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第21巻「ザカラス城の戦い」

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23.野宿

 道から離れて森の奥へ戻り、村人の声が聞こえなくなると、シン・ウェイはやっと立ち止まりました。日の暮れた森の中は、もう真っ暗です。トーマ王子はシン・ウェイに食ってかかりました。

「どうして森に戻ってきたんだ!? さっきまで、今夜は適当な家に泊まって、明日の朝、馬車を調達してロムド城へ向かうと言っていたじゃないか!」

 すると、シン・ウェイは肩をすくめました。

「さっきのあれを見ただろう? ランジュールが俺たちを捜し回っている。農家に泊まったりしたら、それだけでもうあいつに見つかるぞ。予定を変更して、今夜は森で野宿だ」

 ええっ!? と王子は周囲を見回しました。昼間でさえ薄暗い森の中は、夜になって、本当に真っ暗闇になっていました。すぐ近くにいるシン・ウェイはかろうじてわかりますが、足元にいるはずのルーピーはまったく見えません。こんなところで夜を過ごすなんて、と王子はひどく不安になりました。森の中で鳴き出したフクロウの声に、思わず飛び上がってしまいます。

 すると、シン・ウェイが笑いました。

「心配するなって。言っただろう、俺はこういう場所に慣れているんだよ。もう少し寝心地のいい場所を探そう。来い」

 術師の青年がまた歩き出したので、王子はあわてて後についていきました。はぐれれば真っ暗な森の中で迷子になってしまうので、見失わないように必死で追いかけます。一方、術師の青年は暗い森の中でも周囲の様子がわかるようでした。器用に茂みや木立をかわし、やがて木の根の這っていない平らな場所で立ち止まりました。

「よし、ここがいい。今夜は雨も降りそうにないから、絶好の野宿日和(びより)だぞ」

 のんびりとしたことばが冗談なのか本気なのか、王子には判断がつきません。

 

 そこへ、ルーピーが駆け戻ってきました。ずっとそばにいると思っていたのに、いつの間にかどこかへ行っていたのです。何かを王子の足元に置いて、はっはっと息をします。

「こりゃあいい、ウサギじゃないか!」

 とシン・ウェイは歓声を上げました。ルーピーは森の中でウサギを仕留めて運んできたのです。

「これで夕飯の材料も揃った。本当に素敵な夜になるぞ」

 青年はどこからか小刀を出すと、木の枝にウサギをつるして手際よくさばき始めました。

「火をおこすのか? 光でランジュールに見つかるんじゃないのか?」

 と王子が心配すると、青年は相変わらずのんびりと答えます。

「そうだな。火はおこさずに調理することにしよう。王子、その辺に落ちてる枝を使って、地面の真ん中に穴を掘ってくれ」

「穴を? なんのために?」

「いまにわかるって」

 目を丸くする王子に、青年は笑うだけです。

 しかたなく、王子は太い枝を見つけて地面に穴を掘っていきました。落ち葉が降り積もってできた土は柔らかく、掘るのにあまり力はいりませんでしたが、真っ暗闇の中で作業をするのはやはり大変でした。なんとか深さ三十センチほどまで掘ることができましたが、その頃には額にも背中にもたくさん汗をかいていました。

「よぉし、いいぞ」

 シン・ウェイは王子に替わって穴にかがみ込みました。何かをしているのですが、もう完全に暗くなってしまったので、王子には音しか聞こえません。

「何をしているんだ!? 見えないぞ!」

 と文句を言うと、シン・ウェイは、しかたないな、と呪符を一枚取りだして、そばの木に貼り付けました。とたんに呪符がぼうっと光り出して、あたりが見えるようになります。

「このくらいの光なら、木にさえぎられてランジュールにも見つからないだろう」

 とシン・ウェイが言います。

 あたりが明るくなって、王子は本当にほっとしました。ぼんやりした光に浮かび上がるシン・ウェイやルーピーの姿に、思わず涙が出そうになります。ザカラス城の中はいつもたくさんの灯りがともっているし、王子の行く先々はなおさらそうなので、暗くて困るということはまずありませんでした。灯りがこんなにも人を安心させてくれるのだということを、王子は初めて実感したのです。

 

 その間にもシン・ウェイは作業を続けていました。王子が掘った穴に落ち葉をたくさん入れ、その上に呪符をかざすと、呪符の端から水がこぼれ出します。それで落ち葉をたっぷり濡らしてから、布で包んだうさぎの肉を穴の中に置き、さらに上から落ち葉と土をかぶせていきます。

「肉を埋めるのか!?」

 と王子が驚くと、青年は笑って言いました。

「そうだ。ここからが本番さ」

 とまた呪符でたっぷりと水をかけ、さらに別の呪符を取りだして肉を埋めた場所に載せます。すると、間もなく地面からゆらゆらと白いものが出てきました。湯気が立ち上り始めたのです。

 そのそばに腰を下ろして、シン・ウェイは言いました。

「これは熱を出す呪符だ。野宿で火をおこせないときには、いろいろと便利なんだよ。米もあれば一緒に入れるんだが、残念ながら、そこまでの持ち合わせはなかったな」

 王子はまた目を丸くしてしまいました。いったいどんな料理ができあがるのか、と湯気を立てる地面を興味津々(きょうみしんしん)で見守ります。

 やがて、頃合いを見はからってシン・ウェイが掘りだした肉は、見事な蒸し焼きになっていました。残念ながら塩や香辛料などの調味料はありませんでしたが、空腹だったので、王子にはとてもおいしく感じられました。ウサギを捕まえた功労者のルーピーも、身がついた骨や蒸し焼きの内臓をもらいます。

 

 骨付き肉に夢中でかぶりつく王子と犬を、シン・ウェイは目を細めて眺めていました。やがて自分も座り込むと、マフラーを引き下げて肉を食べ始めます。マフラーの下から短い口ひげが生えた口元が現れたので、王子は思わず声を上げました。

「なんだ、普通の口があるんじゃないか!」

 その声があまり意外そうだったので、おいおい、とシン・ウェイは苦笑しました。

「いったいどんな口をしてると思ったんだ? まさか口がないとでも思っていたのか?」

「だって、おまえはいつも口元をマフラーで隠しているから、何か理由があるんだろうと思っていたんだ! 傷があるとか――!」

「理由はちゃんとあるさ。ユラサイの術師はみんな、普段は特別な布で口をおおってるんだよ。布がついた頭巾をかぶる奴も多いぞ」

「なんのために?」

「術を封じられないためだ――」

 とシン・ウェイは答え、肉をかじりながら、こんな話を聞かせてくれました。

「西の国々でよく知られている光や闇の魔法は、呪文を唱えるだけで発動するし、場合によっては呪文なしでも使えたりするが、ユラサイの術っていうのは、呪符に書かれた呪文の文字を読み上げて初めて力が発揮される。呪符を読み上げる声を封じられたら、それだけでもう術が使えなくなってしまうのさ。だから、術師は声を封じられることを一番警戒して、声封じの術を跳ね返す布で口元を守っているんだ。布は眠っているときでも外さない。外すのは、風呂に入るときと飯を食うときくらいだ。過去には、風呂に入っている間に敵の術師に襲われて、術が使えなくなって死んだ伝説の術師もいるぞ」

 へぇ、と王子は感心しました。これまでユラサイの術についてはまったく聞いたことがなかったので、とても素直に聞いてしまいます。そんな王子に、シン・ウェイは筒状に丸めた大きな木の葉を渡してきました。上で呪符を傾けると、中から水が出てきて木の葉の中に溜まります。

「飲める水だ。たっぷり飲め――。魔法を使わない人間には、魔法や術はなんでもできる便利なものに見えるかもしれないが、実際には、術にだってできることとできないことがあるし、準備をしなければ使えない術も多い。今回は、たまたまこうして水や熱の呪符を持ってきたから役に立ったが、闇の目をくらます呪符は持ってきていない。というか、そもそも、俺たちの術では闇の目はくらませないんだ。なんとかうまいことやって、ロムド城までたどり着かなくちゃいけないな」

 

 木の葉のコップで水を飲んでいた王子は、聞き捨てならない話に驚きました。

「闇の目をくらませないだと!? 本当なのか!?」

「ああ。ユラサイの術というのは、光や闇とは根本的にまったく違う力なんだ。だから、光や闇の魔法を打ち消すってことはできないんだよ。その代わり、向こうにとってもそれは同じことで、例えば闇魔法でユラサイの術を打ち消すこともできない。だから、ユラサイの術は闇に効果がある、と言われるのさ」

 王子は一生懸命これまでのことを思い出そうとしました。

「だ――だが、おまえは馬車に乗ったとき、目くらましの呪符を貼り付けてあるから大丈夫だ、と言ったじゃないか。あれは嘘だったのか!?」

「目くらましじゃない。姿隠しの呪符だ。たまたま近くを通る奴がいても、馬車や馬が見えないような術をかけていたんだよ。ただ、動物は勘がいいから、どうしても見破られるな。俺よりもっと力のある術師――例えば、ユラサイの王宮のラク殿なら、動物や闇の目もあざむけるくらい強力な術が使えるんだが、さすがに俺にそこまでの力はないしな」

 王子はそれを聞いて考え込んでしまいました。あまり長い間、黙っているので、シン・ウェイはまた苦笑しました。

「どうした。無様で頼りない護衛だと、また心配になったのか? ラク殿ほどの力はなくたって、俺だって――」

 王子は首を振りました。

「違う、そんなことは考えていない。ただちょっと、妙だな、と思っていたんだ」

「何が?」

 と今度はシン・ウェイが聞き返します。王子はいっそう考え込みながら言いました。

「闇の目をあざむいていないなら、どうして連中はぼくたちを見つけられないんだろう? とっくにぼくたちの居場所に気がついてもよさそうなのに――」

 シン・ウェイは目をぱちくりさせました。言われてみればその通りでしたが、彼にもその理由はわかりません。

 

 王子はその後も真剣に考え続けていましたが、やがて、両方のまぶたがゆっくり下がり始めました。座っていた体がゆらりと揺れて倒れ出したので、おっと、とシン・ウェイは受けとめて、地面に横にしてやりました。一日中緊張と恐怖の連続だったので、疲れが出て眠ってしまったのです。すうすうと寝息を立てる王子の顔は、まだ幼さを漂わせています。

 自分のマントを脱いで王子にかけてやりながら、シン・ウェイはつぶやきました。

「面白い王子だな、まったく。わがままかと思えば素直だし、何も知らないかと思えば急に賢いことを言う。初めはどうなることかと思ったが、どうやらまんざらでもない旅になりそうだぞ」

 クーン、とルーピーが鼻を鳴らしたので、その絶妙なタイミングにシン・ウェイは思わず笑いました。立ち上がり、近くの木に結界の呪符を貼り付けて獣が入り込めないようにすると、まだぬくもりが残っている熱の呪符を抱いて横になります。もちろん、マフラーはまた口の上に引きあげてあります。

 二人と一匹の旅人を、夜は静かに包んでいました――。

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