それからまもなく、ポポロとルルは会議室を抜け出して、キースたちの部屋を訪ねました。
前日、セイロスと鏡越しに戦ってぼろぼろになった居間は、魔法で修復されて、すっかり元通りになっていました。扉を開けてくれたキースが、嬉しそうにポポロに話しかけます。
「やあ、いらっしゃい。君だけで来るなんて珍しいね、ポポロ」
足下を歩いていたルルは、たちまち、むっとしました。
「私も一緒なのよ、キース。無視しないでちょうだい。それと、ポポロに変な真似はしないでよ。そんなことしたら、フルートに言いつけてやるから」
キースは肩をすくめました。
「やれやれ、ぼくをどうしようもない女たらしみたいに言わないでほしいなぁ。ぼくは女性に親切なだけだよ。ポポロのスカートの陰になっていて、ルルに気がつかなかったのは申し訳なかったけれどね。それはそうと、どうしてここに? 君たちは今日は作戦会議を開くんじゃなかったっけ?」
「今も会議中よ。ただ、フルートが一生懸命作戦を考えてるから、邪魔しないように、ちょっと抜け出してきたの。ゼンは食堂に腹ごしらえに行ったし、メールやゴーリスやトーマ王子たちは、別の部屋で話をしているわ。私たちは、あなたに聞きたいことがあって来たの」
こういう場面で話をするのは、もっぱらルルの役目でした。人見知りのポポロは、うつむきがちに黙っています。
キースは彼らを部屋の中央のテーブルに案内しました。
「聞きたいことってなんだい? アリアンは今、深緑さんに呼ばれていないんだけどな」
と言いながら、指のひとふりでポポロには香り高い花茶を、ルルには牛乳を出してくれます。女性扱いがうまいキースだけに、気配りの細やかさは抜群です。
「ううん、いいのよ。ポポロはあなたの話が聞きたいって言ってるんですもの」
とルルが言ったので、へぇ? とキースは意外そうな顔をしました。緊張するように両手を膝の上で握り合わせているポポロを、改めて眺めます。
「何かな? ぼくが知っていることなら、なんでも話すけれど」
すると、ポポロは顔を上げました。恥ずかしがっているように見えた彼女ですが、緑の宝石を思わせる瞳は、意外なほど強い光を宿していました。キースをまっすぐに見つめて話し出します。
「昨日キースが聞かせてくれた、人間を操る虫のこと――。あれをもう一度聞かせてほしいの。あの虫は、どうやって人間を操っているの? あの虫を払い落とすのには、どうしたらいいの?」
キースはその真剣さにまた驚き、ちょっと考えてから言いました。
「君の魔法でなんとかしようと考えているんだね? あれは闇の虫だから」
ポポロはうなずき、話し続けました。
「昨日、ザカラス城に行ったとき、お城の前にはセイロスに操られて兵隊にされた人たちがいっぱいいたわ。あたしたちは、それを突破してお城に入ることができなかったの。何も関係がない、ただ操られているだけの人を傷つけることになるから……。今、フルートはアイル王を救い出すために、一生懸命作戦を考えているわ。だけど、セイロス軍に操り兵がいる限り、あたしたちはやっぱり攻め込むことができないのよ。他の人は割り切って戦えても、フルートは絶対に戦えない……。だから、あたしが操り兵をなんとかしたいのよ。お願い、闇の虫を払い落とす方法を教えて……!」
必死な表情で懇願するポポロを、キースは目を丸くして眺め、やがてほほえみました。
「相変わらず、君はフルートのことになると一生懸命なんだね。ちょっと妬けるなぁ」
「あら、何よそれ、キース!? ポポロはフルートの恋人なのよ! 横恋慕(よこれんぼ)なんて許さないから!」
とルルが怒り出したので、キースの笑顔は苦笑に変わりました。
「そういう意味じゃないよ。もちろん、ポポロとフルートの仲を邪魔する気もない。ただちょっと、うらやましかっただけさ――」
キースの声が、ふと、ここにいない誰かを思い出すような調子になりました。青い瞳が、せつなそうに、ほんの少し細められます。
けれども、キースはすぐにいつもの調子に戻りました。自分のために出した花茶を一口飲んでから、おもむろに話し出します。
「それじゃ、まず服従の虫の仕組みから教えてあげよう。そうすれば、退治のしかたも納得できるだろうからね。あれは闇魔法から創り出される生き物で、卵の状態で人間の体内に送り込まれると、そこで孵化(ふか)して、人間の意識に取り憑くんだ。そうすると、人間は自分で考えて行動することができなくなって、虫を通じて伝えられてくる主人の命令に絶対服従するようになる。虫の考えが、その人間の考えになってしまうからね。命令が何もないときには虫も動かないから、その人は人形のように何もしなくなるよ。主人が食べろと言うまで食事もしなくなるから、いいかげんな主人に操られると、餓死することさえあるんだ――。虫を退治する方法は、ポポロには簡単だな。操られている奴の体に光の魔法を流し込めば、闇の虫はたちまち死んで消滅するからね。その人が正気に返れば、もう大丈夫だ」
「光の魔法はどんなものでもいいの?」
とポポロは聞き返しました。自分の両手を目の前に広げて、とまどうように見つめています。
「うん。どんなものでも大丈夫だけれど、攻撃魔法を食らわせたら相手が怪我をするし、体の中まで光を届かせる必要があるから、純粋に光だけを送り込むほうがいいだろう。君だけでなく、光魔法が使える魔法使いなら、たいていできるはずだよ」
とたんに、ポポロは、ぱっと顔を明るくしました。
「魔法使いなら誰でもできるのね!? みんなを正気に戻せるのね!?」
どれほど強力でも、ポポロの魔法は一日に二回しか使えません。それで、あれだけの数の操り兵をどうやって正気に返そう、と思い悩んでいたのです。
ルルも尻尾と耳をぴんと立てて歓声を上げました。
「そうよ、魔法軍団よ、ポポロ! 彼らに一緒に来てもらえばいいのよ! 会議室に戻りましょう! フルートに教えてあげなくちゃ! 早く!」
「ルルったら、待って――!」
ポポロは出口へ駆け出したルルの後を追いかけ、扉を開けながら振り向いて、キースにほほえみました。
「どうもありがとう! あたしたち、きっとアイル王とザカラス城を助けてくるわ!」
「うん、がんばれよ」
とキースも笑顔で見送ります。
一人と一匹の少女が部屋からいなくなると、キースは癖で自分の頬をかきました。ちょっと苦笑いをして、ひとりごとを言います。
「彼らがあんなにがんばっているんだから、ぼくも、いつまでもこんなところでくすぶってはいられないな。セイロスがいるザカラス城には近寄れないけれど、兵士が減って手薄になっているロムド城を見回ることくらいはできるもんな」
キースは手のひとふりで腰に剣を出すと、部屋の外へ出て行きました。城内の巡回に出かけたのです。ベランダの横を通り抜けると、キースのはおった青いマントが、風に鮮やかにひるがえりました――。