突然上空から谷底へ舞い降りてきたのは、金の石の勇者の一行でした。風の犬になったポチとルルの上に、それぞれフルートとポポロ、ゼンとメールが乗っています。フルートとゼンは私服姿でしたが、手に自分の武器を握っていました。ゼンが二本目の矢をつがえて放ちます。
キィ。
大カマキリは矢が当たりそうになって、甲高い声を上げて飛び退きました。ランジュールはいまいましそうに空を見上げます。
「キミたち、どぉしてここがわかったのさぁ!? キミたちは遠いロムド城にいたはずだろぉ!?」
すると、ゼンが言い返しました。
「ばぁか! ここはもうロムド国内だぜ! ロムドで起きてることに、ユギルさんが気づかないはずねえだろうが!」
「国境の関所で事件が起きてるみたいだって言われて、アリアンが透視したのさ! そしたらこれだもんね!」
「全速力で飛んできたのよ!」
とメールとルルも口々に言います。
うぅん、とランジュールはうなりました。
「やっかいな連中が出てきちゃったなぁ。今回は勇者くんたちと戦う計画じゃなかったのに」
「トーマ王子たちから離れろ! さもないと――」
フルートは抜き身の剣を振り上げました。黒い柄に赤い石がはめ込まれた炎の剣です。
ランジュールは飛び上がりました。
「やめてよぉ! ボクがせっかく捕まえてきた魔獣なんだからさぁ! あぁ、でも獣じゃなくて虫だから魔虫かな? とにかく、セイロスくんがなかなか魔獣をくれないから、自分で調達してきた大事なカマキリなんだからね! 殺したりしたら承知しないからぁ!」
たちまち大カマキリの姿は薄くなって、見えなくなりました。ランジュールが別の場所へ逃がしたのです。
一人になった幽霊は、おもむろに腕を組んで考え込みました。
「さぁて、どぉしよっかなぁ。はっきり言って、ボクは今、勇者くんたちに対抗できるような魔獣を持ってないんだよねぇ。魔法使いのお嬢ちゃんは、きっと今日はまだ魔法を一度も使ってないんだろぉし、ザカラスの王子様の預かり物だって、実際には内容なんてだいたいわかってるしぃ。どぉせ、ザカラスを助けに来てくれ、ってロムド王にお願いする手紙なんだよねぇ――。うん、これは無理する必要はないなぁ。退散退散、逃げるが勝ち。じゃぁねぇ、勇者くんたち。セイロスくんからとびきり強い魔獣がもらえたら、改めてキミたちを殺しに来るからねぇ。うふふふ……」
あれほどしつこく王子たちにつきまとっていた幽霊が、勇者の一行を見たとたん、あっけなく撤退していきました。勝ち目のない戦いには絶対に挑まないのがランジュールです。後には、空に浮かぶ勇者の一行と、谷底にうずくまるトーマ王子とシン・ウェイが残されます。
すると、王子が空を見上げて叫びました。
「早く! 早くシンを助けてくれ! 目をやられてる!!」
悲鳴のような声に、勇者たちは驚いて降りていきました――。
大カマキリに切り裂かれたシン・ウェイの目は、フルートが金の石を押し当てると、たちまち治っていきました。傷が消えたまぶたを開けて、黒い瞳で周囲を見回します。
「ああ、見えるぞ。助かった」
と青年が言ったので、一行はほっとしました。
「気がつくのが遅れてすみません。怪我をなさっているとは思わなかったんです」
とフルートが詫びたので、シン・ウェイは首を振りました。
「いいや、本当に助かった。もう少しで、俺も王子もあいつにやられるところだったからな。ありがとう」
そして、彼は王子の頭に手を載せました。王子は青年が目を開けたとたん、またしがみついてしまったのです。
「護衛なのに心配をかけて悪かったな。金の石の勇者たちも来てくれたし、もう大丈夫だぞ」
王子に対することば遣いにしてはずいぶん砕けていたので、フルートたちは、おやと思いました。プライド高いトーマ王子が、無礼者め! と怒り出すのではないかと心配します。
けれども、王子はどなりませんでした。白いマフラーの端を握りしめたまま、シン・ウェイの服に顔を押しつけています。
「どうした?」
青年がその顔をのぞき込もうとすると、王子は言いました。
「良かった、シン……目が治って、本当に良かった……」
それは涙声でした。王子は青年の胸に顔を埋めて泣き出していたのです。シン・ウェイは驚き、フルートたちも思わず顔を見合わせてしまいます。
すると、王子は背中を震わせ始めました。声も震わせながら言い続けます。
「シンが死んでしまうかと思った……。おまえが死んでしまったら、ぼくのせいだ。ぼくが橋の上でへまをしたから……。危険な目に遭わせてすまなかった。ぼくは……ぼくは……」
声に嗚咽(おえつ)が混じって、それ以上話せなくなってしまいます。
シン・ウェイは本当に驚いた顔になりました。
「おいおい、何を言ってるんだ。俺はあんたの護衛だぞ、王子。危険な目に遭うなんてのは当たり前なんだし、むしろ、俺のほうがあんたを危険な目に遭わせて悪かった、と謝らなくちゃいけないんだからな」
けれども、王子は顔を上げませんでした。シン・ウェイにしがみついたまま、しゃくり上げて泣き続けます。
すると、メールがシン・ウェイに言いました。
「その王子様はさ、ホントはすごく素直な子なんだよ。誰かに謝ったりすることだって、ちゃんとできるんだ。ただ、いつもは、つまんないプライドに邪魔されて素直になれないことが多いだけでさ」
とたんに王子は、がばと顔を上げました。真っ赤になってメールにどなります。
「な、なんだその言い方は!? 誰がつまらないプライドに邪魔されているって!? ぼくを侮辱するつもりか!?」
「そら。それがつまんないプライドなんだよ」
とメールは遠慮もなく王子を指さし、細い腰に両手を当てて身を乗り出しました。
「いいかい? こういうときには、あんたの護衛に素直にこう言えばいいのさ――。護ってくれてありがとう。君が無事でいてくれて良かった、ってね」
王子は目を丸くしました。また顔を赤くしましたが、それは怒りのせいではありません。
シン・ウェイのほうも、あわてて手を振りました。
「いやいや、俺は王の命令で王子を護っているんだ。仕事なんだから、ありがとうなんて感謝してもらう筋合いじゃないさ。それより、早いとこ、ここから上げてくれないか。橋の上に犬を残しているんだ――」
とフルートたちに頭上を示して見せます。確かに谷の上の橋では犬がほえていました。やきもきしているようなルーピーの声です。
ところが、シン・ウェイの顔が、ぐいと正面に引き戻されました。王子がマフラーを強く引っ張ったのです。まっすぐに青年を見上げながら言います。
「シン、ありがとう。シンが助かって、本当に良かった」
「あ、ああ……」
王子があまりに真剣で素直だったので、シン・ウェイは完全に面食らってしまいました。そんな様子に、フルートたちは笑顔になります。
「ワン、それじゃ早くロムド城に行きましょう。ロムド王たちがとても心配してくださっているんですよ」
とポチは言って、ルルとまた変身しました。ところが、トーマ王子やシン・ウェイは風の犬に乗ることができません。
フルートはメールに言いました。
「谷には草も木もある。花鳥で彼らを城まで運ぼう」
「あいよ、任せな!」
花使いの姫が張り切って谷の植物へ呼びかけ始めます。
「どれ、俺は橋から犬を下ろしてくるか」
とゼンはルルと谷の上へ飛び上がっていきました。ポポロは何か落とし物や忘れ物はないかと周囲を見回しています。
何もかもがてきぱきと動いていく状況を、王子とシン・ウェイは感心しながら眺めていました。やっと安堵の気持ちもわいてきます。そんなシン・ウェイの手は、今もまた王子の頭の上に載っていました――。