サーク師団長との対戦がフルートの勝利に終わったのを見たとたん、見上げるような大男が動き出しました。呆然とする兵士たちをかき分けて、前に出てきます。
「師団長をー負かしたーなー……総司令官ー。今度ーはー……俺とやる番だー……」
と対戦場に進み出てきたので、ワルラ将軍がどなりました。
「まだだ、ゴホル! 次の試合は、勇者殿が一息入れてからだぞ!」
ところが、ゴホルと呼ばれた大男はそれに従おうとはしませんでした。
「新しい総司令官ー強いー……俺、強い奴と戦うのが、大好きーだー。さっそくー勝負だー……!」
そう言ってゴホルが掲げたのは、戦斧(せんぷ)――戦闘用の斧でした。しかも、柄の長さが二メートル近くある大きなものです。それを片手でぶんぶん振り回しながら、フルートへ迫ってきます。
ワルラ将軍とガスト副官は口々に命令しました。
「武器を替えんか、ゴホル!」
「その武器では、命中したら勇者殿が絶命する! 剣に持ち替えろ!」
オリバンとセシルもゴホルに近い場所へ走って言いました。
「武器を替えろ!」
「練習試合で戦斧を使うなら、刃先をつぶしたものを使うのが決まりだろう!」
けれども、やっぱりゴホルは言うことを聞きません。
「総司令官は、すごく身が軽いー。これでないと、届かなくて逃げーられるー……」
ぶんぶんと空を切って振り回される戦斧は、まるで水車のようでした。ちょっとでもかすれば大怪我なので、フルートは後ずさるしかありません。
「ちょっと、危ないわよ、あれ! フルートは防具を着てないのに!」
とルルが言いました。他の仲間たちも青ざめて戦いを見ています。ガスト副官が試合開始を告げていないのに、対戦はもう始まっていたのです。
ぶん、ぶん、と音を立てて振り回される斧を見ながら、フルートは後ずさり続けました。近づこうにも隙がありません。横から回り込むことも考えますが、斧の刃がすぐこちらを向くので、やっぱり近づくことができません。じきに、兵士たちが壁を作る対戦場の端まで追い詰められてしまいます。
ところが、それでもゴホルは全力で斧を振り回し続けていました。ぶぅん、と対戦場の横の壁を作っていた兵士たちへ斧が飛んだので、兵士たちが悲鳴を上げて逃げ出しました。人の壁が崩れます。
「馬鹿、よせ、ゴホル!」
「俺たちにまで当てるつもりか!?」
仲間の兵士たちはどなりましたが、ゴホルはいっこうに気にしません。
「かかってこいー、総司令官ー! 逃げ回るだけではー……つまらないー……!」
ぶぅん。
また斧がうなりを上げて飛んできたので、フルートはその場にかがんで攻撃をかわしました。すぐ後ろにいた兵士たちが、うわぁっと悲鳴を上げて散っていきます。
「やめろ、ゴホル!」
「こっちに来るな!」
口々にどなりますが、ゴホルは遠慮なく斧を振り回し続けます。
フルートは唇を一文字に結んで駆け出しました。それがゴホルの斧の方向だったので、見ていた者たちがいっせいに声を上げます。
「ワン、危ない!」
「やられるよ、フルート!」
ポチやメールも悲鳴を上げますが、いや、とゼンは言いました。
「大丈夫だ。見ろ――!」
フルートは走りながら身をかがめていました。ゴホルの戦斧が回転して、一番上の位置にやってきた瞬間を狙って、その腕の下をかいくぐっていきます。
「よし!」
とワルラ将軍は身を乗り出しました。
「ゴホルの後ろを取った!」
とジャックも叫びます。
おぉ!? とゴホルが後ろを振り向いた瞬間、フルートの剣がゴホルの右手首に突き刺さりました。――ゴホルは鎧や鎖かたびらを着て、腕には籠手と手甲(しゅこう)をつけていたのですが、体が大きいために、籠手と手甲の間に剣が入るほどの隙間があったのです。
ゴホルは悲鳴を上げました。思わず武器を手放したので、すっぽ抜けた斧が観客席に飛び込んで、また大騒ぎになります。
「よーくーもー……」
ゴホルは唇をまくり上げ、顔を真っ赤にして怒りました。今度は左手で大剣を抜いてフルートに切りかかってきます。ゴホルは右利きでしたが、左で扱う剣も強力でした。長い腕に大剣の長さを加えて、思いがけない距離まで攻撃してきます。
「っと!」
フルートはとっさに身をかわしましたが、その頬を風と共に剣の切っ先がかすめていきました。頬にひと筋の傷が走り、赤い血がにじんで流れ出します。
フルート! と仲間たちはまた叫びましたが、フルートはすぐにまた身をひるがえしました。ゴホルの次の攻撃を、自分の剣で、がっきと受けとめます。
けれども、次の瞬間、フルートは大きく弾き飛ばされてしまいました。見かけより力のあるフルートですが、さすがにゴホルには力負けしてしまったのです。地面に仰向けに倒れます。
そこへゴホルが剣を振り上げました。フルートの頭へ、ためらいもなく振り下ろします。
「いかん!」
とワルラ将軍は叫びました。いくらフルートが金の石を持っていても、即死してしまえば助かりません。試合終了を宣言しようとします。
すると、フルートが左腕を上げました。籠手を巻いた場所で、ゴホルの剣を受け止めます。大剣は、ごっと鈍い音を立てて止まりました。同時にフルートも顔を歪めます。ゴホルが剣を引くと、籠手は大きくへこんでいました。あまりの怪力に、金属製の籠手も変形してしまったのです。
フルートは跳ね起きると、飛びのいて距離をとりました。ところが、その左腕はだらりと垂れたままでした。ゴホルがまた剣を構えると、フルートも剣を構えますが、左腕はまったく動きません。
仲間たちは焦りました。
「やだ! 今ので怪我をしたのよ!」
「ワン、肩を脱臼したのかもしれない!」
「大丈夫かい!?」
「フルート――!」
ところが、ゼンは一人、声もたてずにフルートを見つめていました。その顔は真剣そのものでした。やがて、うなるように言います。
「なんで怪我をしたままなんだ……。あいつ、金の石をどうした?」
仲間たちも、近くにいたジャックも、ああっ! と声を上げました。
そうです。フルートはどんな怪我もたちどころに癒す魔石を持っているはずなのに、怪我が治っていないのです。腕だけではありません。先ほどゴホルの剣がかすった頬にも傷はまだあって、血が流れ続けています。
「あいつ、金の石を持たずに戦ってるのか!? そんな馬鹿な……!」
とジャックは呆然としました。彼としては、どんな激しい戦いになってフルートが怪我をしても、即死さえしなければ魔石が助けてくれるだろう、と思っていたのです。とんでもない状況に青くなってしまいます。
「ポポロ、金の石を捜せ!」
とゼンが言ったので、はいっ! とポポロは答えました。両手を強く握り合わせ、遠いまなざしになって周囲を見回します。
と、その視線がゼンの上で止まりました。緑の宝石の瞳が、驚いたように大きくなります。
「そこよ……!」
と彼女が指さしたのは、ゼンの腰の荷袋でした。ゼンも思わず呆気にとられ、すぐに夢中で袋を開けました。ロープ、火打ち箱、水筒、携帯食料の包み、灯り石の袋……次々に出てくる荷物を地面に投げ捨て、袋の底からペンダントを取り出します。その中央では金の石が静かに輝いていました。
「――の馬鹿野郎!」
ゼンは歯ぎしりしました。フルートは試合が始まる前に、ゼンの荷袋を断りもなくあさって水筒を取り出し、水を飲みました。フルートにしてはちょっと珍しいことだと思ったのですが、あのときに荷袋へペンダントを滑り込ませたのに違いありません。
「ワン、それを早くぼくに!」
「フルートのところに運ばないと!」
とポチとルルが言いました。風の犬に変身して、フルートへペンダントを届けようとしたのです。
ところが、とたんにフルートが彼らへどなりました。
「来るな!! 持ってくるんじゃない!!」
普段とはうって変わった激しい声でした。仲間たちがまた驚くと、フルートは厳しい声で言い続けました。
「対戦者はみんな癒しの石なんか持っていない! ぼくだけ金の石を持っていたら不公平になるんだ!」
フルート……と仲間たちは絶句しました。対戦相手と条件を平等にするために、フルートは金の石を手放したのです。やりとりが聞こえる場所にいた兵士たちも、唖然(あぜん)としていました。
「なんということだ! これ以上戦わせるわけにはいかん!」
とワルラ将軍が青ざめて対戦を中止させようとします。
ところが、ゴホルは周りの話をまったく聞いていませんでした。彼が興味を持っているのは、強い相手と戦って勝つことだけなのです。フルートが明らかに腕を負傷していても、ためらうどころか、これがチャンスと切りかかってきます。
ぶん、と振り下ろされた剣を、フルートは飛びのいてかわしました。右腕一本では相手の攻撃を受けきれないので避けたのですが、とたんに顔を大きく歪めました。動いた拍子に痛めた肩に激痛が走ったのです。思わず剣を持った手で左腕を抱えます。
「もーらったぁー……!」
ゴホルがフルートへ大剣を振り下ろしました。フルートは飛びのいてかわすことができません。
すると、フルートは飛びのく代わりに、また前へ走りました。剣が下りてくるより早く、相手のふところに飛び込みます。フルートはゴホルの胸のあたりまでしか身長がありませんでした。剣を振り下ろして前屈みになったゴホルの下に、すっぽり入り込む恰好になります。
フルートはそのまま素早く剣を突き上げました。頭上にはゴホルの顎と喉が見えています。そこに剣の切っ先をぴたりと当てます。
「あ……あぁ……?」
いくら巨体で怪力のゴホルでも、喉元は命に関わる急所です。そこに剣を突きつけられれば、ゴホルももう抵抗はできませんでした。一瞬で決まった勝敗に目をぱちくりさせながら言います。
「こー……降参ー……」
フルートが剣を引くと、ゴホルは、ずしん、と尻餅をついて座り込んでしまいました。
「それまで!」
とガスト副官が試合の終了を告げ、兵士たちからはいっせいに溜息とどよめきが上がります。
フルート! と仲間たちは駆け出しました。
「このすっとこどっこい! 心配させるのもいいかげんにしやがれ!」
とゼンがわめき散らします。その手には金のペンダントが握られていました。
駆け寄ってくる仲間たちを眺めながら、フルートはちょっと笑い、その拍子に左腕が揺れて、また顔をしかめました。どうやら肩の脱臼だけでなく、腕の骨も折れてしまっているようです。
それでも、彼は対戦者の四人までに勝ちました。
「残りは最後の一人」
そうつぶやいて、フルートはオリバンがいるほうを眺めました――。