フノラスドの三つの黒い頭が、闇の息を吐き始めました。生き物の命を吸い取ってしまう怖ろしい霧です。赤の魔法使いが灰の雲から引き出している風に混じり込み、たちまち風をどす黒く染めていきます。
すると、風がまた暴れ始めました。赤の魔法使いの術を振り切ろうとするように、雲と丘の間で上下左右へ大きく蛇行します。
「赤、しっかり!」
と青の魔法使いが自分の魔法を強めました。赤の魔法使いが使うムヴアの術を直接助けることはできませんが、暴れる風をつかんだ魔法の手だけは絶対に放さないようにします。
白の魔法使いも障壁を消して、風の制御に加わろうとしました。フノラスドが吐く闇の息がすべて風に巻き込まれるので、味方に降りかかる危険がなくなったからです。
すると、ランジュールが歓声を上げました。
「守りを消すなんて甘ぁい! 毒を吐くのが黒ちゃんたちだけだと思ったら、大間違いなんだよぉ!」
フノラスドの青い頭が、ずいと前に出てきました。魔法使いたちは知りませんでしたが、それは猛毒を吐く頭だったのです。口を開け、禍々しい(まがまがしい)色の息を吐き出してきます。
「させません!」
と若草色の長衣の娘が杖を振りました。薄緑の光が広がり、たちまち障壁に変わって毒の息を防ぎます。
「おお、やるやる。早いな」
と黒髪にマフラーの術師が感心しました。彼の障壁は呪符を使うので、どうしても若干の時間がかかってしまうのです。
その間に白の魔法使いは杖を前方に向けました。荒れ狂う風に向かって魔法を繰り出し、風に沿って魔法の壁を作ります。風はどんなに暴れてもその壁を越えられなくなりました。女神官が風の道を正していくと、丘の上に向かって、またまっすぐに吹くようになります。
ランジュールは空中で地団駄(じだんだ)を踏みました。
「ホントにもぉ! キミたちって、嫌になるくらい魔法の使い方がうまいよね! こうなったら、みんなの魔法を使えなくしちゃえぇ、白ちゃん!」
フノラスドの白い頭がすぐに首を伸ばしました。一匹がユラサイ文字を吐き出し、もう一匹がそれを読み始めます。ユラサイの術は文字と声が重なることで発動するのです。
すると、マフラーの術師が言いました。
「その呪字は光の魔法の封印だな! そうはさせんぞ!」
ばっと男が呪符を投げて読み上げると、フノラスドが吐き出していたユラサイ文字が砕けて消えました。同じユラサイの術でフノラスドの術を打ち消したのです。女神官たちの魔法は封印されることなく継続しています。
「まあ、本当にすごい。今まで知らなかったけれど、ユラサイの術って有効なんですね」
と魔法使いの娘は言いました。すっかり感心した声です。
術師の男は答えました。
「ユラサイの術にはユラサイの術が効くに決まっているからな。それに、あの蛇が使う術はあまり強力じゃない。修行が足りないな」
まあ、と娘はまた言って笑いました。術師の男も、にやりとします。
ランジュールは、フノラスドの術を下手と言われて、きぃきぃ怒っていました。空中をめちゃくちゃに飛び回り、また丘の前に戻ってきて叫びます。
「あったま来た! ほぉんと、キミたちって失礼だよねぇ! ボクのフーちゃんを役立たずみたいに言って! フーちゃんの実力はこんなものじゃないんだからねぇ!」
「どうする!? ユラサイの術なら、俺がたちまち防いでみせるぞ!」
と術師の男が言い返します。
ふんっとランジュールは鼻を鳴らすと、急に冷ややかな目になって、丘の上の人々を見下ろしました。
「そこのお嬢ちゃんの魔法は、神官のお姐さんほど強くないよねぇ。今度は力勝負でいこうかな。金ちゃん、でばぁん! 守りの壁を砕いちゃえ!」
すると、フノラスドの金の頭が飛び出してきました。ものすごい勢いで迫ってきて、若草色の障壁に激突します。
きゃぁっと娘は叫び、一メートル近くも後ろへ吹き飛ばされました。壁に受けた衝撃が強すぎて、彼女にまで伝わってきたのです。かろうじて転倒をまぬがれると、杖をかざして壁を強めます。
そこへ、また金の蛇の頭突きが飛んできました。どおぉん、とものすごい音をたてて障壁に激突します。その衝撃に丘全体が震えました。麓に近い斜面で、積もった雪が雪崩(なだれ)を起こして落ちていきます。
娘はその攻撃にも耐えましたが、障壁を見て顔色を変えました。蛇の攻撃を食らった場所に、白いひびが広がっていたのです。もう一発攻撃を食らったら、障壁は崩れ落ちそうでした。
ランジュールが冷ややかに笑いました。
「この金ちゃんは勇者くんを倒すために特別に鍛えた頭だから、ものすごく堅くて丈夫なんだよねぇ。魔法の障壁くらい簡単に破っちゃうんだよぉ、うふふ……」
金の蛇がまた頭突きの体勢に入りました。その後ろでは、壁が崩れた瞬間に毒を吐こうと、青い頭が待ちかまえています。
すると、術師が呪符を投げました。呪符が消えて光に変わり、若草の障壁の外側へ飛んで重なります。そこへ金の頭が激突してきました。壁は激しく揺れますが、男の援護があったおかげで破壊されずにすみます。
よし! と女神官は言いました。風の流れを制御して、風を分散させている武僧を支援し続けます。
ところが、ランジュールが笑いました。
「うふふ、言ってるじゃないかぁ。フーちゃんの実力は、まだまだこんなものじゃないって――。黒イチちゃん、黒ニィちゃんはそのまま闇の息ぃ! 黒サンちゃんは金ちゃんと一緒に壁を破れぇ!」
すると、黒い頭の一つが闇の息を吐くのをやめ、金の頭と一緒に突進してきました。猛烈な勢いで壁にぶつかり、まずユラサイの術の防壁を、次いで若草色の光の壁を突き破っていきます。打ち破られた障壁は、ガラスのような音をたてて砕けました。反動で術師の男も若草色の娘も吹き飛ばされてしまいます。
ほぉらね! とランジュールは言いました。
「黒ちゃんたちは、勇者のドワーフくんに対抗できる怪力の蛇なんだよぉ。金ちゃんと力を合わせれば、それくらいの壁を破るのは簡単さぁ。よぉし、青ちゃん、今度こそ毒を行けぇ!」
青い頭の蛇が口を開け、猛毒の息を吐き出しました。術師と娘は地面にたたきつけられて、立ち上がることができません。
ちぃっと白の魔法使いは舌打ちしました。風を支えていた魔法を手放し、杖から新たな魔法を繰り出します。どん、と音がして白い光が広がり、黄色い毒の息が四散します。
とたんにランジュールがまた叫びました。
「それを待ってたぁ! 行けぇ、黒サンちゃん! 至近距離から闇の息全開!」
ジャァァ。
障壁を撃ち破った黒い頭が鎌首を上げ、頭上を吹いている風へ闇の息を吐き始めました。黒い霧が風に吸い込まれ、風の中の灰をますます黒く染めます。
ついに赤の魔法使いや青の魔法使いは、風を抑えていることができなくなりました。次々に吹き飛ばされ、雪の上に倒れます。黒くなった灰の風はうなりながら向きを変え、魔法を振り切って蛇行を始めました。高原全体を駆けめぐります。
「いかん!」
白の魔法使いはもう一度風を抑え込もうとしました。杖から魔法を撃ち出します。
すると、白い頭の蛇が飛び出してきて、ばくんと魔法の光に食いつきました。そのまま魔法を呑み下してしまいます。
驚く女神官に、うふふふ……とランジュールはご機嫌で笑ってみせました。
「キミたちは知らなかったよねぇ? 白ちゃんはもともと、光の魔法に対抗するために鍛えた頭なんだ。勇者のお嬢ちゃんの魔法にも対抗できるようにしてあるから、キミたちではとってもかなわないんだよぉ」
その横でまた青い蛇が口を開け、猛毒を吐き出そうとしていました。女神官は防御魔法を繰り出しますが、やはり白い頭に呑み込まれてしまいます。黄色い毒の息が吹きつけられてきます――。
ところが、その瞬間、丘の後ろからたくさんの魔法が飛んできました。光りながら女神官たちの頭上を飛び越え、破裂して毒を押し返し、フノラスドに命中していきます。白い頭は魔法を次々呑み込みましたが、数が多すぎてとても間に合いませんでした。魔法が他の頭に命中して、ジャァァ、と蛇たちが悲鳴を上げます。
魔法攻撃を送り出したのは、今まで風を受け取って分散させていた魔法使いたちでした。風が彼らのところへ来なくなったので、参戦できるようになったのです。ロムドの魔法軍団もザカラスの領主に仕える魔法使いも一丸になり、全員でフノラスドへ魔法を繰り出しています。
「やれ、やれ!」
「あいつらを追い払え!」
「ロムドの四大魔法使いを倒されてたまるか!」
「白様たちに力はおよばなくても、数で勝負だ!」
と口々に言っています。
はぁ、とランジュールは溜息のような声を洩らしました。
「キミたちって、ほんっとに見上げた集団だねぇ。魔法使いだから、ここから簡単に逃げ出せるのに、だぁれも逃げようとしないしさぁ。でもさぁ、それって絶対に後で後悔すると思うんだよねぇ」
「後悔など誰がするものか! 貴様こそ、さっさと消えろ!」
ひときわ大きな声でそうどなったのは、ザカラス城衛兵隊の大隊長でした。いつの間にかまた衛兵たちと丘の麓に引き返してきて、弓矢で上空のランジュールを狙っています。
ぎょっとするランジュールへ、いっせいに矢が放たれました。幽霊にも当たる魔法の矢です。ランジュールがあわてて姿を消していきます。
「逃がすな! 奴がまた現れたら必ず仕留めろ!」
と大隊長が言っていると、なんとその目の前にランジュールが現れました。思わず身を引いた大隊長に指を突きつけて、文句を言います。
「おじさんって、生意気ぃ。ただの人間のくせにさぁ」
大隊長は、ぎろりとにらみ返しました。
「ただの人間でも我らは戦闘のプロだ! やはり近くに来たな、幽霊め! これでも食らえ!」
そう言って大隊長が振りかざしたのは、マントの陰に隠し持っていた魔法の矢でした。ランジュールが姿を消すより早く、ランジュールの顔に振り下ろします。
魔法の矢はランジュールの右目を貫きました――。