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第21巻「ザカラス城の戦い」

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18.供(とも)

 トーマ王子は、燭台を闇に掲げながら、階段を急いで下っていました。ここはザカラス城の下を流れる谷川に出る非常通路です。暗闇の中には、かびと埃の匂いが充満していますが、敵が襲ってくるような気配はありません。それでも王子は必死で急ぎました。デビルドラゴンが人間になったというセイロスが、突然闇から現れて自分を捕まえそうな気がして、何度も後ろを振り向いてしまいます。

 すると、はおった肩掛けが揺れて、青い薔薇の刺繍が王子の目に入りました。ロムド城のメーレーン王女が、彼のために一針一針心を込めて刺してくれた図案です。王子は思わずそれを握りしめると、口に出して言いました。

「メーレーン姫、ぼくを守ってくれ――君のいる城にたどり着くまで!」

 刺繍は何も答えませんが、王子はその後はもう振り向かずに、階段をひたすら下っていきました。とうとう一番下の扉までたどり着きます。

「開け」

 とトーマ王子は扉に言いました。ザカラス城に秘密の通路は無数にありますが、王の部屋から直接つながるこの通路は、王と王の後継者にしか通れない特殊なものでした。扉を開けるのも、王と皇太子にしかできません。

 王子が呼びかけると、閉まっていた扉が音もなく横に動き、さぁっと外の光が差し込んできました。鳥のさえずりや木々の葉ずれの音、水の音と匂いも風と共に流れ込んできます。

 まぶしさに目をしばたたかせながら、王子は外へ出て行きました。

 そこは谷川の岸辺でした。大きな枝を広げた木立の向こうに、高い場所から落ちてくる細い滝が見えています。それは自然の滝ではなく、ザカラス城を取り囲む堀から流れて落ちてくる水でした。滝に近い川辺には大小の石が転がっています。

 王子の手の中で燭台の蝋燭が燃え尽きていきました。ぎりぎりのところで間に合ったのです。とたんに、周囲の音が大きくなったような気がしました。滝の音が鼓膜を打ちます――。

 

 そこへ、滝とは反対の方向から、急に声がしました。

「皇太子殿下!」

 トーマ王子は飛び上がって振り向き、若い男が駆け寄ってくるのを見ました。黒っぽい服の上に灰色のマントをはおり、冬でもないのに白いマフラーで口元をおおっています。どこかで見たことがあるような気がして王子がとまどっていると、男は王子の前にひざまずいて言いました。

「陛下からお供を申しつかったシン・ウェイでございます。どうかお見知りおきくださいませ」

 ユラサイ風のその名前に、トーマ王子はやっと思い出しました。

「そうか、おまえは闇の灰の掃討作戦に加わっていたユラサイの術師だな? 闇の敵相手にユラサイの術で戦っただろう」

 王子が自分の活躍を覚えていてくれたので、シン・ウェイは嬉しそうに目を細めました。

「我々の術は光や闇の魔法とは別のシステムで作動するので、闇に非常に効果があるのです。それで、陛下は私を殿下の護衛に選ばれました。できる限り急いでロムド国へ向かうように、と言いつかったので、空飛ぶ馬車を向こうに待たせております。さあ殿下、どうぞこちらへおいで、おいでくらさ――いてっ!」

 うやうやしく話していた男が、急に舌がもつれたようにどもって悲鳴を上げたので。王子は驚いてしまいました。何が起きたのだろうと思います。

 

 すると、男はマフラーの上から口のあたりを押さえて立ち上がりました。

「あぁあ、いくら王子の前だからって、慣れない敬語を使うのはしんどいな。舌を思いきりかんじまった」

 急にくだけた口調に変わってしまったので、王子が目を丸くしていると、男は頭をかいて言いました。

「悪いな、俺は根っからの下の者で、王様や王子様への礼儀作法なんて何も知らないんだ。一応それらしくしゃべろうと練習していたんだが、やっぱり慣れないことはするもんじゃない。申し訳ないんだが、いつものように話させてもらうぞ」

 ことばづかいは乱暴でも、声に悪意は感じられません。王子は、無礼者! とどなりつけるか、別のことを言うかで少しの間迷い、結局後者を選びました。

「そんな態度でよく城に務められたな。城にふさわしいことばづかいができない者は、不敬罪で牢に入れられる決まりだろう」

「あいにくと、魔法使いはその決まりが当てはまらないんだ。それに、俺は元々ユラサイの出身だから、礼儀作法を知らない異国人ってことで、だいぶお目こぼししてもらっている」

 王子は思わず肩をすくめました。確かに魔法使いは変わっている人間が多いので、それにいちいち腹をたてていてもしかたがない、と多くの人が考えています。王子も今はそれにならうことにしました。

「ぼくは一刻も早くロムド城へ行かなくちゃならない。馬車はどこにある? 急いで出発だ」

「こっちだ。ついてこい」

 とシン・ウェイが言ったので、トーマ王子はやっぱりちょっと、かちんときました。まるっきり、下町の子どもに対する話し方と同じです。

「いくら異国の出身でも、おまえはこれからぼくの家来だ。ふさわしいことばづかいをこれから覚えていけ!」

 と高飛車(たかびしゃ)に命じると、今度はシン・ウェイのほうが肩をすくめました。

「やれやれ、やっぱり噂通り生意気な王子様だ。こんな面倒な任務はとっとと終わらせるに限るな」

「なんだと!?」

「大声出すなって。敵が近くにいたら気づかれるぞ」

 王子がいくら怒っても、シン・ウェイはひょうひょうとかわしてしまいます。王子も、どんなに気に入らなくても、この男がいなければロムド城へ行くことはできないので、ぐっと怒りを呑み込みました。二人とも無言のまま木立の間を抜け、斜面の途中に停めてあった空飛ぶ馬車にたどり着きます。王家に長年仕えてきた御者は、王子をみると、馬車を下りて深々と頭を下げ、ここまでやってきた王子の勇気を誉めそやしました。自分にふさわしい扱いをされて、王子の機嫌が少し直ります――。

 

 すると、半開きになっていた馬車の扉の奥から、ワンワン、と声がして、中から一匹の犬が飛び出してきました。白黒ぶちの雄犬です。飛びかかられて王子が思わず尻餅をつくと、その胸に前脚をかけて伸び上がり、尻尾を振りながら王子の顔をなめます。

「おまえ――ルーピーか! 大きくなったな!」

 と王子は驚きました。一年あまり前、ザカラス城で敵の罠にはまって遺跡の穴から出られなくなったメーレーン姫と王子を助けてくれた犬です。あの頃はまだ子犬でしたが、今では体もすっかり大きくなって、大人の犬になっていました。

 自分にのしかかってじゃれついてくるルーピーに、王子は心配顔になりました。

「こんなに大きくなってしまうなんて。これがルーピーだと、メーレーン姫に気がついてもらえるだろうか?」

 とたんにルーピーは、ワン! と大きくほえました。メーレーンということばに反応しただけなのかもしれませんが、王子には「絶対大丈夫です!」と答えたように聞こえました。思わず笑顔になって、犬の背中をなでます。

「そうだな、あのメーレーン姫だものな……! よし行こう、ルーピー。ロムド城でメーレーン姫に会うぞ!」

 さっきまでの不機嫌はどこへやら。王子はすっかり元気になると、犬と一緒に馬車に乗り込みました。シン・ウェイも、やれやれ、と肩をすくめてから馬車に乗り、御者は御者席に上がりました。

 ぴしり。

 灰色の体に黒いたてがみ、コウモリの翼の空飛ぶ馬は、御者の鞭(むち)に一声いななくと、馬車を引きながら空に舞い上がっていきました――。

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