「だめ……やっぱり返事をしないわ」
部屋のベッドに座ってポチを呼び続けていたポポロが、青ざめながら言いました。同じ部屋にいたフルートも顔色を変えます。
「まったく? 何かに呼びかけを邪魔されているのか?」
「ううん。このお城にはすごくたくさんの魔法が使われているから、魔法使いの目はうまく使えないんだけれど、魔法使いの声のほうは、そういうものにはあんまり影響を受けないの。あたしたちの間のつながりは太いし、絶対にあたしの声はポチに届いているはずなんだけど……」
「でも、ポチは返事をしないんだな」
とフルートは言って、真剣な顔になりました。どうしたらいいんだろう、と言うように、自分たちが泊まっている部屋の中を見回します。
そこへ扉を開けてゼンとメールとルルが飛び込んできました。
「ポチは戻ってるか!?」
開口一番、ゼンが尋ねてきます。
フルートは首を振りました。
「まだ戻ってこない。外を探しても見当たらなかったのか」
すると、ルルが興奮した声で言いました。
「部屋を出て廊下の途中の階段を下りていく匂いは残っていたのよ! だから、それを追いかけていったんだけど、ポチの匂いは階段の途中で消えてしまったの! 変身して風になったのかもしれないんだけど、どこに行ったのかわからないのよ!」
メールがそれを引き継ぎました。
「あたりにいた人に片っ端から聞いてみたんだけどさ、誰も白い小犬を見かけてないんだよ。たった一人、ランプ係の召使いが、朝早くに廊下を歩いて階段を下りるポチを見かけてるんだけど、ポチがどこに行ったのかは、やっぱりわからないって言うのさ」
今朝、フルートたちが目を覚ましたとき、部屋にポチの姿はありませんでした。部屋を出て廊下を歩いていく真新しい匂いが残されていたので、散歩にでも出かけたのかと考えていたのですが、部屋に朝食が運ばれ、彼らがそれを食べ終えてもポチは戻ってきません。ポポロが何度呼びかけても、返事もないのです。
さすがに心配になってきた仲間たちは、本格的に呼びかけたり、外に探しに出たりしたのですが、やっぱりポチは見つかりませんでした。
「風の犬に変身して外に出たのかもしれないんだけどさ、とりあえずフルートたちに知らせておこうと思って、一度部屋に戻ってきたんだよ」
とメールがまた言ったので、フルートは首を振りました。
「変身して外に出たっていうのは考えられない。ポチの匂いが消えていたのは、階段の途中だったんだろう? そんなところで変身したら、ものすごい風が起こって、階段や廊下を吹き渡っていったはずだから、誰も気がつかないはずがない」
「じゃあ、どこに行ったんだよ? 現にポチはどこにも見つからねえんだぞ!」
とゼンが言います。
「どこか人目につかないところで気を失っているのかもしれない。探そう。なんだか嫌な予感がする」
とフルートは言いました。正確には予感というより予想です。フルートの脳裏には、前日、大広間で自分たちに疑いや警戒の表情を向けていた、ザカラス城の人々が浮かんでいました。
フルートたちがポチを探して部屋を出て行って間もなく、部屋の中に、大柄な男が姿を現しました。青い長衣を着て杖を持った魔法使いです。部屋の中を見回してから、首をひねってまた部屋から消えていきます――。
次に青の魔法使いが現れたのは、ザカラス城の会議室の前の通路でした。誰もいなかった場所に突然大男が現れたので、扉の両脇の衛兵がぎょっと武器を構えますが、魔法使いは杖で床をとんと軽く突いて言いました。
「驚かせてすみませんな。私なら心配はいりませんぞ」
とたんに衛兵たちは安心した顔になって武器を引きました。
「はい、あなたなら心配ありませんね。さあ、どうぞ」
魔法のしわざでした。青の魔法使いは敬礼する衛兵の間を通って、会議室へ入っていきます。
会議室には長いテーブルが中央に据えられ、向こう側の席には、立派な服を着た男たちが十人あまり座っていました。テーブルの手前にも椅子はたくさん並んでいますが、座っているのは白の魔法使いと赤の魔法使いの二人だけです。青の魔法使いは女神官の隣の席に座りました。大きな体をかがめて仲間へささやきます。
「勇者殿たちは部屋にいらっしゃいませんでした。外へ出て行かれたようですが、探している暇はありませんでした」
「このタイミングでか? ザカラスの有力者たちと作戦会議を開くとわかっていたはずだが」
と白の魔法使いはささやき返しました。非常に厳しい顔つきになります。
「シャ、ワ、イ。ゾ」
と赤の魔法使いが言いました。異大陸のことばも、同じ四大魔法使いの仲間には通じます。
青の魔法使いはうなずきました。
「そのとおり、他の方々はともかく、勇者殿が約束の時間を忘れると言うことは、まずありえません。何かあったのでしょう。だが、城の中を透視して勇者殿たちを探すことができんのです」
「この城全体に透視妨害の魔法が組み込まれているからだ。城の保全のためだが、やっかいだな」
と白の魔法使いは言い、その先を心話に切り替えました。自分たちだけにしか聞こえない声で話し続けます。
「向かいの右端の男を見ろ、青、赤――。彼はザカラス城の宰相だが、青が入ってきて報告を始めたら、隣の男と一緒に、してやったりという表情をしたぞ」
武僧は相手に気づかれないように男たちを盗み見て、やはり心話で言いました。
「この並び方から見ると、隣はザカラス国でもかなり有力な貴族のようですな。どうも面白くない気配だ。ひょっとして、勇者殿たちが見当たらないことも、関係があるのではないでしょうか?」
「ありえるな。彼らは今回の件を、ロムドの内政干渉だと思っている。ロムドを排除しようとして、何か画策しているのかもしれない」
それを聞いて赤の魔法使いは腹をたてました。我々はザカラスのためにわざわざ出向いてきたのに、なんという対応だ! 余計なお世話だと言うのなら、今すぐ帰ってロムドだけを闇の灰から守ることにしよう! と心話でまくしたてます。
白の魔法使いはなだめました。
「ザカラスを支援するとお決めになったのは国王陛下だ。陛下のご命令にそむいて、勝手に引きあげるような真似はできない。それに、アイル王はそんな画策とは無関係だ。本気で我々に救援を求めている」
「私が勇者殿たちを探しに行ってきましょうか、白? 連中の企みなら、それをはっきりさせなくてはいけないでしょう」
と青の魔法使いが言いました。フルートたちを見つけて、妨害を受けたことを証言させようと考えたのです。
「そんな時間はないな。勇者殿たちの代理を立てることも、今からでは不可能だ。もうすぐ王が到着する」
と白の魔法使いが答えているところへ、本当にアイル王が会議室に入ってきました。今日はトーマ王子は同伴していません。代わりに八人の衛兵が王の前後を守っていて、先に室内を守っていた衛兵たちと一緒に、会議室の警備を始めます。
長いテーブルの右横の玉座に着いたアイル王は、前に居並ぶ人々を眺め、すぐに不思議そうに尋ねてきました。
「き、金の石の勇者たちが、いないではないか? い、いったいどうされたのだ?」
白の魔法使いは王へ丁重にお辞儀をしてから言いました。
「失礼ながら、勇者殿たちに急用が発生いたしました。会議で決定した内容については、後ほど私たちから勇者殿たちにお知らせさせていただきます」
フルートたちが会議に参加しないと聞かされて、アイル王は非常に残念そうな顔をしました。きゅ、急用とは何なのだろう? と聞き返そうとすると、それをさえぎるように、宰相が言いました。
「急用とあればしかたありませんな。それに、金の石の勇者の一行と言っても、実際にはまだ遊びたい年頃のお若い方たちです。このような会議は退屈なだけでしょう」
宰相は暗に、フルートたちが会議をわざとすっぽかしたのだろう、と言っていました。下座に座る他の家臣たちが眉をひそめ、隣同士でひそひそ話を始めます。
白の魔法使いはいっそう厳しい表情になって反論しました。
「勇者殿たちは、そのような無責任な方たちではありません。急用です」
「では、そのようなことに」
と宰相はもったいぶって答えました。椅子に座り直すと、隣の男とまた視線をかわしてほくそ笑みます。
「ラオ、テ、ウ、ルカ?」
と赤の魔法使いが猫のような目を光らせました。連中を締め上げて企みを白状させていいか、と尋ねてきたのです。
白の魔法使いはたしなめました。
「いや、そんなことをしても、適当なことを言われて逃げられるだけだ。勇者殿たちが本当に連中の妨害にあっているという証拠もないのだから、かえって事がこじれてしまう」
青の魔法使いは、ふむ、と腕組みしました。
「勇者殿たちはご無事でしょうな? まあ、あの方たちがこの程度のことでどうにかなるとは思いませんが、なにしろ、城に集まる連中というのは、どの国でも信用なりませんからな」
「勇者殿たちを信じるしかない。きっと大丈夫だろう」
と女神官は言いました。彼らの間の会話はすべて心話なので、会議室の他の人々は、そんなやりとりがされているとは、まったく気がついていません。
やがて、アイル王がおもむろに会議の開始を宣言しました。
「そ、それでは、我が国とロムド国に飛来する、か、火山灰の対策について、話し合いを始めることにする。皆のもの、き、忌憚(きたん)のない意見を述べるように」
王の家臣がいっせいに頭を下げ、会議が始まりました――。