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第21巻「ザカラス城の戦い」

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第18章 罠(わな)

52.月の夜

 その夜、トーマ王子はなかなか寝つけなくて、自分の天幕から這い出しました。

 ザカラス城へ向けて進軍中の救援軍ですが、日が暮れれば歩みを停めて食事をとり、野外で休みます。王子や宰相、領主や司令官のような身分のある者たちは、それぞれに天幕を張って中で休みますが、大半の人々は地面の上にごろ寝です。月が明るかったので、マントにくるまって眠る兵士たちが、野原のいたるところに見えていました。野営地の周囲で見張りに立っている兵士たちもいます。

 すると、天幕の中からシン・ウェイも出てきて、王子に声をかけました。

「どうした。眠れないのか?」

 皇太子仕えも長くなってきたのに、術師のことばづかいはいっこうに改まりません。

 王子もそんなことは気にせず答えました。

「なんだか目がさえてしまったんだ……今頃父上はどうされているだろうと考えて」

 言って、目を伏せてしまいます。アイル王は大切な人質なのだから、いくらセイロスでもおろそかな扱いはできない。大丈夫、きっと無事でいる、と周囲は口を揃えて言いますが、それでもやっぱり父のことが気がかりだったのです。

 

 シン・ウェイはそんな王子を見つめ、少し考えてから、こんなことを言いました。

「あんたは陛下のことが本当に好きなんだな。今だって、こうやって陛下を助けに向かっているわけだし。陛下は父親としても幸せ者だ」

 トーマ王子はびっくりして顔を上げ、とまどいながら言いました。

「父上を好きとか、そういうことは考えたことがなかった。ザカラス国王を救うことは、皇太子としては当然のことだと思っているだけで……」

「そうか? 俺にはずっと、あんたが『父上を大好きだ!』と言ってるように見えていたがな。感心もしていた。俺なんて、故郷の家族とは折り合いが悪くて、修行中に親父が病死したときには、葬式にも顔を出さなかったんだ。まあ、術師の修行に出た俺を、『恩知らずめ、二度と家の敷居をまたぐな』と勘当したのはあっちだったから、俺としても戻る理由はなかったんだが――。今回の出兵はものすごく危険な戦いになるはずだ。もし、俺があんたの立場だったら、きっとさっさと陛下を見捨てたと思うぞ」

 シン・ウェイはザカラス王の臣下としては相当失礼なことを言っていましたが、トーマ王子はそれをとがめませんでした。またしばらく考えてから、今度はこんな話をします。

「ぼくだって、こんなに父上を心配するようになるとは思わなかった……。昔は父上のことが大嫌いだったんだ。おじいさまをとても恐れて、いつもおどおどびくびくしていて、言いたいことも言わず、神経症の発作ばかり起こしていて。そんな父上の息子であることがすごく嫌で、父上に似ている、なんて言う者があったら、即座に牢屋に送り込んできた。だけど――」

 うつむきながら話す王子の顔を、月が頭上から照らしていました。青白い月の光ですが、王子の頬にさっと赤みが差し、口元がほほえみを浮かべたことに、シン・ウェイは気がつきました。

「昨年、ぼくとメーレーン姫が城の遺跡にはまって出られなくなってしまったとき、父上はメノア叔母上たちと一緒に、ぼくらを助けに来てくださった。ぼくはおじいさまに似ているから、父上に嫌われているとばかり思っていたのに、父上はぼくの姿を見ると、無事で良かった、と言ってマントを着せてくださったんだ――。今回だって、ぼくをロムド城へ使者に出したのは、書状を届けるためや王位を譲るためだけじゃなく、きっと、ぼくの命を助けたいと考えてくださったからだ。父上はぼくを愛してくださっている。だから、ぼくも父上を助けたいと思うんだ!」

 いつしか王子は話をするのに夢中になっていました。シン・ウェイを見上げて、そう言い切ります。

 青年は目を丸くすると、すぐに微笑して、王子の頭に手を載せました。

「ずいぶん素直になったな。いいことだ――。ああ、俺も、陛下はあんたの無事を一番に考えていたんだろうと思うぞ。結局、思いやる心が相手の中に新しい思いやりを生む、ってことなんだろうな」

 思い出すような口調になったのは、そうではなかった自分の父親のことを考えていたのかもしれません。

 

 すると、そこへポチがやってきました。月の下で話をしている二人を見つけると、尻尾を振って言います。

「ワン、良かった、まだ寝ていませんでしたね。フルートが呼んでるんです。一緒に来てもらえますか?」

 フルートが? と王子とシン・ウェイはすぐにポチについて行って、野営地のはずれでたき火を囲む勇者の一行を見つけました。ゴーリスと赤の魔法使いもいて、一緒に火を囲んでいます。

「どうしたのだ?」

 王子が座りながら尋ねると、フルートが答えました。

「寝ていたところをごめん。でも、ザカラス城を見張っているオリバンたちから連絡が入ったんだ。セイロスの兵士を二人捕まえて、城の中の様子を聞き出すことができたらしい」

 王子は思わず身を乗り出しました。

「城の様子を!? 父上はご無事か!?」

「馬鹿、大声出すな。夜中なんだぞ」

 とゼンが遠慮もなく叱りました。フルートもゼンも、いつの間にか王子に対して友人に話す口調になっています。

 メールもいつもの調子で言いました。

「心配ないって。アイル王は無事だよ。王の部屋に監禁されていて、一日二回、ちゃんと食事も運ばれてるってさ」

 それを聞いて、トーマ王子は心底ほっとしました。安心のあまり、涙がこぼれそうになります。

 

 フルートは真剣な顔で話し続けました。

「オリバンたちは重要なことをいろいろ知らせてくれた。セイロス軍の人数や編成なんかについても、おおよそのところがわかった。本隊と一緒になったセイロス軍の総数は、およそ三万一千。でも、そのうちの三万近くがトマン国やザカラス国の住人、つまり操り兵だ。アマリル島からセイロスと一緒に渡ってきた兵士は約千二百名。操り兵の中にはトマンやザカラスの騎兵が混じっているが、大半は馬に乗っていない歩兵で、騎兵は千人足らず。アマリル島から来た騎兵は百名足らずらしい」

 トーマ王子は数字や兵士の種類などを聞かされても意味がよくわからなくて、きょとんとしましたが、シン・ウェイは考える顔になって言いました。

「敵はこっちの三倍か。まだずいぶん兵力に差があるんだな。だが、騎兵の数はこっちのほうが多いんじゃないのか?」

「そう。こっちの騎兵はあっちの二倍以上だからね。それに、操り兵を除いた本当の敵はたった千二百人だもん。そう考えたら、兵士の数も圧倒的にこっちのほうが多いのさ」

 とメールが答えました。海の戦士の彼女は敵の状況が想像できるので、やたら張り切っています。

 すると、ゴーリスが重々しく言いました。

「戦争ってのは数の多いほうが有利になるものだが、数が多ければ必ず勝てるというわけではない。騎兵の数が戦いの勝敗を決めるとも言われるが、実際には状況によってずいぶん変わってくる。ザカラス城のような山城を攻めるには、馬はあまり役に立たないんだ」

 フルートも考えながら言い続けました。

「セイロスは防御の前面に必ず操り兵を出してくる。普通の戦争なら、重騎兵が歩兵の中に突撃していけば、その勢いに恐れをなして敵が逃げ出すものだけれど、操り兵はそんなことをしたって絶対に逃げない。とんでもなく危険な場所にずっと立っていて、馬に踏みにじられて死んでしまうんだ――。ぼくはワルラ将軍から大部隊の指揮の仕方をいろいろ教わってきたけれど、今回の戦いには、あまり通用しないだろうと思ってる」

「じゃあ、どうやって戦うの?」

 とルルが尋ねました。赤の魔法使いも、今はもうオリバンたちと連絡を取る役目が終わっていたので、フルートに注目しています。

「作戦は思いついているんだ。ただ、それがうまくいくためには、セイロスたちにザカラス城にこもっていてもらう必要がある。こちらの軍勢が近づく前にセイロスたちが城から離れないように、ちょっと罠(わな)を仕掛けよう」

 罠? と一同は目を丸くしました。言った当のフルートは、何でもないことのように平然とした顔をしています。

「相変わらず、そういうことには頭の回るヤツだな! もったいぶらねえで、何をするつもりか早く話せよ!」

 とゼンが言ったので、フルートはひとしきり、自分の考えていることを話して聞かせました。話が終わったときには、全員が、なぁるほど、と納得します。

 

「ワン、だとしたら、トーマ王子や宰相さんたちを運ばなくちゃいけないですね」

「あら、でも、私たち、王子も宰相さんも乗せられないわよ」

 犬たちが話し合っていると、メールが得意そうに、にやりとしました。

「それはあたいの出番だろ? 花鳥で運べばいいんだからさ」

「作戦決行はいつだ?」

 と王子は尋ねました。冷静に尋ねたつもりでしたが、緊張で声がうわずってしまいます。

「明日の朝、明るくなったらすぐに。明日の午前中には遭遇しそうだ、とポポロが言っているんだ」

 フルートのことばに、隣で遠い目をしていた少女が、うん、とうなずきました。何に遭遇しそうなのか、フルートは言いませんでしたが、話を聞く者たちにはちゃんとわかっています。

「よぉし、そうと決まったら、もう寝ようぜ! 明日は夜明け前から動き出すんだからよ!」

 とゼンは言うと、そのまま寝転がりました。腕枕をして、たちまち、ぐうぐうといびきをかき始めます。

 フルート、メール、ポポロ、ポチとルルも同じようにたき火のそばに横になると、たちまち眠ってしまいました。本当に、あっという間のことだったので、王子とシン・ウェイがあきれると、ゴーリスが笑いながら言いました。

「彼らは根っからの戦士なのですよ、殿下。どんな場所でもどんな状況でもすぐ寝られるようでなければ、戦うための気力体力は保てない。殿下たちももうお休みになったほうがいい。ゼンのことばじゃないが、明日は早くから行動開始になりますから」

 相手が隣国の皇太子なので、さすがにゴーリスは丁寧な口調です。

 

 王子は今度は感心してフルートたちを眺めました。以前はそんな彼らをねたましく思い、それに引き替え自分は――と劣等感に襲われていたのですが、今は不思議なくらい、そんな気持ちにはなりません。ただ、たいした奴らだなぁ、と素直に思うだけです。

 やがて王子も地面に横になって言いました。

「ぼくも今夜はここで寝ることにする。そのほうが面倒がないはずだ」

「俺たちにはちゃんと専用の天幕が準備してあるんだぞ?」

 とシン・ウェイが言いますが、王子はかまわず目を閉じてしまいます。術師の青年は頭をかきました。

「まったく。以前は野宿をあんなに嫌がってた奴が、変われば変わるもんだな。しょうがない、俺もつきあうとするか」

 と王子の隣にごろりと横になり、ついでに呪符を一枚取り出して王子のそばに置きます。とたんに、王子もすうすうと寝息を立て始めました。安眠の呪符だったのです。シン・ウェイのほうも同じ術で眠り始めます。

 ゴーリスは、まだ起きていた赤の魔法使いと顔を見合わせると、ちょっと笑ってみせました。

「最初会ったときには、ずいぶん軟弱に見えた王子だが、フルートたちの影響でだいぶたくましくなってきたみたいだな」

「ダ」

 とムヴアの魔法使いも猫の目を細めてうなずきます。そのとおりだ、と答えたようでした――。

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