デビルドラゴンが入り込んだフノラスドは、突然自分で自分を食い始め、さらに潰れて地上に落ちると、そこで一人の人間に変わりました。長身に長い黒髪の男性です。
とたんにフルートたちは驚いて飛びのいてしまいました。男は王族のような気品のある顔立ちをしていますが、その顔に見覚えがあったのです。
「セイロスだ!!」
と叫んで、絶句してしまいます。
「セイロス?」
と白と青の魔法使いは不思議がりました。彼らはその名前を初めて聞いたのです。
上空でもランジュールがぴょんぴょん飛び跳ねながら叫んでいました。
「セイロスぅ!? それって誰さぁ!? そこのお兄さん、ボクのフーちゃん――じゃない、デーちゃんをいったいどぉしたのさぁ!?」
赤の魔法使いが、猫の目を光らせながら、仲間たちへ説明を始めました。彼もセイロスを見たことはありませんでしたが、火の山の地下で幽霊のロズキと出会っているので、セイロスについてはかなり知っていたのです。
話を聞いて、白の魔法使いはますます驚きました。
「初代の金の石の勇者だと? 二千年前の光と闇の戦いで失われた? そんなに昔の人物が、何故ここに現れたのだ?」
「それに、何故、勇者はあそこにいるんです? あそこにいたのは、デビルドラゴンだったはずですぞ」
と青の魔法使いも言います。
フルートたちは立ちすくんでいました。驚きのあまり声を出すことができません。丘の麓に立ってこちらを見上げているのは、確かにセイロスでした。袖なしの黒い長衣を着て、自分の背丈より長い黒髪をかき上げた恰好で、こちらをじっと見ています。
すると、セイロスはゆっくりと視線を動かして丘の上の一同を見渡し、フルートの上に目を止めて言いました。
「ようやく会うことができたな、フルート。ずっと会いたかったぞ」
それは人間の男性の声でした。地の底から湧き上がってくるような、あのデビルドラゴンの声ではありません。
けれども、フルートはいきなり言いようのない不安と恐怖に襲われました。心臓を見えない手にわしづかみにされた気がして、全身が総毛立ってしまいます。彼を見上げる男の目は、血のように赤い瞳をしています――。
そこへ、一度消えていた金の石の精霊が、また姿を現しました。フルートと男の間に割り込むように立って、鋭く叫びます。
「セイロス!」
とたんに、見えない呪縛がフルートから離れました。フルートはその場に膝をつき、ぜいぜいとあえぎました。まるで何百メートルも全力疾走した後のように、体中が疲れ果てています。
「フルート!?」
「勇者殿!」
仲間や魔法使いたちが駆け寄ってきます。
セイロスは精霊の少年を見上げました。
「聖守護石か、久しぶりだ。ずいぶん小さな姿になったな。しかも、今度は男になったか」
声に相手を嘲笑するような響きが混じっています。
精霊は表情を変えずに答えました。
「おまえに裏切られたからな、セイロス。あの時に、ぼくは持っている力の大半を失ってしまった」
「それは、いたしかたないことだろう。人間の本質は闇。その人間に聖であることを求めれば、相反するものの間で人はいつか崩壊する。ただ、私は闇の竜によって守られた。代わりに砕けたのはおまえだ」
セイロスと精霊の間で、見えない火花が散っていました。
フルートは必死で立ち上がろうとしましたが、膝に力がまったく入りませんでした。それでも立とうともがいていると、青の魔法使いが言いました。
「無理はなりません、勇者殿。どうやらあの男は闇魔法を使うようですが、奴が本当に初代の金の石の勇者ならば、同じ金の石の勇者のあなたとは近い存在のはず。あなたが誰よりも影響を受けやすいのです」
すると、白の魔法使いも言いました。
「今、赤に守護の魔法をかけさせます。これが完成するまで、今しばらく無理はなりません」
赤の魔法使いがフルートの体に手を押し当てました。歌のような呪文が始まると、旋律が快く体に響き、少しずつフルートの体に力が戻ってきます。
すると、丘の下からセイロスが、じろりと彼らをにらみました。
「私の邪魔をしているのは魔法使いか」
ぴしり、と何かが弾けるような鋭い音がして、丘の上で光がひらめきました。驚いて見上げた一同に、女神官が言います。
「奴の攻撃魔法を精霊が防いでくれたのです」
「呪文も印(いん)もなしに、いきなり繰り出してきますな。かなりの魔法の使い手だ」
と武僧も厳しい表情になります。
金の石の精霊がまた言いました。
「フルートの力を奪おうとするからには、まだ力が不足しているな、セイロス。それで何故、実体を取り戻すことができた」
黒髪の男は、にやりと笑いました。
「つまらない質問だ、聖守護石。私は闇の国で育てられてきた闇の竜の偽物を呑んだ。あれは大量の闇の念を抱えた怪物だ。世界の最果てからこの身を取り戻すだけの力を、私に与えることができたのだ」
勇者の仲間は、まだ立ち上がれないフルートを見守りながら、その話を聞いていました。ちっくしょう! とゼンが歯ぎしりします。結局、デビルドラゴンは実体になってこの世界に戻ってきてしまったのです。初代の金の石の勇者であるセイロスの姿で――。
そこへ急に空から声が降ってきました。
「へぇぇ、ほぉぉ、ふぅぅん……なぁんとなくわかった気がするなぁ。なるほど、そぉいうことかぁ」
幽霊のランジュールが膝を重ね腕を組んで、考える恰好で空中を漂っていました。うんうん、とさらに独り言のようにうなずいてから、黒髪の男へ言います。
「つまりぃ、これってこぉいうことだよねぇ? キミは二千年前の最初の金の石の勇者で、名前はセイロス。でぇ、キミはずっとデーちゃんと戦ってきたんだけど、最後の最後で自分に正直になることにして、デーちゃんと合体した。だから、デーちゃんがフーちゃんの体に入ったとたんに、変形が始まって人間の姿になっちゃった、と。要するにぃ、キミがデビルドラゴンってことだよねぇ。キミは、フーちゃんの体を使って、この世に復活してきちゃったんだ。やれやれ、思いがけない誤算だなぁ――うふふ、でも、嬉しいけどねぇ」
「ト、バ、ロズキ、カ?」
赤の魔法使いがフルートの力を回復させながら、何かを尋ねてきました。ことばのわかるポチが答えます。
「ワン、そうなんです。デビルドラゴンの正体はセイロスでした。ロズキさんたち光の軍勢は、闇に寝返ったセイロスに殺されたんです……」
白の魔法使いはいっそう厳しい顔になりました。
「ロズキという名は赤から聞いていた。セイロスの右腕だったという人物だな」
「つまり、セイロスはデビルドラゴンと一緒になって闇に下っただけでなく、それまでの仲間も裏切って殺したということですか――なんという奴だ!」
と青の魔法使いは憤ります。
セイロスはランジュールを見上げて、冷ややかに笑っていました。
「私がこの世に戻ってきたことが嬉しいか、幽霊。だが、じきに私に蛇を与えたことを後悔するようになるぞ」
「後悔? どぉしてさぁ。だぁって、キミはデーちゃんだろぉ? ってことは、やっぱりボクの魔獣だもんねぇ。こぉんなに強い魔獣がボクの家来になるなんてさぁ。うふふふ……いいねぇ。最高!」
「私がおまえの家来だと? 誰がそんな約束をした」
セイロスの答えに、ランジュールはまた飛び上がりました。
「ちょぉっとぉ! それってどぉいう意味さぁ!? キミ、契約したよねぇ? ボクの魔獣になってボクに協力する、ってさぁ。いくらデビルドラゴンでも、契約にはぜぇったいに従わなくちゃいけないんだよぉ。それが世界の理(ことわり)なんだからねぇ」
ところがセイロスは平然としたままでした。
「おまえと結ばれた契約は、巨大な闇を宿した蛇に闇の竜を棲まわせ、その蛇を魔獣として従わせる、という内容だった。だが、おまえの蛇はすでに自分を食い尽くして、この世にはもう存在していない。おまえが結ぼうとした契約は破棄(はき)されたのだ」
そう言って、まだ傍らに立っていた赤い膜に触れます。とたんに膜は蛇の頭ごと縮んでマントに変わりました。セイロスが真紅のひだをひるがえして肩にはおります。
なぁんだってぇ!? とランジュールは叫んで、そのまま絶句しました。相手にいっぱい食わされたことに、ようやく気がついたのです。
「みろ。だから、デビルドラゴンが操れるわけねえ、って言ったんだ。体(てい)よくフノラスドを奪われて、奴の復活を手伝わされただけだろうが」
とゼンがつぶやきます。
それでもランジュールはあきらめませんでした。すぐに我に返って、金切り声を上げます。
「そぉんなはずない! キミの正体はデビルドラゴンなんだからねぇ! 契約は生きてるし、キミはボクの家来なのさぁ! 命令だよ、デーちゃん! 元の竜の姿に戻れぇ!」
ところが、セイロスの姿はまったく変わりませんでした。恐れ入って従うような様子もありません。
あれっ!? あれぇっ!? とランジュールは言い続けました。
「そんなわけない! そんなわけないよぉ! キミは姿は人間でも中身は魔獣なのに! 早くボクに従いなよぉ、デーちゃん――!」
「うるさい」
と男は冷ややかにさえぎりました。
「私はセイロスだ。そして、私は人間だ。魔獣などではない」
とたんに黒い光がランジュールを直撃しました。幽霊があっという間に吹き飛ばされて消えてしまいます。一瞬の出来事でした。
ポポロが青くなって言いました。
「魔法が早いわ……早すぎて、あたしの目に止まらないくらい……」
「ランジュール」
とフルートも青ざめて空を見上げていました。うふふふ、という女のような笑い声は、もうどこからも聞こえてきません。
代わりに彼らが聞いたのは、セイロスの声でした。
「私はこの世界に帰ってきた。実体さえ取り戻せば、私は無敵だ。これまでことごとく私の邪魔をしてきたおまえたちも、もう私の敵ではない。消えろ!」
闇の色の巨大な稲妻が、フルートたちに襲いかかりました――。