アイル王がろくに敵と戦わずに降伏するつもりでいる、と聞かされて、フルートたちはびっくりしました。
白の魔法使いやメールがロムド王にくってかかります。
「何故ですか!? 敵はあのセイロス! 正体はデビルドラゴンではありませんか!? ザカラスを奴に渡してしまっては、とんでもない事態になります!」
「そうだよ! セイロスが強いから、全然戦わないで降参しちゃうってのかい!? アイル王が戦士に向いてないのはわかるけど、それにしたって、あんまり臆病じゃないか! 意気地がないよ!」
ロムド王は頭を振りました。
「いいや、アイル王は臆病からそのような決断をしたのではない。アイル王が最も心配しているのは、ザカリアの市民やザカラス城の人々がセイロスに奪われ、敵の戦力に組み込まれてしまうことだ。特にザカラス城には、大陸で最も統制のとれた軍隊と言われるザカラス正規軍がいる。それをセイロスに奪われたら、どれほど危険な状況になるか、アイル王は充分承知しているのだ――。アイル王は、城内の人々やザカリアの市民を正規軍に守らせながら、国内各地へ避難させるつもりでいる。一部はこのロムドまで避難するかもしれないのでよろしく、とも書いてきている。むろん、敵に都を焼かれ、城を明け渡すことは、ザカラスにとって耐えがたい屈辱だろう。だが、それ以上に、ザカラス城の戦力を敵に奪われることは、世界全体にとっての脅威になる。アイル王は大局を見て、敵に戦力を与えないために、戦わずに城から撤退することにしたのだ」
「だけど、どうやって? ザカリアはもう敵でいっぱいだったわよ。城から撤退するって言っても、あの状況ではすごく危険よ」
とルルが言うと、フルートが考えながら言いました。
「アイル王はザカラス城の秘密の通路を使うつもりかもしれない……。あの通路は城内の至る所に巡らしてあって、最終的には城外にも通じていた。本当は王族だけが危険なときに城外へ脱出するための通路だけれど、アイル王はそれを城内の人すべてに開放するつもりなんじゃないだろうか」
「ははぁ。そういや、薔薇色の姫君の事件の時に、フルートたちもそこから外に脱出してきたよな。だが、大丈夫なのか? あの出口はザカラス城からけっこう近かったはずだぞ」
とゼンが心配すると、ユギルが口を開きました。
「それならば、わたくしがザカラス城の様子を占ってみましょう。かの場所にはセイロスがおります。透視をすればまた闇の力に捕まる可能性がございますので、わたくしにお任せください」
ユギルはアリアンだけでなく、遠いまなざしで西を見ようとしていたポポロにも言っていました。二人の少女がたちまちうつむき、はい、と小さく返事をします。
ユギルは深緑の魔法使いに自分の占盤を出してもらうと、床に置いて占いを始めました。磨き上げられた石の面に、他の者たちには見えない象徴を追い始めます――。
すると、ユギルの口調が急に変わりました。遠い場所から聞こえてくるような、厳かな声になって話し始めます。
「確かに、ザカラス城の人々は秘密の通路を通って城から脱出しております。脱出する場所は、城のある山の裏手。アイル王は新しい避難路をそちらへ造っておいででした。城を包囲しているセイロス軍は気がついておりません」
フルートは占いの中のことばを聞きとがめました。
「セイロス軍が城を包囲している!? ということは、ザカリアの街は奴にもう落とされてしまったっていうことですか!?」
「左様です。多くのザカリア市民がセイロス軍に組み込まれて、自分たちの城を攻撃しております。そして、城はすでに抵抗をやめております。まもなく敵は城内に突入しますが、そのときには城はもぬけの殻になっていることでございましょう――」
そこまで話して、ユギルはまた占盤を見つめました。今度はザカラス城の未来について占い始めたのです。他の者たちは、ザカラス城の人々が無事に城を脱出すると聞かされて、とりあえずほっとしました。
ポチが言いました。
「ワン、お城が空っぽだとわかったら、セイロスはアイル王の後を追いかけるかもしれない。アイル王を守りに行ったほうがいいかもしれませんよ」
「だよね。アイル王を人質にされるかもしんないし、下手したら、セイロスに殺されちゃうかもしれないもんね」
恐ろしい予想をメールはさらりと言ってのけます。
「ザカラスまで飛ぶとなれば、行けるのは我々四大魔法使いか勇者どのたちの、どちらかですな」
と青の魔法使いが張り切って言いました。自分が行くつもり満々でいます。まだ床に座り込んでいたキースは、苦笑して口を挟みました。
「ぼくは今回は行けないな。奴の近くに行ったら、また奴に支配されるかもしれないから」
ピィィ。これまで一緒に闇の敵を退治してきたグーリーも、すまなそうな声を上げます。
ところが、ユギルがまた厳かな声で言いました。
「いいえ、それはかないません。アイル王は、どちらへも向かわれないからです」
え? と一同は聞き返しました。どこにも向かわない、というのはどういう意味だろう、と考えてしまいます。
次の瞬間、フルートは叫びました。
「アイル王は城から脱出しないつもりなんですか!? まさか!」
他の者たちも仰天していると、ロムド王が重々しく答えました。
「そう、アイル王は城内の者を脱出させた後、自分だけは城に留まる、と言ってきている。自分までが城を脱出すれば、必ずセイロスが後を追ってきて、自分を守っていた衛兵たちを奪ってしまうから、と――」
その手にはアイル王からの手紙が握られています。
フルートは飛び上がりました。出口へ駆け出しながら言います。
「行くぞ、ゼン、みんな! アイル王を助け出すんだ!」
おう! と勇者の一行は応え、あっという間に部屋を飛び出していきました。
「やはり勇者たちは行ったか」
とロムド王は言って、アイル王の手紙へまた目を向けました。そこには、自分の救出は無用、特に金の石の勇者たちにはそう伝えてほしい、と書かれていたのです。
リーンズ宰相が答えました。
「このような状況で、勇者の皆様方を止めることは不可能です。たとえ魔法で縛ったとしても、魔法を振り切って出て行かれるでしょう」
「我々は勇者殿たちをお止めするつもりはありません。むしろ、ご一緒に救出に向かいたいと考えています」
と白の魔法使いが憤然と答えました。自分たち四大魔法使いにもアイル王救出の命令を下してほしい、と言外に訴えています。
すると、ロムド王は重々しい口調のまま続けました。
「アイル王にはもう一つ、大きな計画があるのだ……。ユギル、勇者たちにアイル王を救出することはできそうか?」
問われて、一番占者は静かに答えました。
「残念ながら、占盤は不可能と答えております。四大魔法使いの皆様方が駆けつけたとしても、この占いの結果は変わりません」
そんな! と魔法使いたちは声を上げると、勇者たちが飛び出していった出口を見ました。遠くから、空に吹き上がる風のような音が聞こえて、すぐに遠ざかっていきました――。
ザカラス城の執務室には、アイル王と宰相の二人だけが残っていました。
城内の人々は城のあちこちに口を開けた秘密の通路を通って、脱出していった後でした。衛兵たちも伝令から王の命令を聞いて、彼らの護衛について行ったので、城にはもう兵士は一人も残っていません。がらんと静まりかえった城内には、城を包囲する敵の怒声が響いているだけです。
そこへ司祭長の老人が姿を現して、王へ頭を下げました。
「陛下、全員が山の裏手へ脱出いたしました。ご命令通り、守備隊が食料を配布した上で護衛について、避難先をめざしております。四方八方へ避難を始めているので、たとえ敵が脱出に気づいても、全員を捕獲することは不可能でございます」
「ご、ご苦労。ザ、ザカリアのほうはどうであった?」
とアイル王は尋ねました。どん、どん、と敵が入り口を破ろうとする音が、正門のほうから聞こえ始めますが、王は不思議なくらい落ち着いています。
司祭長は答えました。
「市内は三分の二以上が焼失。まだ燃えている場所も少なからずありますが、火を免れた場所や都の周辺に避難者が大勢いたので、仰せの通り、魔法使いたちに誘導に当たらせました。城内の方々と同様、各地に避難させます」
アイル王は本当にほっとした顔になりました。
「よ、よし。そ、それではそなたも行くように。し、市民を敵に奪われぬよう、よ、よろしく頼むぞ」
「いえ、わしは陛下と宰相殿の護衛を務めさせていただきます。敵はもうすぐ落とし格子を破壊して、城内に突入してまいります。一刻も早くここから脱出しなくてはなりません。お急ぎください」
司祭長が避難路へ案内しようとすると、アイル王は頭を振りました。
「い、いや、行くのはそなたたちだけだ。わ、私はここに残らなくてはならない」
宰相と僧侶はびっくり仰天しました。
「何をおっしゃいます、陛下!」
「敵はすぐそこまで迫っておりますぞ! ぐずぐずしていては、陛下が捕らえられてしまいます!」
「わ、私まで逃げれば、セ、セイロスが後を追ってくるのだ。あ、主は城に残って、客を出迎えなくてはならない」
とたんに、正門の方向から、また、どぉんという音が響いてきました。続いて、地響きが伝わってきます。城を最後まで守っていた落とし格子が、ついに引き倒されたのです。
陛下! と宰相は叫び、司祭長と一緒になって、強制的に主君を避難させようとしました。アイル王の手を引き背中を押して、避難通路に逃げ込もうとします。 すると、アイル王は手をふりほどき、身をよじって入り口の横に立ちました。避難通路を操作する取っ手が隠されている扉の前です。その下に置いてあった袋を取り上げ、宰相に手渡して言います。
「さ、最後の命令だ――。こ、これをロムドにいるトーマの元へ届けよ」
それはずしりと重い布の袋でした。宰相は袋の口を開け、司祭長と共に中をのぞき込んで、思わずはっとしました。自分たちの主君の顔をまじまじと見つめてしまいます。
アイル王は神経質そうな顔に微笑のようなものを浮かべました。最後の最後まで残っていた家臣たちを見つめ返して言います。
「た、確かに、トーマは馬車を襲撃されて、消息不明になったが、セ、セイロスはいまだに、ト、トーマを人質にしたとは言ってこない。こ、これはトーマが無事でいるという証拠だろう。お、おそらくトーマはロムドにたどり着いたのだ。そ、そなたたちもロムドに向かい、これをトーマに届けよ。け、決して敵に捕まってはならない。か、必ずトーマに手渡すのだ。よいな」
くどいほどに念を押されて、宰相と司祭長はとうとう頭を下げました。宰相は袋を胸に抱いて、はらはらと涙をこぼし始めます。
家臣たちが通路の階段を駆け下り、姿が階段の下に見えなくなると、アイル王は取っ手を動かして入り口を閉めました。とたんに、同じ音が城中に響き渡ります。城中の入り口がいっせいに閉じたのです。
そして、アイル王は部屋の椅子に座りました。山の中腹にそびえる巨大なザカラス城ですが、今、そこに残っているのはアイル王一人きりです。
城外から聞こえる怒声が大きくなっていました。まもなく敵が城に入り込んでくるのに違いありません。
王はテーブルの上に両手を載せて広げました。落ち着いて座っているつもりでも、手は小刻みに震えています。アイル王は苦笑しました。
「や、やはり、き、肝の据わった、い、威厳のある王は、わ、私には無理だな……。だ、だが、私にできることは、す、すべてやった。あ、あとは、他の者たちが、き、きっとなんとかしてくれるだろう」
アイル王はいつも以上につまずきながらつぶやくと、震える両手を握り合わせて目を閉じました――。