ポチに乗って空を飛びながら、フルートは花畑を見下ろしました。どす黒い血の色の闇の花は、純白の雪原を、そこだけ禍々しく(まがまがしく)染めています。
花がまき散らす毒の花粉が、上空まで飛んできていたので、ポチは急いでさらに上昇しました。赤い煙に包まれたような花畑を、フルートと一緒に見下ろします。
「ワン、あの花粉が邪魔ですね。金の石の光をさえぎっちゃうんじゃないかなぁ」
「完全にさえぎるほど濃くはないけれど、光の威力は弱まりそうだな。まずあの花粉を吹き飛ばしたほうがよさそうだ」
とフルートが答えたので、ポチは聞き返しました。
「ワン、吹き飛ばすって、どうやって? 花に近づいたら捕まりますよ」
「君に花粉を吹き飛ばせ、って言ってるわけじゃないよ。花畑の真ん中まで行ってくれ」
ポチにはフルートが何を考えているのかわかりませんでしたが、とにかく言われたとおりに、花畑の中央まで飛んでいきました。距離を充分取りながら、眼下に広がるどす黒い赤を眺めます。
すると、フルートがまた言いました。
「もう少しだけ下がってくれ。花に捕まらない程度に――。そして、ぼくが合図をしたら、すぐに離れるんだ」
「ワン、わかりました」
相変わらずフルートの作戦は予想がつきませんが、ポチは素直に言われたとおりに動きました。こういうときのフルートには、ただ従ったほうが良い、と経験で知っていたからです。
ポチが用心深く高度を下げていくと、フルートは背中の剣を抜きました。黒い柄に赤い宝石をはめ込んだ炎の剣です。それを大きく振りかざし、思いきり振り下ろして特大の炎の弾を撃ち出すと、離れろ! と叫びます。
ポチが大急ぎでその場から離れると、火の弾が花畑の真ん中に激突しました。炎が花を包んで燃え上がります。
とたんに花畑から無数の蔓が飛び出しました。十メートル以上もある蔓が、火をかけた敵を探して、いっせいに空へ伸びてきますが、ポチは距離を取っていたので捕まりません。
すると、フルートが、よし! と言いました。花畑の火事は、花畑全体から見ればごく一部分でしたが、周囲が雪におおわれて冷え切っていたので、炎が生んだ暖かい空気の中へ冷たい空気が、どっと流れ込んだのです。たちまち上昇気流が生まれ、炎が渦になって高く立ち上ります。
炎の渦はまわりの空気をさらに巻き込みました。花畑につむじ風が吹き荒れ、風と一緒に花粉も吸い上げていきます。
花畑が鮮明になってきたので、フルートはまた言いました。
「行け、ポチ! 花畑の上を飛び回るんだ!」
そこでポチはつむじ風に乗って花の上をぐるぐると飛び始めました。フルートは首から外したペンダントを下へ向けます。
「光れ!」
金の石の光は、煙のような花粉が薄らいだ地上へ、まともに降りそそぎました。風に波打つ闇の花が、光を浴びて消滅していきます。
その様子を、ポチは感心して眺めていました。大きな火が上昇気流を生んで炎の渦を作り出すことは、ポチも知っていましたが、その知識をとっさにこんなふうに使うことはできません。この多彩な発想と柔軟な思考は、フルートならではのものです。
フルートは金の石で地上を照らし続けていました。聖なる光を浴びた闇の花は、呆気ないほど簡単に崩れて、消えてしまいます――。
ところがその時、ウォォォ……と荒野の彼方からうなるような音が聞こえてきました。ポチは、ぎょっと顔を上げました。それは近づいてくる風の音だったのです。荒野が彼方からみるみる白くけむっていくのが見えます。
「ワン、吹雪だ!」
とポチは叫びました。突風が雪を巻き上げながら吹いてきたのです。吹雪をまともに浴びれば、風の犬は体を吹き散らされてしまいます。ポチは大あわてで身をひるがえしました。
「フルート、つかまって!」
と叫び、全速力で仲間たちのところへ飛び戻ろうとします。
けれども、突風はそれより早くポチに追いつきました。猛烈な吹雪が襲ってきて、ポチとフルートを包み込んでしまいます。
ギャン、とポチは鳴いて、小犬の姿に戻りました。体を吹雪に吹き散らされそうになったのです。雪が荒れ狂っているので、もう一度風の犬になることができません。
空中に放り出されたフルートとポチは、風にあおられ、地面に向かって落ち始めました。吹雪の中に、風に揺れる闇の花畑が見えてきます。このままでは闇の花の中に墜落です。
フルートは手を伸ばし、すぐ近くを落ちていくポチを捕まえました。引き寄せ、かばうように胸に抱きしめると、もう一方の手に握っていたペンダントを下に向けます。
「頼む、金の石――!」
すると、魔石がまた輝きました。金の光が地上の闇の花を消し、さらに光の塊を作ります。そこへフルートとポチは落ちていきました。金色の光にクッションのようにふんわりと受けとめられ、地上数メートルの場所で留まります。
フルートは、ほっと安堵しました。吹雪はまだ続いているので、ペンダントを下に向けたまま、膝を突いて身を起こそうとします。
そこへ、唐突にもっと激しい風が吹いてきました。まだ燃えていた花畑の火柱が、風にあおられていっそう大きく燃え上がったのです。炎が風を巻き込み、風向きが変わりました。すぐ目の前さえ見えないほどの吹雪が、フルートたちを包みます。
そして、その雪は金の石の光もさえぎってしまいました。光のクッションが消え、フルートとポチが地上に落ちます。
フルートは魔法の鎧を着ているので、さほど衝撃は受けませんでしたが、ポチのほうはそうはいきませんでした。墜落した瞬間に激しくたたきつけられ、反動で放り出されてしまいます。
「ポチ!」
とフルートはとっさに手を伸ばしました。それはペンダントを握っていた右手でした。ポチを捕まえた代わりに、今度はペンダントが宙に放り出されて、吹雪の中に見えなくなります。
ポチはフルートの手の中で、ぐほっごほっと激しく咳き込みました。フルートが捕まえてくれたおかげで、地面にはたたきつけられませんでしたが、その前にフルートの鎧に体を激しくぶつけていたのです。ポチ!? とフルートがあせると、小犬は浅い息をして言いました。
「ワン、大丈夫です……。ただ、肋骨を何本か折っちゃった感じだな……」
フルートはポチを抱いたまま、急いで周囲を見回しました。吹雪が弱まってきたので、放り出してしまったペンダントを探します。
それは彼らのすぐ近くに落ちていました。むき出しになった地面にもペンダントにも、雪がうっすらと積もっています。フルートはすぐに拾い上げようとしました。右腕にはポチを抱いていたので、左手をペンダントへ伸ばします。
すると、その左手首に、しゅるっと緑色の紐が絡みつきました。いえ、紐ではありません。植物の蔓です。また一本飛んできて、フルートの左腕に絡まります。
フルートは、はっと蔓が飛んできたほうを見ました。案の定、そこには闇の花が咲いていました。金の石の光は真下の花を消し去りましたが、光が届かない窪地の底に、一群の花が残っていたのです。花は長いロープのような蔓をいっせいに繰り出していました。フルートを自分たちの敵と見極めて、どんどん絡みついてきます。
「ワン、フルート!」
ポチはフルートの腕から抜け出そうとしました。闇の花は生き物に絡みつき、その体を引き裂いて食ってしまうのです。痛む体で風の犬に変身して、フルートを助けようとします。
とたんに、今度は闇の花が煙のような花粉を吹き出しました。あたりがたちまち赤くかすみます。ポチは、ぐぅっと喉を鳴らすと、フルートの腕の中で痙攣(けいれん)を始めました。
「ポチ! ポチ!?」
フルートは大声で呼びました。ポチは毒の花粉を吸い込んでしまったのです。フルートがどんなに呼んでも、小犬は白目をむいて体を引きつらせるだけでした――。