北の大地から真実の窓が消えると、通路からの光も消えて、あたりは真っ暗闇になりました。
フルートは二、三歩進むと、すぐに立ち止まってしまいました。堅く凍った雪を踏む感触は伝わってくるのですが、先がまったく見えないので、歩けなくなってしまったのです。
「ワン、大丈夫ですか、フルート?」
「足元が見えないのね」
とポチとポポロが闇の中を引き返してきましたが、その姿を見ることもできません。フルートは苦笑しました。
「君たちには周りが見えているんだな。ぼくは全然だめだ。どちらに行けばいいのか、あたりがどうなっているのか、全然わからないよ」
「ここは雪原の真ん中よ。天気はいいから、遠くに山が見えるし、空には星も出ているの。きっと、フルートにももうすぐ見えてくるわ」
とポポロが言って、フルートを支えるように手を握りました。彼女は魔法使いの目で周囲を見ていたのです。
ポチもフルートの足に体をすりつけて言いました。
「ワン、行き先なら心配ないですよ。ダイトにはぼくが案内できますから」
フルートは鎧の胸当ての中からペンダントを引き出しました。金の石が淡く輝いていますが、その光は足元だけしか照らしません。
「とりあえず、これがあれば進むことはできるな。ポチ、道案内を頼む。ポポロはまわりの様子に気をつけていてくれ。急に天気が変わるかもしれないから」
フルートは、以前北の大地を旅したときに、激しいブリザードに何度も遭遇しました。巻き込まれると先へ進むこともできなくなる猛吹雪です。天候の変化には、充分気をつけなくてはなりませんでした。
「ワン、それじゃ行きますよ」
とポチは言って、先に立って歩き出しました。フルートとポポロがその後をついていきます。
すると、やがて本当にフルートにも星が見えてきました。暗闇に目が慣れてきたのです。頭上には雲がほとんどなかったので、ダイヤモンドの粉をまき散らしたような夜空が、見渡す限り広がっていました。空気が澄み切っているので、暗い星の一つ一つまでがはっきり見えます。
見覚えがある星座を探そうとして、フルートはまた苦笑しました。
「ここは北極に近い場所だから、星の位置が全然違うんだな。星を見ても方角がわからない。ポチ、道案内を頼むよ」
「ワン、任せてください。ぼくは犬だから方角は間違えないし、暗くても見えますからね」
と小犬が得意そうに尻尾を振ります。
そのまま、彼らは歩き続けました。足の下に広がるのは堅く凍りついた雪で、草木はもちろん、岩や石ころも存在していません。すべてが分厚く降り積もった雪の下になっているのです。時折強い風がうなりながら吹いてきますが、風が通り過ぎると、あたりはまた怖いほどの静寂になります。
風が雪を削って作ったさざ波模様を踏みながら、ポチが話し出しました。
「ワン、北の占者が占いおばばというのは間違いないと思うけど、おばばは何を教えてくれるんでしょうね? ぼく、前におばばに会ったときのことを、ずっと思い出していたんだけれど、おばばは光の軍勢がデビルドラゴンを捕まえたときのことは、あまり詳しく話してくれなかったんですよね。確か、金の石の勇者と当時の天空王の活躍でデビルドラゴンは世界の果てに幽閉された、って言っていただけでした。おばばの占いでも、その時の様子は見えなかったんじゃないかな、って思うんですよね」
ポチは慎重な口調でした。竜の宝やデビルドラゴンを倒す方法については、何度も何度も肩すかしを食らってきたので、今度こそ本当に手がかりがつかめるかも、と思っても、つい心の中で用心してしまうのです。
すると、フルートが言いました。
「おばばの話は、ぼくも思い出していた。ユキエンドウのシチューができる間に、ぼくたちに光と闇の戦いの歴史を教えてくれたんだったよな。確かに、デビルドラゴンを幽閉した具体的な方法については、何も教えてくれなかった。でも、こんな話も、ぼくは思い出したんだ――。金の石の勇者のおかげで光の陣営は連勝するようになって、闇の陣営は世界の大陸から追い払われるようになった。そして、闇の大陸と呼ばれる場所で最終決戦があった――ってね」
闇の大陸!? とポチとポポロは驚きました。
「ワン、闇の大陸って、闇大陸のことですよね!? 光と闇の戦いの概論に書いてあった場所だ! ぼくたち、北の大地に行ったときにもう、その名前を聞いていたんですか!?」
驚く小犬にフルートはうなずきました。
「あの時には、ぼくたちは誰もその地名に気をつけていなかった。光と闇の戦いのことを初めて聞かされて、そっちのほうに気を取られていたからな。闇大陸っていうのは、ユウライ戦記では暗き大地と言っていた場所で、竜の宝を隠してデビルドラゴンを誘い出した戦場だ。おばばは、その場所の名前を知っていた。ということは、光の軍勢が奴を捕まえた場面も、占いで見ていたかもしれないんだ」
ポチとポポロは唖然(あぜん)としました。この一年あまり、彼らは手がかりを求めて世界中を旅してきましたが、それより一年半も前の時点で、彼らは手がかりの片鱗を聞いていたのです。
ワン、でも――とポチは首をかしげました。
「それなら、おばばはどうしてあの時にそれを教えてくれなかったんでしょう? ぼくたちは、デビルドラゴンを倒す勇者だったのに」
フルートは答えました。
「あの時のぼくたちが、まだ何も知らなかったからだろうな。デビルドラゴンの存在は知っていたし、何度も奴や魔王と戦ってきたけれど、奴の本当の目的は、おばばに教えられて初めて知ったんだから。ぼくたちのほうで、真実を知る時期に来ていなかったんじゃないかな」
「あたしたち、ようやくそれを知っても良くなったのね……」
とポポロが言います。
「ワン、そういうことならば、一刻も早く占いおばばのところへ行きましょう! 行って、最後の戦いの場面を見せてもらわなくちゃ!」
とポチは言って、また進み始めました。ほとんど走るような足取りになったので、フルートとポポロは急いでそれを追いかけます。
また一陣の風が吹きすぎていきました。凍りついた雪の粒を含んだ風は、顔に当たると刺すような痛みを感じさせます――。
ところが、ほどなくポチがまた立ち止まりました。鼻を上げて匂いをかぐと、背中の毛を逆立て、ウゥゥーッとうなり出します。
「敵です。向こうから生き物が近づいてきます」
フルートはすぐに背中の剣を抜いて構えました。
ポポロが闇の中へ目を凝らして言います。
「大きな白い熊みたいな動物よ。頭に角が生えているわ」
「白ツノクマか」
とフルートはつぶやきました。北の大地に棲息する大型獣で、二年半前に北の大地を旅したときにも、襲われたことがあったのです。
「ワン、変身して戦います」
とポチが風の犬になろうとすると、ポポロがあわてて止めました。
「待って、だめよ! あっちから吹雪が近づいてるの! 変身したら、吹き散らされてしまうわ!」
ふくらんで風の犬になろうとしていたポチの体が、たちまちまた元の小犬に戻りました。振り向いて訴えます。
「ワン、白ツノクマは凶暴ですよ! 戦わないとやられてしまいます!」
「君はだめだ。ポポロと下がれ!」
とフルートは言って前に飛び出しました。炎の剣を強く握って行く手を見据えますが、そこに広がっているのは深い暗闇でした。魔石の光が届く範囲は見えますが、その外側は闇に沈んでしまっています。
「ワン、フルート! 熊がやってきます!」
とポチが警告したので、フルートは剣を振りました。切っ先から飛び出した炎が、凍った大地の上で炸裂します。
すると、その光が大きな獣を照らし出しました。頭に鋭い一本角を生やした熊が、光にひるんだように立ち止まっています。
と、熊はいきなり二本の後脚で立ち上がりました。フルートの背丈の三倍近い大熊です。ウォォォーッとほえると、太い前脚を振り上げます。
とたんに、炎の弾が燃え尽きました。あたりは雪と氷におおわれた大地で、火が燃え移るようなものは何もなかったのです。
白ツノクマの姿は暗闇の中に沈み、どこにいるのかフルートにはわからなくなってしまいました――。