翌朝早く、ポチはまだ眠っているフルートたちをベッドに残して、一匹だけで部屋を出ました。目が覚めてしまったので、散歩がしたくなったのです。扉を押し開けて廊下に出ると、階段を探して歩き出します。
まだ夜明け前のザカラス城は静かでした。廊下の向こうで、茶色の上着を着た下男が歩いては立ち止まって、壁のランプに油をつぎ足しているだけです。石の壁に囲まれた城内は暗いので、昼でも照明は欠かせません。人が起きだしてくる前に、油を補充しているのです。
「ワン、今日はザカラスの人たちと白さんたちが作戦会議を開くんだな……うまくいくといいけど」
とポチは歩きながらひとりごとを言いました。ザカラス王の家臣には、ロムドの魔法使いたちやフルートたちに強い反感を抱く人が、少なからずいます。ロムドとザカラスは長らく敵対していたので、当然といえば当然なのですが、中には親の仇のような激しい憎悪をぶつけてくる人もいて、なんだか危険なくらいに感じたのです。
「ワン、それっていうのも、前のザカラス王が死んでしまったからなんだろうな」
とポチは考え続けました。
先のザカラス王は冷淡なことで有名な人物でしたが、国をよく治める名君としても定評がありました。その王が突然死亡したのは一年あまり前のこと、金の石の勇者の一行がロムドからやってきて、城が崩壊しそうになった時期と一致しています。王の死にロムドが関わったのではないか、とザカラスの人々が考えるのは当然のことでした。
悪いのは前のザカラス王のほうなんだけどな……とポチは心の中でつぶやき続けました。ロムドのジタン山脈に眠る魔金を独り占めしたくて、ロムド皇太子のオリバンの命をつけ狙い、王女のメーレーンを人質にしたのです。けれども、それを公(おおやけ)にすれば、中央大陸にさらに大きな混乱を招くので、真相は闇に葬られていました。ザカラス王の死は自業自得の出来事でしたが、本当のことが秘密にされているだけに、多くの人たちがその原因を疑い、ロムドが怪しいと思っているのです。
これは会議が荒れそうだなぁ、とポチは考えました。一刻も早く闇の灰を撃退しなくてはいけないのに、その前の話し合いが紛糾(ふんきゅう)すれば、余計な時間がかかってしまいます。
「ワン、大人ってのは本当に面倒くさいや」
と思わず溜息が洩れます――。
廊下の横に階段が見つかったので、ポチはそこを下り始めました。ザカラス城は中央大陸でも屈指の名城で、階段も立派な造りをしていました。絨毯が敷き詰められているので、ポチが歩いても足音はたちません。
ポチは階段を下りながら、さらに考え続けました。今度は会議やザカラスのことではなく、彼ら自身の旅のことを思います。
「ワン、真実の窓っていうのは、どういう理由でぼくたちをあちこちに送り込んでいるのかなぁ」
このひとりごとも、やっぱり、ぼやきのようになってしまいます。行く先々で彼らは闇の灰と、その影響を目の当たりにしてきたし、それぞれの場所で闇の怪物も退治してきました。今回もきっと、闇の灰の雲を撃退する作戦に加わるでしょう。やり甲斐はあるし、たくさんの人が助かるので、意義はあるのですが――
「ワン、どうしてそれが真実になるんだろう? 竜の宝のことなんて、少しもわからなかったのに」
とポチはつぶやきました。どんなに考えても、その理由がわからないのです。
ユラサイの西の長壁、フルートの祖父母がいたレコル、ロキやお父さんやお母さんたちがいたシル、オリバンたちと再会したユラサイ周辺国のスーウ。どの場所にも闇の灰と闇の怪物が存在しましたが、肝心の真実らしいものは何も見つからなかった気がします。唯一それらしく思えたのは、長壁の屯所にあった古い壁画ですが、それにもやっぱり新しい事実は描かれていませんでした。
壁に等間隔に掲げられたランプの光が、階段にポチの影を落としていました。影が前に後ろになって一緒に階段を下りていく様子を見ながら、ポチは考え続けました。散歩に出たのも、こんなふうに考えをまとめてみたかったからなのです。
そもそも、竜の宝っていうのは何なんだろう? とポチは一番の大元に立ち返って考えました。ユウライ戦記の序文には、デビルドラゴンが力を分け与えたものだと書かれていました。竜王がそれを暗き大地の奥に封印したので、デビルドラゴンは取り戻そうとして光の軍勢に捕まり、世界の最果てに幽閉されたのです。その竜の宝がどんなものだったのか、戦記の序文は語っていません。
ふと、ポチはまた西の長壁の壁画を思い出しました。
屯所に残されていた古い絵には、デビルドラゴンが率いる闇の軍勢と、琥珀帝が率いる光の軍勢が今まさに激突しようとする場面が描かれていました。あれはデビルドラゴンから竜の宝を奪う前のことだろうか、それともデビルドラゴンが宝を取り返そうとしている場面だろうか、とポチは考え、すぐに答えに行き当たって頭を振りました。あの絵の中には、女性の姿の金の石の精霊も描かれていました。金の石の精霊がいるからには、セイロスもそばにいたということです。セイロスが失われ、金の石が砕ける前のことですから、竜の宝よりずっと前の戦いということになります。
考えが行き詰まってしまって、あぁあ、とポチはまた溜息をつきました。静かな場所で一人で考えれば、何か見逃していた手がかりが見つかるのではないかと思ったのですが、やっぱりそんなものには行き当たりません。
真実の窓って、ぼくたちにいったい何を知らせようとしているんだろう? と、また最初の疑問に戻ってしまいます――。
その時、ポチは、あれっ? と小さな頭をかしげました。妙なことに気がついたのです。
あの壁画には琥珀帝の前の部分に、削り取ったような痕がありました。ポチはロウガの肩から絵を眺めましたが、琥珀帝とちょうど同じくらいの面積が削られていました。人一人分程度の大きさです。しかも、絵の中に金の石の精霊はいるのに、金の石の勇者のセイロスの姿は、どこにも描かれていなかったのです。
「ワン、ひょっとして、削られていたのはセイロスの絵かも」
とポチはまたつぶやきました。立ち止まってじっと考えてみますが、考えれば考えるほど、その可能性は高いような気がします。セイロスは琥珀帝と共に、光の軍勢を率いてデビルドラゴンと戦ったのですから、琥珀帝のすぐそばに描かれるのは当然でしょう。
「ワン、セイロスの絵が壁画から削り取られたんだ……でも、何故?」
いくら考えても、その理由はわかりません。絵が削り取られたのがいつの時代のことなのかも、ポチには判断できません。
ポチはしばらく階段の途中に立ち止まり、くるりと向きを変えました。部屋に戻ってフルートに尋ねてみようと考えたのです。ひょっとしたら、それが窓の見せようとした真実だったのかもしれない、と思います――。
ところが、階段を駆け戻ろうとするポチの前に、突然一人の男が姿を現しました。黒っぽい長衣を着て、フードをすっぽりとかぶっています。
ポチは反射的に飛びのくと、背中の毛を逆立てました。男は全身からひどく危険な気配を放っています。何者かわかりませんが、ポチを狙って現れたのです。
ポチが急いで風の犬に変身しようとすると、それより早く、男が手を突き出しました。たちまちポチの体がしびれて、階段の上に倒れます。
「ふん、他愛(たあい)もない」
長衣の男はぐったりした小犬を抱えると、そのまま階段から見えなくなっていってしまいました――。