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第21巻「ザカラス城の戦い」

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第9章 進軍

25.進軍

 場所は再びザカラス城。

 トーマ王子を密かに送り出した後、城ではあわただしい動きが続いていました。国内の領主へ、ただちに軍隊を出動させるように、という伝令が飛び、城にいた正規軍の兵士たちは城の内外の守りを強化します。何が始まるのかわからずにいた城の人々も、今はもうはっきりと敵が攻めてくるのだと気づいていました。麓のザカリアの街から大量の武器や食料などが城に運び込まれてきたからです。

「北から敵が攻めてくるらしいな」

「ああ。タス海のちっぽけな島から攻めてきたそうじゃないか」

「北隣のトマン国がやられたって?」

「トマンは小さい国だ。ろくな軍隊もないし、まともな魔法使いもいないんだから、攻められれば抵抗もできなかっただろう」

「だが、国境を越えてムーバン領にも入り込んできたというじゃないか」

「ザカラスはトマンとは違うさ。正規軍が駆けつければ、連中はあんまり手ごわいのに驚いて、すぐに島に逃げ帰るに決まってる」

「それもそうか」

 戦いの準備は急ピッチで進んでいますが、城の人々は割合のんびりと構えていました。これまで東のロムド国や南西諸国と幾度となく戦争を繰り返してきたザカラスですが、北方には弱小の国しかなかったので、北で戦闘が起きたことはありません。北からの攻撃などたいしたことはないだろう、と多くの人が考えていたのです。

 

 それは城下のザカリアの街でも同様でした。城から急に大量の物資の注文が来たので、街全体が祭りの準備のような騒ぎになっています。

「北の島の蛮族がザカラスに攻めてくるんだとよ。命知らずな連中だぜ」

「まったくだ。ザカラス正規軍の恐ろしさを知らないな」

「ザカラスには、軍隊の他に魔法使いや使い魔も大勢いるんだ。かなうわけがない」

「なのに、城にこんなに物資を蓄えようっていうんだから、今度の王様は本当に慎重だよな。二年も籠城(ろうじょう)するつもりかね」

「そう言うなって。王様が大量に買い付けしてくれるおかげで、こっちは思いがけず商売繁盛しているんだから」

「できれば、敵には少しがんばってほしいねぇ。そうすりゃこの景気も続くからさ」

 ザカリアは海路や水路を通じた商売が盛んなので、この戦いを歓迎する市民は少なくありませんでした。軍隊は街を囲む壁の外側に先端を尖らせた杭を打ち込んだり、水路の船着き場に防壁を作ったりと、防御に余念がありませんが、市民は誰一人として、本当に敵がザカリアにやってくるとは考えていません。当然、激戦を予想して街から逃げだそうとする者もありませんでした。降ってわいた好景気に喜んでいるだけです。

 

 そんな中、王の執務室だけでは、非常に深刻なやりとりが交わされていました。宰相が早鳥の運んできた知らせを報告していたのです。

「陛下、こちらからの援軍が到着する前に、ムーバン候が敵に敗れました。ムーバン候は戦死して、屋敷には火が放たれたとのこと。そして――」

 宰相は急に口ごもりました。もう何度も目を通していた通信文を、確かめるようにまた眺めます。アイル王が察して言いました。

「ム、ムーバン候の私兵が、て、敵についたか。ト、トマンと同じだな」

 宰相はうつむきました。普段冷静な男が、珍しく怒りに身震いしていました。

「わ……私は信じられません、陛下! ザカラスの兵は、領主の私兵に至るまで質実剛健なことで有名です。いくら敵が強かったとしても、ろくに抵抗もせず敵に寝返ることなど、ありえません!」

 アイル王は藍色の目を細めるように宰相を見ました。相変わらず頼りなさそうな風体をしていますが、この戦いの知らせを受けてから、王は一度も取り乱してはいませんでした。神経質そうな表情は相変わらずですが、常に何かを考え、次々と命令を下しています。それは大軍の攻撃を想定した準備でした。

「さ、宰相――わ、我々は常に最悪の事態を考えなくてはならない。げ、現にムーバン候の兵は、て、敵に寝返ったのだ。て、敵軍はすでに二万を越えているだろう」

 宰相は絶句しました。ムーバン領へ援軍を送り出したので、今現在ザカラス城と城下のザカリアを守っている正規軍は、四千名程度です。近隣の領地から領主たちが兵を率いて駆けつけているので、日ごとに人数は増えるはずでしたが、それでも二万を越える兵が集まるのには時間がかかりそうな状況でした。

 すると、アイル王はまた言いました。

「だ、大丈夫だ。わ、我々にはまだ希望がある。ト、トーマが東へ向かった」

 王はここまでトーマ王子が救援要請に向かったことを、誰にも話していませんでした。宰相が、はたと膝を打ちます。

「この二、三日、殿下のお姿を見かけないと思っていましたが、殿下はロムドへおいでになっていたのですか! では、ロムドからも援軍がやって参りますね! なにしろ、ロムドはメノア様のお嫁ぎ先です!」

 アイル王はうなずきました。

「わ、私はロムド城で、ど、同盟の誓約書にサインをしてきた。め、盟約に従って、ロムドは出兵してくれるだろう」

「ありがたいことです! ロムドとは長年敵対してきましたが、今は頼もしい味方です。ロムド軍が救援に駆けつけると聞けば、国内の諸侯もこぞって出兵することでしょう!」

 と宰相は心底安心したように言い続けました。アイル王はまだ王に就任して間もないし、先のギゾン王と違って、人を圧倒するような存在感もありません。敵が城を攻めてくると聞いても、諸侯はなかなか動き出さないのでは――と宰相は密かに心配していたのでした。

「ト、トーマはユラサイの術師ととともに、空飛ぶ馬車で向かった。い、今頃はロムド城に到着して、こ、こちらの状況を伝えているはずだ」

 と王は東の方角へ目を向けます。

 

 ところが、宰相が退出しようとしたところへ、執務室に伝令が駆け込んできました。王と宰相の前に膝をつき、十分な礼を尽くせないことを早口にわびてから、報告を始めます。

「たったいま入った連絡によりますと、東部のホアティ候が領内で空飛ぶ馬車の御者を保護したとのことでございます! 殿下と護衛の魔法使いをロムド城まで運ぶ途中、敵に襲撃されて墜落。かろうじて一命は取り留めたものの、怪我をしてホアティ候の城で手当を受けているそうです!」

 アイル王は執務席の椅子から立ち上がりました。宰相も真っ青になります。

「空飛ぶ馬車が襲撃されただと!? それで殿下は!?」

「引き続き敵に襲われているところを御者が目撃した後、馬車も殿下も行方不明でございます! 念のため、ホアティ候が近隣の森の中を調査しましたが、馬車が墜落した痕は見つけられなかったとのこと。敵の捕虜になった可能性がある、と御者が申しているようです――」

 宰相は大きくうめいて頭を抱えました。アイル王も青ざめた顔のまま、呆然と立ち尽くします。実際には、トーマ王子は旅の子どもに姿を変えて、シン・ウェイとロムド城をめざし続けているのですが、彼らにはそんなことはわかりません。不吉な知らせに、うろたえるばかりです。

 

 すると、そこにまた別の伝令が駆け込んできました。今度の伝令は鎧兜をつけたままの戦姿をしています。

「陛下、ナズナバ砦(とりで)から早馬の伝令です!」

 と取り次ぎの家臣が言うと、兵士は王の前に両膝をついて兜を脱ぎました。砦からここまで馬を全速力で走らせてきたのでしょう。荒い息をして、汗をびっしょりかいています。

「へ、陛下に急ぎお知らせいたします――!」

 と兵士はあえぎながら言いました。

「ムーバン領を襲撃した敵が、領主館に火を放った後すぐに南下を始めました! 私が砦を出発した時点で、ナズナバの砦から北へ二日の地点まで接近! 移動の速度が非常に速いので、ひょっとすると今頃はもう砦に到達して、戦闘が始まっているかもしれません!」

 アイル王と宰相は再び絶句しました。先に報告をしていた伝令も、話を聞いて青くなっています。ナズナバの砦というのはザカラス城の北を守る王直轄の軍事施設で、北から攻めてくる敵を防ぐための要所でした。そこを破られてしまえば、敵はまっすぐ城まで南下してきます。

「敵は陸路を通っているのだな!? 船は使っていないのだな!?」

 と宰相が伝令に聞き返しました。ザカラスは水運の国なので、国中至る所に、網の目のように運河が張り巡らされています。陸の道より運河を通るほうが、速くて便利なくらいなのです。敵が船で運河を下ってくれば、ナズナバの砦からザカラス城までは、わずか二日で到着してしまいます。

「敵は陸路を進軍。船は持っておりません」

 という伝令が答えたので宰相がほっとしていると、アイル王は青い顔のまま言いました。

「い、いや、安心はできぬ。ナ、ナズナバの砦には街道と運河が集まっていて、船も常に準備してある。ナ、ナズナバが敵の手に落ちれば、敵はきっとその船を使って下ってくるだろう――。さ、宰相、急ぎ軍艦をザカリアに! て、敵は速い。き、きっと運河からもやってくるに違いない!」

 宰相は飛び上がりました。言われてみれば、王の推察通りだったのです。

 ナズナバからの兵士は必死で言い続けました。

「砦は我々正規軍が死守しております。ここへ来る途中、陛下が送り出された援軍ともすれ違いました。むざむざ敵に侵略を許すようなことはいたしません!」

「て、敵の数は?」

 とアイル王は聞き返しました。先ほど、王は敵が二万を越えているかもしれない、と予想したのです。

「報告によると、敵軍はおよそ二万八千。そのうち、馬に乗った騎兵は八百人程度です」

 と伝令が答えたので、宰相はまた大きくうめきました。予想を大きく超えた規模でした。アマリル島から上陸してきたときよりふくれあがっているからには、行く先々で兵士を増やしているのに違いありません。その中にはきっと、ザカラスの領主だったムーバン候の私兵も加わっているのです。

 

 アイル王は、わなわなと震えました。甲高い声で言います。

「ナ、ナズナバの砦の常駐兵は千人だ! え、援軍と合わせても四千に届かないのだから、そ、それでどうやって守る!? き、北へ! ナ、ナズナバの砦へ、さらに援軍を差し向けるのだ! ザ、ザカリアには軍艦を集結! て、敵は速いぞ! 急ぐのだ!」

 宰相も伝令たちも執務室を飛び出していきました。アイル王がどさりと椅子に座り込むと、入れ替わりに侍女たちが飛び込んできて、王に飲み物や気付け薬を差し出します。王は侍女たちを追い返すと、机の上で頭を抱え込んでしまいました。

「セ、セイロスの軍がこれほど速いとは――」

 うめくようなつぶやきが洩れました。さすがは初代の金の石の勇者というところですが、それを賞賛する気にはなれません。ロムド城にいる今の金の石の勇者を思い、そこへ助けを求めに行ったトーマ王子のことを思います。

「て、敵に捕まったのだろうか……」

 と王は考え続けました。空飛ぶ馬車が見つからない以上、敵の捕虜になった可能性は高いのですが、ひょっとしたら、という希望も持ち続けていました。王子の護衛につけたのは、闇に強いユラサイの術を使う青年です。

「ト、トーマ、ぶ、無事でいるのだぞ」

 王は頭を抱えていた手を、祈るように額の前で組み合わせました――。

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