一方、ジタン山脈の地下にあるオパールの岩屋では、ゼンたちがもう一人の重要な人物と話していました。
「はて、時の鏡を映してくれ、じゃと? これは、過去を映す鏡、じゃ。過去は、用事がないときには、見ないほうがよいものじゃ、ぞ。わしは、これを放っておくのは良くない、と思うて、鏡を消しに、ここに来たん、じゃ」
と時の翁(おう)はゼンたちに向かって言いました。汚れきった長いひげと髪の毛におおわれて、生きた木の根のようにも見える老人です。
ゼンはどなり返しました。
「鏡を消すなんて冗談じゃねえ! 俺たちはデビルドラゴンが捕まったときの様子を見に来たんだぞ! そうすりゃ、願い石を使わずにヤツを倒す方法がわかるかもしれねえんだからな!」
その後ろから、メールとルルも懸命に言いました。
「あたいたち、その方法を探して、本当に世界中を回ったんだよ! 東西南北、海や空や闇の国にまで行ったのに、どうしても見つからなかったんだ! そりゃ、そんな方法がわかってれば、デビルドラゴンはとっくに退治されてるだろうけどさ、せめて手がかりだけでもつかみたいと思うのに、それも見つからなくてさ――!」
「だから、時の鏡を見れば、デビルドラゴンを捕まえたときの様子もわかるし、あいつの倒し方もわかるんじゃないかと思って、ここにやってきたの! お願いよ、時の鏡を見せて!」
次々とそんな話をする勇者の一行に対して、時の翁は何も答えませんでした。老人の顔は長い髪とひげの陰になっていてまったく見えませんが、ゼンたちは老人に見つめられていることを感じました。真剣な表情で相手を見つめ返します。
「驚き桃の木山椒の木!」
と言ったのはノームのラトムでした。時の翁の体があまり匂うので、ずっと離れた岩屋の隅から話しかけてきます。
「あんた、なんで何も言ってやらないんだね!? そいつらはフルートが願い石を使って破滅するのを防ぎたい一心で、はるばる天空の国からここまで来たんだぞ! 時の王様だかなんだか知らないが、友だちを想うそいつらの気持ちがわからないなんて、ずいぶん薄情なもんだな! これだから人間って連中は信用できないんだ!」
根本的に人間嫌いのところは、ノームもドワーフも同じです。
老人はまた口を開きました。
「わしは、人間じゃありゃせん、よ。かといって、エルフでもなければ、ドワーフでもノームでも、巨人族でもないが、の。あんまり歳をとりすぎて、元は自分がなんじゃったか、ちっとも覚えておらんの、じゃ。だがまあ、そんなことは、どうでもいい。ゼンたちは、フルートのために、時の鏡を見たいと言っているんじゃ、な? なかなか難しい注文をする、の。過去を見たり聞いたりできんのは、人に与えられとる理(ことわり)、じゃ」
いつものゼンなら、理ということばを聞かされたとたん顔をしかめて、意味がわからねえ! と叫ぶところでしたが、この時のゼンは違いました。身を乗り出し、老人に指を突きつけて言います。
「いくら人の理とかでもよ、あんたにはそうじゃねえだろう!? あんたは人じゃなくて、時の翁なんだからよ! あんたが時の鏡を映してくれるんなら、俺たちだって昔のことが見られるはずだぞ!」
とたんに老人は、ひゃっひゃっひゃっ、と声をたてて笑い出しました。
「友だちのために、一生懸命じゃ、な、ドワーフの勇者。そうじゃ、な。順序よく、光と闇が二つの陣に別れて、戦っているあたりからが、いいか、の……」
とひとりごとのように言うと、ゼンから離れてすたすたと岩屋を歩き出します。
ゼンたちは一瞬呆気にとられ、すぐに老人の意図に気がついて後を追いました。
「見せてくれるんだな、じっちゃん!?」
「二度目の光と闇の戦いの様子を、時の鏡に映してくれるのね!?」
「はて、そう言わんかった、かね?」
と時の翁は言い、すぐに一つの鏡の前に立ち止まりました。曇りガラスのようになった表面をのぞき込んで、これ、じゃ、とうなづきます。
ゼンとメールとルルは老人の後ろに立ちました。ラトムも鼻をつまみながら駆けつけてきます。全員が見守る中、老人は髪の間から枯れ枝のような両腕を突き出すと、鏡に向かって命じました。
「映せ、鏡! 時の夢、時の幻! 過ぎ去りし時の戦いの様子を、時を見通せないものたちの前に映し出して見せるのだ!」
老人が突然流暢なことばづかいに変わったので、ラトムが目を丸くして、驚き桃の木、とつぶやきます。
すると、目の前の鏡が急に銀色に変わり、その表面に景色が映りました。鏡が生き返ったのです。
時の鏡に映っているのは、時の翁やゼンたちの姿ではありませんでした。どこか知らない場所の、広場のようなところに、鎧兜をつけた人々が集まっている光景です。鏡越しに、がやがやと彼らが話し合う声も聞こえてきました。
「なんか真実の窓を見てるみたいだね」
とメールが思わずつぶやいて、静かにしろ、とゼンに叱られます――。
「こんな時間に召集だなんて、セイロス様は何をなさるおつもりなんだろう?」
と青い鎧の戦士が隣の黄色い鎧の戦士と話していました。どちらの戦士も、フルートが着ているような板状の金属の鎧ではなく、鎖を編んだ上着の上に彩色された金属の胸当てをつけ、金属製の脚絆(きゃはん)や籠手(こて)を巻いて、マントをはおっています。
「昨日の戦いが我が軍の勝利で終わったことは、もう昨日のうちに知らされている。セイロス様は別のことをお話になるんだろうが、何のことか、今はちょっと想像がつかないな」
と黄色い鎧の戦士は言って、周囲の人々をざっと見渡しました。彼らに似た恰好の戦士もいますが、かなり違った防具を身につけた人々もいます。中には、髪の毛を一部だけ残してすっかり剃り上げ、奇妙な形に髪を編んでいる戦士たちもいました。彼らは顔に刺青(いれずみ)もしているので、遠目にもかなり目立っていました。
「タータ族の戦士たちも呼ばれたようだな。タータ族はシュンの同盟国だ。だとすると、同盟軍全体に関わる、かなり重要な話がある、ということだな」
と黄色い鎧の戦士が言うと、青い鎧の戦士は肩をすくめました。
「重要な話には決まっているだろう。セイロス様は意味もないことに人々を集めたりはなさらないからな。問題は、それがなんの話か、ということだ。おまえの宿舎はセイロス様の天幕に近い。何か話は聞こえてこなかったか?」
「いいや、特に何も。セイロス様はしばらく天幕に引きこもっておいでだったから、具合でも悪いのかと心配したんだが、昨日の戦いでは馬に乗ってあれほどの活躍をされたからな。ご病気など、いらぬ心配だったようだ」
「ふぅむ。やっぱり話の手がかりはなしか。わからないとなると、なおさら気になるな」
「焦ることはあるまい。セイロス様が話し始めれば、なんの話なのかは、すぐにわかるってものだ」
すると、広場に一頭のペガサスが舞い下りてきました。背中から赤い胸当ての戦士が飛び下りてきて、一段高くなった場所に上がり、集まっている戦士たちへ呼びかけます。
「間もなくセイロス様がおいでになるぞ! 全員整列しろ!」
ロズキ様だ、一番隊長殿だ、とささやきが広がり、すぐに広場は静かになっていきました。てんでばらばらな場所にいた者たちが、隊列を整えていきます。同じような防具を着た者同士が近くに集まるのは、出身国が同じだからです。
そこへ、広場の入口から獣の戦士たちも入ってきました。見事な毛並みのヒョウを先頭に、ペガサス、ライオン、虎、馬、狐、象、鹿や大トカゲ……様々な生き物たちがやってきて、当然のように人間の戦士たちの間に陣取ります。さらに空からはたくさんの鳥が舞い下りてきました。この鳥たちもまた戦士でした。鳥の部隊を率いている隊長たちなのです。広場を囲む木々の枝は、大小の鳥でいっぱいになります。
そこへひときわ立派な身なりの男が、大勢の兵を引き連れて広場へ入ってきました。黒髪に黒いひげをたくわえ、青地に白銀の竜を刺繍した上着を着ています――。
「あの服! あれってユラサイの皇帝じゃない!?」
と鏡を見ていたルルが声を上げました。青地に白い竜は、ユラサイの皇帝しか身につけることができない象徴です。
メールが首を振りました。
「この時代にまだユラサイ国は存在してないよ。その前身のシュン国さ。あれはシュンの王様の琥珀帝(こはくてい)だね」
と鏡の中の男を見つめます。今まで何度も名前を聞いてきた琥珀帝は、四十がらみの年齢に見えました。彼らが知っている竜子帝とよく似た恰好をしていますが、貫禄はこちらのほうがはるかに上です。
琥珀帝は数名の供を連れて一段高い場所に上がってくると、そこにいたロズキに話しかけました。
「セイロス殿から呼び出しを受けたのでやってきた。だが、作戦会議は今夜の予定だったはずだ。これほど大勢の隊長を集めて、セイロス殿は何をするつもりなのだ?」
「それは私にも――。何事か全部隊に伝えたいことがおありのようです」
とロズキは答えて頭を下げました。相手は一国の王なので、ロズキよりずっと身分が高かったのです。琥珀帝を壇上の中央に残し、自分は端の方へ下がります。
そこへ、壇に近い広場の入口から小姓(こしょう)が走ってきて、広場全体へ呼びかけました。
「総大将セイロス様がご入場になります!」
その一言は、魔法のように集まっていた全員を動かしました。人間は直立不動の姿勢になり、獣たちは頭を上げてしゃんと立ち、鳥たちは枝の上で姿勢を正しました。何百という数の人や生き物が集まっているのですが、広場は水を打ったように静かになります。
壇上から入口を眺めていた琥珀帝だけが、よく響く声で言いました。
「セイロス殿」
木の門の間をくぐって、紫に輝く鎧兜の戦士が広場に現れたのでした――。