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第21巻「ザカラス城の戦い」

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第7章 追っ手

19.劣等感

 空飛ぶ馬車は、トーマ王子たちを乗せると、ロムド城目ざして飛び始めました。馬車を引いているのは、コウモリの翼を持つ二頭の灰色馬です。蹄(ひづめ)も車輪もどこにも触れていないので、音もなく空を駆けていきます。

 馬車の窓は閉じてあったので、中から外の景色は見えませんでした。ただ、ごうごうという風の音が聞こえてくるだけです。トーマ王子は座席に座って、その音にじっと耳を傾けていました。ぶち犬のルーピーは王子の足元で寝てしまっています。

 すると、術師のシン・ウェイが向かいの席から話しかけてきました。

「御者が言うには、ロムド城までは半日ほどらしい。時間がかかるから、王子も寝たほうがいいぞ」

 相変わらず、術師は王子に少しも敬意を払ってくれません。

 トーマ王子は、むっとして言い返しました。

「そんな呑気なことをしていられるか。敵が追ってくるかもしれないのに」

「だからといって、半日もそんなに緊張していたら、ロムド城に着く前にぶっ倒れるぞ。休めるときにはしっかり休んでおいたほうがいい」

 とシン・ウェイは言うと、自分は座席に寄りかかって腕を組み、目を閉じてしまいました。結局、自分が寝たかっただけじゃないか! と王子はいっそう腹をたてました。ここが城内なら、無礼者め! とどなって、即刻牢に放り込むところですが、あいにく今はそんなこともできません。いまいましく思いながら馬車の壁に頭を押し当て、追っ手の気配はしないかと、車体を通して聞こえてくる外の音に聞き耳を立てます。

 

 すると、寝たとばかり思っていたシン・ウェイが、目を閉じたまま、また話しかけてきました。

「そんなに心配するなって。この馬車には姿隠しの呪符を貼り付けておいたから、敵の目にはとまらないようになってるんだ。さっきも言ったとおり、俺が使う術はデビルドラゴンでも破れないからな。安心して乗っていればいい」

 ぶっきらぼうな言い方の中に、なんとなく王子を思いやる響きがあります。

 王子はちょっと驚いて術師を眺め、少し考えてから、こう言いました。

「おまえはユラサイ人なのに、どうしてザカラスで働いているんだ? いつからザカラスにいる?」

「俺か?」

 シン・ウェイは目を開けて体を起こしました。実は馬車の旅が退屈だったのか、口元をおおったマフラーの陰から、こんな話を始めます。

「ザカラスに来たのは五年前だな――。それまではユラサイ国のホウの都に近い、シタンという山で、五十人あまりの仲間と修業していたんだ。最終的には仲間内で俺が一番強くなったから、修行を終えると、自信満々で王宮に志願に行ったさ。王宮のお抱え術師にしてくれってな。そこで、とある人物に出会ったんだ」

「とある人物?」

 とトーマ王子はつり込まれて聞き返しました。

「ユラサイの皇帝に仕える、ラクという術師だ。病気だった帝(みかど)のために術を準備している最中だった。試験官に、王宮で働くつもりならラク殿の術を見ておくといい、と言われて見学させてもらったんだが、それがとんでもなかった。大がかりな術を行うのには、あらかじめいくつもの術で地固めをしていくんだが、その一つ一つが、俺なんか逆立ちしても及ばないくらい高度だったんだ――。世の中は広い、とつくづく思い知ったね。山の中で一番強いなんて得意になっても、上には上がいたってことだ。だから、旅に出た。もっと力のある術師になりたくてな」

「そうやって修業して、ザカラス城にやってきたわけか」

 と王子が言うと、シン・ウェイは肩をすくめました。

「俺は最初からザカラス王に仕えてたわけじゃない。修業の旅をしているうちに路銀(ろぎん)が尽きたし、いいかげんどこかに腰を落ち着けたくなったから、ザカラス王の臣下のバモーガ侯爵に雇ってもらったのさ。たまたま魔法使いを募集していたからな。ところが、例の闇の灰の掃討作戦にかり出されて、俺の働きがザカラス王の目に止まった。城に来いといわれて、そこからはザカラス城勤めだよ。まだ城に来て一カ月にもならないから、上品な宮廷ことばなんて、しゃべれるわけがないのさ」

 

 トーマ王子は黙ってその話を聞いていました。頭の中に何故か浮かんできたのは、フルートの姿でした。自分よりそれほど年上というわけでもないのに勇敢で公正で、金の石の勇者として世界を闇から守っています。ザカラス皇太子のはずの自分が、フルートの前ではとてもちっぽけに感じられました。上には上がいる、というシン・ウェイのことばが、何故かひどく心に応えます。

「それで――どうなのだ? 修業の旅をしてきた今ならば、そのラクという術師にも勝てそうなのか?」

 と王子はつい聞いてしまいました。ぼくはどうやったらフルートに勝てるんだろう……と考えている自分が、どこかにいます。

 ところが、シン・ウェイは大袈裟(おおげさ)に両腕を拡げました。

「いやいや、とんでもない! 修業の旅をしてわかったのは、一生どんなに修業したって、ラク殿にはとてもかなわないんだっていうことさ! あの人は別格だ。俺なんか、いくらがんばったって並ぶことだってできないさ!」

 王子はひどくがっかりしました。同時に急に腹が立ってきて、つい憎まれ口をたたいてしまいます。

「修業をしても結局その程度か! 力がないというのは無様(ぶざま)なものだな!」

 シン・ウェイはむっとして、マフラーと前髪の間から王子をにらみ返しました。

「年上に対する礼儀を知らない王子だな。その俺に護衛してもらってるのは、どこの誰だ。それに、別に無様なわけでもないぞ。ラク殿は広いユラサイでも五本の指に入る強力な術師だからな。その人と肩を並べようとすることのほうが、とんだ身の程知らずだったってことだ」

 トーマ王子はまた黙り込んでしまいました。シン・ウェイのことばが、いちいち自分に対して言われているように感じられたのです。とにかく腹が立ちますが、同時にすごくみじめで、泣きたいような気分になりました。口をへの字にして涙をこらえ、じっと自分の膝をにらみつけます。

 すると、シン・ウェイはまた座席にもたれかかりました。思い出すように馬車の天井へ目を向けながら言います。

「まあ、それでも修業がまったく役に立たなかったってわけじゃない……。こうして俺の術が重宝がられる場所や人に出会えたからな。正直、ザカラス王から雇われることになるなんて、思ってもいなかった。こうして王子の護衛につくなんてこともな。昔から言うだろう? 捨てる神あれば拾う神ありって。たとえ一番になれなくて、二番目や三番目やそれ以下だったとしても、その力で働けるところってのは、けっこうあるものなのさ」

 シン・ウェイはうつむく王子の表情に気づいているのか、またなんとなく慰めるような調子になっていました。王子は悔しさとみじめさで、ますます顔を上げられなくなります。

 

 すると、王子の足元で寝ていた犬のルーピーが突然飛び起きました。ワンワンワン、と外へ向かってほえ出します。王子が驚くと、シン・ウェイも跳ね起きて身構えました。次の瞬間、外から馬のいななきが聞こえて、馬車が急停止します。

「な、なんだ!?」

 とうろたえる王子に、術師は言いました。

「空の真ん中に行き止まりなんかあるわけがない。追っ手だ」

「そんな! 馬車には姿隠しの術をかけたって、おまえはさっき――!」

「いくら術をかけたって、見つかるときには見つかるんだよ。用心しろ、王子。揺れるかもしれないから、つかまってろ」

 シン・ウェイはまた命令口調になっていましたが、王子のほうでも、それを無礼と怒っている余裕はありませんでした。馬車がまた走り出し、本当に右へ左へ大きく揺れ出したからです。椅子に座っていられなくなって床にしゃがみ込み、座敷にしがみつきます。

 シイ・ウェイのほうは立ち上がり、馬車の窓を開けました。どっと吹き込んできた風にマフラーをはためかせながら、外に向かってどなります。

「どうした!?」

「は――蜂が――!」

 と御者の返事が聞こえてきました。蜂? と術師は驚き、次の瞬間、あわててまた窓を閉めました。外を数匹の巨大な蜂が飛んでいたのです。御者と馬は蜂の群れを振り切るために、めちゃくちゃに馬車を走らせていたのでした。

 ルーピーは馬車の中で激しくほえ続けていました。蜂が一匹、窓から中に入り込んだのです。黄色と黒の毒々しい体は、カブトムシほどもありました。トーマ王子に襲いかかってきますが、王子はすでに馬車の隅にいたので、それ以上逃げることができませんでした。ルーピーが蜂に飛びかかりますが、すぐにかわされてしまいます。悲鳴を上げる王子に、蜂が迫ります。

 そこへ、呪文と共に紙切れが降ってきました。紙は大きな鶴の頭に変わると、くちばしを開いてぱくりと蜂を飲み込み、そのまま溶けるように消えていきました。後には蜂も紙切れも残りません。

 目をぱちくりさせた王子に、シン・ウェイは言いました。

「これがユラサイの術だ。見るのは初めてだったか?」

 王子はうなずきました。本当に一瞬のことでしたが、蜂はもうどこにも見当たりません――。

 

 ところが、今度は馬車の窓から若い男が顔をのぞかせました。窓はぴったり閉じていたのに、そこをすり抜けて頭を突き出してきたのです。男の頭は半ば透き通っていて、顔の半分に長い前髪がかかっていました。髪の間から見えている目を丸くして、あれれぇ、と言います。

「誰が乗ってるのかと思ったら、キミ、マフラーの術師のお兄さんじゃないかぁ。そぉっかぁ、それで馬車がなかなか見つからなかったんだぁ。ユラサイの術で隠してたんだねぇ」

 馬車の中に突然頭を出したのは、幽霊のランジュールでした。するすると白い上着を着た上半身まで入り込んでくると、馬車の中を見回して、トーマ王子に目を止めます。

「そぉら見ぃつけたぁ! キミがザカラスの王子様だねぇ!? ザカラスの王様に言われて、何か預かってるだろぉ? セイロスくんがそう言ってたもんね。それをこっちに渡してほしいんだなぁ」

 そう言って、ランジュールはうふふふ、と女のような声で笑いました――。

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