フルートは、限界寸前まで願い石の力を受けて、激しい苦痛に襲われていました。湧き上がってくる痛みが暴れ回り、フルートの体をまったく違う方向へ引っぱって、ばらばらにしようとします。フルートは自分の体を抱いて、内側の嵐に耐え続けました。痛みが激しすぎて、声も出せません。
すると、地面に落ちたペンダントが膝に当たりました。痛みがひどくて、思わず手放していたのです。とたんに全身から痛みが引いていきました。完全にではありませんが、苦痛が軽くなって、呼吸ができるようになります。
フルートは顔を上げ、心配してのぞき込んでいた仲間たちを見ました。
「だ――いじょうぶだ――。収まってきた――。それより、あれは――フノラスドはどうなった――？」
そこで一同は行く手の空を見上げ、また驚きました。
頭だけだったフノラスドがまた全身を現して、空中でデビルドラゴンとにらみ合っていたのです。八つの頭と尾を持つ巨大な蛇と、それよりも大きな影のドラゴンが、首を伸ばし、相手を見据えています。ただ、フノラスドの赤い首だけは、途中で切れて頭が失われていました。デビルドラゴンの触手が、金の蛇の頭と黒い蛇の首元に食い込んでいます。
二匹の怪物の間に幽霊のランジュールがふわふわ浮いていました。フルートが激しい痛みに襲われている間も、闇の竜と何か話していたのでしょう。うふふふ、と笑いながら、こんなことを言っています。
「だから、言ってるじゃないかぁ。これはぜぇんぶボクの作戦だったんだ、ってさぁ。はったりなんかじゃないよぉ。ボクの言うことを聞かなかったら、ほんとにキミを破壊しちゃうんだからねぇ、デーちゃん」
デビルドラゴンは影の頭の中から赤い目を光らせて、ランジュールを見ました。
「大口ヲタタクモノダナ、チッポケナ幽霊ノ分際デ。我ハ闇ノ化身。闇ノモノモ幽霊モ、我ニ逆ラウコトハ不可能ダゾ」
「うふん。そぉだねぇ。闇の仲間だったら、闇の総大将のキミにはぜぇったい逆らえないんだけどさぁ。ボクは幽霊だけど悪霊なんかじゃないんだよねぇ。だから、別にキミの命令なんか聞く必要もないってわけ。フーちゃんのほうは、確かに闇の怪物なんだけどねぇ、元がヒムカシの国のヤマタノオロチだから、やっぱり完全に闇ってわけじゃないんだなぁ。しかもね、ボクのほうにはこぉいう切り札もあったりしてねぇ――」
そう言ってランジュールは白い頭の蛇たちへ、さっと手を振りました。あらかじめ合図が決めてあったのでしょう。ためらうことなく一匹が光の文字を吐き、もう一匹が首を伸ばします。ユラサイの術を始めようとしているのです。
「ランジュールはなんの術を使おうとしているの？」
とルルはポチに尋ねましたが、術に使う文字は特殊な形で書かれていたので、ポチにも術の内容を読み取ることはできませんでした。
すると、ランジュールがデビルドラゴンへ言いました。
「これはねぇ、白ちゃんの術の中でも究極中の究極なんだよぉ。なにしろ、フーちゃんの体を闇から光に変えちゃう術だからねぇ――。うふふ、白ちゃんがこの術をかけたら、どぉなると思う？ キミの体は純粋な闇。そこに吸い取られたフーちゃんが光に変わる。そしたらもちろん、光と闇は真っ正面からぶつかり合うよねぇ。デーちゃん、キミは内側から――」
ぱぁん、とランジュールは言って、握った両手を勢いよく開いて見せました。光と闇の衝突でデビルドラゴンは霧散することになる、ということです。
丘の上の一行は唖然としていました。こんな退治の方法があったのか、とただただ驚いてしまいます。
デビルドラゴンが、触手をしゅるっとフノラスドから引っ込めました。赤い目でランジュールを見つめながら言います。
「惜シイナ、幽霊。ソノ奸計（かんけい）。オマエガ人間デアレバ、オマエヲ我ノ宿主ニ選ンダノニ」
ランジュールは大袈裟（おおげさ）に肩をすくめました。
「ボクがデーちゃんの容れ物ぉ？ じょぉだんじゃない、そんなのまっぴらごめんだなぁ！ ボクは魔獣使いだよ。魔獣を操るのがボクの仕事なのに、ボクが魔獣になっちゃったら、魔獣使いにならないじゃないかぁ」
「んなこと言って、願い石の戦いのときにマンティコアと合体して魔獣になったのは、どこのどいつだよ」
とゼンが地上から突っ込みましたが、ランジュールには聞こえていないようでした。いえ、聞こえていても知らんふりをしていたのかもしれません。
デビルドラゴンがまた言いました。
「我ハオマエノ怪物カラ離レタ。モウ、オマエタチに我ヲ害スルコトハデキナイ。アトハ、オマエタチヲ粉々ニ破壊シテ、消滅サセレバ良イダケノコトダ」
ぼうっと影の竜の体が黒い光に包まれました。闇魔法が集まり始めたのです。
うふふ、とランジュールはまた笑いました。
「やってみるぅ？ ボクのフーちゃんは闇の国でキミに対抗するために育てられてきた魔獣だよぉ。その後もボクが一生懸命鍛えてきたしねぇ。きっと、キミの魔法にも耐えられると思うんだなぁ。うふふ、それにね……」
ランジュールが糸のように細い目をきらっと剣呑に光らせました。何かを企んでいるときの目です。
「デーちゃん、キミさぁ、さっきボクのフーちゃんから気を吸い取っていっただろぉ？ 白ちゃんが術をかけると、それも一緒に光に変わっちゃうんだよねぇ。つまり、どうしたってキミの体は――」
ぱぁん、と幽霊はまた手を広げて見せます。
デビルドラゴンはすぐには何も言いませんでした。張り詰めた沈黙が数秒間続いた後、地の底からの声がまた言います。
「我ハ白イ蛇ガ術ヲ使ウヨリ早ク、オマエタチヲ破壊スルコトガデキルゾ」
ランジュールは空中で腕組みしました。
「ダメダメぇ。さっきからキミを見てたけどさ、キミのほうがフーちゃんより遅いんだよねぇ。フーちゃんのほうがキミより若いからかなぁ、うふふ。闇魔法を食べちゃう黒ちゃんたちも三匹も揃ってるし。キミより先に、白ちゃんがキミを破壊しちゃうに決まってるよぉ」
「ダガ、ソウスレバ貴様ノ蛇モ破壊サレルゾ」
とデビルドラゴンは言い続けました。先ほどより声に凄みが増しています。
ふふん、とランジュールは鼻先で笑いました。
「そぉだね。内側にいるフーちゃんは闇の怪物だから、それが光に変わったら、確かに死んじゃうんだけどねぇ――でも、それはデーちゃんと相殺だよぉ。ボクはね、この世にボクの魔獣より強い魔獣がいることが我慢できないのさ、うふふふ……」
デビルドラゴンは赤い目をすっと細めました。いっそう低い声になって言います。
「我ヲ光デ破壊シテモ、我ハ消エヌ。コノ世界ニハ必ズ闇ガアルノダカラナ。オマエノ蛇ハ無駄死ニダ」
「だぁけぇどぉ……キミだって、すぐには復活できなくなる。そぉだよね、デーちゃん？ こうやって影の姿になってこの世界に戻ってくるだけでも、二千年もかかったのにさぁ。またさらに二千年かかることになっちゃうんだよぉ。うふふ、どぉするぅ、デーちゃん？ それでもボクたちを倒そうとするぅ――？」
ランジュールとデビルドラゴンのやりとりを、丘の上の一行はただ聞いているしかありませんでした。闇の権化を相手にいつもの調子で渡り合っているランジュールに、呆気にとられてしまいます。
すると、フルートがゆっくりと立ち上がってきました。足元がふらついたので、勇者殿！ と青の魔法使いが支えると、フルートがこっそり言いました。
「ぼくをデビルドラゴンの真下へ送ってください……。あいつは今、ランジュールとのやりとりに気を取られています。この隙に金の石の光をもう一度浴びせてやります……」
願い石の精霊は姿を消していましたが、金の石は変わらずペンダントの真ん中で輝き続けていました。今は近くにいるデビルドラゴンやフノラスドに反応して、きらりきらりと明滅を繰り返しています。
フルートがまたふらついたので、しかし――と武僧が難色を示すと、女神官が言いました。
「勇者殿の言われるとおりだ。奴を追い払えるチャンスは今しかない。赤、勇者殿の道案内に立て。私と青でデビルドラゴンの下まで送る」
「ワン、もちろんぼくも行きますよ！」
と話を聞きつけたポチが、フルートの腕に飛び込んできました。その声に、何事かと他の仲間たちが振り向きます。
白の魔法使いは自分の杖を掲げました。
「行くぞ、青、赤！」
「承知！」
「ダ！」
青の魔法使いも自分の杖を上げ、赤の魔法使いはフルートとポチを赤い光の輪で包みます。
女神官と武僧が、どん、と杖で地面をたたいたとたん、ムヴアの魔法使いと勇者と小犬は、丘の上から姿を消していました――。
