「ポチ! ポチ、どこだ――!?」
暗い階段の踊り場に立って、フルートは呼びかけました。メールがランプを掲げて照らしていますが、光は長い階段の途中までしか届かないので、その先は暗闇に沈んでしまっています。仲間たちは階段の上下に耳を澄ましましたが、闇の中からポチの返事は聞こえてきませんでした。フルートの呼び声が反響しながら遠ざかっていきます。
フルートは真剣な顔で言いました。
「きっとここにいると思うんだ……。ここはザカラス城の隠し通路だ。城のあちこちに出入り口が隠されているし、犬に出口を開けることはできないから、ポチを閉じこめておくには恰好の場所なんだよ」
すると、遠い目をしていたポポロが、疲れたように溜息をつきました。
「ここも透視が効かないわ。こんなに見晴らしよさそうな場所なのに……。ここも魔法に充たされた場所なのね」
「どこへ探しに行けばいいのよ!? この隠し通路、ものすごく広いじゃない!」
とルルが言いました。心配しすぎて、どなるような口調になっています。
「ポチの匂いはしないか?」
とフルートが聞き返すと、ルルは激しく頭を振りました。
「しないわ! 下のほうから風が吹いてくるけど、埃と魔法の匂いがするだけよ!」
「じゃあ、下にポチはいないな。上に探しに行ってみよう」
とフルートは言いました――。
姿の見当たらないポチを探して、フルートたちはザカラス城の中を駆け回りました。ところが、どこへ行っても、誰に尋ねても、白い小犬を見かけた人はいません。外に通じる出口はすべて衛兵に見張られていますが、やはり外へ出て行く小犬を見た人はいませんでした。
ついにフルートは、ポチは誘拐されたのに違いない、と確信しました。朝食の後で闇の灰について話し合う会議に出ることになっていたのに、その状況で何も言わずにいなくなるということは、絶対にありえなかったからです。
怒ってさわぐ仲間たちを抑えて、フルートはできるだけ冷静に考え続けました。
ポチをさらったのは、ロムドの魔法使いや勇者たちがザカラス城に来たことを快く思っていない、ザカラス側の人間です。たぶん、フルートたちが会議に出席するのを阻止しようとしているのでしょう。そうであれば、ポチに危害を加えるような真似はせずに、どこかに監禁しているはずでした。ポチが脱出できなくて、ポポロの魔法使いの声も届かないような場所に――。それはザカラス城の隠し通路ではないか、とフルートは考え、自分たちの部屋の入口から通路の階段へやってきたのでした。
ポチはきっと上にいるんだろう、とフルートが言ったので、一同は階段を昇り始めました。石造りの壁と手すりに挟まれた石段を、ランプを持ったメールが先頭になって進みます。ザカラス城の隠し通路は人がほとんど通らないので、足の下で細かい砂埃がしゃりしゃりと音をたてます。
ところが、間もなくルルが立ち止まりました。
「誰か上から下りてくるわ……!」
と耳を動かして言います。
全員は思わず身構えて上を見ました。頭上には階段が幾重にも折り重なっているので、上から降りてくる人物を確かめることはできません。
「アイル王か?」
とゼンが言ったので、フルートは首を振りました。
「そんなはずはない。アイル王はきっともう会議室だ」
「じゃあ、ポチを捕まえた犯人かい? ポポロ、見える?」
「ううん、だめ。この通路は、本当に透視が聞かないの……」
緊張しながらささやき合ううちに、彼らにも上のほうから足音が聞こえ始めました。階段の天井の隙間から、淡い光が降ってきます。誰かがランプを掲げて下りてくるのです。
ゼンたちはあわてふためきました。隠し通路から自分たちの部屋へ戻るべきか、このままここで下りてくる相手を待ちかまえるべきか、とっさには判断できなくなります。
すると、フルートが言いました。
「全員、壁際に並んで手をつなげ。ポポロは姿隠しの肩掛けだ」
あっ、と一同は気がつき、急いで手をつなぎ合ったり、足元に身を寄せたりしました。ポポロが小さな鞄から薄絹を取り出してふわりとはおると、とたんに一同の姿は外から見えなくなります。メールが持っているランプさえ周囲に光や影を落とさなくなって、あたりは暗くなりました。
暗闇になった階段に、上から淡い光が近づいてきました。石の階段を踏んで下りてくる足音も大きくなってきます。一同は緊張して待ちかまえました。下りてくる相手によっては、ここで戦闘が始まるかもしれません。最後尾にいたフルートが、空いている手でそっと剣を握ります――。
やがて上の踊り場を灯りが回って、足音が迫ってきました。彼らのすぐそばの踊り場に、ランプが投げる光と影が揺らめきます。
と、彼らが眺める手すりの向こう側に、人物が姿を現しました。ランプで足元を確かめながら、一段ずつ踏みしめるように、ゆっくりと階段を下りてきます。
その横顔を見たとたん、フルートはポポロにつながっていた手を放しました。仲間たちの前へ飛び出し、大声で呼びかけます。
「トーマ王子!」
うわっ!? と階段を下りてきた少年は飛び上がりました。足を踏み外し、ほんの数段でしたが、階段を滑り落ちて踊り場に尻餅をつきます。
「す、すみません。大丈夫ですか……!?」
とフルートはあわてて駆けつけました。ゼンとメールとルルもすぐにポポロから離れて階段を駆け上がりました。ポポロも肩掛けを外したので、また姿が見えるようになります。
ザカラス皇太子のトーマ王子は、尾てい骨をしたたかに打って涙を浮かべていました。ものすごい形相で一行をにらみつけます。
「おまえたちは金の石の勇者の一行!! どうしてこんなところにいるんだ!? どこから出てきた!? ここはザカラスの王族しか通れない道なんだぞ!!」
けれども、フルートがペンダントを押し当てると、トーマ王子のお尻から痛みは消えました。目を丸くする王子へ、フルートは頭を下げました。
「驚かせてしまってすみません。実は、今朝からポチが見当たらないんです。ここにいるんじゃないかと思って、探しに来たんですが――」
王子は立ち上がり、服の埃を払いました。
「おまえたちの犬のことか。いいや、ぼくは上から来たが、犬などまったく見かけなかった。何かの間違いだ」
その口調がいやにそっけなく聞こえたので、ゼンは腹をたてました。
「なんだよ、その言い方!? 犬なんか知ったこっちゃねえって言うのか! だがな、ポチはおまえらの仲間にさらわれたんだぞ!」
「失礼な! そんなことを言っているつもりはない! ――でも、さらわれただって? 誰に?」
ゼンにつられて腹をたてた王子が、すぐ冷静に戻りました。物騒な話に眉をひそめて聞き返してきます。
フルートは答えました。
「誰のしわざかは、まだわかりません。ただ、ぼくたちを邪魔に思っている人物のしわざだろうと思います。ポチをどこかに閉じこめて、ぼくたちが会議に参加できないようにしているんです」
「ああ、確かに父上は今、諸侯やロムドの魔法使いと会議室で話し合いをなさっている。ぼくはそこに出席できないから、父上に教えられたこの通路を使って、こっそり会議の様子を見ようと思ったんだ。だが、おまえたちは誰一人、会議に参加していないんだな? それでは敵の思い通りではないか」
王子がいかにもあきれたように言ったので、今度はメールとルルが憤慨しました。
「ポチを放っておけるわけないじゃないか! ポチはあたいたちの仲間だよ!」
「そうよ! どこかでひどい目に遭わされていたらどうするのよ!?」
「大局が見えていないと言っているんだ。犬を探すのは他の者に任せて、金の石の勇者だけでも会議に参加するべきだろう」
と王子は言い返しました。フルートたちより年下なのに、大人のようなもの言いをします。
フルートは首を振りました。
「できません。ぼくたちを参加させないためにポチをさらったのに、ぼくたちが会議に出席したら、敵は誘拐しても効果はないと思って、ポチを殺すかもしれない――。そんなことはさせません。ポチはぼくの弟なんだから!」
ずっと穏やかな口調だったフルートが、最後に急に語気を強めたので、トーマ王子は、ぎょっとしました。
「犬のことになると本気なんだな。……メーレーン姫のようだ」
とつぶやきます。
けれども、王子の声はとても小さかったので、フルートたちには聞こえませんでした。頭を寄せて相談を始めます。
「ねえ、これからどうすればいいのさ?」
「この上にもポチがいないとなると、探すあてがもうねえぞ」
「やだ! まさかポチを探すのをあきらめるなんて言わないでしょうね!?」
「言わないさ。ただ、どこを探したらいいか……」
フルートたちが考え込む様子を、トーマ王子は自分のランプを掲げて眺めていました。少し考えてから、また口を開きます。
「犬を探すなら父上に頼めばいい。ただ、父上は今は会議中だ。会議室に入っていってもいいかどうか、確かめてからにしよう」
「そんなこと、できんの?」
とメールは聞き返しました。
「できる。この隠し通路の出口には、外の様子を確かめるのぞき穴があるからな。ついてこい、勇者たち」
そう言って、トーマ王子は先に立って階段を歩き出しました――。