森の中に拓けた畑の中、一人の農夫が夕日を見ながら街道を歩いていました。
彼と一緒に行く馬は、農機具を積んだ荷車を引いています。ずんぐりした体つきに太い脚をした農耕馬ですが、その分、力が強くて畑をよく耕してくれます。農夫は馬の手綱を引きながら、よしよし、と首筋をなでてやりました。
「今日もよく働いてくれたな。家に着いたら飼い葉をたんとやるから、もうちょっとがんばれよ」
ことばがわかるのか、馬はおとなしく歩き続けます。
やがて、太陽は森の向こうへ沈んでしまい、空の夕映えも薄くなってきました。街道の左手に広がる森は黒々とした影に変わり、畑も急に薄暗くなってきます。夜になると森から獣が現れるので、農夫と馬は家路を急ぎました。まもなく、村の入口の橋が行く手に見えてきます。
ところがその時、馬が大きくいななきました。農夫も、うわぁっと声を上げて飛び上がります。彼らの目の前に、突然白い人のようなものが現れたからです。長い前髪で顔を半分隠した、若い男の幽霊でした。
「ねぇねぇ、そこのお百姓さぁん、ちょっと聞きたいんだけどさぁ――」
と幽霊から話しかけられて、農夫は腰を抜かしてしまいました。馬はまた大きくいななくと、手綱を振り切って村へ駆け込んでしまいます。農夫は道に座り込んだまま、立つことができません。
あれれぇ、と幽霊は言いました。
「驚かせちゃったかなぁ。うふふ、ごめんねぇ。あのさぁ、このあたりを見かけない人たちが通らなかったかなぁ? 白いマフラーを巻いたお兄さんと、いかにも上品そうな坊やの二人連れなんだけどさぁ」
農夫は、がたがた震えながら首を振りました。彼は自分の畑からまっすぐこの道を通って村に戻ってきたのですが、途中で誰ともすれ違わなかったのです。
「ほんとぉにぃ?」
と幽霊は疑わしそうな表情をすると、確かめるように顔を農夫へ近づけました。すると、風もないのに前髪が揺れて、隠れていた半分の顔が見えました。右目があるはずの場所は虚ろな穴になっています。
農夫はけたたましい悲鳴を上げると、頭を抱えて地面に突っ伏しました。救いを求めてユリスナイ神の名前を唱え始めます。
幽霊は腰に両手をあてて、うぅん、と言いました。
「どぉやら、王子様たちはこのあたりには来なかったみたいだねぇ。あの二人は目立つから、通れば絶対に見逃されるはずはないし。とすると、もうちょっと向こうのほうで森から道に出たのかなぁ。もう少し先まで行ってみようかなぁ」
すると、幽霊の後ろに人より大きなカマキリが現れました。鎌になった前脚を振り上げて、キチキチ、と声をたてます。
うふふっ、と幽霊は女のように笑いました。
「トウちゃんは夕ごはんにしたいのぉ? そうだねぇ、さっき御者さんを食べそこねちゃったしねぇ。ここで震えてるおじさんあたりが、ちょうどいいかなぁ」
キチキチキチ。カマキリは嬉しそうに鳴きました。地面に突っ伏している農夫へ、じりっ、じりっとカマキリ特有の動きで迫っていきます。
ところがその時、橋の向こうから、おおぃ、と人の呼ぶ声が聞こえてきました。数人の男たちが村のほうから走ってきたのです。
幽霊は舌打ちしました。
「トウちゃん、やめやめぇ。人が来ちゃったよ。大勢に見られて騒ぎになったら大変だから、引きあげるよぉ」
カマキリは獲物を前におおいに不満そうでしたが、幽霊に叱られると、しぶしぶ姿を消していきました。幽霊も後を追いかけるように消えていきます。
そこへ村人たちが駆けつけてきました。うずくまって神の名を唱えている農夫を引き起こします。
「どうしたんだ!? 大丈夫か!?」
「馬が血相変えて村に戻ってきたから、何かあったと思って見に来たんだ」
「何があったんだ?」
「ゆゆゆ、幽霊だ! 幽霊が出たんだよ!!」
と農夫は叫びました。幽霊!? と村人たちが驚きます。
彼らはおっかなびっくり周囲を見回しましたが、黄昏時の道や畑に、もう白い霊の姿はどこにもありませんでした。
そして。
そんな村人たちのやりとりを、道の近くの森からシン・ウェイとトーマ王子が、隠れながら眺めていました。農夫が無事に助かったので、二人ともほっと胸をなで下ろします。
村人たちはまだ道の上で話し合っていましたが、シン・ウェイは、行くぞ、と王子へ合図をしました。王子は意外そうな顔をしましたが、青年はさっさと森の奥へと戻っていきます。王子はしかたなく、その後についていきました――。