてしまったけど、街を囲んでた街壁はまだ残っているわ。門には見張りの兵たちが立っているんだけど、壁にところどころ壊れているところがあるの。お城に近づくには、街壁を越えなくちゃいけないんだから、警備の薄いところを探してみるわね……」
遠いまなざしで、フルートには決して見ることができない場所を探し始めます。
その間、フルートは目の前の景色を見ていました。
丘の先は森になっていて、それが途切れた先に、夕日に照らされた街と大きな館があります。カーランという領地ですが、領主のカーラン候はとっくに自分の兵と共に駆けつけて、救援軍に仲間入りしていました。先日のニーグルド伯爵のときと同じように、ザカラス城やザカリアからの避難者が、カーラン候にアイル王救出を懇願したのです。先発隊のワルラ将軍たちが参戦を呼びかけようとカーラン領に入ったときには、すでに軍備を整え、すぐにも出撃できる状態だったと言います。避難者や正規軍の兵士たちが、アイル王を助けるためにザカラス城へ戻ろうとしているところも、まったく同じです。
アイル王に助けられた人たちの熱意が、国中の領主たちを動かしているんだ、とフルートは考えました。おかげで救援軍は順調に味方の数を増やし、今では先発隊が三千名、フルートたちがいる本隊は一万二千名、合計一万五千名の大部隊になっています。これでもザカラス城にたてこもるセイロス軍の半分ですが、その差は縮まってきています。
「問題は人数じゃない。集まってくれた人たちの力を、どうやってうまく一点に集中させるかなんだ――。敵の弱いところを破って突けば、どんなに数に差があっても、必ず勝機が訪れるはずなんだから」
フルートがそんなことをつぶやいていると、ポポロが声を上げました。
「見つけたわ! ザカリアの街壁の西側に崩れたところがあるんだけど、見張りが近くにいないの! 大勢で通るのは無理だけど、少人数なら、あそこから城下に侵入できるわよ……!」
「ありがとう、ポポロ!」
とフルートは喜びました。風の犬のポチたちで街壁を越えれば、嫌でも敵の目につくので、こっそり忍び込める侵入口は重要です。夕映えに照らされたポポロの頬が、フルートの笑顔を見ていっそう赤く染まります。
二人はそのまま丘の上に立ち続けました。夕映えが薄れ、近くの立木につないだ二頭の馬が闇に包まれても、まだ野営地に戻ろうとはしません。フルートは、この後の進軍のルートと作戦を、頭の中で思い巡らしていたのです。やがて、完全に日が暮れて空に星が光り始めますが、それでもまだ考え続けています。
すると、そんなフルートにポポロが身を寄せてきました。フルートの体に、そっともたれかかってきます。
フルートは我に返ると、たちまち赤くなりました。誰の目もない日暮れ時に二人きりでいることを、ようやく意識したのです。乗馬服姿の少女はますます体重をかけて寄りかかってきます。フルートの胸が早打ち始めます。
「ポ、ポポロ……」
フルートはどぎまぎしながら呼びましたが、少女はうつむいたままでした。ようやく二人きりになれたのに、フルートがいつまでも戦いのことばかり考えているので、怒らせてしまったのかもしれません。フルートは少しためらい、ごめん、と謝ってから、思い切って抱きしめようとしました。
ところが、ポポロに腕を回したとたん、その体が急に崩れました。とっさに抱きとめたフルートの両腕に、ぐったりともたれかかってきます。ポポロは気を失っていたのです。
「ポポロ!! ポポロ!?」
フルートが仰天して大声で呼ぶと、幸いにも、彼女はすぐに目を開けました。自分を見つめるフルートを、びっくりしたように見つめ返し、すぐにまた苦しそうに目を細めてしまいます。
「大丈夫か、ポポロ!? どうしたんだ!?」
フルートは大声で尋ね続け、彼女の体がますます力を失うので、急いでその場にかがみ込みました。華奢な体を抱き寄せ、頭を自分の肩にもたせかけると、ポポロはようやく大きく息をしました。
「ありがとう。もう大丈夫よ……ちょっと目眩(めまい)がしたの……」
けれども、その声にも力はありませんでした。疲れたように、また、ふぅっと息をして、フルートの胸に寄りかかってきます。
フルートは唇をかみました。ポポロはここまで幾度となく敵地を透視してきました。馬で移動していく間も、馬から下りても、フルートたちに敵の様子を知らせてくれたのです。透視は見る場所が遠いほど体力の消耗が激しくなります。彼女がこんなに疲れ果てるまで気がつかずにいた、自分の迂闊(うかつ)さを呪います。
フルートは金のペンダントをポポロに押し当てましたが、彼女は立ち上がることができませんでした。金の石は病気や怪我を癒やすことはできますが、疲労を回復させることはできないのです。
ごめんなさい……と弱々しく謝るポポロを、フルートはまた抱きしめました。
「謝らないで。悪いのはぼくなんだから。無理をさせてごめん――。みんなのところに戻ろう。しっかり食べて休んで、体力を回復しないと」
フルートは自分のマントでポポロをくるむようにして抱き上げました。そのまま馬のところまで運ぶと、彼女を抱いたまま自分の馬にまたがります。
「コリン、静かに戻ってくれ。クレラは後をついておいで」
馬たちはフルートのことばを理解して、言う通りにしました。星の下の丘を、二頭の馬がゆっくりと降りていきます――。
野営地の天幕の中では、夕食を終えたトーマ王子が、鎧の下から取り出したハンカチを眺めていました。汗を拭くためのものではありません。王子がロムド城を出陣するときに、見送りにきたメーレーン王女からもらった品です。
「どうぞお気をつけくださいませね、トーマ王子」
とピンク色のドレスを着た王女は、同じ色の薔薇が刺繍されたハンカチを王子に渡しながら言いました。
「本当はメーレーンもアイル伯父様をお助けしに行きたいのですが、残念なことに、メーレーンにはその力がありません。ですから、このハンカチをメーレーンの代わりにお連れくださいませ」
わかった、と王子がハンカチを受け取ると、メーレーン姫はもう一枚のハンカチを取り出してみせました。白い絹に青い文字が刺繍されたハンカチを見て、王子は思わず赤くなりました。
「そ、それ――」
「はい。トーマ王子が以前、メーレーンにくださったハンカチですわ。メーレーンはこれをお守りにして、いつも持ち歩いています。そうすると、不思議なくらい悪いことは起きないし、なんでもいい具合にいくんです。王子のハンカチにはきっと魔法の力があるのですわ。メーレーンのハンカチには、そんな力はありませんけれど、王子とアイル伯父様のご無事を祈る気持ちを、たくさん込めておきました。メーレーンのハンカチを、どうぞトーマ王子のお守りにしてくださいませ」
王子は本当に真っ赤になって、とっさに何を言っていいのかわからなくなってしまいました。とても嬉しかったのですが、その気持ちが素直に口に出せなかったのです。さんざん逡巡(しゅんじゅん)したあげくに出てきたのは、こんなことばでした。
「ぼくが持っていていいのかい? 金の石の勇者にはあげないの?」
言ってから、馬鹿な質問をした、と後悔します。姫はきっとフルートにも何かお守りを渡していたのに違いなかったからです。それを知ってしまったら、せっかく喜びにふくらんでいた王子の気持ちは、たちまちしぼんでぺしゃんこになってしまいます。
そ、それじゃ、と話を打ち切って、急いでその場から離れようとすると、メーレーン姫の返事が聞こえました。
「いいえ、それはトーマ王子に差しあげるお守りですわ。だって、勇者様は、メーレーンが差しあげなくても、もう、とても強いお守りをお持ちなんですもの」
王子は意味がわからなくて振り向きました。どういうこと? と聞き返しましたが、姫はただ黙ってほほえみ返すだけでした。その笑顔が何故かいつもより大人びて見えて、王子は急にどきどきしました。それ以上、確かめることもできなくて、そのまま出発したのですが――
あれは、どういう意味だったんだろう? とトーマ王子は薔薇のハンカチを見ながら考えていました。フルートが持っている金の石のことだろうか、とも思いますが、なんとなくそれも腑に落ちません。メーレーン姫のかわいらしい笑顔が、何度も浮かんでは消えていきます。
すると、そこへ外からシン・ウェイが入ってきました。声を潜めて言います。
「ポポロが倒れたらしいぞ。仲間たちが天幕で看病している」
「なんだって!?」
トーマ王子は飛び上がると、シン・ウェイの案内で、ポポロたちのいる天幕へ向かいました――。