術師の老人は先に、西のほうから長壁に闇の気配のする風が吹きつけてきて、付近の闇を刺激している、と話していました。そのために毎晩空は暗雲でおおわれ、闇に乗じて食魔が現れては壁を食い荒らすのだ、と。
それはデビルドラゴンのしわざに違いありませんでした。あの竜はユラサイ国が光の陣営に協力するのを妨害するために、守りの長壁を壊して国を襲おうとしていたのです。そこへフルートたちがやってきて、ポポロの魔法で食魔を追い払ったので、彼らの存在を気づかれてしまったのでした。
食魔が嫌う芳枝は枝も花もすべて消滅してしまいました。老人も両手を食魔に食われて、うずくまっています。
フルートは老人のほうへ走りながら叫びました。
「みんな、集まれ! 早く!」
その胸の上ではペンダントが踊っていました。それを外して高く掲げ、老人の横でまた叫びます。
「光れ、金の石!」
澄んだ光が周囲へ広がりました。闇の怪物を倒す聖なる光です。食魔を直接消すことはできませんが、まばゆさで食魔を退け、同時にデビルドラゴンの目から彼らを隠してくれます。
食魔が金の光の外側まで下がったので、一同は、ほっとしました。石を掲げたフルートの元へ集まっていきます。
ところが、ポチが驚いたように言いました。
「ワン、おじいさん、怪我が治らないんですか!? 金の光が照らしているのに!?」
ポチの言うとおり、老人はまだうずくまったままでした。痩せた顔や禿げ頭には大粒の汗が噴き出しています。その両手は相変わらず手首の先から失われたままでした。金の石が輝けば、たちまち怪我や傷は癒えて元通りになるはずなのに――。
フルートは振り向き、急いで魔石を老人に押し当てようとしました。金の光がペンダントの動きにあわせて宙を踊り、地上に影を落とします。
「だめよ、フルート!」
とポポロが突然叫びました。金の石が動いたために、地上に落ちた老人の影が、閉じかけた門の近くまで長く伸びたのです。門の片隅の暗がりには、まだ食魔の赤い目が光っていました。暗がりから老人の影に飛び移り、ものすごい勢いで迫ってきます。
フルートはとっさに老人の向こう側へ飛び出しました。影を走る食魔と老人の間に割って入って、また金の石を突き出します。光で照らして食魔を追い返そうとしたのです。
とたんに食魔が影から飛び出しました。今度はフルートの足元の影に飛び込み、大口を開けて襲いかかってきます。フルートはかわしきれません。
すると、フルートの体がすごい力で後ろへ引っぱられました。その目の前で食魔が口を閉じ、金の石の光を半分以上呑み込んで、遠くの影へ離れていきます。
金の石は急に暗くなり、すぐにまた明るくなりました。かろうじて光を食われずにすんだのです。フルート自身もなんとか無事でいます。
「ありがとう、ゼン」
とフルートは言いました。とっさにフルートを後ろへ引き戻してくれたのは彼だったのです。
ゼンは渋い顔をしていました。
「おうよ。だが、どうする? これじゃ身動きとれねえぞ。芳枝はなくなっちまったし、ポポロの魔法も朝まで使えねえ。しかも、じいさんがあれじゃあ――」
老人は、駆け寄ってきた少女たちに、両手に包帯代わりの布を巻いてもらっていました。血は出ていませんが、非常に痛そうな顔をしています。いくら金の石の光で照らされても、傷が癒えないのです。何故治らないのか、フルートたちには理由がわかりません。
吹雪は魔石の守りの光にさえぎられて、直接彼らに当たらなくなっていました。食魔たちも光の中には入り込んできませんが、かといって立ち去ることもありません。影から影へ飛び移りながら、赤い目を光らせて隙を狙っています。フルートはまた石を高く掲げて、足元の影をできるだけ短くしました。そんなことしかできることがなかったのです。
食魔たちとフルートたちのにらみ合いが続きます。
すると、一匹の食魔が急に向きを変えました。自分たちが壁を破りに来たことを思いだしたのでしょう。すぐ横の壁に飛びついて石積みを食い始めます。
フルートたちは顔色を変えました。食魔が取り憑いたのは、屯所の建物の壁だったのです。みるみるうちに壁に穴が開いていきます。
「屯所を守るんだ!」
とフルートは言って、ペンダントを隣にいたポポロに押しつけました。自分は炎の剣を握って駆け出します。
「待て、フルート! ひとりで飛び出すな!」
とゼンは後を追いかけました。フルート! ゼン! と少女たちが叫び、ワンワン、とポチがほえます。
とたんに、うずくまっていた老人が顔を上げました。脂汗が流れる顔を大きく歪めて、うなるように言います。
「壁の守りは破らせんぞ……! 貴様らのような悪鬼を国に入れるものか……!」
老人の姿が煙のように消えました。そのままどこにも見えなくなります。
次の瞬間、屯所の建物全体が強い光を放ちました。壁を食っていた食魔が、光に跳ね飛ばされて地面に転がります。
「おじいさん!?」
とフルートは驚きました。
「光る魔法はもうできねえって、さっき言ってたんじゃねえのか?」
とゼンも目を丸くします。
光は一瞬でやみました。逃げかけていた食魔たちが戻ってきて、また彼らを取り囲みます。
フルートたちはまた一箇所に寄り集まりました。足元の影が短くなるように、長身のメールがペンダントを掲げ、フルートは炎の剣を構えます。
「ワン、おじいさんはどこに行っちゃったんだろう……?」
とポチは周囲を見回していました。いくら待っても老人は戻ってきません。
やがて、あたりは本当に暗くなってきました。門の上で焚いていたかがり火が、燃え尽きてしまったのです。先に壁の外側に沿って作った焚き火も、吹雪にあおられて消えていました。光を放っているのは、ペンダントの金の石ひとつだけです。
いっそう身を寄せ合った一行の中で、ポポロが小さく息を呑みました。目の前にある門は、もう扉が閉じていましたが、その向こうを指さして言います。
「また食魔が戻ってきたわ……。さっきよりずっと数が少ないけど、それでも二、三十匹はいるわよ……」
月が隠れ炎も消えて、光がなくなったので、遠くへ逃げた食魔たちがまた戻ってきたのです。
「こっちにも十匹以上いるよな」
とゼンは相変わらず渋い顔でまわりを見ていました。フルートは緊張して、炎の剣を構え続けています。彼らにはもう食魔を退治する方法がありません。襲いかかってきたら、炎の弾で追い払うしかないのです。
すると、壁の向こうから石の崩れる音が聞こえてきました。しまった! とフルートが叫びます。
「食魔がまた外壁を食い始めたんだ! 止めないと!」
けれども、彼らの周囲にも食魔がいました。駆けつけようにも身動きがとれません。
門の向こう側で、また石積みが崩れる音が響きます――。
その時、壁の向こうで、ばさばさと何かが羽ばたく音がしました。犬のほえる声に続いて少女の声も聞こえます。
「何よ、これ!? みんな、どこに行っちゃったっていうの!?」
ポチは、ぴんと耳を立てました。
「ルル!!」
と大声で呼びます。それは王宮へ助けを求めに行ったはずの雌犬の声だったのです。
とたんに、壁の向こうで強烈な白い光がわき起こりました。同時に、つんざくような食魔の悲鳴が響き渡ります。
そちらで何が起きているのか、フルートたちが今ひとつ把握できずにいると、急にポポロがフルートの腕をつかみました。目を輝かせて、ほら! と門の向こうを指さします。
次の瞬間、門の上に姿を現したのは、飛竜に乗った青年でした。手綱も鞍もない竜の背中に無造作に立ち、片手に小さなランプを掲げています。青年は口に芳枝の小枝をくわえていました。ランプが放つ白い光が、右の頬の大きな傷を照らします。
「ロウガ!?」
とフルートたちはいっせいに声を上げました。
門の向こうから突然現れたのは、食魔払いのリ・ロウガでした――。