「おまえのおふくろさんだぁ!?」
フルートが居間の肖像画を自分の母親だと言ったので、ゼンは仰天しました。
「この絵の女の人が? でも、ずいぶん若いわよ?」
とルルも目を丸くします。
フルートはうなずきました。
「お母さんがまだ娘だった頃に描かれた絵だと思うんだ。この笑顔は間違いないよ」
「ワン、それにこの絵、女装したときのフルートに似てると思いませんか? フルートは、女の恰好をすると、お母さんそっくりになるんですよ」
とポチも言います。
一同は暖炉の前に立って、つくづくと絵を眺めました。小花模様のドレスを着て、こちらにほほえむ女性は、言われてみれば、女装したフルートに似ているような気がします。
フルートは話し続けました。
「ぼくのお母さんは、結婚するまでロムドの東部にあるロアって街に住んでいたんだ。ここはレコルだから、ハンナっていうのはただの同名なのかと思っていたんだけれど。この絵があるからには、やっぱりここはお母さんの実家だったんだ」
「ってことは、あのじいちゃんがフルートの母ちゃんの父ちゃんで、あの呆けたばあちゃんがフルートの母ちゃんの母ちゃんか」
「なんだかものすごい偶然なんじゃない?」
とゼンとルルが驚き続けているところへ、老人と一緒にメールとポポロが戻ってきました。
「おばあさんはすぐに寝てくれたよ。何見てたのさ?」
とメールに聞かれて、フルートは絵を示しました。メールではなく、老人に向かって言います。
「あの、この絵のことなんですが、これは……」
「ああ、それが私たちの一人娘のハンナだよ。今はもう生きていないがな」
老人がそんなふうに答えたので、フルートたちは思わず顔を見合わせてしまいました。老人は絵を見上げます――。
フルートは、少し考えてから、こんなふうに尋ねました。
「娘さんはどうして亡くなったのですか? 本当に亡くなったんですか?」
すると、老人は絵を見たまま苦笑しました。
「いや、死んだという知らせは聞いておらん。だが、娘が行った先は西部だ。幼なじみの男にたぶらかされて、開拓団と一緒に出ていったんだ。娘は生まれつき心臓が悪かったし体も弱かった。西部の厳しい開墾生活になど耐えられたはずがないんだ――」
老人の話に、ポチとルルはまた顔を見合わせました。ゼンは、話の流れが見えなくて不思議がっているメールとポポロに、こっそり真相を伝えます。
フルートはまた言いました。
「そうとは限らないと思いますが……。手紙を書いて、娘さんの安否を尋ねることはしなかったんですか?」
すると、老人はいきなり語気を強めました。
「手紙など書くものか! 初めのうちは向こうから手紙も来ていたが、それもすべて中も読まずに送り返してやった!」
「なんでだよ!? せっかく来た手紙だろうが!」
とゼンが驚いて口をはさむと、老人はますます厳しい表情になりました。
「親子の縁を切られてもかまわない、と言って飛び出していった娘だ! 他人になった人間の手紙を、どうして読む必要がある!? 受けとる理由などない!」
「すっげぇ頑固なじいちゃんだな」
とゼンはあきれました。
「なんかちょっとフルートに似てるかもね。フルートの頑固なとこって、おじいさん似だったんだ」
とメールもポポロにささやきます。ポポロはとまどってフルートと老人を見比べています。
フルートも困ったように自分の祖父を見つめていました。老人の話がとぎれたので、ことばを選びながらまた話します。
「西部の生活は、こっちで言われるほど苦しいものじゃないですよ。確かに苦労は多いけれど、国王陛下が常に気を配って、開拓を支援してくださっているから――。送り返した手紙の中には、子どもが生まれたって知らせもあったはずです。男の子が生まれたと故郷に知らせたのに、手紙を受けとってもらえなかったんだ、ってお母さんが話していたことがあるから」
なに? と老人はいぶかしそうに振り向きました。兜からのぞくフルートの顔を見つめます――。
その時、いきなりポポロとルルが飛び上がりました。部屋の片隅を振り向いて叫びます。
「闇だわ!」
「あそこから匂うわ! 強いわよ!」
ルルは人のことばを話してしまっていましたが、仲間たちはそれを気にする余裕がありませんでした。彼女たちが示す部屋の隅で、風もないのに埃がひとりでに渦を巻き、一箇所に集まり始めていたからです。埃は部屋の中だけでなく、扉を閉めた入口の隙間からも入り込んできました。渦に吸い寄せられて、次第に大きな塊になっていきます。
「闇魔法か!?」
フルートがペンダントを引き出しながら尋ねると、ルルが答えました。
「多分違うわ! あそこで急に闇の匂いが強まったと思ったら、あんなふうに埃が動き出したのよ!」
雌犬が人間のように話しているので、老人は目をむいて驚きました。何か言おうとしますが、声が出てきません。
ゼンはかがみ込み、足元を煙のように流れていく埃に手を突っこみました。ぎゅっと拳を握ってから立ち上がり、手を開いて眺めます。埃と見えたのは、実際にはごく細かい砂でした。黒っぽい色をしていて、ガラスのような艶(つや)があります。
「こいつはただの埃じゃねぇ。火山灰だ」
とゼンが言ったとたん、手のひらの灰が幽霊のような怪物に変わりました。ケラケラ笑いながらゼンに襲いかかってきます。
「危ない!」
フルートは金の石の光を浴びせました。ゼンのすぐ目の前で怪物が消えていきます。
「何さ、これ!? どうして灰から闇の怪物が現れるのさ!?」
とメールが金切り声を上げると、フルートはペンダントを構えたままで言いました。
「これは、ザカラスの南にある火の山から噴き出した火山灰だ! 山の地下で闇に狂った巨人クフが作り出した、闇の灰なんだよ!」
闇の灰!? と仲間たちは驚きました。
「だ、だって、火の山の噴火はあたいたちが止めてきたじゃないか! クフを正気に返してさ! 闇の灰がロムドに飛んでいくことだって、ちゃんと防いだはずだろ!?」
とメールがまた言うと、ポチが頭を振りました。
「ワン、その前に噴き出した灰が、噴煙と一緒にロムドまで飛んできていたんですよ。そういえば、あのとき炎の馬も言っていました。灰が地上に降って留まるから、ロムドやザカラスはもうしばらく闇の影響を受けることになる、って――。それがこれだったんですよ」
フルートは真剣な表情で考え込んでいました。
「広場で馬車を捕まえた闇の触手は、これから生まれてきたものだったんだな。ひょっとすると、ユラサイの西の長壁に食魔が増えたのも、同じ闇の灰の影響なのかもしれない。西から闇の匂いがする風が吹いてくる、って高師は言っていたからな」
それを聞いて驚いたのはルルでした。
「噴火を起こした火の山からユラサイの西の長壁までって、一万キロ近い距離があるのよ!? そんなに遠くまで灰が飛んでいって、怪物を増やしていたっていうの!?」
「いや、ありえるぞ。火山灰ってのは軽くて空高く噴き上がるからな。風に乗って世界中に広がることがあるんだ、って親父たちから聞いたことがある」
とゼンが難しい顔で言います。
一同は一箇所に集まっていく埃のような灰を眺めました。灰の塊は今ではもう人の頭ほどの大きさになっています。長いこと閉めきってあった屋敷ですが、留守の間に窓や戸の隙間から少しずつ入り込んで、屋敷中に降り積もっていたのです。
「闇を消さないと」
とフルートはまたペンダントを掲げました。灰の渦へ聖なる光を浴びせようとします――。
すると、全員が見ている前で、埃のような闇の灰が急に回転を速めました。中心に集中していって密度を高めます。
その中から姿を現したのは、一匹の黒いサソリでした。全長わずか十センチほどの虫ですが、毒針がある尾だけは異様に大きく、全身は短い棘(とげ)におおわれています。
「光れ!」
とフルートは即座にペンダントへ叫びました。聖なる光でサソリを照らします。
ところが、その光が届く前に、サソリは飛びのいて物陰に逃げ込んでしまいました。フルートたちは後を追って探しましたが、そこからまた別の場所へ逃げ込んで、どこに行ったのかわからなくなってしまいます。
「どこだ!?」
「どこに行きやがった!?」
フルートたちはサソリを探し続けました。闇の虫を野放しにしたら、とんでもないことになります。椅子やテーブルを動かして、必死で見つけようとします。
その間、老人は呆然と立ちつくしていました。犬が人のことばを話し、少年少女たちがいきなり意味のわからない難しい話を始めたので、すっかり混乱していたのです。
ところが、その老人が突然、うわぁっと大声を上げました。振り向いたフルートたちの目の前で、音を立てて倒れてしまいます。その足元の床では、黒いサソリが毒針の尾を高々と持ち上げていました――。