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第21巻「ザカラス城の戦い」

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5.疑い

 フルートは願い石を持っている。初代の金の石の勇者と同じように、その誘惑に負けてデビルドラゴンになる可能性が高い――。

 メイ女王がそんな発言をしたので、会議室の人々は全員が絶句しました。セシルは立ち上がったまま、また激しく身震いし、オリバンは顔を歪めて歯ぎしりしています。

「なんだと……?」

 と口を開いたのはゼンでした。普段の彼からは意外に思えるほど、静かな声です。ポチとルルは、ぎょっとしてテーブルの下で跳ね起き、メールはとっさにゼンの腕をつかみました。フルートも鋭く叫びます。

「よせ、ゼン!」

 ゼンのこんな声は非常警報でした。どなるよりもっと激しく腹をたてて、爆発寸前になっているのです。放っておけば、メイ女王を殴り殺してしまうかもしれません。

 けれども、女王のほうはそんな危険には気づいていませんでした。冷ややかな口調のままで話し続けます。

「むろん、彼がこれまで世界の平和を守るために献身的に戦ってきたことは、わらわも知っておる。これまでのその働きに偽りはないじゃろう。だが、人の心は変わっていくものじゃ。今はまだ若くて、地位や権力など望んでいなかったとしても、それをかなえる力を持っていれば、いずれそれを使いたくなってくる。その時、我々は、初代の勇者と今の勇者の二頭の巨大なデビルドラゴンを敵に回すことになるのじゃ。――危険を危険と警告して、何が誤りじゃ。状況を客観的に見ようとせず、感情で行動を決めようとしているそなたたちのほうが、よほど危ういであろう」

 

 ゼンが激しく立ち上がったので、フルートも椅子を蹴って立ち上がりました。無理を承知でゼンを抑えようとします。

「やめろ、ゼン! こんなところで暴れるな! ここは会議の場だぞ!」

 すると、ゼンはくるりと向きを変えて、フルートのマントの襟首をひっつかみました。フルートの顔に顔を突きつけて言います。

「おまえもおまえだ、フルート……。なんでこんなことを、あの女に言わせておくんだよ?」

 相変わらず、うなるような低い声でした。ゼンはまだまだ危険な状態にあります。フルートは首を振りました。

「君が先にそんなに怒るからだ。ぼくが怒る暇も説明する暇もないじゃないか。落ちつけよ、ゼン」

「俺のせいかよ? 疑われてとんでもねえことを言われてるのは、おまえなんだぞ、フルート」

「わかってる。だから、ぼくに話をさせろよ。落ちつけったら」

 ゼンはぶるぶると体を震わせました。その額には青筋が浮き上がっていますが、ようやく気持ちを少し落ち着かせると、放り出すようにフルートを離しました。どっかとまた椅子に座り込み、太い腕を組んでメイ女王をにらみつけます。

「もうそれ以上、一言だってフルートを侮辱するなよ。んなことしたら、今度は誰が止めたって、てめえの頭をその冠ごと引っこ抜いて、体とおさらばさせてやる」

 その足元で、ポチはそっと身構えていました。ゼンが本気の匂いをさせているので、本当にゼンが怒ったら、変身して止めようと考えたのです。それを見てルルも横で身構えます。

 すると、ロムド王がメイ女王に話しかけました。

「わしは五年前にフルートが金の石の勇者として現れたときから、彼をよく知っている。彼が何を思い何を望んで、ここまでの困難な旅路を歩いてきたのか、他のどの国の王よりもよく承知しているつもりだ。わしはまた、ここまでの彼の成長もずっと見守ってきた。年月が過ぎて、多くの人々の尊敬を集めるような年齢になったとしても、彼はやっぱり他者の幸せを願い続け、そのために戦い続けるだろう。彼は平和の戦士だ。あなたが危惧するようなことは、決して起きない」

 フルートは、自分を弁護してくれるロムド王に、頭を下げて感謝しました。メイ女王に疑われるのは、正直全然嬉しくありませんが、こんなふうにちゃんと自分を信じてくれる人もいるのだと思うと、気持ちが楽になるような気がします。

 

 すると、フルートの隣の席に座っていたアキリー女王が口を開きました。

「あなたが大陸に名の知れた賢い女王だという噂は、我が国にも聞こえておった、メイ女王。だが、その賢さは人を疑うために発揮されるもので、人を信じて協力することには働かないようじゃな。わらわはフルートの内側から願い石の精霊が現れ、フルートに力を貸している場面を実際に見たことがある。あの石は、フルートが世界を守ることを手助けしておった。初代の勇者が何をしたにせよ、フルートはその轍(てつ)は踏まぬじゃろう」

 これもまたフルートを弁護してくれています。

 ふん、とメイ女王は鼻で笑いました。間に何人もの人が挟まっていますが、にらむようにアキリー女王を見て言います。

「わらわは今の話をしているのではない。未来の危険の話をしているのじゃ」

「だ、だからと言って、こ、根拠のない予想で、ひ、人を決めつけるのは、も、問題だろう。そ、それでは、誰もが怪しくなってしまって、ち、力を合わせることができなくなる」

 と言ったのはアイル王でした。緊張で何度もつまずきながらも、やはりフルートを弁護します。

 メイ女王はまた冷笑しました。

「願い石は強い願いを持つ人間の前に現れる魔石じゃ。フルートがそれを持っているということは、フルートに強い願いがあるということじゃ。そなたの願望はなんじゃ、フルート。我々の前で言ってみやれ」

 フルートはまだ立ち上がったままでいましたが、メイ女王にそう言われて、すぐに答えました。

「この世界が平和になることを。デビルドラゴンを倒して、誰もが安心して暮らせるようになることを」

 まったくためらいのない声でした。ポポロが悲鳴を上げて飛び上がり、他の仲間たちやオリバンも、思わず椅子から腰を浮かしました。フルートの体が赤く光り出して、願い石の元へ行ってしまうのではないかと思ったのです。

 けれども、フルートの体は光り出しませんでした。引き止めるように腕をつかんだポポロに、フルートが優しくほほえみ返します。

「大丈夫だよ――」

 すると、メイ女王はますます厳しい声になりました。

「デビルドラゴンを倒したいと望むなら、何故、奴はまだこの世にいるのじゃ? そなたが本当にそれを望んでいるのであれば、奴はとうに願い石に打ち負かされて、世界は平和になっているはずであろう。実体を取り戻し、人の姿で世界に紛れ込むような危険な状況になど、なっているはずがない」

 フルートはたちまち青ざめました。それは……と言いかけますが、ことばを続けることはできませんでした。ちりっと胸の奥で熱いものがうずきます。

 そんなフルートへ、女王は責めるように言い続けました。

「そなたは本当は、デビルドラゴンを倒すことも世界を平和にすることも、望んではおらぬのじゃ。奴がこの世に復活したのが、なによりの証拠! そなたは本当は何を望んでおる、フルート!? 金の石の勇者だ、世界を救う英雄だ、と人々から賞賛され、神のように崇められるのに気をよくして、本当に神の座に就こうと目論むようになったのではないのか!?」

 

 だぁん!

 突然大きな音が響いたので、部屋の中の人々は驚きました。たちまち猛烈な風が巻き起こり、人々の服や髪を吹き乱します。部屋の中にいきなり風の犬が現れて、跳ね起きたゼンを巻き取り、部屋の壁に押しつけたのです。風に抑え込まれたゼンが、がむしゃらに暴れながらわめきます。

「放せ、ポチ!! あのばばあを今すぐ殺してやる!! よりにもよって、なんてこと言いやがる――!!」

「ワン、だめですよ、ゼン! 気持ちはわかるけど、これはロムド王が召集した会議なんだから! 女王に手出ししたら、永久に協力なんてできなくなりますよ!」

 風の犬になったポチは、ゼンを抑え込みながら、必死になだめました。ゼンが怒り狂っているので、今にも振り飛ばされそうになっています。

 すると、メールもすっくと椅子から立ち上がり、メイ女王に指を突きつけました。

「よくそんなこと言えるよね、メイ女王! あんたもハロルド皇太子も、フルートに命を助けられたんじゃないか! ロダにのっとられそうになった国も守ってもらったのにさ! それでそんなことを言うなんて、恩知らずもいいところじゃないか!」

 言いながらメールはフルートの背中の剣を見つめていました。その目の中に殺気がひらめくのを見て、ルルも風の犬に変身しました。こちらはメールの体に絡みついて抑え込みます。

「ちょっと、落ち着きなさいよ、メール! こんなところで切り合いなんて、とんでもないわよ!」

「放しなったら! あんな馬鹿なヤツ、一度痛い目に遭わないとわかんないんだから! これだから人間ってのは嫌なんだよ! とことん身勝手で汚いんだからさ――!」

 一方、ポポロはフルートにしがみつき、鎧を着た体を堅く抱きしめていました。フルートは絶句したまま、まるで死人のような顔で呆然としていたのです。フルート、フルート、と必死に呼びますが、フルートは返事をしません。

 さほど広くもない部屋に風の犬が二匹もいるので、部屋の中にはごうごうと風が吹き荒れていました。王も女王もオリバンたちも、風に吹き飛ばされそうになって、身動きが取れなくなりました。怒り狂うゼンやメールをなだめることができません――。

 

 すると、急にその風が弱まっていきました。ポチとルルの変身が急に解けて、犬の姿に戻ってしまったのです。ゼンとメールは開放されましたが、その二人も動くことができなくなっていました。声も出なくなってしまって、目を白黒させながら立ちすくんでいます。

 彼らへ手を向けていたのは、ミコンの大司祭長でした。座っていた椅子から立ち上がり、静かに歩き出しながら言います。

「申し訳ありませんが、お二人には結界に入っていただきました。私が話をする間、少しだけ静かにしていただきたいのです」

 大司祭長は神に仕える魔法使いでもありました。激怒するゼンたちを強力な魔法で抑え込み、その場を鎮めたのです。

 彼が歩み寄ったのは、呆然としているフルートでした。ポポロが必死で呼びかけていますが、まだ反応がありません。心がこの世ではない場所に行ってしまったのです。そこで願い石や金の石と会話をしているのに違いありませんでした。

 大司祭長はフルートの目をのぞき込むと、純白の衣を着た腕をフルートの額の上にかざして言いました。

「世界を守ることは、あなた一人の役目ではありません、金の石の勇者。そんなに悩み考え込まなくていいのですよ――。ユリスナイは犠牲や生贄(いけにえ)を決して喜びません。そのことは、ミコンで先の大司祭長たちと戦ったときに、充分学んだのではありませんでしたか?」

 大司祭長の声は、決して大きくも強くもありませんでしたが、聞く者の心に、すっと入り込んでいきました。フルートもようやく我に返った顔になります。フルート! とポポロがしがみついて泣き出したので、それでようやく本当に正気に返って、あわてて彼女を抱きしめます。

 大司祭長は他の王と女王たちに向き直りました。

「願い石は、ミコンの大神殿でもよく知られている魔石です。願いをかなえようと思う者が、その石を手に入れようとするあまり、凄惨な事件を引き起こすことが多いからです。悲劇は石を手に入れてからも続きます。例えば、野心を持つ者が願い石を手に入れると、その人物はたちまち強大な権力者になって、大変な恐怖政治を行うようになります。その結果、周囲の反発を招き、やがて権力の座から引きずり下ろされて処刑されるのです――。願い石は破滅の石です。使えば、その人物は必ず破滅の道をたどります。勇者殿はそれを充分承知しているので、今でも願い石を使わずにすんでいるのですよ」

 大司祭長がまたフルートを振り向きました。ミコンの新しい大司祭長は、穏やかそうな黒い瞳をしています。その目に、そうですよね? と聞かれた気がして、フルートは答えました。

「願い石にデビルドラゴンの消滅を願えば、その引き替えに、ぼくも世界から消滅します。そのこと自体は怖いとは思いません。ぼく一人の命で世界が救えるなら、とも思うけれど……」

 フルート!! と仲間たちは叫びました。大司祭長の魔法で抑え込まれていたはずのゼンとメールも、大声を上げて飛び出してきたのです。オリバンとセシルも駆けつけてきます。

「馬鹿者! そんな真似はさせん、と何度言えばわかるのだ、フルート!」

 とオリバンからどなられて、フルートはちょっと首をすくめました。泣き笑いをするような顔になって、大司祭長や王たちに言います。

「ぼくは、自分の命は惜しいと思わないけれど、みんなと一緒に生きる人生は惜しいと思います。ぼくは権力者になりたいなんては思いません。ただ、みんながいるから――友だちや仲間がいるから――ぼくはこの世に生きていたいと思うんです」

 そんなフルートの周りには、ゼンとメール、ポチとルル、オリバンとセシルが集まっていました。フルートの腕の中には、泣きじゃくるポポロが抱きしめられています。

 

 ロムド王はメイ女王に向かって言いました。

「確かに、フルートは願い石の力でデビルドラゴンを消滅させることができるかもしれない。だが、それは彼の命と人生のすべてを引き替えにさせる。我々が助かるために、彼に自分の人生を捨てろと命じることは、いかに王である我々であっても、許されることではないだろう」

「ユリスナイは王だけを守っているわけではありません。世界中に住むすべての人々、すべての命を慈しんで守っているのです。もちろん、勇者たちに対しても、生きよ、と仰せです」

 と大司祭長も重ねて言います。

 ところが、メイ女王はそれでも納得してはいませんでした。部屋に吹き荒れた風で乱れたベールやマントを直すと、ロムド王に対して言い返します。

「我がメイでは、家臣や兵士が主君のために命を捨てることは美徳とされておる。ロムドの家臣は、王のために命を賭けられぬ臆病者のようじゃな」

 これにはワルラ将軍やゴーリスが顔色を変えました。普段穏和なリーンズ宰相や、あまり表情を出さないユギルも、険しい顔つきになります。

 彼らがメイ女王へ食ってかかる前に、ロムド王は答えました。

「わしの家臣たちは皆、この上なく勇敢な者たちばかりだ。これまでの数々の働きが、それを証明している。わしが言いたいのは、金の石の勇者たちが、わしたちの家臣ではないということだ。家臣でない者に、命かけて戦え、と命じることはできない。だが、彼らは自分の意志で世界を守ろうと考え、体を張って戦ってくれている。そんな彼らを疑うようなことが、許されるはずはない」

 ロムド王の声には力がありました。エスタ王、アキリー女王、アイル王、大司祭長はすぐにうなずいて賛同しましたが、メイ女王だけはやはり承知しませんでした。義母上! とセシルが叫ぶと、つん、と顔をそむけてしまいます。

 ポチは、そっと匂いをかいで考え込んでしまいました。メイ女王のかたくなな態度の根底にあるのは、強い疑いと警戒の匂いでした。それを解かない限り、メイ女王がフルートを信用することはないのです。どうしたらいいんだろう……と悩みます。

 すると、エスタ国王が恰幅の良い体をゆすりながら言いました。

「それでは、こうしてはどうだろう。勇者に裏切りの心などないということを、身をもって証明してもらう、というのは?」

 注目する人々の前に、エスタ王が握っていた美しい錫(しゃく)が突き出されました――。

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