ロムド城の中のアリアンの部屋を訪ねると、小さな居間にはアリアンだけでなく、キースや黒い鷹に化けたグーリー、赤毛の小猿に変身しているゾとヨもいて、テーブルでお茶を飲んでいる最中でした。居間とそれを挟んだ二つの個室はアリアンとキースの部屋で、許可がなければ入ることができない個人的な区画になっているのです。もちろん、フルートたちは友人なので、すぐに彼らの居間に招き入れられました。
「同じ城内にいるのに、なかなか顔を合わせる機会がないから、なんだか久しぶりのような気がするね。黒茶と花茶とユラサイの青茶のどれがいい?」
とキースがフルートたちに尋ねました。ついでに指をひとふりしてテーブルを広げ、全員が座れるだけの長椅子も魔法で出します。
勇者の一行は椅子に座りながら、てんでに好みのお茶をリクエストしました。キースがまた指を振ると、彼らの前に湯気の立つカップが現れてきます。アリアンも立ち上がって、手作りのケーキを切り分けてくれました。
「今日は陛下からお休みをいただいたの。ずっと監視を続けていたから、少し休憩しなさい、って言われて。だから、お城の台所でクルミのケーキを焼いてみたのよ。みんなの口に合うといいのだけれど」
とアリアンが言うと、キースは肩をすくめました。
「君はちょっと働き過ぎなんだよ、アリアン。朝から晩まで、来る日も来る日も鏡をのぞき続けて。一生懸命なのはいいが、たまには息抜きも必要だぞ」
そんな話をするキースは、白い服に青いマント、長い黒髪を後ろで束ねた美青年です。見つめられたアリアンが恥ずかしそうに目を伏せますが、こちらも薄緑のドレスに流れる黒髪の、誰もが息を呑む絶世の美女でした。うつむいたまま、控えめな声で言います。
「私は透視をしているときが一番気持ちが落ち着くの……。自分が陛下やこの国のためにお役に立っているんだ、って思えるから。心配いらないわ」
「まったく、君は」
とキースは口を尖らせて椅子にもたれましたが、それでも美しいアリアンを横目で眺め続けました。こんなふうに彼女の顔を見るのは久しぶりのことだったのです。透視をしているときには、鏡に向かって立っている彼女の後ろ姿しか見ることができません――。
フルートは、黒茶を一口飲むと、おもむろに話を切り出しました。
「実は、今日お城に到着した、ザカラス国のトーマ王子のことなんだけどね――」
すると、ゾとヨがちょろちょろとフルートの膝に上がってきて口を挟みました。
「オレたち、トーマ王子が執務室に入っていくところを見たゾ」
「フルートたちより年下だって聞いたのに、なんだかフルートたちより偉そうだったヨ」
ゼンは肩をすくめました。
「あっちはザカラスの皇太子だ。皇太子ってヤツは、基本的にいばってやがるものなんだよ」
とたんにゾとヨは騒ぎ出しました。
「変だゾ、変だゾ! 皇太子ならオリバンだって同じだゾ!」
「そうだヨ! オリバンは皇太子だけど全然いばってないヨ――!」
「ごめん、ゾ、ヨ。話したいことがあるから、ちょっと静かにしていてくれるかな」
フルートは苦笑いしながら小猿たちを床に下ろすと、アリアンへ身を乗り出しました。
「今日到着したトーマ王子は、アイル王の手紙を預かってきたんだけれど、どうやらセイロスが北からザカラスに攻め込もうとしているらしいんだ。さっきワルラ将軍がロムド王の命令で出動していったし、ゴーリスも、セイロスがこっちに矛先を変えたときの用心に、守備隊を指揮することになった。セイロスが今どこにいて、どっちのほうに向かおうとしているのか、確かめたいんだ。悪いんだけれど、また透視をしてもらえるかな?」
おい! とキースは跳ね起きました。
「今日は久しぶりの休みなんだ、と言ったばかりじゃないか! 休日にまで彼女を働かせるつもりか!?」
青年は自分のことのように怒っていましたが、アリアンは首を振りました。
「いいえ、大丈夫。私は疲れてなんていないから。それに、他でもないフルートたちの頼みですもの。聞いてあげたいわ」
「だめだ! この後、みんなで馬車で遠乗りに出かけることにしているんだぞ! 馬車ももう頼んであるのに!」
それを聞いて小猿たちも騒ぎ始めました。
「ホントかヨ!? 遠乗りにいけなくなるのかヨ!?」
「森に行くって言われたから、楽しみにしていたんだゾ! 行けなくなるなんてイヤだゾ!」
「きっと、そんなに時間はかからないわよ。場所ははっきりしているから。ザカラス国の北の方を見ればいいのでしょう?」
とアリアンが立ち上がって壁の鏡へ歩き出したので、キースはフルートを力一杯にらみつけました。フルートは思わず首をすくめます。
アリアンが鏡に景色を見つけるまでの間、また少し話をする時間ができました。メールがフルートへ話しかけます。
「ねぇ、アリアンにセイロスの様子を映してもらってさ、ヤツがどこにいるかわかったら、次はどうするのさ? ザカラスに攻め込まないように防ぎに行くのかい?」
「状況次第だな。奴らがどのくらいの規模なのかも確認しないと。何千っていう敵にぼくたちだけで立ち向かうのは、いくらなんでも無謀だ」
とフルートは答えました。敵の総大将がセイロスだということも、フルートを慎重にさせます。
すると、ポチが思い出したように言いました。
「ワン、そういえばアイル王の手紙には、セイロスがなんらかの手段で味方の兵を増やしている、って書いてありましたよね。奴が復活したときには、味方はランジュール一人しかいなかったのに。こんな短期間に、どんな方法を使ったんだろう?」
それに答えたのはポポロでした。
「人を思い通りに動かす方法はいくつかあるわ。心縛りの術や、傀儡(かいらい)の魔法や……。セイロスはデビルドラゴンだから、闇の石で操っている可能性もあるわね」
とたんにキースが、はっ! と笑い声を立てました。
「セイロスに従っている兵隊ってのは人間なんだろう? 天空の民ならともかく、地上の人間に対して闇の石を使えるはずはないさ。石に触れたとたん、石に肉体も魂も呑み込まれて、闇の怪物に変わってしまうんだからな!」
皮肉っぽい口調に、ご、ごめんなさい……とポポロがしょげたので、ルルが乗り出してきました。
「なによ、キース! それじゃ他にどんな方法があるのか教えなさいよ! あなたは闇の国の王子なんだもの、闇が人を操る方法も知っているはずでしょう!?」
「それを君たちに教える義務はないね」
キースは完全にへそを曲げていたので、意地悪くそんなことを言いましたが、とたんに止まり木でグーリーがピイピイと鳴いたので、むっとした顔になりました。
「なんだよ、ぼくのことをケチだなんて。いいさ、じゃあ教えてやる。闇の国で人間に言うことを聞かせようとするときには、まず鞭(むち)や武器で脅すんだよ。拷問(ごうもん)することもある。でも、そういう力ずくの方法では従えられないとわかったら、闇魔法で生み出した虫を使うんだ。それに取り憑かれた人間は、虫を創った奴の命令に絶対服従になって、親や友達を殺すことさえ躊躇(ちゅうちょ)しなくなるんだ」
フルートたちが思わず顔をしかめると、そこにゾとヨがまた口を挟んできました。
「服従の虫はオレたちゴブリンには効かないゾ」
「他の闇の連中にも効かないヨ。地上の人間専用だヨ」
メールは眉をひそめました。
「やだね。セイロスはそれを使って手下を増やしてるのかい?」
「俺たちも取り憑かれないようにしねえとな」
とゼンも言うと、キースはまた肩をすくめました。
「君たちは心配ないだろう。なにしろ、君たちにはポポロがいるからな。体の中に光の魔法を流し込めば、闇の国の虫なんて、あっというまに離れていくよ」
なんだかんだ言いながらも、必要な情報をいろいろと教えてくれるキースです。
フルートは仲間たちの話を聞きながら、じっと考えていました。闇の虫を使って兵を増やしているのかもしれないセイロス。その直近(ちょっきん)の目的地はザカラス城です。ザカラス城にはすでにセイロスの手の者が入り込んでいるようだ、とも聞きましたが、それもやっぱり闇の虫に取り憑かれた人物なのかもしれません。
フルートは急にアイル王が心配になってきました。今すぐザカラス城へ飛んで、城とアイル王を護るために戦うほうがいいかもしれない、と考え続けます。風の犬になったポチとルルに乗れば、ザカラス城までは二時間足らずなので、セイロスにさえ見つからなければ、援軍の第一陣になって駆けつけることができます――。
そのとき、鏡の前からアリアンが声を上げました。
「見つけたわ! きっとこれよ!」
部屋の中の全員がアリアンの鏡に集まりました。ポチとルルはゼンの肩に、ゾとヨはキースの肩に飛びつき、グーリーも空中で羽ばたいて鏡をのぞきます。
そこに映っていたのは、ばらばらな装備をした軍勢でした。川に浮かんだ数隻の船にぎっしり乗り合わせていて、岸辺に拡がる街へ次々と火矢を放っています。
折からの風にあおられて、火はすでに街に燃え広がっていました。ごうごうと音を立てて燃えさかり、大量の火の粉を別の場所に降らせては、また新たな火事を起こします。
「どこだ、ここは!?」
とキースは驚いて叫びました。炎の中には、燃える街から逃げ出す人々の姿が、影絵のように見えていました。水がある川のほうへ逃げてくるので、たちまち岸辺が避難者でいっぱいになってしまいます。
この様子にゾとヨはキィキィとわめき、キースの体を上ったり下りたりしました。グーリーも羽をばたつかせて興奮しますが、フルートたちは逆に声もなく鏡の中を見つめてしまいました。燃える街の後ろには岩山がそびえていて、中腹の崖に大きな赤い城が建っています。それは暁城の異名を持つザカラス城でした。燃えているのは、城の麓に広がる王都ザカリアです。
フルートは馬にまたがっている人物を船上に見つけて、ぎゅっと両手を握りしめました。様々な防具を着た男たちがひしめく中、その人物はひときわ目につく紫の鎧兜を身につけています。
すると、紫の人物が船上で声を張り上げました。
「諸君、岸の連中を全員捕虜にしろ! いつものように、抵抗する奴は殺してかまわん! 上陸!」
おぉう!!!
とどろくような雄叫びを上げて、船から岸辺へ軍勢の上陸が始まりました――。