空に日が昇り、明るくなった野営地を、オリバンとセシルは歩いていきました。フルートたちが寝ている天幕までやってくると、中へ声をかけようとします。起きろ、おまえたち。朝だぞ――。
ところが、彼らが呼びかけるより早く、天幕の入口の布がぱっと跳ね上がり、中からゼンと犬たちが飛び出してきました。
「ったく! あの馬鹿、どこ行きやがったんだ!?」
「ワン、寝ていたところにぬくもりがあるから、そんなに前のことじゃないと思います!」
「でも、近くに匂いがしないわよ!?」
ゼンたちが血相を変えて騒ぐので、オリバンたちが驚いていると、メールも出てきて言いました。
「あっ、オリバン、セシル! フルートを見なかったかい!?」
「いないのか?」
「うん。いつの間にか中から消えてたんだよ! 一緒に寝てたはずなのにさ!」
「ったく。一言声をかけていけよな!」
ゼンのことばは、オリバンたちではなく、フルートに向かって言っている文句です。
オリバンとセシルは周囲を見回しました。朝の光が射す野営地では、朝食の支度と同時に、出発の準備も始まっていました。あちこちで天幕がたたまれ、武具や装備の点検が行われていますが、その中にフルートの姿は見当たりません。
「私たちはおまえたちの隣の天幕にいたが、フルートが抜け出す気配は感じなかった。出ていったのは、それほど前のことではないはずだぞ。遠くへは行っていないだろう」
とオリバンが言ったところに、天幕からポポロが這い出してきました。仲間たちへ言います。
「いたわ、南側の丘の向こうよ! 金の石の精霊と話しているの!」
金の石の精霊と? と一同はまた顔色を変えました。
ゼンが聞き返します。
「金の石だけか!? 願い石はいねえんだな!?」
ポポロは遠いまなざしを南側へ向けました。
「ええ、金の石の精霊だけよ。フルートと何かを話して――」
そこまで言ってポポロも顔色を変えました。跳ね起きて叫びます。
「出たわ!! 願い石の精霊よ!!」
仲間たちも飛び上がりました。フルートと金の石の精霊と願い石の精霊。この三人が仲間たちの知らないところで集まっていたら、それは本当に危険なサインです。全員がいっせいに南の丘目ざして駆け出します。
真っ先に丘を越えたのはポチとルルでした。丘の裾野にフルートと精霊の少年と女性を見つけると、夢中で斜面を駆け下りてフルートに飛びつきます。
「ワンワンワン、だめだ! だめですよ!」
「やめてったら、フルート! 行っちゃだめだって、何度言えばわかるの!?」
そこへ他の仲間たちも駆けつけてきました。先頭を走ってきたオリバンが、フルートのマントの襟元をつかんで引き寄せます。
「馬鹿者! こんな場所に精霊たちを呼び出して、何をしようとしている!? 勝手な真似はさせんぞ!」
フルートは仲間たちの剣幕に驚いていましたが、そう言われて目を丸くしました。
「何をって……闇の灰を消す相談をしていたんだけれど」
フルートの答えに、今度は仲間たちが目を丸くします。
「闇の灰を?」
「ワン、相談って?」
フルートは苦笑いしました。
「君たちを置いて光になったりしない、ってあれほど約束したじゃないか。いいかげん信用しろよ――。この一帯の闇の灰は、金の石と願い石の力で浄化することができたけれど、その外側にはまだまだ闇の灰が降り積もっているからな。それを聖なる光で消すことができないか、って精霊たちと相談していたんだ。そんなに大騒ぎすることじゃないよ」
フルートがあまり落ち着いているので、ゼンは腹をたてました。オリバンからフルートをひったくってどなります。
「るせぇ! おまえは前科があり過ぎなんだよ! しかも、こんな場所に精霊たちを呼び出しやがって! 心配させるのもいい加減にしろ!」
「そんな、しかたないだろう! 野営地にはユラサイ兵が大勢いて、精霊たちが出てきてくれなかったんだからさ!」
フルートが言い返して、言い合いが始まります。
オリバンは溜息をつくと、太い腕を胸の前で組みました。
「ゼンたちでなくても、おまえのこういう行動は寿命が縮む。一言声をかけてから出ていくようにしろ」
と重々しく言ってから、で? と続けて尋ねます。
「聖なる光で闇の灰を消すことは、可能なのか? できるとすれば、どの程度の範囲のことだ?」
フルートは口論をやめると、真面目な顔で答えました。
「もちろん、狭い範囲なら、金の石で照らしただけで闇の灰を消せるよ。ただ、闇の灰は本当に広い範囲に降ったし、風に吹き寄せられたり、雨水に流されたりすると、寄り集まって闇の怪物に変わってしまう。ここで沼に流れ込んで、カエルの怪物や骸骨戦士を生んだみたいにな……。だから、できるだけ広い範囲に聖なる光の力を広げて、灰を消すことはできないだろうか、って精霊たちと相談していたんだ」
「レコルの街でやってきたみたいにか」
とゼンが言うと、ポポロは顔色を変えました。
「またあれをやるのは危険よ……! あたしが地上から空へ闇の灰を追い出したら、灰が空で渦巻いて、デビルドラゴンが出現しそうになったじゃない! また同じことが起きるかもしれないわ……!」
フルートはうなずきました。
「うん、あれと同じやりかたは、もう使えない。危険だからな。ただ、あの時に君は地面に魔法を流し込んで、闇の灰を追い出した。あんなふうに聖なる力を地面に送り込んだら、直接灰を消すこともできるんじゃないか、と思ったんだ」
すると、フルートの横に立っていた金の石の精霊が口を開きました。
「それはできない、と言っている。あまりにも大がかりすぎる」
願い石の精霊も言いました。
「守護のは小さい。フルートが考えていることを実行すれば、力をすべて失って消滅してしまうだろう」
いつもなら、こんなことを言われれば、侮辱だ、ぼくはそんな非力な石じゃない、と怒り出す金の石が、この時には何も言いませんでした。また口を結んで黙り込んでしまいます。一方、願い石の精霊のほうも、だから私が守護のに力を貸そう、とは言いませんでした。無表情のままで立っています。
そんな精霊たちに、メールは首をひねりました。
「なんか、絶対にそれができない理由があるみたいだね? なにさ? 例の理(ことわり)ってやつかい?」
それに答えたのは願い石の精霊でした。
「近頃のフルートはずる賢い。今回も理の隙間を縫って、私に守護のを援助させようと企んでいる。だが、理は必ず追いついてくる。フルートが言うように広範囲に守護のが力を流し、私がそこに力を貸せば、間に立つフルートに膨大な力が流れ込む。人の体はその力に耐えることはできない。私と守護のの間で、フルートの体は破壊されてしまうだろう」
精霊の女性の口調は淡々としていましたが、一同は真っ青になりました。ポポロが引き止めるようにフルートの腕に飛びつきます。
フルートのほうは、自分の体が破壊されるかもしれない、と言われても、特に動揺する様子はありませんでした。すでに精霊たちから聞かされていて、それでも闇の灰を消したい、なんとかできないのか、と言い張っていたのです。
そんな親友の頭に、ゼンが一発食らわせました。
「ったく、相変わらずだな、おまえは! 天空の国でリューラをぶっ倒そうとして、願い石の力で体がばらばらになりそうになったのを忘れたのかよ!?」
フルートは兜をかぶっていなかったので、げんこつの直撃に顔をしかめました。
「そう言うけどな! それじゃあ、降り積もった闇の灰をどうするんだ!? 放っておいたら、必ずまた闇の怪物が生まれて、また誰かが襲われるんだぞ!」
本気になって反論するフルートを、いい加減にしろ! とゼンがもう一発殴ります。
オリバンはまた大きな溜息をついてしまいました。かんで含めるように、ゆっくりと言い聞かせます。
「いいか、フルート。人の力には限りがあるし、一人の人間にできることは限られている。自分の力の限界を超えたことに無謀に挑戦すれば、その行動は必ず自滅を招くだろう……。おまえがしようとしていることは、願い石にデビルドラゴンの消滅を願うのと同じなのだ。何もかも自分一人でなし遂げようとするな、フルート。世界というものは、誰かひとりの力で変わっていくものではない」
だけど――! とフルートはまた言いました。こうと思ったことはなかなか変えない、頑固なフルートです。
すると、ポポロが急に、ぎゅっとフルートの腕を抱きました。同時にフルートの手に自分の手を重ねて握りしめたので、フルートは驚いて振り向きました。思わず顔が赤くなります。
ポポロはとても真剣な顔をしていました。フルートを見上げながら言います。
「あたしが力を貸してあげるわ、フルート……。あたしの魔法を二つ同時に使って、あたしのすべての力を金の石にあげる。それでも世界中の闇の灰を消すことはできないと思うけれど、あたしの全部の魔法と命を力に変えれば、きっとかなりの場所の灰を消せるはずよ。それならいいでしょう?」
フルートは仰天しました。ポポロの手から腕を引き抜き、彼女の両肩をつかんで言います。
「全部の魔法と命を力にって――そんなことをしたら、君は死ぬじゃないか! 馬鹿なことを言うな!」
「馬鹿はどっち、フルート?」
とポポロは言い返しました。大きな緑の瞳は、熱を帯びたようにきらきらと輝いているだけで、涙はまったくありません。思わず絶句したフルートに、はっきりと言い続けます。
「あたしは、あなたがやろうとしていることを、代わりにやるって言っているだけよ。あなたがやるのは良くて、あたしがだめだなんてこと、あるはずがないもの。そうでしょう?」
ポポロの強い声に、フルートはますます何も言えなくなりました。あなたが命を捨てて世界を助けるというなら、私が代わりに命を捨てるわ。緑色の瞳が、ことばよりも雄弁にポポロの気持ちを伝えてきます――。
とうとうフルートは根負けしました。ごめん、と言って、ポポロを抱きしめます。
すると金の石と願い石の精霊が見えなくなっていきました。フルートが闇の灰の消滅をあきらめたことを知って、消えていったのです。
「ったく……。この阿呆を停められるのは、やっぱりポポロだけかよ」
とゼンがぼやきました。メールや犬たちも、オリバンとセシルも、安堵の息を吐きます。
フルートの腕の中で、ポポロが泣き出しました――。