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第20巻「真実の窓の戦い」

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93.望み

 「驚き桃の木山椒の木……」

 ジタン山脈の地下の岩屋で、ノームのラトムはそう言ったきり、絶句してしまいました。隣に立つゼンとメールとルルは、とっくにことばを失って、呆然と時の鏡を眺めています。

 風が吹き荒れている鏡の中には、セイロスと二人の精霊の女性が立っていました。願い石の元へやってきたセイロスは、世界を守るために光になる願いを言おうとして、デビルドラゴンの声を聞き、自分そっくりの勇者と対面したのです。

 もう一人のセイロスは、自分は光になることなど望んでいない、誰からも自分が忘れ去られるのは耐えられない、と言い放ちました。本物のセイロスは何も言えなくなっています。

「セイロス!」

 と金の石の精霊がまた叫びました。ずっと冷静だった彼女が、今は青ざめて、必死の表情を浮かべていました。

「だめだ、セイロス! 奴のことばに耳を貸すんじゃない! 私たちの本当の願いを言うんだ!」

 精霊が着るドレスが風をはらみ、狂ったようにはためいています。

「私の本当の願い」

 とセイロスはまたつぶやきました。その黒い瞳は、どこか深い場所を眺めているようでした。

「私は――私は――」

 と言い、考え込むようにまた黙ります。

 そんな二人の様子を、願い石の精霊は黙って眺めていました。見ているだけで、何もしません。風が彼女の髪とドレスもあおるので、まるで燃えさかる炎のような姿になっています。

 

 その光景に、メールは我慢できなくなりました。二千年前の出来事なのに、今起きていることのように思えて、どなってしまいます。

「なんでセイロスを止めないのさ、願い石!? こんなに危険な状況なのに!」

「そうよ! フルートが危ないときには、いつも助けてくれるじゃない! どうしてセイロスのことは助けてあげないのよ!」

 とルルも鏡に向かって言います。

 すると、彼らの近くにいた時の翁が言いました。

「願い石に、そんな力はありゃせん、よ。願い石は、人の願いをかなえる石、じゃ。どんな内容でも、持ち主が願いを言おうとするときには、願い石に、それを妨げることは、できんから、の。それが契約、じゃ」

 ゼンは歯を食いしばったまま、じっと鏡の中をにらんでいました。この手のやりとりは、ゼン自身にも覚えがありました。デビルドラゴンは人の心の闇を知る怪物です。本人が自覚さえしていなかった闇を、心の奥底から掘り起こし、それを本人の前にさらけ出して、闇の側へ取り込もうとするのです――。

 

 金の石の精霊が叫び続けていました。

「戻ってこい、セイロス! 私たちの誓いを忘れたのか!? あなたが世界を救わなければ、世界は闇のものになって、悲劇の中で破滅する! 金の石の勇者は、世界をその運命から守る人間なのだぞ!」

「世界が闇のものに」

 とセイロスはつぶやき、何かを振り切るように、頭を強く振りました。我に返った顔で金の石の精霊を振り向きます。

「すまない。ぼんやりしていた。そうだとも、世界を奴に渡すわけにはいかない――。奴は私を捉えようとして、自分からこの場所へやってきた。好都合だ。奴を消滅させるぞ、聖守護石!」

 セイロスの声が力を取り戻していくと、たちまち風がやみました。彼らの前にいたもう一人のセイロスが、驚いた顔をしたまま薄れていきます。

 金の石の精霊はドレスをなびかせて空に舞い上がりました。

「手を貸せ、セイロス! 光を呼ぶぞ!」

 精霊が差し伸べた細い手を、セイロスはしっかりとつかみました。とたんに、つなぎ合った両手の間から、爆発的な光が湧き起こります――。

 

 光は鏡の前にいたゼンたちにも降りそそいできました。あまりのまぶしさに、誰も見ていられなくなって、鏡から目をそらしてしまいます。光は強く澄み切っています。

 すると、鏡から苦しそうな咆吼(ほうこう)が聞こえてきました。

 オォーオォォオォー……

 デビルドラゴンが聖なる光に焼かれて消滅を始めたのです。苦しさのあまりのたうっているのか、声は遠く近く、うねっています。

 そんな馬鹿な、とゼンたちは考えました。セイロスは願い石に負けて、自分の願いを語ったはずです。光になってデビルドラゴンを消滅させることは、できなかったはずなのに……。

 それを確かめようと、精一杯目を細めると、ほんの少しですが、光の中の様子を見ることができました。まばゆい光に溶けそうになりながら、一組の男女が手を取り合っています。セイロスと金の石の精霊ですが、その姿がなんだか恋人同士のように見えて、ゼンたちはまた面食らってしまいました。光の中、デビルドラゴンの咆吼が薄れていきます――。

 そこに、願い石の精霊の冷ややかな声が聞こえてきました。

「私はまだ、そなたの願いを聞いていない、セイロス。そなたの願いを言うがいい」

 セイロスはまだ自分の願いを願い石に言い終えていなかったのです。青年は光の中で上を向き、はっきりとした声で言いました。

「私の願いは、世界に平和をもたらすことだ。聖守護石と共に闇の竜を焼き払い、もう二度とこの世界に復活させないことを、願い石に望む」

 セイロス、と金の石の精霊が言いました。表情は見えませんが、とても嬉しそうな声です……。

 

 ところが、光の奥から、またデビルドラゴンの声が聞こえてきました。先ほどまであんなに苦しそうにほえていたのに、また平然とした声に戻って、こんなことを言います。

「悔シイダロウ、金ノ石ノ勇者ヨ。コレ限リ、オマエハ世界カラ消エ去ルノダカラ――。オマエハ、コノ世界デ最モスグレタ王ニナルハズノ人間ダッタ。世界モオマエヲ待チ望んでイタノニ、オマエハ守リノ勇者ノ宿命ニ囚ワレテ、ココデ消滅シヨウトシテイル。オマエノ真ノ願イハ何ダ、せいろす? 世界ヲ残シテ燃エ尽キルコトデハ、ナカッタハズダゾ――」

 デビルドラゴンはまたセイロスに誘いかけていました。自分の消滅以外の願いを、勇者に言わせようとしています。

 ゼンたちは思わず混乱して、時の翁に尋ねました。

「おい、どういうことだよ、これ!?」

「セイロスは願い石に願ったんだろ!?」

「それなのに、どうしてデビルドラゴンがまだいるのよ!?」

 時の翁は静かに答えました。

「奴は、今もまだ、この世界に存在し続けているじゃ、ろ? セイロスは闇の竜を倒せんかった、ということ、じゃ。願い石は、人の本当の望みをかなえる石、じゃ。例え願いを口にしても、それが本物でなければ、かなえてはくれん、わい」

「本当の望みじゃない……?」

 とゼンたちは言いました。鏡の中で光が急速に弱まって、再び人の姿が見えるようになります。

 

 セイロスと金の石の精霊はまだ並んで立っていました。先ほどと同じ位置ですが、つないでいた手はもう離れてしまっていました。精霊が信じられないような顔でセイロスを見ています。

 そんな二人から少し離れた場所には、願い石の精霊が立っていて、じっと彼らを見つめていました。セイロスが真の願いを言うのを待っているのです。そして、それとは反対側の離れた場所に、またもう一人のセイロスが姿を現していました。紫水晶の鎧を光らせながら、本物のセイロスたちへ話し始めます。

「私は消えていくわけにはいかない。元より死ぬことは少しも恐れぬが、死んでしまっては世界を治めることができない。私は世界の王になる人間。世界中を繁栄と幸福に導くために、今ここで死ぬわけにはいかぬのだ」

「セイロス! あいつを黙らせろ!」

 と金の石の精霊は叫んで、もう一度手を伸ばしました。目の前にいるセイロスの手をつかみ直そうとします。

 とたんに、精霊は弾き飛ばされました。セイロスの体が突然赤い光を放ったのです。願い石の輝きです。

 そばにたたずんでいた願い石の精霊が口を開きました。

「セイロスは真の願いを見つけた。私は人の真の望みをかなえる願い石だ。私に願いを語るがいい」

 金の石の精霊は床に倒れたまま言い続けました。

「よせ、セイロス! あなたの本当の願いはそんなことではない! あなたは金の石の勇者だ! 我が身を捨てて世界を守る、守りの勇者だ――!」

 けれども、その瞬間、精霊の体から、ぴしぴしと何かが砕けるような音が聞こえ始めました。娘の姿をした金の石の精霊が、かげろうのように、ゆらりと揺らめきます。

 赤い光に包まれたセイロスは、そんな彼女にちらりと目を向けました。

「聖なる石の願いは重い――人間には担いきれないほどにな」

 冷たくそう言い残すと、大股に歩き出します。置き去りにされた精霊の体がまた揺らめきましたが、彼はもう振り向きません。

 セイロスの行った先には、もう一人のセイロスがいました。やってきた自分を見つめて、満足そうに笑います。

「来たな、私よ。さあ、願い石に本当の私の望みを言おう」

 セイロスはうなずき、さらに歩き続けました。笑っている自分に正面から突き当たると、その体が溶け合うように一つになって、一人のセイロスになります。

 すると、その目の前に願い石の精霊が移動してきました。セイロスが放つ赤い光と同じ周期で、強く弱く輝きながら、セイロスに尋ねます。

「そなたの真の願いはなんだ。私に語るがいい」

 セイロスは胸を張り、笑みを浮かべたまま言いました。

「私を世界の王にしろ、願い石! それが私の望みだ!」

「その願い、承知した」

 と願い石が答えたとたん、血のように赤い光が広がり、セイロスはその中に見えなくなってしまいました――。

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