フルートは、セイロスの足元に切りつけたとたん、激痛に襲われて気が遠くなりました。一瞬、意識を失いましたが、幸いすぐに正気に返ります。
剣は大きく地上をなぎ払って、フルートのすぐ横に戻っていました。最後まで切りつけることができたのです。顔を上げて、結果を確かめようとします。
そこにはセイロスが立っていました。袖なしの黒い長衣の上に赤いマントをはおり、冷ややかにフルートを見下ろしています。その体は炎に包まれていませんでした。フルートの剣は外れてしまったのです。
「まったく往生際の悪い奴だ」
とセイロスはフルートの左手を足で踏みつけました。魔弾で撃ち抜かれた手を踏まれて、フルートは悲鳴を上げました。激痛にまた気が遠くなります。
「やめろ!」
とゼンはセイロスに飛びかかろうとしましたが、とたんに、地上から浮き上がった石に背後から襲われました。魔法攻撃なら平気なゼンも、物体を使った攻撃はまともに食らってしまいます。石に頭を強打され、うっとうめいてその場に倒れてしまいます。
ふふん、とセイロスはまた笑いました。痛みにまだのたうっているフルートを見下ろして言います。
「これでおまえを守る者は本当に誰もいなくなったな。私の期待通り、苦しみのたうち回ってくれて感謝するぞ、フルート。いよいよ、貴様の命を刈り取る番だ」
セイロスはマントを払って右手を挙げました。手のひらに黒い光が集まって球形になります。それは破壊の闇魔法でした。フルートのむき出しの頭へたたき込んで、頭を吹き飛ばそうとします。
フルートは攻撃をかわすことができません――。
ところが、セイロスは途中で急に攻撃を止めました。振り下ろしかけた右手の中で、黒い魔法の光が急速にしぼんで消えていきます。
セイロスの血のような目が、じろりと自分の背後を見ました。低い声で言います。
「貴様は誰だ?」
すると、赤いマントの陰から返事がありました。
「おまえに名乗る名前など持ち合わせてはいない。だが、金の石の勇者が危険な目に遭っているとなれば、見過ごすわけにはいかないからな」
マントの陰から現れたのは、ぼろぼろのマントをはおり、つば広の帽子を目深にかぶった男でした。帽子の下にある顔は、黒いひげですっかりおおわれています。
男は右手に剣を握っていました。剣の刃は鮮血に濡れています――。
セイロスは体を揺らすと、すぐに男に向き直りました。その背中は赤いマントごと大きく切り裂かれていました。裂け目の奥で、深い刀傷が血を流しています。
ひげの男が言いました。
「この剣は聖なる力を持った魔剣だ。それで切られて、なお平気でいるとは、さすがはデビルドラゴンだな」
セイロスはまた男をにらみつけました。
「この程度の傷はじきに治る。だが、貴様は何者だ。どうやってここまでやってきた」
今はもう魔弾はやんでいましたが、つい先ほどまで、闇魔法の雨はこの一帯に降り続けていたのです。その中を無傷で近づき、気配もなくセイロスに迫って切りつけてきたのですから、ただ者ではありません。
すると、地面でもがいていたフルートが、やっと激痛の発作をやり過ごして薄目を開けました。セイロスと向き合う謎の男へ言います。
「……その声……」
「ずいぶんひどくやられたな、フルート」
と男は言いました。心配そうな口調です。フルートは倒れたまま微笑しました。かすれる声で答えます。
「これくらい……大したことないよ……。それより、どうしてここに……? 来るなんて……聞いてなかったよ、ゴーリス」
男は黒いひげの中で、にやりと笑いました。帽子の下の目は厳しいまなざしをしていますが、同時に深い優しさでフルートを見つめています。
「陛下のご命令で西部の大寒波の状況を視察していたが、そこにまた陛下の命令が下ったので、ザカラスまでやってきたんだ。ザカラス城へ到着すると、魔法軍団はすでにメラドアス山地に出発した後だったから、急いで追いかけてきたというわけだ。先ほど、向こうでアイル王とトーマ皇太子に会って、いきさつは聞いた。デビルドラゴンが大蛇と合体して人間になった、と魔法軍団が大騒ぎしていたぞ」
ああ、そうか……とフルートはつぶやくように言いました。以前、白の魔法使いたちから、ゴーリスがザカラス城に向かってきている、と聞かされたことを思い出したのです。
そのやりとりに、セイロスが言いました。
「そうか、貴様はフルートの師匠だな。姿が変わっていて、すぐにはわからなかったぞ。不肖の弟子に代わって貴様が出てきたというわけか」
「三カ月も城を離れて旅をしていれば、いやでもこんな姿になる。おまえこそ、今度は蛇を魔王にしたわけか、デビルドラゴン。毎回フルートたちに撃退されているのに、性懲り(しょうこり)もないことだ」
ゴーリス……! とフルートはあわてて呼びかけました。ここに立っているのは魔王などではありません。闇の竜がセイロスと溶け合ってひとつになった、デビルドラゴンそのものなのです。
セイロスは薄笑いをしました。
「私は魔王ではない。我が名はセイロス。この世に初めて現れた金の石の勇者で、この世界の王となるために生まれてきた人間なのだ」
なに? とゴーリスはいぶかしい表情になりました。すぐには意味がわからなかったのです。
とたんに、セイロスの体から無数の魔弾が飛び出しました。すべての弾がゴーリスに命中して、黒い光と煙の中にゴーリスの姿が消えます。
「ゴーリス!」
とフルートは叫び、たちまちまた激痛に襲われました。歯を食いしばり、脂汗を流して痛みをこらえると、必死で目を開けます。
すると、薄れていく煙の中にまたゴーリスが姿を現しました。魔弾の集中砲火を浴びたのに、かすり傷ひとつ負っていません。
驚くセイロスへゴーリスは激しく切りつけました。闇を消滅させる力を持つ聖なる剣です。セイロスが、長い髪とマントをひるがえして、大きく飛びのきます。
そこへ野太い男の声が響きました。
「なんと、ゴーラントス卿ではありませんか! いつこちらに到着されました!?」
丘が消滅した場所にできた大穴の縁に、青、白、赤の三人の四大魔法使いが立っていました。メールとポポロも一緒にいます。陥没した地面に丘と一緒に落ち込んだのですが、魔法の力で這い上がってきたのでした。
彼らとゴーリスたちとの間にいくらか距離はありましたが、女神官はちょっと目を凝らして、すぐにほほえみました。
「ゴーラントス卿は、我々がアイル王にお渡しした護符をお持ちだ。それが卿をデビルドラゴンの攻撃から守っているのだな」
ゴーリスは彼らに答えました。
「みんな、無事でなによりだ。まあ、天下の四大魔法使いがあれしきのことでやられるとは思わなかったが。護符はトーマ皇太子からいただいたんだ。自分の代わりに戦ってきてくれ、と泣いたり怒ったりしながら、俺に託してこられた」
それはそれは、と四大魔法使いたちが納得していると、突然ポポロが悲鳴を上げました。
「フルート!?」
魔弾が降りそそいだ影響で、あたりには闇が濃く漂っていましたが、ポポロは必死に透視をして、フルートが重症を負っていることに気づいたのです。
一方、メールもゼンが地面に倒れているのに気がつきました。
「ゼン! ゼン――!?」
呼んでもまったく返事がありません。
二人の少女は駆け出しました。ポポロはフルートへ、メールはゼンへ駆け寄っていきます。
「危ない!」
と魔法使いたちは叫び、白の魔法使いはポポロへ、青の魔法使いはメールへ、それぞれ守護魔法を繰り出しました。セイロスが発射した魔弾を跳ね返します。
一方、赤の魔法使いは怪我をして倒れているルルに気がつきました。一瞬でその横へ飛ぶと、体に触れて言います。
「ブカ?」
すると、ルルは頭を上げました。魔弾に腰のあたりを撃ち抜かれていたのですが、自分の怪我ではなく、行く手を示して言います。
「あそこにポチがまた落ちたの……! ポチが金の石を持っているのよ! お願い、ポチを助けてあげて……!」
「タ」
赤の魔法使いは小さな穴の横へ飛び、中をのぞき込んで微笑しました。深い穴の中ほどに、淡い金の光に包まれたポチが浮いていたのです。すぐに魔法でポチを地上に引きあげます。
「ワン、ありがとう、赤さん!」
とポチは先ほどと同じ礼を言うと、ペンダントをくわえ直して、まっすぐフルートへ走り出しました――。