空飛ぶ馬車でロムド城を離れたアイル王は、半日ほどかかって、自国のザカラス城へ戻ってきました。険しい山の中腹に建つ大きな城で、赤い石で造られているので、暁城(あかつきじょう)の別名でも知られています。
山の麓から登っていくのは大変でも、空飛ぶ馬車ならば、城へまっすぐ下りていくことができます。馬車が車止めに着地すると、アイル王はすぐに馬車を下りて城へ入っていきました。駆けつけてきた宰相へ尋ねます。
「ト、トマンから救援を求めてきた使者というのは、ど、どこにいる? な、内乱はどのような様子だと言うのだ?」
宰相は帰還した王へうやうやしく頭を下げました。形式だけの敬意ではありません。先の宰相が王への不敬罪で失脚した後、彼が宰相の職に就いてからまだ二カ月ほどですが、一見ひどく頼りなさそうなこの王が、非常に思慮深く着実な政治を行う主君だということに、宰相は気がつき始めていたのです。
「深手を負っているので、礼拝堂の横の施療院(せりょういん)で治療を受けています。トマン王に仕える騎士で、救援を求めて脱出した際に敵に襲われたと言っております。馬でやってきたのですが、馬のほうは体に幾本も矢が突き刺さっていて、城門の前で倒れて、そのまま息絶えました」
宰相の報告にアイル王は眉をひそめました。
「ト、トマンの王は先見の明がある人物だ。わ、我が国を見習って、す、優れた守備隊を城に作ろうと努力していた。そ、その騎士が深手を負って、命からがら助けを求めに来たというのか――。ト、トマンのような小さな国で、な、内乱が勃発(ぼっぱつ)するまで、その気運に気がつかない、というのも、げ、解せないことだ。し、使者のところへ、あ、案内せよ」
「御意」
宰相はまた深く頭を下げると、城の前で待っていた別の馬車へ王を案内しました。ザカラス城は広く、礼拝堂や施療院は城の裏手に建っていたので、馬車を使ったほうが移動が楽だったのです。
馬車は城の東側の前庭を、北に向かって走っていきました。ザカラス城は山の中腹の巨大な棚になったような場所に造られた城なので、南北に長く東西には狭い、細長い作りをしています。馬車が走り抜ける前庭は、庭と言うより幅の広い通路のような場所で、高い城壁が横の視界をさえぎっていました。城壁の向こう側には深い水路が巡らしてあり、さらにその先は高さ百メートルを越す絶壁になっているので、麓から一気にここまで攻め上がってくることはできません。ザカラス城は急峻(きゅうしゅん)な地形の上に念入りに造られた要塞なのです。
アイル王が施療院に到着すると、開け放した入口の向こうからは大きなうめき声が聞こえていました。施療院とは聖職者が治療を行う病院なので、入口には僧侶が立っていました。王の到着を見て中へ知らせに行くと、すぐに礼拝堂の司祭が出てきます。
「これは陛下。このような場所へよくおいでくださいました」
アイル王は尋ねました。
「こ、この声はトマンからの使者か――? そ、それほど容態が悪いということか?」
司祭はたちまち顔を曇らせました。
「城に到着したばかりのときには、まだ話す元気があったのです。馬のほうは城に入る前に死んでしまいましたが、使者は負傷していても、自分で歩いて城に入ることができました。ところが、陛下が城に不在と知って、張り詰めていた気持ちが切れたのか、急に倒れて起きられなくなっってしまいました。傷も熱を持って良くない状態です。私どもの手当だけでは良くならないので、城の魔法使いにも治療魔法をかけてもらっているのですが、いっこうに症状が改善しません。むしろ悪くなっていくばかりです」
「な、中に入って使者に会おう」
とアイル王は言って、施療院に入っていきました。司祭や宰相、護衛の兵士たちが王に同行します。
異国の騎士はベッドの上に横たわっていました。かなりの苦痛に襲われているようで、柵を設けたベッド中を転げ回り、大声を上げ続けています。真っ青になったその顔には、大量の脂汗と共に、どす黒い隈取りが浮き上がっていました。明らかな死相にアイル王はまた眉をひそめます。
「は、話をすることはできるか?」
と治療に当たっていた魔法使いに尋ねると、こちらも難しい顔をしました。
「治療魔法が効かないのです、陛下。ちょっと良くなったように見えても、たちまちまた悪化してしまいます。ですが、ほんの短い間ならば、小康状態にすることができます。その間に急いでお話ください」
魔法使いが患者に手を押し当てて呪文を唱えると、騎士のうめき声がやみました。七転八倒の苦しみも止まり、呼吸が普通に戻ります。
アイル王は騎士に呼びかけました。
「わ、私の声が聞こえるか、トマンの使者。な、内乱が起きたと聞く。何があったのだ?」
異国の騎士は目を開けました。苦痛はやんでも、顔に浮かんだ死相は消えません。すがるようにアイル王を見上げて、首を振ります。
「内乱ではありません。西方のアマリル島の住民が、海を越えてトマンに攻め込んできたのです……。連中が通過していくと、何故かその土地の住人も隊列に加わりました。敵の数はみるみるふくれあがり、最終的には、万を超す人数で都まで攻め上ってきたのです……。王はこの事態を重く見て……ザカラス王へ救援を求めよ、と私を城外に……ですが……」
話をしている間に、騎士は顔色がまた悪くなってきました。息づかいも苦しそうになってきますが、それでも懸命に話し続けます。
「私が城を離れて間もなく……城の方角から……爆発するような音がしました……。驚いて城に戻ろうとすると、後を追ってきた敵に矢を射かけられ、馬も私も怪我をして……やむなく、ザカラスへ……。王や、城の仲間が心配です……。ザカラス王、どうか……どうか援軍を……!」
また滝のような汗を流し始めた騎士へ、アイル王は急いで尋ねました。
「て、敵軍を率いているのは何者だ? れ、連中の目的は?」
「わかり……ません……」
騎士はあえぎながら答えました。そのまま胸を押さえ、ベッドを転がり始めます。魔法使いが急いで治療の手を当てますが、今度はそれもほとんど効果がありませんでした。騎士は七転八倒を繰り返し、ついに施療院を揺るがすほどの大声を上げると、それきり動かなくなりました。亡くなってしまったのです――。
魔法使いは沈痛な面持ちでベッドを離れ、代わりに司祭が近づいて祈りを捧げ始めました。王も青ざめて死者を見つめます。
宰相がためらいながら尋ねました。
「陛下、トマンへ援軍を派遣なさるのですか?」
得体の知れない敵と戦うために異国へ軍隊を派遣するのは、非常に危険なことでした。下手をすれば、他国のごたごたに巻き込まれてしまうかもしれません。けれども、その一方で、このまま見過ごしておくと、やがて敵が南下してザカラスに攻め込んでくる可能性がありました。危険な敵は早めにたたいておかなくてはなりません。
攻めるべきか、もう少し様子を見るべきか。難しい判断に、アイル王はじっと考え込みました。神経質そうな顔の中で、二つの瞳が落ちつきなく動きます。
すると、魔法使いが言いました。
「陛下、トマンの使者は特殊な毒にやられていたようです。癒しの魔法が効かないわけではないのですが、すぐにまた毒が勢いを盛り返して、使者の体をむしばんでいったのです。このような毒を、私はこれまで見たことがありません」
王はいっそう真剣な顔になり、思い出すように言いました。
「そ、それはおそらく、や、闇の毒だろう。じ、時間がたつにつれてどんどん強まって、や、やがて死に至らせる、闇の国の毒だ」
「では――」
と宰相は顔色を変えました。そんな毒が使者を殺したのだとすれば、トマン国を襲った敵は闇の国の仲間だということになります。闇魔法を使う人間はザカラス城にもいますが、本物の闇の眷属(けんぞく)となれば、話はまったく別でした。
そのとき、弔いの祈りを捧げていた司祭が、うわぁっと叫んで飛びのきました。死んだはずの騎士が突然両目を開け、ぎょろりとにらんできたのです。アイル王たちが驚くと、騎士は死人の顔色でベッドに横たわったまま、口を開きました。
「おまえがザカラス王か。お初にお目にかかる。私はアマリル神聖軍の司令官だ。おまえたちに挨拶と忠告を送るために、この男の体を借りている――」
声は先ほどの騎士のものですが、話し方がまったく変わっていました。それを聞いて、魔法使いはアイル王たちの前に飛び出しました。
「お下がりを、陛下、宰相! 危険です! 早くここからお出になってください!」
けれどもアイル王は動きませんでした。死体が話し続けていたからです。
「ザカラスから援軍を送る必要はない。トマン城はすでに陥落した。トマン王の首は見せしめのために城門にぶら下げたし、トマン軍の将軍や城の家臣は広場で焼き殺した。ザカラスが援軍を送り込んでも、助け出す相手はもうここにはいないのだ」
なんと……と宰相は絶句しました。アイル王は青ざめて言い返します。
「な、何が目的だ!? なんのために、一国の城を襲撃して王を処刑した!? し、死者の口を借りて話しているおまえは、な、何者なのだ!?」
「我々は神に選ばれし者たちだ」
と死体は答えました。
「神は我らに、世界を誤った支配から解放して新しい世界を創れ、と命じられた。我々はそれを忠実に実行しているのだ。次に我らが開放に向かうのは、おまえたちのザカラスだ。準備をして待っていろ、ザカラス王。次に城の門にぶら下げられるのは、おまえの首だ――」
「黙れ、神を冒涜(ぼうとく)する悪魔め!」
と司祭が突然飛び込んできました。首から下げていたユリスナイの象徴を外して、死体へ突きつけようとします。
すると、象徴が音を立てて破裂しました。司祭は吹き飛ばされ、壁にたたきつけられて動かなくなりました。アイル王は魔法使いがとっさに障壁を張ったので無事でした。
「陛下、早く外へ!」
魔法使いが叫び、宰相は必死に王を部屋の外へ引っ張り出そうとしましたが、アイル王はまた死体へ言いました。
「お、おまえは何者だ!? な、名を名乗れ!」
「我が名はセイロス。再会するまでよく覚えておけ」
と死体が答えたところへ、武器を手にした衛兵が殺到してきました。死体の首をはねると、それきり死体はもう話さなくなります――。
「セ、セイロス」
アイル王は真っ青な顔で繰り返しました。それが何者の名前なのか、王は知っていたのです。
魔法使いは、王と宰相を施療院の外へ避難させると、司祭を助けるために中に戻っていきました。宰相は大声で軍隊を呼びつけています。
一気に騒がしくなってきた城の裏庭で、アイル王は空を見上げました。ショックのあまり呆然としてしまったように見えますが、その目は現実を見据えていました。痩せた横顔が唇を動かします。
「わ、我が国から始めるか、デビルドラゴン……」
騒々しさが増していく城の中、アイル王のつぶやきを耳に留めた者はありませんでした。