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第21巻「ザカラス城の戦い」

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36.臆病

 アイル王は、ザカラス城の自分の部屋にいました。丸いテーブルの周囲を落ち着きなく歩き回っては、時々足を止めて、不安そうに聞き耳を立てています。王の部屋には窓がないので、外の様子は見えませんが、音だけは伝わってきました。遠くから聞こえてくるのは大勢のどなり声です。城は騒然とした雰囲気に包まれています――。

 そこへ扉をたたいて、一人の伝令が駆け込んできました。

「陛下に急ぎお知らせします! 麓のザカリアを制圧した敵軍が攻め上ってきて、この城を包囲いたしました! その数はおよそ一千! 守備隊が正門で防いでいますが――その――正門を守る兵士たちから奇妙な情報が入っております」

 一瞬口ごもった伝令を、アイル王は見据えました。普段から神経質そうな王ですが、今はなおさらぴりぴりしているように見えます。

「て、敵の人数が増えている……。ふ、船でやってきたのは二百人足らずだったと聞いたのに、い、今は千人もいるのか。ザ、ザカリア市民が敵軍に加わっているのだな?」

 何故それを、と伝令は思わず口走り、あわてて王に頭を下げました。

「ご慧眼(けいがん)おそれいりました。陛下のおっしゃるとおり、ザカリアの市民が敵兵と共に城を包囲している、という報告が入っております。敵に家を焼かれた者たちのはずなのですが、男も女も老いも若きも、手に手に棒きれなどを持ち、矢が飛んでくる敵の最前列に立って、ザカラス城を落とせ! と叫んでいるそうです」

「ひ、避難しそこねた市民が、て、敵に奪われたのだ。こ、こちらの攻撃の盾に使われている……。と、ところで、ナ、ナズナバ砦の兵はどうなのだ? や、やはり敵と共に攻めてきているのか?」

 王に聞き返されて、伝令は、はっきりと顔色を変えました。目を伏せ、低い声で答えます。

「そのような噂も伝わってきております。敵の中でも特にめざましく戦っていたのは、ナズナバを守っていた部隊の兵士だったと……。ですが、規律正しい我が軍からそのような卑怯な裏切り者が出てくるとは、とても信じられません! 何かの間違いではないかと――!」

 アイル王は首を振りました。

「て、敵の司令官は、じ、人心を操る闇の魔法使いなのだ。わ、我が軍の兵が取り込まれたとなれば、やはりこれまで。し、城を守っている兵士全員に、こ、攻撃をやめて、城壁の内側へ撤退するように伝えるのだ」

 撤退! と伝令は驚きました。

「陛下、我々はまだ充分に戦えます! ザカリアは燃え、城も敵に包囲されていますが、堀と頑丈な城壁が城を守り、三千名の守備隊が正門の前と城壁の上に立って敵の侵入を防いでいるのです! ザカラス城は難攻不落の城! しかも敵は我らよりはるかに少ないのです! ここを拠点に戦えば、必ず我々は――」

 けれどもアイル王は繰り返しました。

「て、撤退だ。し、指示は追って下す。そ、それに従うよう、各部隊に伝えるのだ」

 ザカラスでは王の命令は絶対です。伝令はしかたなく引き下がっていきました。アイル王に対して、なんと臆病な君主だ、と思ったようでしたが、賢明にも口には出しませんでした。

 

 アイル王がまた部屋に一人きりになると、誰もいないはずの隅から声がしました。

「なにゆえ陛下は徹底抗戦をなさらないのでしょう。伝令が申し上げたとおり、ザカラス城は難攻不落の名城です。千の敵がその二十倍になっても、何年もの間、悠々と持ちこたえるはずでございますが」

 声がした場所から現れたのは、聖職者の衣と象徴を身につけた老人でした。うやうやしくアイル王に頭を下げて、返事を待ちます。

 王は神経質に両手の指を組んだりほどいたりし始めました。

「そ、それは攻めてくるのが通常の敵であった場合だ。こ、今回の敵にはあてはまらない」

「おそれながら、陛下、この城は魔法の攻撃にも耐えられるよう、長い年月をかけて防御を重ねてきた要塞でございます。たとえ敵が魔法使いであっても、城に侵入したり攻撃したりすることはできません。どれほど強力な魔法が使われても、城の跳ね橋ひとつ落とすこともできないのです。敵前逃亡を図るのは、あまりにも早計ではないかと思われますが」

 老人は古くからザカラス城で王に仕えてきた魔法僧侶でした。今は城内にある寺院の司祭長を務めています。やはり徹底抗戦を勧められて、王は言い返しました。

「そ、それは通常の敵の話だと言っている。セ、セイロスには通用しない。そ、それに、ザカラス城はそなたが言うほど強固な城ではない。い、一年前、城があやうく完全に崩壊しそうになったことを、わ、忘れたのか?」

 司祭長はたちまち渋い顔になりました。

「あれは金の石の勇者たちのしわざでございます。それに、復旧する際に、城の魔法防御力は以前より高められました。今度はどのような魔法にも打ち勝ちます」

 食い下がる魔法使いに、アイル王はまた頭を振りました。

「そ、そんな生やさしい相手ではないのだ。なにしろ敵は――」

 

 そのとき、外からまた、わぁぁっと人々の声が聞こえてきて、石造りの城を震わせました。何事かと王たちが驚いていると、今度は宰相と別の伝令が王の部屋に飛び込んできました。伝令が悲鳴のように叫びます。

「陛下、正門の跳ね橋が敵に下ろされました! まもなく敵が城内に突入してまいります!」

 まさか!? と司祭長は仰天しました。宰相も青ざめた顔で、あわてふためいています。難攻不落のはずのザカラス城が、あっという間に敵の侵入を許してしまったのです。

 ところが、おろおろする人々の間で、アイル王だけは急に落ち着いた表情に変わっていきました。やはり青い顔はしていますが、神経質に手を動かすのをやめて、伝令に聞き返します。

「ど、どのようにして侵入してきた。や、やはり魔法か?」

「いえ、守備隊に裏切り者がいて、中から跳ね橋を下ろしてしまったと――! 裏切り者はその場で切り殺されましたが、敵が橋を渡り始めております!」

 伝令の声は相変わらず悲鳴のようでした。

「あ、操り人形は、城の守備隊の中にいたか……」

 とアイル王がつぶやきます。

 そこへさらに新しい伝令が駆け込んできました。部屋の人々へ声を張り上げます。

「現在、守備隊が正門の落とし格子を下ろして、敵の侵入を食い止めております!  敵が下の土を掘って格子を倒そうとしているので、守備隊が矢で攻撃しているのですが、敵はまったく引きません!」

 アイル王はすぐに応えました。

「そ、それは敵に操られたザカラス市民だ。み、身内を殺してはならない。そ、即刻攻撃を中止せよ」

「陛下、それでは敵に城内に侵入されてしまいます!!」

 と宰相が金切り声を上げました。怒濤(どとう)のような敵の侵入に、パニックになっています。

 アイル王は首を振りました。

「ど、どれほど守っても、敵はまもなく城に突入してくる。か、覚悟を決めよ、宰相。こ、このザカラス城を捨てるのだ」

 

 宰相、司祭長、二人の伝令――王の部屋にいた家臣たちは、王のことばに思わず絶句しました。ザカラス城を捨てる。それは、あまりと言えばあまりの決断でした。何故城を守って抗戦しないのか、と誰もが考えます。

 すると、アイル王は話し続けました。

「わ、我らが恐れるべきは、この城を奪われることではない。は、はるか昔から、この城は幾度も敵に攻め込まれ、と、時には敵に占拠されたこともあったのだから。し、城は奪われても、いずれまた取り戻すことができる。だ、だが、この城の優秀なものたちが奪われ、あ、操り人形のように利用されるとしたら――た、大陸でも一二を争う強力なザカラス正規軍や、大きな力を持つ魔法使いたちが、す、すべて敵の陣営に回ってしまったとしたら――そ、それはザカラスだけの被害に留まらない。せ、世界中にとって、とてつもない脅威になってしまうのだ」

 家臣たちはまだ絶句したままでしたが、それぞれの顔に納得の表情が浮かんできました。王の言うことがようやく理解できたのです。

 けれども、宰相だけはまだ不安な顔をしていました。

「で、ですが、どちらへ避難したら良いのでしょう、陛下。行き先は?」

 と尋ねます。ザカラス城内には、兵士たちも合わせれば、五千人近い人間がいるのです。

 アイル王は言いました。

「し、城の者だけでなく、ザ、ザカリアの市民も市外に脱出しているのだから、ひ、避難者の数は多い。い、いくつもの集団に分かれ、しゅ、守備隊が部隊ごとに護衛につき、て、敵に捕まらぬよう気をつけながら、諸侯の領地へ逃げ込めむのだ。ま、万が一、敵に遭遇しそうになったら、戦うことなど考えずに、い、一目散に安全な場所まで逃げよ。りょ、領主たちには、ザカリアからの避難民が来たなら、え、援軍の派遣を取りやめ、避難民を受け入れて領地の守りを固めるよう、め、命令を下してある。よ、よいか。て、敵に捕まれば、操られて味方を攻撃するようになるのだから、く、くれぐれも捕まらぬようにするのだ」

 陛下――と家臣たちは言って、またことばを続けられなくなりました。王がこの状況を前々から予想して、準備を整えてきたのだと悟ったのです。彼らの主君は臆病者などではありませんでした。非常に慎重で、用意周到な王だったのです。

 

「それでは、脱出の血路を我々魔法使いが開きましょう」

 と司祭長が進み出て言いました。城から逃げ出すためには、敵の包囲網を突破しなくてはならなかったのです。

 すると、アイル王はまた首を振りました。

「そ、その必要はない。ひ、避難路はこの城の中にある」

 と謎めいたことを言って、部屋の後ろの壁に触れてみせます。とたんに、そこに小さな扉が現れました。扉の奥には金の取っ手があります。

 アイル王が取っ手を引くと、城中に大きな音が響き渡りました。王の部屋でも、壁が急に音を立てて横に動き、四角い入り口が現れます。その向こうは薄ぼんやりした光に充ちた石の階段になっていました。

「これは……」

 と家臣たちは驚き、あっけにとられてしまいました。ザカラス城には王族が城を脱出するための通路が隠されている、と昔から言われていましたが、それが口を開けたのです。

 アイル王は微笑しました。

「こ、これは、ザカラス城を再建する際に、私が命じて造らせた、い、一番新しい隠し通路だ。い、今、通路の入り口は城のいたるところに現れた。し、城にいる者たちは全員ここを通り抜け、て、敵に遭遇することなく、城から脱出するのだ。つ、通路の出口は、山の裏手に開いている。さ、先に急ぎ集めた食料も、出口のそばに準備しておいた。ひ、避難者に食料を配り、それぞれに各地へ避難せよ。こ、これはザカラス王の命令だ」

 壁に開いた秘密の通路を前に、アイル王は家臣たちにそう命じました――。

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